一 あくまでかつての月刊正論(産経)の主論調・特集設定を示す例だが、二年前2014年7月号の背表紙には「歴史・外交・安保/中国・韓国への反転大攻勢」とあり、同年8月号のそれには、「日本を貶めて満足か! 朝日新聞へのレッドカード」とあった。他の「保守」系雑誌と同じく「中国」や「韓国」がしばしばでてくるのはいかがかという気もしていたが、(朝日新聞が「虚報」の一部を認めたこともあり)論調自体はかなり明確だった。
 2016年11月号の背表紙は「昭恵・蓮舫・クリントン」
 これはいったい何が言いたいのか、何の特集なのか ? ? 女性政治家特集なのか。いや安倍昭恵は政治家ではないはずだが。
 と思ったりして目次を見て少し捲ってみると、三人について計4論考があるだけで、統一したテーマがあるのでもなさそうだ。
 しかも表表紙と目次冒頭には「特集/安倍政権の敵か味方か」とある。
 この特集名に即した論考は、熟読していないので断言はできないが、何と渡部昇一のもの一つだけのようだ。
 なるほど客観的には、安倍昭恵インタビューも八木秀次・潮匡人の蓮舫ものも、ヒラリー・クリントンについての三浦瑠麗論考も、安倍政権を支持していることになるのかもしれない(熟読していないので確言しかねる)。
だが、少なくとも、これらは「安倍政権の敵か味方か」という問題設定のもとで、これを主テーマとして、執筆または構成された文章ではない、と見られる。
 このような編集部(代表・菅原慎太郎)設定の「特集」名そのものが、じつはかなり政治的で、読者を(そして日本国民を)幻惑させるものになっている。それは、この「特集」に最も近い問題関心のもとで書かれたとみられる渡部昇一の文章の「意図」と同様に、<卑劣な>ものだという印象を拭えない。
 二 前回にかなり引用した水島総は、連載ものの執筆者ということもあり、月刊正論編集部の意図におそらく反して、「正論」を書いている。
 当該編集部と渡部昇一が主張し、意図しているのは、<日本の「保守」派のみなさん、安倍政権を支持しないのですか ?、みなさんは安倍政権の「敵か味方か」どちらなのですか ?>という問いかけを発することだろう。
 これは問題のスリカエだ。
 西尾幹二、伊藤隆らが理解し主張しており(秋月瑛二も同様)、また中西輝政が「さらば、…」とする契機となった理解は、<安倍晋三戦後70年談話は、戦後体制の基本的歴史観を維持している>、<…、(当の月刊正論や産経新聞も批判してきたはずの)村山富市戦後50年談話を踏襲している>、<…、東京裁判史観を継承している>ということなのであり、安倍晋三・自民党内閣を全体として支持しない、安倍政権は「敵」だということではない。
 中西輝政の言いたいことの中心もまた、当面の<安倍内閣の当否>ではない、と思われる。なるほど中西は安倍晋三を「敵」とするような表現の仕方をしているが、中西輝政の敵は言うまでもなく、「戦後レジーム(体制)」であり日本国民が自主的な歴史観を育めない根因にある「東京裁判史観」にある、と考えられる。水島総が驚くほど明瞭に語っているように、「東京裁判史観」にまだ拘束されざるをえない、現在の日本国総理大臣の<宿命>・<哀しさ>を感じなければならない(むろん、アメリカというものの存在にかかわる)。
 問題は安倍晋三個人にあるのではなく、談話に誰も反対しなかった内閣の閣僚にもあり、自民党そのものにあり、あのような内容の安倍談話を許してしまった(阻止できなかった)月刊正論や産経新聞を含む「保守」系メディア・論壇にもある。
 問題を、<安倍政権を支持しますか ?>、<安倍政権の敵と味方のどちらですか ?>に歪曲してはならない。これは、卑劣な問題設定、主題設定だ。
 渡部昇一にも、月刊正論編集部(代表・菅原慎太郎)にも念のために言っておきたいが、<安倍談話は東京裁判史観(と言われるもの)を維持しているか否か>という問題には、比較的容易に答えることができる。
 いろいろな装飾・アクセサリーやレトリックが安倍談話には介在しているので幼稚な者には見抜けないのかもしれないが(その装飾・レトリック部分を朝日新聞等の「左翼」は批判し、一方でそれらを産経新聞は好意的に論評する根拠にした)、素直に読めば、東京裁判史観や村山談話等の「これまでの内閣」の立場との関係での基本的趣旨は明らかだ。
 しかし、<安倍政権を支持するか否か(安倍政権は味方か敵か)>という問題には、単純には答えられない。それは、貴方は<自民党を支持するか ?>、<自民党は味方か敵か>という質問に簡単には、つまり二者択一的には答えられないのと同じだ。
 月刊正論編集部や渡部昇一は、上の質問に<支持>・<味方>と答えるのかもしれない。
 だが、問題は、政治・政策の当否は、そのように二者択一的に判断できるとは限らない。選挙の投票に際して、いずれかの政党を一つだけ選択するのともさらに異なる、多様な評価がありうることを知らなければならない。
 つまり安倍政権であれ、自民・公明連立政権であれ、自民党という政党であれ、例えば100点満点の評価から、80、60、…20点、といった多様な評価がありうるのだ。
 上に月刊正論編集部や渡部昇一は、安倍政権を<支持>し<味方>するのかもしれないと書いたが、自民党・安倍政権が進めようとしているようでもある配偶者関連税制の「改正」も、<消費税>関連政策・方針も、種々の労働政策も、<女性を含む一億総活躍>方針も-あくまでまったくの例示にすぎないが-、<すべて>支持するのか ? 自民党が、したがって安倍政権もまた継承している<男女共同参画>行政もすべて支持するのか ? 自民党の文教政策あるいは例えば安倍政権・文科省が行っている<大学再編>政策もすべて支持するのか ?
 渡部昇一や月刊正論編集部にとって、安倍政権は「100点満点」の政権なのか ? ?
 真面目に又は厳密に考慮すれば、<分からない>とか<支持しかねる>という政治方針・政策もあるはずだ。
 渡部昇一や月刊正論編集部に訊きたいものだ。
 安倍政権はかりに<保守>政権だとして、そして自分たちをかりに<保守>派だと考えているとして、安倍首相や安倍政権の言動・政策・行政を<すべて>支持しなければならないのか ? つねに、あらゆる論点について、安倍政権の「味方」でないといけないのか ?
 農業・水産業等々の国民、タクシー事業従事者、「非正規」労働の人、コンビニの経営者あるいは個々の従業員、…、それぞれの利害は多様だ。高齢者と若者という違いもある。
 そのような多様な国民が、あるいは雑誌読者が、「保守」系と自らを感じている者が多いかもしれないとしても、いったいなぜ、渡部昇一や雑誌編集部によって、「安倍政権の敵か味方か」と問われなければならないのだ ? ?
 渡部昇一は卑劣にも、自らが1年前に<安倍談話は100点満点>、<戦後体制を脱却した談話>、<大宰相の談話>とか「手放しで」褒め称えたことについては全く触れないままで、「安倍政権の敵か味方か」という特集名のもとで、安倍晋三首相を支持し<信頼する(信頼し続ける)>ということを長々と述べているだけだ。
 しかも、最後の方を捲ると、例えばつぎのような一文の末尾は、いかなる(実証的 ?)論拠にもとづくものなのだろう。笑わせるではないか。
 94頁-「安倍さんはそういう可能性を感じているかもしれません」。
 95頁-「彼はそう考えを変えたのだと思っています」。
 同-「安倍さんは…を手にすべく精を出しているのだと考えています」。
 同-「彼は機をうかがっているのだと思います」。
 同-「…かもしれません。そうした兆候は…、明白に表れていると思います」。
 同-「…時、粛々と変えるべく安倍氏は動くものと信じています」。
 渡部昇一は、可能であるならば、自らが1年前に<安倍談話は100点満点>等々ときわめて高く評したことの論拠を、再度詳細に述べるべきだ。渡部昇一をめぐる争点・問題は、まさに1年余り前の自らの文章の適否にある。<安倍政権は敵か味方か>などと問題をスリカエて、逃げてはいけない。
  三 同じ雑誌の同じ号にほとんど真反対の方向の理解・主張の文章が別の論者によって書かれていること、「特集」名にかかわらず、それに対応していると思えるのは渡部昇一の文章一つにすぎないこと、背表紙の「昭恵・蓮舫・クリントン」という意味不分明の文字の羅列、そして「特集」名設定から推察される編集部の意図…。
 月刊正論11月号(産経)が「奇書」だという理由が、判っていただけただろうか。
 このような雑誌に、あるいは渡部昇一も登場する号にだけでも(一緒には)、論考を執筆したくない、という「先生」方が現れることを期待したい。
 四 このような投稿に時間を費すのは、本当は愚かなことだ。
 渡部昇一は、かつて、その清水幾太郎の<右>旋回に関する発言で、福田恒存によって「売文業者」と称されて批判されたことがある。
 福田恒存評論集・第12巻(麗澤大学出版会、2008)の中の107頁以下の「問い質したき事ども」の半ば辺り以降を参照(原文は1981)。
 このことを、私と同じく渡部昇一の安倍談話支持を厳しく批判する、千葉展正・「売文業者」渡部昇一の嘘八百を斬る(kindle版、2016)によって知った。
 この電子書物( ?)は渡部昇一による安倍談話支持を、この秋月の欄よりもはるかに詳細に「斬って」、批判している。千葉展正には、反フェミニズムの本もある。