日本共産党は1991-92年頃にはどう言っていたか。
 一 1994年の不破哲三によれば、「スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定、民族自決権の侵犯にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだしという、反社会主義的な制度を特質として」いた。
 ここでは、①「経済的な土台においても」ととくに挿入されていることに留意してよい。
 また、②「経済管理からの人民のしめだし」がなぜ「反社会主義的な制度」なのかという<理論>問題もある。社会主義において基本的な経済管理は国家が行なう(ことになっている)のではなかったのか。ここではとりあえず無視して、はしよる。
 また、不破哲三によれば、「三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争を通じて、私たちが到達した結論」は、「ソ連は社会主義でも、それへの過渡期でもなかった、抑圧型、人間抑圧型の体制だった」こと、「ソ連で崩壊したのは、社会主義では」なく、「社会主義に背を向け、ソ連を反社会主義の軌道に引き込んだ覇権主義と専制主義」だった。
 ここでは、「大国主義、覇権主義」とは諸国の各共産党間で(ソ連共産党と日本共産党の間で)見られたというもので、そのような「主義」はいかほどに「大国主義」国の<社会主義>国家性に関係するのか、上の最初の文章もいうように「政治的な上部構造」の問題にすぎないのでないかという疑問も生じる。だが、これも無視して、はしよる。
 二 さて、1989年11月09日・ベルリンの壁崩壊、1990年10年03日・東西ドイツ統一、1991年8月25日・ソ連共産党解体、、1991年12.月21日・ソ連邦解体。
 なお、日本共産党第19回大会が1990.07で、直後の第1回中央委員会で宮本顕治は(中央委員会)議長にしりぞき、不破哲三が(幹部会)委員長に、志位和夫が書記局長になった。1994年の第20回党大会まで党大会は開催されていない。
 この1990年半ばから、名目的にも不破哲三が日本共産党のトップに立った。
 1991年から既に紹介した1994年第20回党大会での綱領改定までの不破哲三らの文章を読むと、党員でも同党シンパでも全くないのに、なかなかに息苦しい。
ソ連・東欧での<混乱>が続き、ついにはソ連共産党が解散してまうという事態に遭遇して、以下は秋月の文章だが、<日本共産党だけは誤っていない、何とでもこの危機を乗り越えなければならない>、という日本共産党指導部の焦りや緊張感が伝わってくる。
 そして、1994年党大会以降のようにはまだ明確に、歯切れ良くは論じられておらず、日本共産党の論調にもまだ(ソ連共産党やソ連の解体「後」であっても)用語等の混乱が見受けられる。
 ソ連共産党解体後の1991年9月に、日本共産党は「中央の弁士」を全国の都道府県に派遣してソ連問題(と同党)に関する「特別の演説会」を開催した。聴衆総数は全国で6万人近くだった、という。
 委員長の不破哲三も1ケ月の間に、名古屋、東京、盛岡、新潟で「演説」している。
 以上は、不破哲三・ソ連覇権主義の解体と日本共産党(1991.12、新日本出版社)のまえがき等による。
 聴きに集まった者たちはおそらく、ほとんどが日本共産党員だっただろう。ソ連はどうなるのか、そして「わが党はこれからどうなるのか」と心配(?)していたに違いない。
 上の不破著の冒頭はそのときの演説内容を整理してまとめたもので「覇権主義の党の解体と日本共産党」と題されている。
 ソ連共産党はなくなっても(各邦の共産党がまだあるから?)ソ連はまだ残存しているから、という理由づけが成り立つのだろうか、上の論考の特徴は、ソ連の「覇権主義」に対する批判を内容のほとんどにしていて、ソ連国家自体の(新たな)性格づけについては何も語っていないことだ。
 ソ連国家自体について語っているのはむしろ、ソ連はまだ「社会主義」国だ、という理解だと読める。以下のとおり。
 不破哲三は、ソ連の覇権主義を「社会帝国主義」とも称しつつ批判・分析していることについて、1981年6月の宮本顕治(当時の委員長)のつぎの発言を引用している。もちろん、否定・批判しているのではない。
 ・ソ連の「アフガニスタンへの軍事的な浸入というのは、われわれは社会帝国主義的である、社会主義であるけれどもやっていることは帝国主義だという点では『社会帝国主義』という言葉もあえて使っているわけですが、これがやはり、…を仮借なく徹底的に分析しています」(不破・上掲p.21)
この部分はソ連は「社会主義である」ことを前提としているとしか読めない。かつ不破哲三は1991年12月刊行の本で、何の警戒?もなく肯定的に引用していたわけだ。
 つぎに、不破は、「ソ連の覇権主義者」による干渉の例として1963年頃の日本国内の大衆運動等の「分裂」を挙げ(日本社会党との友好化・「日本のこえ」等々)、次のように述べている。
 ・資本主義国の共産党に対して「これをつぶすためための全面攻撃をするなどということは、世界の共産主義運動に例のない、階級的な犯罪行為というべきものでした」(p.32-33)。
「世界の共産主義運動に例のない」ことだから「共産主義運動」ではないとの趣旨ではないだろう。上の文章の最後にある注記として、日本共産党がソ連共産党に対して1964年8月に送った「返書」のつぎのような一部が紹介されている。
 ・ 「あなたがたは、…。これは国際共産主義運動の歴史のなかでも、いまだかつて例のないものです」(p.33)。
 ところで、不破は「三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争…」と言っている。それは第8回党大会での1961年綱領採択後の日本共産党・宮本=不破体制において、という意味だろう。
 それほど重要な闘争であるならば綱領中に行動目標的に掲げられてもよかったはずだ。しかし、不破も言うように、「綱領に、覇権主義とのたたかいを、党のもっとも重要な任務の一つとして明記」したのは1985年の第十七回党大会での綱領一部改定によってだった。
 その改定綱領の内容を、不破哲三はつぎのように紹介している。『』内が綱領中の文章だろう。
 ・「一部の社会主義国に生まれた覇権主義というのは、まさに、歴史の発展にそむき、『国際緊張の一定の要因』になるとともに、『対外干渉と侵略にほんらい無縁である科学的社会主義の理念』を傷つけ、…害悪であること、これを克服することは、…、私たちが負っている大事な『国際主義的任務』であるということです」(p.40-41)。
 「一部の社会主義国」とはソ連に他ならず、明確に、ソ連は「社会主義国」だ、と理解していたことになる。
さらに、不破の同著中の「覇権主義の党の解体と日本共産党」は、ポーランド問題について1981年12月25日付赤旗に掲載された西沢富夫(当時、副委員長)の発言を「スターリン以来の官僚主義・命令主義が、社会主義からのいかに重大な逸脱であるかの、明確な分析をおこなった」と評価するが、そこで引用されている西沢発言の一部はつぎのようなものだ(p.83-84)。
 ・「今日の社会主義諸国と官僚主義の問題一般についてくわしく立ちいる」ことはしないが、「スターリンがソ連の最高指導者」だった時期に「根づき、強まった」。「ソ連のモデルは、戦後社会主義の道へふみだした他の東欧の社会主義国などにも」持ち込まれた。
 ・「あとから社会主義の道へふみだした国では、社会主義大国の覇権主義と国の指導部の自主性の欠如が結びついて。官僚主義の弊害が重大化するのです」。
 「社会主義大国」がソ連を意味するだろうことは明らかだ。
 なお、日本共産党は今日、スターリン時期以降のソ連のみならず、同時期以降の東欧諸国もまたソ連と同じ道を歩んだとしている。にもかかわらず、上では(日本共産党が今日ではもはや社会主義とは無縁だったとする戦後に!)東欧諸国も「社会主義の道へふみだした」としている。
ソ連が「社会主義」でもそれへの「過渡期」でもなく「人間抑圧型」体制になっていたはずの時期に、東欧諸国は「社会主義の道へふみだした」と言っているのだ!
 三 日本共産党中央委員会・日本共産党の七十年/下(新日本出版社)は1994年5月に、ソ連の性格づけを綱領で大きく<変更・修正>した1994年の第20回党大会が開催される前に、出版されている。
 執筆者名は不明だが(むろん中央委員会による正規の文章ではある)、1985年の第17回党大会での綱領改定にもこの党史は触れている。
 改定の主要点とされる第一は、先に言及したが、ソ連覇権主義との闘争の必要性の明記だとされている。そして、この明記は、つぎのことを意味するとされる。
 ・「覇権主義、官僚主義など『内部にそれぞれの問題点』をもつ社会主義諸国がその誤りのゆえに世界史の発展の原動力となりえない場合のあることを意味していた。旧ソ連・東欧の劇的破たん」は、この明記の「歴史的先駆性をあざやかにしめすことになった」(p.239)。
 この文章は「旧ソ連・東欧の劇的破たん」の後で書かれている。にもかかわらず、ソ連と東欧諸国は「社会主義諸国」だったことをも明瞭に認めている叙述になっている。
 改定の主要点の第二は「資本主義の全般的危機」規定の削除だとされるが、その削除の理由の一つはつぎのことだと書かれている。
 ・「社会主義国の一部に覇権主義の誤りがつよまり、帝国主義の態勢立て直しと延命をたすけているという情勢の変化がうまれたこと」
 ここでも、(少なくとも)ソ連は社会主義国だったという理解が前提とされていることは明らかだろう。
 四 以上は、1991年と1994年の、それぞれ一つずつの文献の一部の紹介にすぎない。それでも、ソ連を「社会主義」国の一つと見る理解がなおも示されていることは明らかだろう。
 日本共産党と同党員たちはおそらくは1990年末、あるいは1991年末のソ連解体まで、ソ連は社会主義国だと思っていただろう。しかるに、ソ連・東欧「社会主義」国の崩壊によって混乱してしまったのだ。
 そこで、生き延びるために想起したのは、幸か不幸か、日本共産党はソ連の覇権主義と闘ってきた<栄光>の歴史がある、ということだったに違いない。
 そこで、もともとは「社会主義」諸国または諸共産党の間での、「国際共産主義運動」内部での闘いだった日本共産党のソ連(ソ連共産党)との闘いを、社会主義ではなくなっていたソ連との闘いだったと強引に理解し直すことにし、かつまた、長きにわたって闘ってきたのだ、などと姑息にも言いつくろうことにした。
 これが、不破哲三の、そして日本共産党の大ペテン・大ウソの一つだ。
 「スターリン以後のソ連にたいするわれわれのこうした認識は、ソ連が解体してからにわかに生まれたものではありません。これは、三十年にわたるソ連の大国主義、覇権主義との闘争を通じて、私たちが到達した結論であります」(不破・日本共産党の歴史と綱領を語る〔ブックレット版(2000)〕p.63)とは、よくぞ言えたものだ。
 ソ連解体後またはソ連共産党の解体後の1994年や1991年12月にもまだちゃんと(?)、ソ連等は「社会主義」国である(だった)旨を書いているではないか。あるいは、その旨の1980年代の共産党指導者たちの発言等を、その時期になお肯定的に引用・紹介しているではないか。
 不破哲三、そして日本共産党は、「ソ連は社会主義でも、それへの過渡期でもなかった、…、人間抑圧型の体制だった」と、1989-91年の以前に、いつ、どの文献で述べていたのか。
 さらにだが、かりに不破が、いかにスターリンに問題・欠点があっても、ソ連はもはや社会主義国ではなくなった、などと言ってはいけない、という旨をかつて明確に主張していたとすれば、一体どうなるのだろう??
 文献上の(実証的な)根拠はある。<反共デマ宣伝>をしているのではない。日本共産党や不破哲三自身の文献をきちんと見て書いている。
 <つづく>