秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

0049/阿比留瑠比の最近のブログ・エントリーの中で目を惹いたこと。

 阿比留瑠比氏のブログ・エントリーは熟読ではないにせよ、目は通しているつもりだ。近日のもののうちから、いくつか目を惹いたものを取り出して、何がしかの感想を記しておく。
 1 2007/03/26-「国会議員会館内で開かれた反日慰安婦問題集会」/2005年2月1日に、衆院第2議員会館で「女性国際戦犯法廷に対する冒涜と誹謗中傷を許さない日朝女性の緊急集会」という集会があった。その内容の紹介だが、当時すでに社民党委員長だったはずの次の福島瑞穂の発言が目を惹いた。
 「福島氏 (前略)この女性戦犯国際法廷につきましては、もともと私自身も、いわゆる従軍慰安婦とされた人たちの裁判を担当する弁護士で、この女性国際法廷にも、傍聴人として一般の市民として、あそこの会館のところに出席しておりました。今回、ものすごい危機感を持っております。ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感しております。(中略)/今回のケースは、もちろんNHKもしっかりしてほしいとか一杯思いもあります。ただ、政治権力によるメディアへの介入の問題である、政治家によるパワハラだと思っております。こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけないと。(後略)
 上の発言のうち最もスゴいのは、「ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感…」だろう。仰々しいが、日本はファシズム・軍国主義へと向かっていっている、という時代認識が、この人やこの党(社民党)にはあるのだろう。「ファシズム」をどう定義しているかのかと突っ込みたくもなるが。
 次に、「
こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけない…」。完全に朝日新聞と同じ認識ですなぁ。こういう認識から出発して、安倍氏や同内閣への見方が「真っ当な」ものになる筈がない。
 2 2007/03/31-「河野衆院議長のふざけた新「河野談話」と教科書検定」
 これは長くてとてもまともなしっかりした文章で、河野洋平という人物がますますいやになる。それはともかく、本来の主題ではないが、彼の次の文章が目を惹いた。
 「私も長年取材していますが、文部科学省は日教組などと馴れ合い、左派からの攻撃を恐れる一方で、保守派が大人しいのをいいことに、甘く見ているように感じます。
 これは見過ごせない情報だ。自社さ連立政権のおかげで文部省と日教組が仲良くなった旨の指摘も別の日にあったが、それよりも「保守派が大人しい」と見られていることも大問題だ。何が「保守派」かは難しいが、日本の「保守派」なるものが必ずしも強くはないこと、たしかに国民は自民党等を与党とする政権に政治を委ねているが、自民党に投票する国民の全員が「保守派」と意識しているかは疑わしいし、自民党の国会議員すら、全員が自らを「保守派」と自覚しているとは思えない。別言すれば、自民党の国会議員すら、全員が明確な「保守」理論=「保守」思想に支えられているとは思えないのだ(ただ政権与党だから、選挙区国民のために仕事がしやすい党だから程度の理由で自民党員である国会議員もいるのではないか)。
 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間、1998)p.55のグラフは、「思想」の分布・割合につき(私の目分量だが)、英米では保守(真性自由主義)が4:リベラル(左翼的自由主義)が5:社会主義(全体主義)が3なのに対して、日本では、保守(真性自由主義)が1:リベラル(左翼的自由主義)が4:社会主義(全体主義)が5だということを示している。
 ソ連等社会主義国崩壊後もかかる分析又は印象がなおある(そして私も相当程度現実でもあると感じている)ことについては別に論じる必要があるが、ともかく、日本にはきちんとした「保守主義」が強くは育っていないのではないか。これはむろん、「きっこ」?氏が出てくるような、戦後「平和・民主主義」教育と無関係ではない。阿比留氏の何気ない一文に、色々なことを考えさせられる。
 3 2007/04/07-「民主党の立派な「慰安婦議連」と岡田克也元代表」
 民主党は雑多な人たちの政党で、改憲が現実的争点になってくるときっと分裂する、と私は想定している。
 それはともかく、このブログ中では、「慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話の見直しを求める動き」が民主党内にも出たという3/10の記事が引用されていて、その議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の呼びかけ人メンバー全員の名が記載されているのが目を惹いた。次の16人だ(前原誠司の名はない)。
 衆議院-「石関貴史、市村浩一郎、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周
 参議院-「大江康弘、芝博一、松下新平」。
 松原仁と河村たかし(+西村真悟)くらいしか名を憶えていなかった。自民党の某、某、等々よりもむしろ、こうした特定の民主党議員は、選挙でも当選させるべきではないか。
 岡崎トミ子、平岡秀夫らは落選させなければならない。

0048/浅羽通明・右翼と左翼(幻冬舎新書、2007)を読む-好著。

 浅羽通明・右翼と左翼(幻冬舎新書)を昨年末に読んだ。この本は幻冬舎新書の001番。幻冬舎新書は、某朝日新書よりデザイン、ラインナップともに良いのでないか。
 著者はどういう立場の人なのかにも関心は向くが、浅羽氏は左右から「努めて等距離」で執筆し自らは「右翼であり左翼」、「右翼でも左翼でも」ないと書くが(p.252)、どちらかというと「左」に、「左翼」に批判的な印象だ。
 レッテル貼りは本意ではないが、1.「教育一般も「左翼」のアキレス腱」、「各人に価値を委ねる」なら「未成年者はどうなるの」か、「あくまで「自由」を尊重し強制を排するのなら、「公教育」否定しかない」、2.「かつてマルクス主義的な家永教科書を不合格とした教科書検定」の「「全廃」を叫んだ「左翼」勢力」が「「新しい教科書」を潰すために同じ教科書検定を頼みとした奇観…」(以上、p.236)、3.なぜ「右傾化」・「保守化」というと「かつてはまだ建前としてであれ権威を持った「左」「革新的」「進歩的」な言論が、まるで力を喪失してしまった。ゆえに、相対的に、「右」「保守的」な本音ばかりが前面に顕れて見えてしまう」から(p.207-8)だ、などと書いており、それぞれ納得がゆく(日本共産党、朝日新聞社等の「左翼」の力を私はまだ軽侮していないが)。
 さて、とりあえず言えば、第一に、「哲学的新左翼」論者として高橋哲哉斉藤貴男森達也武田徹といった「新しい左翼ジャーナリスト」の名が記されているのは、情報として十分に参考になる。
 次が本論だが、第二に、浅羽氏は「左右」を分ける4-5点の軸を示して説明している。
 すなわち、私の理解も交えていえば、1.政治的統制の強弱(弱が左)、2.経済的統制の強弱(強が左)、3.文化的社会的統制の強弱(弱が左)の3つの軸に、4.(日中同盟)・中立・日米同盟という外交(左側が左)と、5.軍事的自立・非武装・外国軍駐留という軍事軸(左右入り乱れる)を加えて総合的に左・右は判断されるべきだ、とする。かつ、いずれにも中間又はグラデーション(又は外国軍駐留とある程度の軍事的自立の結合という組合せ)があるので左・右の区別は相対的・複雑なものにならざるを得ないともいう。先日論及した掛谷英紀氏のリベラル-保守の差異の説明に比べるとかなり多元的・立体的で、参考にすべきだろう。
 また、第三に、浅羽のこの本は学校で習ったのか習っていないのか不明瞭なままに色々なことを思い出させ又は新しく教えてくれる。フランス革命期にロベスピエールらのモンターニュ(山岳)派のさらに「左」にバブーフらの共産主義派が、イギリス革命期の「水平派という民主主義派」のさらに「左」にウィンスタンリらの共産主義派がいた(p.68、p.70)。マルクスはこれらは時期尚早で多数派にならなかったが19世紀後半には「労働者階級」の多数派化により勝利=社会主義「革命」可能と考えた(p.91)。こうして、クルトワ、長谷川三千子、西尾幹二も言及していた、<ロシア革命はフランス革命の鬼子>的理解はこの本でも述べられている。「民主主義」・「平等」の理念が急進化して共産主義となり、1億人の自国民の生命を奪うに至った…のだ。
 第四に、気になる部分はある。すなわち、「新左翼」を何ら肯定的に評価していないのは肯定的に評価したいが、「幸せな学生生活を満喫している後ろめたさ」からの「革命の側に与して道徳的正当性を獲得したかった」との動機に基づくものと一般的に理解するのは(p.196)甘すぎる、と感じる。
 「新左翼」の中の「全共闘」運動参加者にはそういう者もいただろうが、今も存在する中核派等々の活動家は自らを(日本共産党以上に?)共産主義者と考えているのではないか。また、「左翼のサヨク」化につき「メインカルチャーだったマルクス主義、社会主義、共産主義が、好みで近づく奴は一定程度いるけどねといわれるだけの趣味、つまりサブカルチャーとなり終わった」と述べるのは、これが事実ならばよいが、日本共産党の党費納入者26万人・選挙獲得票500万や社民党と一部の民主党を考えると、これまた甘く見過ぎだろう。
 この本の意義を貶める意図はないが、この人は、私より約10歳若く「70年安保」の体験もないためか、共産主義と共産党員の<恐ろしさ>・<イヤラシさ>を実感したことがないのではなかろうか。
 東アジアではまだ「冷戦」は終わっておらず、日本国内でも共産主義(・社会主義)勢力と反共産主義勢力(後者をどう一括表現すればよいか悩ましいが)の闘いは、前者が70年代頃よりも相対的に弱くなったとしても、まだ続いている、と見る必要があるだろう。
 なお、細かなことだが、最後に、p.170に「日本共産党の党員は…公職を追放され(レッド・パージ)」とあり、「公職追放」への言及はここにしかない。だが、「公職追放」とは通常は又は第一には1946年の戦争推進者又は戦争協力者(「右」)の公職追放(鳩山一郎・緒方竹虎等々。51年に解除)を指し、1950年の「左」対象のそれは通常は「レッドパージ」としか呼ばず、かりに公職追放と言うとしても前者と明瞭に区別しておく必要があるように思われる。

0047/講談社-週刊現代・月刊現代-はどこかおかしくないか。花田紀凱コラム。

 イザの電子版上には出ていないようなのだが、産経4/07のたぶん1週に一度の連載、「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」で扱っている三点のうち二点めが興味を惹いた。
 花田紀凱(-かずよし、とは初めて憶えた)はこう書く。-<『週刊現代』(4月14日号)のトップ記事、「『危険な総理』の大暴言を柳基洪韓国国会議員が怒りの告発、『安倍晋三首相は国会議員100人を前に韓国をキーセン国家と言い放った』」には大いに異議がある。/冒頭に安倍総理のその発言が掲載されているが、どう読んでも至極まとも。しかも「キーセン国家」という表現は使っていないし、発言自体10年前の勉強会のもの。あえて今、この発言をことごとしく取り上げ、<暴言総理は、さっさと退陣してもらうのが日本のためだ>などと安倍総理を非難する理由がない。/韓国国会議員の告発というが、誰がこの発言を件の韓国議員に教えたのか。『現代』、朝日の手法をまねしたのでなければいいのだが。

 
週刊現代4/14号を読んではいないが、おそらく月刊WiLL編集長の花田紀凱の指摘は適切だ。
 週刊ポスト(小学館)に対して、週刊現代は以前からずっと反政府のスタンスをとり続けているようだ。安倍内閣が新発足する頃には、月刊現代に「安倍内閣倒閣宣言」とやらの論稿(題は正確には確認していない)を立花隆に書かせていた。出版元の大講談社は、小学館や文藝春秋等々との関係で自らを差別化するために敢えて「反政府」よりの姿勢を社全体の編集方針として採用しているのだろうか。
 いろいろな立場・意見があるのは結構なことだが、上のような「商売」のための社の方針決定だと、いずれは読者から捨てられるだろう。また、上に花田が指摘しているように、10年前の発言(それも正確ではなさそうだ)を持ち出して安倍首相の退陣を主張するとは、また韓国議員の告発の形をとっているとは、「朝日の手法」に似ていて、マスコミとして恥ずかしいことだと思っていただく必要がある。

0046/「きっこの日記」とは何か。-戦後「平和と民主主義」教育の成果。

 週刊新潮4/12号によると、「さるさる日記」という日記サイトの中の「きっこの日記」は、「東京の恥であり、ニポンの恥であり、地球の恥であり、人類すべての恥である大ウツケ者の石原慎太郎が…」と書き、さらに同氏の弟・故石原裕次郎の配偶者に関する誹謗的コメントを書いて物議を醸し、「800字もの長文」の「お詫び」を掲載した、という。
 原文は既に削除されている。今日午前中に見た「詫び」の文章はもっと長く、かつ「噂によって個人的なことを」書いたことを詫びていたと記憶するのだが、現時点ではこうなっている。
 「選挙期間中には、「○○候補に投票します」「○○候補を応援しています」ということだけ書いてはいけないのかと思っていたのですが、それ以外でも、候補者に関する事柄は書いてはいけないということを知りました。
 
それを知らずに、候補者に関する事柄を書いてしまったため、該当する日記を削除いたしました。
 
ご迷惑をおかけした皆さま、申し訳ありませんでした。
 
また、お知らせくださった皆さん、どうもありがとうございました。
 はて、自信はないが、特定候補の支持・不支持をネット上に書いて少なくとも刑事罰を伴う規制を受けるのは候補者側であって、一般有権者までそのような「言論」が刑事罰付きで規制されるのかな?、上にいう「候補者に関する事柄は書いてはいけない」というのは正しいのかな?と思う。削除の実際の理由は特定候補の支持・不支持を書いたからではなく別の点にあるのに、「ごまかし」がある、と感じるのだが、どうだろう。
 この「きっこの日記」の執筆者「きっこ」氏?は自己のプロフィールにこんなことを書いている(以下に一部のみを引用)。
 「【今一番やりたいこと】/アベシンゾーが寝てる間に、鼻の下に黒マジックで、ヒトラーとおんなじチョビヒゲを描く!
 【兎に角主張したい事】/戦争反対!/核廃絶! 
 【疑問に思っている事】/自民党なんかに投票する人の神経

 こんな人もいるだろうとは思うが、無視できないのは、例えば今日一日で約70000件のアクセスがあり、「さるさる日記」の中では連日圧倒的にアクセス・ランキング1位で、いつからかは確認していないが累計4700万アクセスになっていることだ。
 4/08の投票日を前に、4/06の書き込みでは、上田埼玉県知事が「(共産党は)それはもう野党とか、与党とかというものを通り越してですね、邪党みたいなもんですね。 」「(共産党は)邪道だという気持がありますよね。」/「
(共産党の)やり方は邪道じゃないですか。一般的に言えば。そういう部分が何気なしにポンと出たんではないでしょうか。邪党みたいなもんだというようなね。」/ですからまったく瞬間的な、(共産党は)邪道じゃないかという部分と、酷い党じゃないかというのがかみ合って、そういう表現で、みたいなもんだ、という表現になったんじゃないかと思います。 」と発言したと紹介して、「共産党は邪道なの?」というタイトルを付けて、怒りと抗議の趣旨の文を書いている。投票日前の日本共産党擁護・宣伝と勘ぐれなくもない。
 政治的な話題が毎日ではないが、ときに見せるこの人の政治的スタンスは明瞭な親日本共産党、明瞭な(曖昧な表現だが)「左翼」だ。
 文章や内容を見ていると本格的又は詳細な理論武装がなされているとは全く思えず、むしろ幼稚さが表れているのだが(もっとも「したたかな計算」でもって素人ふうを装っている可能性は否定できない)、こんな程度の日記サイトに毎日7万人もアクセスしているのかと思うと、戦後の行き着いた先の一つの状態に、愕然とし、また暗澹たる想いを覚える。

0045/集団自衛権行使ー憲法九条にかかわる内閣見解こそ変更すべきではないのか。

 潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP)は集団自衛権行使否認の不都合な例を先日紹介した以外にいくつか挙げている。
 一つは、テロ対策特別措置法による活動の場合だ。  この法律にもとづき海上自衛隊はインド洋に補給艦・護衛艦を派遣し、多国籍軍の何百という艦船に燃料を補給していて、飛行しながらの高い技量を要する補給活動は諸外国から高い評価を受けているらしいのだが、インド洋上で「戦闘行為」が発生した場合、日本の海上自衛隊は補給活動はむろん直ちに中止し、避難する等をして「危険を回避」することになっている、という。「戦闘行為」になり<味方の>多国籍軍のいずれかが攻撃を受けても援助攻撃をすることはできず、戦闘する多国籍軍を尻目に「逃げて帰るのは日の丸を掲げた海上自衛隊だけである」(p.81-83)。これはテロ対策特別措置法がイラク特別措置法と同様に自衛隊の活動を「武力による威嚇又は武力の行使に当たるものではあってはならない」と定めているからであり、その背景には、自国を守るためだけの最小限の武力行使しか許されないとの憲法九条の解釈がある。
 安倍内閣は現在、集団自衛権行使に関する個別事例の検討をする予定で(4/06読売にも出ている)、先日触れた1.同盟国を攻撃する弾道ミサイル、上に記したような2.海上自衛隊と並走する艦船が攻撃された場合、等が含まれる。但し、これらの場合に正面から集団自衛権行使を認めるのではなく、「警察権」の行使とか、海上での同盟国の「戦闘行為」が正当防衛的な場合は海上自衛隊の反撃も「本格的な自衛権」の行使とまではいえず、従って集団自衛権に該当しない、とかの解釈又は理屈を考えているようだ(上の読売の記事による。イザ記事にはこの点は明確には書かれていない)。
 潮匡人は月刊正論5月号(産経)で、安倍首相の本・美しい国へ(文春新書、2006)の中で、安倍が上の2.のような事例には集団自衛権が行使できないので「自衛隊はその場から立ち去らなければならない」と書いて集団自衛権の問題と捉えていることを示して、<集団自衛権の行使ではなく~に該当するので反撃可能>というような解釈又は理屈を採用することを予め批判している。
 憲法九条二項の改正によって自衛隊が正規の軍隊になれば恐らく、米国との関係でも多国籍軍との関係でも対等な軍隊となり集団自衛権行使も当然に可能なのだろう。問題は憲法改正前に、米国や多国籍軍のいずれかが攻撃を受けた場合に「拱手傍観」して放置又は逃げ去るべきなのか、だ。
 潮匡人の方に説得力があると思うが、内閣・行政権としての連続性というのは、実務上いかほどに重たいものなのか、よく判らない。

0044/大江健三郎・岩波が4/04に文科大臣へ珍妙な理屈をつけて沖縄戦教科書記述修正を抗議した。

 4/05の読売にはないが産経には小さく載っている。イザには探したがないようなのだが、沖縄戦中の住民集団自決につき日本軍「強制」の記述を修正した文科大臣に対する抗議の声明を、岩波書店と大江健三郎が4/04に連名で発した。のち、郵送するらしい。
 抗議する自由はむろんあるが、気になったのは、その理由だ。報道によるかぎり、理由の少なくとも一つは、「元指揮官側の主張のみを取り上げて」修正したこと、もう一つは「集団自決に軍の命令があったことは多くの文献などで明らか」だということ、らしい。
 これらを読んで、一瞬奇妙な感覚に駆られた。そしてその正体に気づいた。慰安婦問題に関する議論との対比だ。日本軍の慰安婦「強制連行」はあったとする論拠との関係だ。
 岩波と大江健三郎はおそらく<「従軍慰安婦強制連行」はあった>と考えているだろう。だが、日本軍・官憲による「強制連行」があったというのは、元慰安婦「側の主張のみを取り上げて」認定しているのではないのか。また、慰安婦「強制連行」がなかったことは「多くの文献などで明らか」なのではないか。逆の言い方をすれば、慰安婦「強制連行」があったことはいかなる「文献などでも明らか」ではないのではないか。
 上のように対比すると、岩波と大江健三郎はおそらく、ダブル・スタンダードを用いている。所謂「ご都合主義」だ。
 彼らの代理人弁護士・秋山幹男(よく見る名前で所謂「大物」だろう)は「日本軍の関与を否定する証拠も出ていないのに…」と批判している。不存在の証明はなかなか至難だが、不存在の証明ができないと存在したことになる、と主張しているのだろうか。日本軍・官憲による慰安婦「強制連行」の不存在の証明ができないと「強制連行」があったことになる、と言うのだろうか。珍妙な立証責任配分論語らないで貰いたい。

0043/世代論/1930~35年(昭和一桁後半)生れ世代は「独特」。

 産経・阿比留瑠比氏の永田町取材日記・阿比留のブログ(産経、2007.02)のp.231に、次の文がある。
 「私が永田町界隈で実感しているのは、「政治家は60代とそれ以下では考え方がかなり違う」「60代半ばの人はGHQの影響(戦後民主主義教育など)が強すぎる」ということです」。
 前回の私のblog-entryで「団塊」世代に限らずその上のいわば「60年安保」世代阿比留氏の上の文のあとでは「全共闘世代」と区別される「安保世代」とのみ表現されている)の相当部分もすでに「病」に汚染されていた旨を書いたが、上の阿比留氏の叙述は、私の「直感」とほとんど同じものだ。かりに現在65歳の政治家がいるとすると、その人は1941~42年生まれで、1948~49年に学齢期に入ったときはまだGHQによる占領下だったのだ。
 占領下教育を受けているか否かは考え方の形成にもなにがしかの影響の違いをもたらした、と考えるのは自然だろう。
 前回の私のblog-entryではまた、1952年頃~1928-29年生まれは「革新」傾向が強い旨を書いたのだが、下限はともかく、上限の「1928-29年生まれ」には首を傾げる方も多いかもしれない。現在70歳代後半の人々(ご老人)は、「保守的」ではないか、と。
 私も統計資料的にはそのような結果が出るのではないかとも思うのだが、上のように書いたのは、1930~1935年生まれ、つまり昭和一桁後半(昭和5年-10年)生まれの世代は、「独特な世代」で、全体からすると少数かもしれないが「左翼」系の人が今も目立つ、と感じているからだ。このことから少し幅をもたせて1930年で区切らず「1928-29年」にしたのだった。このあたりを、もう少し敷衍しよう。
 西尾幹二・わたしの昭和史2(新潮選書、1998)p.32-33によると、GHQ・米国そして欧米流の民主主義と歴史観・戦争観に貫かれた文部省の教科書「民主主義」上・下が1948年10月・1949年8月に刊行され、1953年まで中学・高校で使われた。この本を13歳~18歳の間に1948-53年に読んだ人々は、1948年に13-18歳の者が最初、1953年に13-18歳の者が最後で、少し煩瑣な計算を要するが、1930-40年生れの者たちになる。
 また、上の本を基準にしないで単純におおむね1946-1951年の「占領」下の戦後教育を受けたか否を基準にして言うと、まず、1946-1951年に学齢期の7歳になるのは、1939年~1944年生れの人たちだ。立花隆氏らで、ほぼ「60年安保」世代だといえる。なお、中西輝政氏や長谷川三千子氏は1945年以降生まれで、むしろ「団塊」世代そのものか、それに近くなる。
 つぎに、1946年に7歳の子よりも影響を受けやすいと思われる11歳になるのは、1935年生れの人だ。10歳とすると1934年生れの人になる。「占領」は約6年半続いたが、1946年に10~11歳だった人たちは1951年には15~16歳になり、「独立」=主権回復した1952年には16~17歳となり、その後も(新制高校に進学していれば)教育を受けた。
 上の段落で書いたことを別の観点から見ると、1934-35年生れの人は7歳~9-10歳は戦前の教育を、10-11歳~15-16歳は「占領」下教育を、16-17歳以降は「ふつうの」戦後教育を受けた、ということが判る。この3つの時期のうち、人格の形成にとって重要なのは、あえていえば10-11歳~15-16歳の時期ではなかろうか。そのような時期に1934-35年生れの人はGHQによる「占領」下の教育を受けている。
 以上は、1946年に10-11歳になる人を想定したが、1946年に15-16歳になった1930-31年生れまで下げれば、1930~35年生れの世代が「占領」下教育を体験したことになる。この世代の人は戦前の教育をも受けており、所謂「教科書墨塗り」も経験している筈だ。
 というわけで、私は1930~35年生れの世代は「独特の世代」だと見なしている。そして、この世代に属して、現在もなお活躍中の人が目立つ。具体的に例示しよう(以下には故人も含む)。
 (1929年-奥平康弘)
 1930年-不破哲三、降旗節雄、国弘正雄、芝田進午、澤地久枝、半藤一利、野坂昭如、佐々淳行、岡崎久彦
 1931年-本多勝一(32年・33年説もある)、高橋和巳、鹿野政直、吉川勇一、山田洋次、本岡昭次、篠田正浩、曽野綾子、岡田英弘
 1932年-小田実、青島幸男、大島渚、内橋克人、早乙女勝元、五木寛、石原慎太郎、小室直樹、江藤淳
 1933年-永六輔、天野祐吉、廣松渉、森村誠一、矢崎泰久、吉田喜重、小田晋、柿沢弘治、篠沢秀夫、西部邁、小堀桂一郎
 1934年-井上ひさし、松井やより、樋口陽一、大橋巨泉、田原総一朗、黒川紀章、山崎正和、稲垣武、高坂正堯
 1935年-大江健三郎、筑紫哲也、中村政則、倉橋由美子、柴田翔、羽田孜、宮内義彦、西尾幹二。
 なかなか錚錚たる人物群だ。奥平康弘、井上ひさし、大江健三郎、小田実、澤地久枝は「九条の会」の9人の呼びかけ人のうちの5人だが、どちらかというと(上に挙げたのも明瞭な基準があるわけではないが)他の世代に比べて「左翼」の有力者が目立つ、とは言えないだろうか。「保守派」のリーダーたちもいるが。
 こういう氏名を見ていて、第一に、「団塊」世代の者たちの著名度はまだまだ低い、そして第二に、「1930-35年生れ」世代は、上述のような人間形成過程・<生まれ育った時代>と無関係とはいえない「独特な世代」だ、と感じてしまうのだ。

0042/「団塊」世代のみが「隠れた世紀病」に罹ったのか-「正論」5月号・田中英道論文を読む。

 月刊正論5月号(産経)に田中英道「「68年世代」の危険な隠れマルクス主義-左翼思想に染まったのは日本の「団塊の世代」だけではない」がある。新聞広告にこのタイトルが載っていて、関心を持ち買って読んだ。
 日本の「団塊の世代」は「左翼思想に染まった」ことを前提とする副題が気になった。当時は大学進学率はたぶん約1/3で、大学生でなかった者、そして大学生でも少なくとも過半は(たぶん3/4は)、大学での「全共闘」運動を経験していないからだ。
 だが、一時期新しい教科書をつくる会々長だったという田中の主題は、「団塊」世代の厳密な分析ではなさそうだ。すなわち、大雑把に言って反権力・反(資本主義)体制ではマルクス主義と共通する(その意味で「隠れマルクス主義」の)、マルクーゼ(1898-1979)やハーバーマス(1929-)を代表とする所謂フランクフルト学派の論文・発言・行動の影響を受けて欧米でも「68年」頃に過激な学生運動があり、日本の「68年」を中心とする、「団塊」世代が担った全共闘運動もその一環だった、その意味で世界的な同一世代による社会変動がこの頃に起きた(そして社会はより悪くなっていった)、というのが最も主張したいことのように読める。
 それはそれで興味深いし、恥ずかし乍ら、ルーマンとやらの論争でも有名な(だが読んだことのない)ハーバーマスがフランクフルト学派に属することも初めて知った。だが、背景的な欧米の同時代の雰囲気は指摘のとおりだとしても、「全共闘」運動(又は「団塊」世代)とフランクフルト学派の関係については、そもそも「全共闘」運動は何だったか、どういう理論と組織に支えられていたのか、を含めて、もう少し実証的な叙述又は根拠が欲しい、という感じがする。
 また、この論文は「団塊」世代批判だ。かいつまんで紹介すると、この世代による「自由教育」が「寒々しい日本人とその家族を生み出した」、フランクフルト学派の影響も受けて、環境・男女同権・原発等々につき「反権威主義」という名の「破壊運動」を継続しており、「大学とかマス・メディアを支配している「団塊の世代」が、保守主義の傾向に、常に反対の態度」をとり、「贖罪観を、日本人に植え付けようとする動き」を支えているのもこの世代だ、「大学教員やマス・メディアに巣くうこうした運動」を注意深く見守り、阻止すべきだ、この世代の「隠れた世紀病」の克服は容易でない。
 省略しすぎの紹介だが、論証にはあまりに具体的・実証的・統計的根拠がなさすぎるだろう。殆ど何も示しておらず、田中の「直感」によるものと思われる。
 しかし、じつは半分は、私の直感も田中の見方を支持している。朝日新聞の若宮啓文は1948年生まれで、自ら「社会党支持だった」ことを雑誌上で明言しているくらいだから、田中の主張を裏付ける、恰好の、典型的な人物かもしれない。一方、支持できない、又は不十分だと思う残り半分は、つぎの点に関係する。
 第一に、「隠れた世紀病」あるいは「隠れマルクス主義」あるいは「反権威主義」という病に罹っているのは、日本においては「団塊の世代」だけだろうか。この著者を含む60年安保世代のある程度の部分も、田中はきっと健康だったのだろうが、すでに罹っていたと思われる。
 1960年に20歳になった人は1940年生れで、1945~1952年の「占領下」の教育を少なくとも部分的には経験しているのだ(その間に東京裁判があり「新」憲法施行もあった)。フランクフルト学派の動向などに関係なく、彼らが受けた、GHQ批判・日本の伝統擁護等々が許されない教育が<病原菌のない、正常な>ものだったとは思われない。また、その時期に日本のマルクス主義は復活しているのだ。
 第二に、「団塊」世代に全く責任がないとは言わないが、指導・煽動した別の世代が存在すると思われる、ということだ。「団塊」世代は完全に自分たちだけの力で67年~71年頃の全共闘運動等々を展開したのだろうか。使嗾し、誘引する、もっと年上の別の人たち又は世代がいたに違いない、と私は思っている。いつか触れた川上徹は1940年生まれの筈で「団塊」世代ではなく、日本共産党・民青同盟の側の指導者だった。中核派の北小路敏は生年を確認できないが、60年安保の際もブントに属して主流派全学連幹部として「活躍」したようで「団塊」世代ではなく、かつ67年~71年頃は革共同中核派の指導者で同派を通じて「全共闘」や「全闘委」にも影響を与えていただろう。東京大学全共闘の議長だった山本義隆は1941年生まれで、「団塊」世代ではない。
 私の印象では、それこそ相当に「直感」的だが、「団塊」世代、大まかには1952年生まれ(今年に55歳)辺りを下限として、それ以上の年齢の人々でおおよそ1928~29年生まれ(今年78~79歳)までの人々は、それ以下の世代よりも、「反権力」的信条あるいは「何となく左翼」の気分がより強い。
 きちんとした資料は示せないが、日本社会党又は(日本共産党を含む)「革新」勢力の支持者が最も多かったのは、日本社会党がなくなるまでの数十年間の世論調査の報道の記憶では、おおよそ「団塊」世代を含むそれ以上の世代だったように思うのだ。

0041/日本共産党・党員学者は赤旗・前衛にのみ執筆しているか。

 昨秋にネットを散策していると、5年ほど前の「かつては渡辺洋三がそうであったが、最近では樋口陽一がもっとも多く一般向けの法学書を書いているのではないだろうか」という書き込みの一文に出くわした。
 樋口陽一著にはいずれ触れることとして、「渡辺洋三」という名で思い出したことがある。約20年前だろう、30歳ほど年上の人が、<渡辺洋三は日本共産党の「大学部長」だ>と私に言った。正確に「大学部長」だったかの自信はないが、また私に真偽を確かめる術はなかったが、おそらく事実で、大学所属の教員・研究者党員のトップ、「大学(学術)政策」の最高責任者だろうと想像した。渡辺洋三(1921-)は世間的な知名度は必ずしも高くないが、1970年代は東京大学社会科学研究所の教授だった。
 昨年8月に、渡辺洋三・日本社会はどこへ行く(岩波新書、1990)を通読してみたのだが、西側先進諸国よりも日本は「遅れて」おり、日本の「特殊的体質」等を除去しての日本社会の「民主的改革」が不可欠だとしていた。西欧との差違を強調して=日本を批判するための方便としての西欧なる基準をもち出して民主主義の徹底を主張するのは、まさしく日本共産党の路線そのままで(「遅れた」日本には「民主主義革命」が必要なのだ)、その枠内での具体的諸指摘・ 諸主張をしていた。あらためて手にとってみると、「西側の国で、日本くらい市民にとって自由のない国はない」と平然とのたまっている(p.234)。
 ドイツやアメリカには共産党はなく、一定の要件に該当する共産主義政党は結成・設立自体が禁止されているはずだ。しかし、日本では、日本共産党のれっきとした幹部が国立大学の教授を務めることができ、一般国民むけ書物を(岩波書店や朝日新聞社等の出版社を通じて)自由に出版でき、自由に(共産党的)意見を述べられる。コミュニスト、共産党員にとって「日本くらい自由のある国はない」のではなかろうか。国公立大学教員―私立大学を含めてもよいが―のうち共産党員が占める比率は、西側先進諸国中で日本が最大ではなかろうか。
 岩波新書に限らず、朝日新書、ちくま新書等々の「一般」向け書物を日本共産党員がその旨を隠して執筆している例は、歴史・経済部門も含めて、多数あるはずだ。かかる実態は広く知られておいてよいと思われる。
 1996年初めに首相は村山富市から橋本龍太郎に変わったのだったが、この頃に最終的執筆があったと思われる渡辺洋三・日本をどう変えていくのか(岩波新書、1996.03)も、見てみた。最後の方に当時の政局又は政党状況を前提にした各党への批判的コメントがあり、自民党、小沢党首の新進党、新党さきがけ、村山退陣とともに日本社会党から改名した社会民主党に触れている。しかし、何と日本共産党には何も言及していない。日本共産党という言葉は一回も出てこず、日本共産党が最も優れているとか自分の主張と近い(同じ)という旨も書かれていない! このことは、当時衆議院に15議席を占めていた共産党を小党という理由で無視したわけではなく、渡辺の主張が日本共産党のそれであることを問わず語りに証明しているようなものだろう。その意味で、とても面白い部分をもつ本だ。
 今は大学の入学式の季節だ。むろんその中には、法学部に進学した若者もいる。岩波新書は一定年齢以上の者にはまだ「権威」があるようで、そのような感覚の両親をもつ新入の大学生は、岩波新書の中から基礎的教養書又は入門書を購入しようとするかもしれない。法学(法律学)関連では、上に言及した二つを重複を避けて除外しても、渡辺洋三・法とは何か(1998)、同・法を学ぶ(1986)、同ほか・日本社会と法(1994)がある。
 但し、いかにマルクス主義又は共産党に独特の用語は出てこなくとも、上に述べたように、渡辺洋三はれっきとした日本共産党員だと推測される(樋口陽一氏の岩波新書もあるが、「基礎的教養書・入門書」にはならないだろう)。
 日本史関係では羽仁五郎・日本人民の歴史(1950)はさすがにもう絶版だが、井上清・日本の歴史(上)(中)(下)(1963-66)はまだ売られているようだ。井上清は元日本共産党員、のち「新左翼」支持のマルクス主義歴史学者だ。
 渡辺洋三や井上清の本を読むとマルクス主義者にならなくとも、少なくとも「反体制」、「反権力」的雰囲気だけはしっかりと身につけるに違いない。それが、岩波新書、そして岩波書店の出版意図だとも言える。読者本人や勧める親等の勝手なことではあるが、やや老婆心ながら。

0040/PAC3・SM3の配備とマスコミ報道・集団自衛権行使不能問題。

 日本人の軍事オンチぶり、軍事知識の少なさは、私も含めてきっと著しいだろう。何の教育も受けていないのだ。
 読売3/23の「核の脅威」連載記事中に航空自衛隊入間基地のPAC2の写真が出ていて、「PAC2では弾頭ミサイルの迎撃は困難だ」とコメントされていたが、産経3/30によると、同基地にPAC3が日本で初めて、2基配備された。これは首都圏防衛用で1基に最大16発のミサイル搭載可能で北朝鮮から日本に発射されたミサイルを迎撃できる(100%の確度ではないと思うが)。2010年までに滋賀県・饗庭野、三重県・白山等(埼玉県・入間以外に)全国で10カ所に計30基配備の予定だという。また、それまでに海上自衛隊が既に保有するイージス艦4隻に、SM3(海上配備型迎撃ミサイル)が配備されるらしい。
 一つ感じるのは、このPAC3(地対空誘導パトリオット)が日本に初めて配備され、日本の「ミサイル防衛」態勢が漸くスタートし始めたことについて、重要なニュースだと思うが、マスコミはどれだけ大きく報道したかだ。とくにテレビは、NHKも含めて、映像を流してきちんと報道したのだろうか(放送局が撮影し放映できる範囲のことくらいは中国・北朝鮮も知っている筈で、国家機密を暴露するわけではないだろう)。
 もう一つ感じるのは、次に記すこととやや強引に関係させるが、これらPAC3やSM3は米国に向けて発射されたミサイルを迎撃できるかどうかだ。
 この問題は、法的・政治的には、所謂「集団的自衛権」行使の是非の問題になる。安倍首相は再検討の方向を示しているが、これまでの内閣は、国連憲章上も「集団的自衛権」は有していても(自国の最小限度の防衛力のみを許容しているとの解釈を前提として)憲法九条の趣旨に反し、行使できない、という立場を採ってきた。米国からすれば、日本が「同盟」国だとすれば何とcrazyな、ということになっても不思議ではない。 
 潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007.04)p.16以下は、この「集団的自衛権」行使不可能論、その前提の憲法九条解釈を批判して、刑法上の「正当防衛」は他人に対する急迫不正の危険の場合でも認められるのに、米国や台湾のために日本の防衛力を行使できないのは自分勝手で、反倫理的・反道徳的等々と述べている。
 なお、同書から、集団的自衛権行使不能との政府見解を引用しておく。-「我が国が国際法上、国連憲章第51条による個別的自衛権及び集団的自衛権を有していることは疑いないが、我が憲法の下で認められる自衛権の行使は、我が国に対する急迫不正な侵害に対しこれを排除するためとられる必要最小限の範囲のものであるから、個別的自衛権の行使に限られる。すなわち、集団的自衛権の行使は憲法上許されない」。
 ところが、北朝鮮による場合を想定すると(中国の場合でも同様だろうが)、対日本ミサイルと対米国ミサイルとでは発射角度・飛行高度が異なり、現在予定されているSM3では「高高度まで届かず、撃墜できない」のだという。法的又は政治的に集団自衛権行使可能の立場に変えても、現時点では(対台湾は別として)対米国については軍事技術的に行使不可能なのだ。こんな事実または情報を、マスコミはきちんと国民に報道しているのだろうか。
 集団的自衛権行使否認は憲法上書かれているわけではなく、憲法の「趣旨」をどう解釈するかによるのだから、内閣は随時、基礎となっている内閣法制局見解を変更できることは言うまでもない。この集団的自衛権行使問題にも、また言及することがあるだろう。

0039/TBSは関西テレビよりひどい。総務大臣の電波法等の権限強化を。

 TBSはいろいろヒドいことをしてきて、TBS「報道テロ」全記録(晋遊舎、2007)という本もあり、西村幸祐氏編・「反日」マスコミの真実(オークラ出版、2006)でも論及されている。
 繰り返しを避けて一件だけ例示すれば、白髪某・筑紫哲也のニュース23は昨年6/29に、米下院議員(外交委員長)の、I don't feel strongly that the PM shouldn't visit the shrine.(「私は首相が(靖国)神社を訪れるべきではないとは強くは感じていない」)を、「靖国神社に行くべきでないと強く思っています」と訳して字幕に載せた。中学生でもしそうもないこの誤訳はおそらく意図的に違いない(7/05にTBSは謝罪したようだが「故意」を認めたのではあるまい)。
 かかる誤訳による報道は、、放送法3条の2が定める放送事業者の番組編集基準のうち「三 報道は事実をまげないですること」に違反している。 
 放送事業者への免許は電波法に基づきなされるが、同法76条等により総務大臣は放送の一時停止命令等をすることができ、明文はないようだが、免許権をもつかぎりは重大な「公益」違反があれば、当初の免許権限にもとづいて、免許を撤回(取消し)できる筈だ。TBSの多数の不祥事はその程度にまで至っているのでないか。
 電波法等の関係法制の改正が現在問題になっているようだ。以下は現行の条文だが、免許取消しの明文規定をおくこと、業務改善命令権限の法定勧告・警告権限の法上の明定等が考えられる。また、下記13条1項の厳格な運用(最長でも5年を経過すれば免許を更新しない=無免許となる=放送できなくなる)も考えられてよいように思う。
 電波法第十二条(免許の付与)  総務大臣は、第十条の規定による検査を行つた結果、その無線設備が第六条第一項第七号又は同条第二項第一号の工事設計(第九条第一項の規定による変更があつたときは、変更があつたもの)に合致し、かつ、その無線従事者の資格及び員数が第三十九条又は第三十九条の十三、第四十条及び第五十条の規定に、その時計及び書類が第六十条の規定にそれぞれ違反しないと認めるときは、遅滞なく申請者に対し免許を与えなければならない。」
 電波法第十三条抄(第一項のみ)「(免許の有効期間)   免許の有効期間は、免許の日から起算して五年を超えない範囲内において総務省令で定める。ただし、再免許を妨げない。
 電波法第七十六条抄・第一項「総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法 若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、若しくは第二十七条の十八第一項の登録の全部若しくは一部の効力を停止し、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。 
 第二項総務大臣は、前項の規定によるほか、登録人が第三章に定める技術基準に適合しない無線設備を使用することにより他の登録局の運用に悪影響を及ぼすおそれがあるときその他登録局の運用が適正を欠くため電波の能率的な利用を阻害するおそれが著しいときは、三箇月以内の期間を定めて、その登録の全部又は一部の効力を停止することができる。

0038/朝日新聞4/01社説タイトルは「悪い冗談」。中を読んでも、大嗤いだ。

  朝日新聞4/01社説のタイトルは、「恥を知る-日本の美徳はどこへ」。完璧にブラック・ジヨーク、悪い冗談だろう。朝日は「恥を知る」新聞社なのか? また、「日本の美徳」という語をこの新聞が使うこと自体笑いたいが、「日本の美徳」を率先して貶し、破壊してきたのは朝日新聞そのものではないか。バカも休み休み言い給え。
 ところで、内容自体もヒドいらしい。
 同社説は城山三郎氏の「大正から昭和初期を舞台に、新興商社鈴木商店の盛衰を描いた」「鼠(ねずみ)」という小説に言及し、「大番頭だった金子直吉」は、「近衛首相は、内閣参議に推した」のだが、「米買い占め」による「昭和二年のパニックを起こした元凶」だったとして「固辞しつづけた」とする。そして、「「恥」の大きさに潔く向き合」った金子直吉を高く評価し、それに比べて、松岡農林水産相は、安倍首相は、とつなげている。タイトルが「恥を知る」であるわけだ。
 ところが、himajinさんのブログ・エントリー(http://himazin.iza.ne.jp/blog/entry/143946/)に従ってWikipediaを確認すると、朝日新聞の「歴史」の箇所にたしかにこう書かれてある。
 朝日新聞は
大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い桂太郎内閣を批判。寺内正毅内閣期には、同内閣だけでなく、鈴木商店を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して米騒動を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった(白虹事件を参照)。しかしこの事件を再調査した城山三郎によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている」。
 つまり、朝日社説が援用した城山三郎氏の上の小説は、「
鈴木商店が米を買い占めていた事実」を否定し、「大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道」をしたためにパニックが生じた、と城山氏は理解している、というわけだ。
 上の小説を確かめないと断定的なことは言えないが、上のWikiの解説が正しい又は適切だとすると、朝日4/01社説は、この小説をきちんと読まないで、ヤブ蛇なことを書いた、自ら墓穴を掘った、ということになる。
 朝日社説の最後にはこうある。-「日本を愛してやまないお二人には、ぜひとも「恥」の感覚を思い出していただきたい。」
 こう返したい。<日本を愛していない朝日新聞も、ぜひとも「恥」の感覚を思い出していただきたい>。これでは丁寧すぎる。<恥を知れ!>だ。

0037/朝日新聞はルソー的「平等」教の信徒で、皇族に敬称をつけない。

 昨日読み終えた中川氏の本は、デカルトからレーニンまでの、人類を厄災に陥れた種々の「悪魔の思想」に触れていて、その中には、多少表現を変えれば、日本共産党や朝日新聞批判にもなるような叙述がゴロゴロしている。
 直接に朝日新聞に触れている部分もある。知らなかったが、p.339以下によると、朝日は93年6/06社説以降、敬語・敬称はできるだけ減らす、<皇室は敬語>という「条件反射的な思考を改める」との方針なのだそうだ。従って、皇太子「殿下」でなく皇太子「さま」になっている、という。当然に中川氏は批判的で、これも知らなかったが、皇室典範(という法律)は天皇・皇后・皇太后・太皇太后には「陛下」、それ以外の皇族には「殿下」という敬称を定めているのに、朝日新聞はこの法律の定めを無視し国民にも公然と法律違反を呼びかけている、とする。また、「平等」主義の行き着く所の一つは皇室軽視(→解体)だとして、「皇室への敬語を廃して平等の理念の現実〔化?-秋月〕だと狂信するこのマルクス主義の信徒」は、英国人・バークを引用して次のような人間だという。すなわち、フランス革命による王族・貴族の軽視・廃止を見ての言葉だと思うが、「水平に均してしまおうと欲する徒輩は、精神を高貴にする動機を自らの心中に感受しない人間」、「長年にわたって華麗に、しかも名誉の裡に繁栄して来たものの謂われ無き没落を見て喜ぶのは、…悪意に満ちた、嫉妬深い性質の人間」。
 近年の「格差」批判も近代(合理)思想の一つとされる「平等」主義の一つの表れだろうが、言うまでもなく、「平等」主義を完全に貫けば、一部の権力者(又は共産党員)を除いて「格差」がなく平等な(そして平等に貧困で平等に自由がない)社会主義国になってしまうことは歴然としている。とくに朝日新聞等のマスコミや民主党・社民党といった政党は、どこまで以上が許されない「格差」なのかを具体的に明らかにしたうえで、批判するなら現政権の政策を批判すべきだろう。「格差」批判=みんな平等、といった単純なイメージだけでは政策とは言えず、人気取りフレーズにすぎない。
 平等と自由の兼ね合いはむつかしい問題だ。むろん、「平等」主義を完全に貫けないし、そもそもが人間は平等には生まれていないのだが(「法の下」の平等は別として)、その生まれながらの(生まれてくる人間の責任に帰すことのできない)不平等に起因する「格差」があるとすれば、是正する、「平等」化する政策がとられてもよいように思われる。但し、その場合でも、子どもの責任に帰すことのできない生まれながらの不平等とは具体的には何か、という困難な問題がある。
 なお、親の資産・身分等による子どもの不平等を中川氏は当然視しているようで、中川説に完全には賛同できない。具体的には中川説は相続税の全面的否認説と読めるが、問題は相続税政策の具体的内容なのではなかろうか。現在の相続税制が相続者の負担が大きいものとして批判の対象にかりになるとしても、相続人にとっての「不労所得」としてどの程度国庫に吸収するかという問題が全くなくなるとは思えないのだが。

0036/元共産党系全学連委員長・川上徹・査問(筑摩書房、1997)の文庫版を昨年に読んだ。

 2000年くらい以降、読みたいと思いつつ書店で見かけなかったこともあって忘れているうちに、品切れになっていた本が二つあった。
 一つは川上徹・査問(筑摩書房、1997)で、もう一つは藤井淑禎・純愛の精神史-昭和30年代の青春を読む-(新潮選書、1994)だった。
 前者は文庫化されたものの古書を、後者は選書そのものの古書を昨年中に入手した。
 川上徹とは、60年安保後の再建日本共産党系(代々木系)全学連委員長で、私の大学生時代にも名は聞いたことがあった。70年頃は、民青同盟の幹部だったようだ。また、「新日和見主義」とその批判なるものも聞いたことがあったが、その批判の対象に川上徹もなっていたことを知ったのは、上の本の宣伝文を読んだ時だった(従って、1997年のことだ)。
 読了したあとのまず第一に驚いたのは、この人は査問された後、党員権停止処分を受けた後も1990年11月に離党届持参の際に「除籍」されるまで18年以上「党員」であり続けた、ということだった。<イデオロギー>への囚われの怖さ、というのが、従って第一の感想ということにもなる。18年とはこの人の32歳から50歳までの「壮年期」にあたる。党関係の要職に就けるはずはなく、生活自体が苦しかったようだ。にもかかわらず、彼は党員ではありつづけた。
 離党したくなった直接のきっかけは日本共産党員哲学者で没前に離党した(除名された?)古在由重の死後に同氏の追悼会の世話をして日本共産党の主流?から「厭味」を言われたことにあるように推察されるが、1990年11月ということは、ソ連解体の過程でもあり、そもそもがマルクス主義幻想又は革命幻想から(冷たい言い方になるが)漸く醒めたことも重要な原因だったのではなかろうか(この辺りは明確には叙述されていない)。
 第二に印象的なのは、宮本顕治に関する叙述だ。1972年1月に(と読める。いずれにせよ、査問より以前の正月に)彼が見た宮本顕治を次のように描写している(p.21以下)。
 「私の眼は、…大きな人影を見つけだした。その人影が放つ視線を避けながら、…人物の周囲をぼんやりと眺めた。……それまで人間の視線を恐ろしいと感じたことはなかった。背筋を冷たいものが走る、…自分が受けた感覚は、それに近いものだったろうか」。査問中に待たされて「あのときの視線を思い出していた。その視線は、周囲の浮かれた雰囲気とは異質の、じっと観察しているような、見極めているような、冷ややかな棘のようなものであった」。
 この宮本氏の「視線」を想像すると気味が悪い。宮本は川上が将来の自分とその仲間への障害、妨害、対立「分子」になる可能性がないかどうか、「じっと観察し」「見極めて」いたのではないか。そして、他の同様の人物とともに、「新日和見主義」なる語・内容ともに不分明な「主義」をでっちあげて早々に「危険」の芽を摘み取ろうとし、「成功」したのでないか。
 第三に、やや付随的だが、1969年の初めのことだろう、宮本が川上に東大構内からの脱出所要時間を尋ね、その後、「東大時計台」に機動隊が突入した際には党中央指令に従って日本共産党・民青同盟系の学生は構内に一人もいなかった、ということが書かれている。
 現在もそうだろうが、日本共産党は「敵の出方」による暴力(実力)行使の余地を語りつつも実質的にはほとんど「人民的議会主義」とやらの穏健路線をとった。そして、1970年前後の「大学紛争」の時期にも、全共闘系又は所謂反日共系とは異なり、暴力は行使しないという穏健路線をとって、過激な路線についていけない、あるいは「正常化」して講義を受けたい学生たちの支持をある程度は獲得した(1970年代の末に同党の衆議院議席数が最大になったのも、こうして青年・学生層を取り込んだことと無関係とは思えない)。客観的に見れば、全共闘系又は反日共系学生たちの「暴力」のおかげで、それに反対した日本共産党・民青への学生・青年層の支持が現在より以上に増えた、という面があるだろう。
 上の東大構内からの撤収指令も日本共産党・民青同盟系は全共闘系・反日共系とは違って「暴力学生」ではない、と印象を与えるための(共産党・民青系も全共闘系と同様という印象を与えないための)戦術だったに違いない、と当時の全国的な雰囲気を思い出した。共産党・民青系の強い大学・自治会では、彼らこそが暴力=実力を用いて「秩序」を維持したところもあったようだが…。

0035/中川八洋・正統の哲学・異端の思想-「人権」・「平等」・「民主」の禍毒(徳間、1996)を全読了。

 2月12日又は13日に読み始めたとみられる中川八洋・正統の哲学・異端の思想-「人権」「平等」「民主」の禍毒(徳間書店、1996)全358頁を4/01の午後9時頃に、45日ほど要して漸く全読了した。むろん毎日少しずつ読んでいたわけではなく、他の本や雑誌等に集中したりしたこともあって遅れた。
 刺激的だが重たい本で、各章が一冊の大きい本になりそうな程の内容を凝縮して箇条書きになっているような所もあり、又ややごつごつした文章で読み易いとはいえない。だが、まさしく、この本p.351に引用されているショーペンハウエルの言葉どおり、「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間とかには限りがあるからである」。中川も「近代政治哲学(政治思想史)」の「ガイドライン」のつもりでも書いた旨記しているが、全部を鵜呑みにするつもりはないにせよ、短い人生のための今後の読書の有益な指針を提供してくれているように感じる。
 内容を仔細に紹介しないが、究極的にはマルクス主義という「異端の思想」の批判書ではあるが、マルクス主義そのものよりも、「正統の哲学」の言辞も引用しながら、それを生んだ哲学的・思想的系譜を示して批判すること、同時に、「進歩」主義、「平等主義」、「人権」思想、「民主主義」又は「人民主権」論等々を批判することに重点がある。私には「狂人」ルソー思想批判とフランス革命批判が強く印象に残った。
 デカルト→ルソー・ヴォルテールら→フランス革命→サン=シモンら空想的社会主義→マルクス・エンゲルス→レーニン→ロシア革命という大きな流れに、デカルトとフランス革命→ヘーゲル・フォイエルバッハ→マルクス・エンゲルスという流れを追加して、ほぼマルクス(及びロシア革命)の思想的淵源が解る。中川によれば、「理性主義」信仰のデカルト、平等・「人民主権」論等のルソー、サン=シモン、ヘーゲル、フォイエルバッハの五人はマルクス・レーニン主義という「悪魔の思想」の「五大共犯者」とされる。
 一方で「正統の哲学」の思想家等を27人挙げているが、著名な人物は「悪魔の思想」関係者よりも少なく、かつ日本で邦訳本が出版されている割合が少なく、かつ岩波書店からは一冊も出版されていない。戦後日本の「知識人」たちの好みに影響を受けたこともあっただろうが、岩波は公平・中立に万遍なく世界の思想家等の本を出版しているわけでは全くないのだ。この点は注意しておいてよい。
 その「正統の哲学」の27人は、-のちの中川・保守の哲学(2004)の表で修正されているが-マンデヴィル、ヒューム、アダム・スミス、エドマンド・バーク、ハミルトン、コンスタン、トクヴィル、ショーペンハウアー、バジョット、ブルクハルト、アクトン、ル・ボン、チェスタトン、ホイジンガ、ベルジャーエフ、ウィトゲンシュタイン、オルテガ、エリオット、ミーゼス、チャーチル、ドーソン、ハンナ・アレント、アロン、オークショット、ハイエク、カール・ポパー、サッチャーだ。
 「進歩」、「平等」、「人権」、「民主主義」等々について、この本も参照しながら考え、このブログでも「つぶやく」ことにしたい。

0034/ソ連崩壊等の冷戦終結は資本主義国側にも「重要な原因」があるとの驚愕の現代政治学教科書。

 1991年のソ連崩壊・東欧諸国「自由化」によって冷戦の終結が言われるなど、ソ連・欧州社会主義国の解体は歴史的に極めて大きな意味を持ったはずだが、日本の「知識人」たちにはどれほどの、又はどのような影響を与えたのだろう。
 竹内靖雄・正義と嫉妬の経済学(講談社、1992)p.333以下は、それまで社会主義(又は共産主義)を信奉していた「知識人」たちの対応(「段階的退却」の戦術)には、次の5つがあった(ある)、という。
 1.レーニンまでは正しかった、スターリンから間違った(社会主義自体の敗北ではない)。2.レーニンも間違っていてソ連型社会主義は真の社会主義ではなかった。だが、マルクスは依然として正しく、社会主義にはまだ未来がある(社会主義自体の敗北ではない)。3.そもそもマルクスから間違っていて、社会主義の実験は人類に大きな厄災をもたらした。4.マルクスの社会主義は間違っていたが、西欧・北欧の「民主的社会主義」は正しく、資本主義に代わりうる未来がある。5.いかなる名であっても自由より平等優先の社会主義は誤りだ。
 私は社会主義信奉者ではなかったが、これらのうち、上の3および5の理解だ。4のいう「民主的社会主義」は意味が判らない。フランス社会党、ドイツ社民党、イギリス労働党の理念を「社会民主主義」というとすれば、それは資本主義の枠内のものであって、社会主義の一種とは言えないからだ。
 ところで、日本の政治学者の中には、少なくとも欧州での冷戦終結の意味について、上のいずれの対応をも明示的には採らない、又は上のいずれの理解も明示はせず、実質的には1.又は2.を(おそらくは1.を)前提とし、かつ資本主義国側にも問題・原因があったと考えている人たちがいるようで、驚愕した。次に書くとおりだ。
 105円で買った加茂利男=大西仁=石田徹=伊藤恭彦・現代政治学(有斐閣、1998)という本がある。教養・基礎・専門・高度のうち2番目の「基礎」にあたる現代政治学の大学用教科書のようだ。これの「冷戦終結」の項は次のように書く(執筆は大西仁。同書によると、東京大学卒、東北大学法学部教授)。
 ―冷戦終結の原因はソ連・東欧諸国の「社会主義体制が、国民の経済的要求や政治的自由化を求める要求」に対応できなかったのが「大きい」が、次の「冷戦体制の限界」の「露呈」も「重要な原因」だった。
 1.核戦争の危険から東西対立解消の世論が強まり、東西間の諸交流も拡大した、
 2.米ソの支配体制への不満が高まり両国が抑制できなくなった、
 3.冷戦維持目的の軍事費が経済・技術発展阻害との各国民の不満が高まった(とくに東欧では各種統制への不満が劇的に高まった)(p.199)。
 所謂「冷戦集結」は、私の理解によれば、ソ連共産党が機能不全・国家制御不能の状態になったことにより(日本共産党のために全社会主義国とは言っておかないが)ソ連・東欧諸国が「共産党」一党支配体制から解放され、基本的には日欧米の如き複数政党制・「自由主義」又は「資本主義」体制へと移行を始めたことを意味する。社会主義対資本主義という前世紀の基本的な対立構図で言えば、少なくとも(と日本共産党のために限定をつけておくが)ソ連・東欧諸国において社会主義が敗北したことを紛れもなく意味する。知識人を含む全世界の9割の人々はこれを肯定するのでないか。
 しかるに上の本の書きぶりは何だろう。米国等の所謂西側にも問題があった旨の三点が冷戦集結の「重要な原因」として挙げられている。学者様には独特の見方があるのかもしれないが、これは客観的な認識ではなく、政治的主張だ。
 ソ連の数カ国への分裂、東独の西独による吸収、チェコとスロバキアの分離、これら東欧諸国の多数のEUやNATOへの加盟等は「社会主義の敗北」としてのみ理解できる。そして、喧嘩両成敗的に、西側の国民にも不満が高まった等を敢えて「重要な原因」とするのは、特定のイデオロギーによっているとしか思えない。
 ここでイデオロギーとは、マルクスのいう「空論」・「虚偽意識」という意味でよい(p.142参照)。そして日本でかかる特定のイデオロギーをなお持っている組織・団体の代表は日本共産党だ。上のような説明は、かなり同党の説明に近いし、社会主義一般が敗北したわけではない、資本主義・社会主義ともに危機にあった、との同党の見解にも沿うものだ。
 念のために追記しておくが、この本は冷戦集結につき「社会主義体制」の原因も「大きい」とは一応書くが僅か三行で、東西両陣営に共通する「冷戦体制の限界」が「重要な要因」とする叙述は三段落18行に及ぶ。その後にはこうある-「西側が東側に勝利して終わった」との主張もあるが、「冷戦体制そのものが自壊して冷戦が終わった、という面が強かった」(p.199)。
 この本に「社会主義の敗北」、「社会主義の実験の失敗」といった語が出てくるはずもない。こうした見方は、政治・社会現象を特定のイデオロギーに不利にならないように「認識」しようとするもので、20世紀に生じた世界史的、人類史的出来事の意義を意識的に見逃している。
 上の本は、日本共産党員その他の依然としてマルクス主義者である者によって書かれているのでないか。かかる本によって「現代(国際)政治」のイメージが大学生の脳中に浸み込んでいくとすれば、怖ろしいことだ
 昨日の産経に高校の社会(歴史)の教科書にはまだまだ問題が多い旨の記事がある。それは、教える教師にではなく、教科書の執筆者に問題があるからだ。そして、その教科書の執筆者は、殆どは、大学に所属する教授等の研究者だ。上では偶々政治学の書物を取り上げたが、歴史の教科書を執筆している大学教授らがなおもマルクス主義史観の影響を受けたままであったとすれば、「日本(帝国主義)は悪いことをした」という基調で歴史教科書が書かれることになるのは自然のことだ。教科書を問題にするならば、教科書を使って教える教員よりもむしろ、そのような教科書の執筆者はどういう者たちかを問題にしなければならない。

0033/掛谷英紀・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)を全読了。

 先日、掛谷英紀・学者のバカ(ソフトバンク新書)に肯定的に言及した。著者に興味をもったので、続いて同・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)という計79頁の、冊子のような本を29-30日の一晩で読み終えた。
 「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
 また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
 もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
 具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
 頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
 新風舎刊ということは原稿持ち込みの半分自費出版的なものだろうか。掛谷英紀氏、32歳になる年の書物である。

0032/朝日新聞の意識的?無知と異様さ-沖縄集団自決命令教科書修正三社説比べ。

 教科書検定による沖縄集団自決命令に関する記述の修正に関して、朝日、読売、産経の三紙を簡単に比べてみた。中でも、なぜ修正がなされたのかを、どう認識しているかに焦点を絞ってみた。
 朝日はこう書く。-「文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。/その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。」
 読売はこう書く。-「今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。/ 70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。/生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。」
 産経はこうだ。-「集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。/しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。/作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。/軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。」
 一目瞭然なのだが、朝日は1.訴訟提起しか挙げない。勉強不足=無知なのか、それとも意識的にか。ついで読売は、1.訴訟提起に加えて、2.否定・疑問視する著作物・証言の増大を挙げている。正確だ。
 産経は、読売の2.の部分を詳細に書いている。とくに「遺族年金を受け取るための偽証」だったことを受給者遺族が明らかにしたことが、この件では意味が大きいと思われる。
 こう比べても、朝日新聞はやはり異常だ。「集団自決―軍は無関係というのか」というタイトル自体、冷静さを失い昂奮しているようで、みっともない。
 朝日は最後に「国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である」と書く。これに異存はない。しかし、「国民にとってつらい」かどうかは別として、その「歴史」自体が虚偽または不正確なものだったとすれば、そのような偽りの「歴史」を「将来を担う子どもたちにきちんと教え」ては絶対にいけない。

0031/新聞各紙はNHKに遅れをとったか?-沖縄集団自決命令・教科書修正

 以下は、昨夜午後8時台にNHKのニュースを聞いたあと書いたものだ。その時点で探したが、イザ・産経ウェブにはこれに関する情報はまだ出ていなかった。
 同じ内容だが、記事へのコメントの形にして再掲する。なお、教科書ではなく訴訟や大江に傾斜して書いたので、フォルダは「大江健三郎」にした。
 以下、再掲。
 NHKのスクープなのかどうか、3/30の今夜7時のニュースで、終戦前の沖縄戦の時期の沖縄の若干の小島における<軍による一般住民への集団自決命令>が発せられた旨の記述が検定の結果として教科書から消えることになった、と報道された。
 戦後当初の関係住民の証言を素材にして沖縄の新聞社発行の沖縄戦史がこの<軍の集団自決命令>を事実として書き、それを信じた大江健三郎・沖縄ノート(岩波新書、1970)がずっと売られ続け、命令を出したとされる軍人の遺族等が訴訟を起こしている。大江と出版元の岩波を被告とするいわゆる沖縄自決命令損害賠償請求訴訟で、現在大阪地裁で審理中だ。
 これに関して、昨年から今年にかけて、私は以下のようなことを綴った。
 大江は、沖縄タイムズ社の本に書いてあったから信用したというだけでは、沖縄ノート(1970)の記述を30年以上訂正しなかった過失を否定するのに十分ではないことは明らかだろう。ノーベル賞作家は、あるいは誰についても言えるが、原告の政治的背景をアレコレ言う前に(大江・朝日新聞2005.08.16)、真の「事実」は何だったかに関心をもつべきだ。大江等を擁護するサイトの意見も読んでみたが、事実よりも「自由主義史観」者たちに負けるなとの感情過多の印象が強かった。
 2005年10/28に大阪地裁法廷で朗読された訴状要旨の最後は次のとおりだ(徳永信一・正論06年09月号による)。-「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よつて、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰藉料の支払いを求めるものである」。
 原告側に有利な発言および証言をする人物も近日登場したようだ(これの影響が今回の検定方針には大きかったと推測される)。
 週刊新潮1/04・11号を買い櫻井よしこ氏のコラムを読んで驚いたのは、この訴訟の原告は命令したとされる軍人の遺族とばかり思いこんでいたところ、座間味島にかかる一人は、命令したとされるその人本人であり、90歳で存命で、櫻井氏が今年逢って取材している、ということだった。
 原告が虚偽としている大江・沖縄ノート(岩波新書)の関係部分を探して読んでみた。例えばp.169-170、p.210-5が該当するとみられる。興味深いのは、前者ではすでに集団自決命令が事実であることを前提にしており、つまり事実か否かを多少は検証する姿勢を全く示しておらず、後者では(上の存命の人とは別の)渡嘉敷島にかかる軍人の(沖縄を再訪する際の)気持ちを、彼が書いた又は語った一つの実在資料も示さず、「想像」・「推測」していることだ。「創作」を業とする作家は、事実(又はそう信じたもの)から何でも「空想」する秀れた能力をもつようだ。当然に、「創作」とは、じつは「捏造」でもあるのだ。大江・沖縄ノートp.208のその内容を引用すると、長いが、次のとおりだ。
 新聞は「「命令」された集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が…渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた」と記した。大江は続けてその元守備隊長の気持ち・感情を「推測」する。
 「おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ」、「いかにおぞましく怖しい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減していく、…その人間が可能なかぎり早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいと願っている場合にはことさらである。かれは他人に嘘ををついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく」(p.208-9)。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいと願う。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいて…過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、…本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。…1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう」(p.210)。
 「かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。…とかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう」(p.210-1)。
 「あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へ追いやったかの、…およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の…再現の現場に立ち入っているのである」(p.211-2)。
 以上は全て、大江の「推測」又は「想像」だ。ここで使われている語を借用すれば「夢想」・「幻想」でもある。
 このような「推測」・「想像」は、「若い将校」の「集団自決の命令」が現実にあったという事実の上でこそ辛うじて成立している。その上でこそようやく読解又は論評できる性格のものだ。だが、前提たる上の事実が虚偽だったら、つまり全く存在しないものだったら、大江の長々とした文は一体何なのか。前提を完全に欠く、それこそ「夢想」・「幻想」にすぎなくなる。また勿論、虚偽の事実に基づいて「若い将校」=赤松嘉次氏(当時大尉、25歳)の人格を酷評し揶揄する「犯罪的」な性格のものだ。大江は赤松氏につき「イスラエル法廷におけるアイヒマン、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」とも書いた(p.213)。
 1992年刊行の曽野綾子・ある神話の風景(PHP文庫、初出は1970年代)の改訂新版である同・沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実-日本軍の住民自決命令はなかった!(ワック、2006)の冒頭で、曽野氏は「私は、「直接の体験から「赤松氏が、自決命令を出した」と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない」と書き(p.7)、大江・沖縄ノートを「軍隊の本質を理解しない場合にのみ可能」(p.280)、大江による「慶良間の集団自決の責任者も、…あまりに巨きい罪の巨塊のまえで…」というような「断定は私にはできぬ強いもの」だ等と批判する(p.295-6)。そして曽野の「私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである」という言葉は極めて良識的であり、「人間的」だ。
 大江健三郎とは、いったい何者なのだろう、とこれまでも浮かんだことがある想いが疼く。1974年頃にはすでに日本軍による住民集団自決命令の事実には疑問が出ていたにもかかわらず、(岩波書店とともに)沖縄ノートを現在も売り続けており、人々に読ませている。沖縄タイムズ等の報道を根拠にして「日本軍ならやったに違いない」と偏見をももって思い込み、その強い「感情」をもって、命令したとされる人物の感情につき、「夢想」・「幻想」又は「妄想」を膨らませのではないか。とすれば、大江こそが「自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきた」のではないか
 大江の文を読んでいると、失礼な表現だとは思うが、「偏執」的「狂気」すら感じざるを得ない。また、やや反復になるが、作家という職業の人は、現実と非現実との境界をたやすく飛び越え、また再び戻れる人種で、かつ現実と非現実の区別すら曖昧になってしまうことのある人種なのではないか、と感じる。
 元に戻ると、NHKニュースは歴史研究者のコメントとしては、「命令はあった」、「今回の検定は事実を歪曲するもの」とするもののみを放映した。住民から疑問や落胆の声のみが上がっているようなコメントも含めて、NHKのかかる報道の仕方は、公平さを明らかに欠いていて、大いに問題だと考える。

0030/サピオ4/11号の井沢元彦コラムはさすがに鋭い。本田雅和記者の暗躍を阻止せよ。

 サピオ4/11号(小学館)で井沢元彦が慰安婦問題に関して朝日新聞を批判している。「朝日新聞の大誤報が米国の「慰安婦決議」のもとになったのをご存じですか」とのタイトルだが、さすがに井沢は、経緯も論点もきちんと判っていて、言いたいことを書いてくれている。2点、関心を惹いたことがある。
 一つは、朝日の早野透が「朝日新聞コラムニスト」という肩書で日刊スポーツ3/11付に書いた内容と、それへの井沢による批判だ。日刊スポーツの当該コラムは知らなかったが、朝日本紙と同様に卑劣この上ない。安倍首相を「安倍」と呼び捨てにしつつ、「安倍は河野談話を継承するというなら、「強制性はなかった」などと四の五の言うべきでない。日本政府の二枚舌になってしまう。一国も早く発言を撤回すべきだろう」などとよくも言えたものだ(発言とは、狭義の強制性否定と決議採択あっても謝罪しないの2つを指すようだ)。
 朝日本紙の星浩のコラムと同様に、まさしく「朝日新聞の大誤報が米国の「慰安婦決議」のもとになった」ことに一切触れず、頬被りしてダンマリを決めこんで、安倍首相を批判できる材料を探し出して、口先だけ恰好よいことを喋っているのだ。何度も言うが、朝日新聞は日本で最も卑劣・愚劣な新聞だ。
 二つは、では日本政府はどうすればよいかに関して、「河野談話は一新聞社をリーダーとする異常なキャンペーンで醸成された空気によって拙速に出されたもので、…極めてお気の毒に思うが、日本が強制連行したという事実は今のところ確認できないので修正する」とでも政府は言うへきだ、と提案している。
 河野談話は国会決議ではなく、内閣又は内閣総理大臣の判断で修正も取消しもできる。同じ日本政府のかつてとった措置の拙劣さを自認することにはなり、河野洋平らの抵抗はあるだろうが、現実性がどの程度あるかは分からないものの、こうした内容を基本とする明確でかつ丁寧な説明をする新しい談話を出すべきだろう。
 むろん混乱が予想される。朝日新聞は狂ったように騒ぐだろう。だが、現状のままで推移するよりははるかに良い。朝日新聞の虚報をきっかけにした歴史の改竄によって日本国家が国際的に名誉を侵害されることを断固として回避すべきだ。
 それにしても、井沢も指摘するように、2005年01月の本田雅和らによる「政治家(安倍晋三現首相と中川昭一現自民党政調会長)のNHKへの圧力があった」との虚報・捏造を訂正もせず謝罪もしない神経は並大抵のものではない。
 また、井沢の舌鋒も論理もなかなかのものだ。2005年01月政治家圧力虚報問題と関係記者の責任を曖昧に(=うやむやに)したまま、つまり自分自身の問題は批判的に点検することなく、「政府批判や官僚批判を堂々と書けるのか?」
 なお、このコラムによると、本田雅和はアスパラガスから抜け出して北海道夕張勤務の記者に復活する、そしてこの人事は「ほとぼりがさめて」の栄転なのだとか。彼はいつかまた何かで、「左巻き」の事件を起こすだろう。

0029/日本軍による沖縄戦・集団自決命令はなかった-教科書検定意見つく。

 NHKのスクープなのかどうか、3/30の今夜7時のニュースで、終戦前の沖縄戦の時期の沖縄の若干の小島における<軍による一般住民への集団自決命令>が発せられた旨の記述が検定の結果として教科書から消えることになった、と報道された。
 戦後当初の関係住民の証言を素材にして沖縄の新聞社発行の沖縄戦史がこの<軍の集団自決命令>を事実として書き、それを信じた大江健三郎・沖縄ノート(岩波新書、1970)がずっと売られ続け、命令を出したとされる軍人の遺族等が訴訟を起こしている。大江と出版元の岩波を被告とするいわゆる沖縄自決命令損害賠償請求訴訟で、現在大阪地裁で審理中だ。
 これに関して、昨年から今年にかけて、私は以下のようなことを綴った。
 大江は、沖縄タイムズ社の本に書いてあったから信用したというだけでは、沖縄ノート(1970)の記述を30年以上訂正しなかった過失を否定するのに十分ではないことは明らかだろう。ノーベル賞作家は、あるいは誰についても言えるが、原告の政治的背景をアレコレ言う前に(大江・朝日新聞2005.08.16)、真の「事実」は何だったかに関心をもつべきだ。大江等を擁護するサイトの意見も読んでみたが、事実よりも「自由主義史観」者たちに負けるなとの感情過多の印象が強かった。
 2005年10/28に大阪地裁法廷で朗読された訴状要旨の最後は次のとおりだ(徳永信一・正論06年09月号による)。-「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よつて、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰藉料の支払いを求めるものである」。
 原告側に有利な発言および証言をする人物も近日登場したようだ(これの影響が今回の検定方針には大きかったと推測される)。
 週刊新潮1/04・1/11合併号を買い櫻井よしこのコラムを読んで驚いたのは、この訴訟の原告は命令したとされる軍人の遺族とばかり思いこんでいたところ、座間味島にかかる一人は、命令したとされるその人本人であり、90歳で存命で、櫻井が今年逢って取材している、ということだった。
 原告が虚偽としている大江・沖縄ノート(岩波新書)の関係部分を探して読んでみた。例えばp.169-170、p.210-5が該当するとみられる。興味深いのは、前者ではすでに集団自決命令が事実であることを前提にしており、つまり事実か否かを多少は検証する姿勢を全く示しておらず、後者では(上の存命の人とは別の)渡嘉敷島にかかる軍人の(沖縄を再訪する際の)気持ちを、彼が書いた又は語った一つの実在資料も示さず、「想像」・「推測」していることだ。「創作」を業とする作家は、事実(又はそう信じたもの)から何でも「空想」する秀れた能力をもつようだ。当然に、「創作」とは、じつは「捏造」でもあるのだ。大江・沖縄ノートp.208のその内容を引用すると、長いが、次のとおりだ。
 新聞は「「命令」された集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が…渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた」と記した。大江は続けてその元守備隊長の気持ち・感情を「推測」する。
 「おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ」、「いかにおぞましく怖しい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減していく、…その人間が可能なかぎり早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいと願っている場合にはことさらである。かれは他人に嘘ををついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく」(p.208-9)。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいと願う。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいて…過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、…本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。…1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう」(p.210)。
 「かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。…とかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう」(p.210-1)。
 「あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へ追いやったかの、…およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の…再現の現場に立ち入っているのである」(p.211-2)。
 以上は全て、大江の「推測」又は「想像」だ。ここで使われている語を借用すれば「夢想」・「幻想」でもある。
 このような「推測」・「想像」は、「若い将校」の「集団自決の命令」が現実にあったという事実の上でこそ辛うじて成立している。その上でこそようやく読解又は論評できる性格のものだ。だが、前提たる上の事実が虚偽だったら、つまり全く存在しないものだったら、大江の長々とした文は一体何なのか。前提を完全に欠く、それこそ「夢想」・「幻想」にすぎなくなる。また勿論、虚偽の事実に基づいて「若い将校」=赤松嘉次(当時大尉、25歳)の人格を酷評し揶揄する「犯罪的」な性格のものだ。大江は赤松につき「イスラエル法廷におけるアイヒマン、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」とも書いた(p.213)。
 1992年刊行の曽野綾子・ある神話の風景(PHP文庫、初出は1970年代)の改訂新版である同・沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実-日本軍の住民自決命令はなかった!(ワック、2006)の冒頭で、曽野氏は「私は、直接の体験から「赤松氏が、自決命令を出した」と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない」と書き(p.7)、大江・沖縄ノートを「軍隊の本質を理解しない場合にのみ可能」(p.280)、大江による「慶良間の集団自決の責任者も、…あまりに巨きい罪の巨塊のまえで…」というような「断定は私にはできぬ強いもの」だ等と批判する(p.295-6)。そして曽野の「私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである」という言葉は極めて良識的であり、「人間的」だ。
 大江健三郎とは、いったい何者なのだろう、とこれまでも浮かんだことがある想いが疼く。1974年頃にはすでに日本軍による住民集団自決命令の事実には疑問が出ていたにもかかわらず、(岩波書店とともに)沖縄ノートを現在も売り続けており、人々に読ませている。沖縄タイムズ等の報道を根拠にして「日本軍ならやったに違いない」と偏見をももって思い込み、その強い「感情」をもって、命令したとされる人物の感情につき、「夢想」・「幻想」又は「妄想」を膨らませのではないか。とすれば、大江こそが「自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきた」のではないか
 大江の文を読んでいると、失礼な表現だとは思うが、「偏執」的「狂気」すら感じざるを得ない。また、やや反復になるが、作家という職業の人は、現実と非現実との境界をたやすく飛び越え、また再び戻れる人種で、かつ現実と非現実の区別すら曖昧になってしまうことのある人種なのではないか、と感じる。
 元に戻ると、NHKニュースは歴史研究者のコメントとしては、「命令はあった」、「今回の検定は事実を歪曲するもの」とするもののみを放映した。住民から疑問や落胆の声のみが上がっているようなコメントも含めて、NHKのかかる報道の仕方は、公平さを明らかに欠いていて、大いに問題だと考える。

0028/潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(2007.04)のごく一部を読む。

 昨夜、潮匡人の呉智英批判に触れているうちに潮の近著に言及し、さらにその中で吉永小百合様に関する記述があるらしいことからの連想で、吉永小百合様うんぬん、の別の文章を書いてしまった。
 潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007.04)を購入して、さっそく一部を読んだ。
 まず、吉永小百合様の一文を含む井筒和幸ほか・憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の提言(岩波、2005.08)という冊子につき、別の本を引用しつつ、次の旨を言う。(この冊子は私も無論持っていて計64頁、定価500円なのだが、)この薄い本(冊子)のために岩波は、2005年8/04に朝日、毎日、読売、東京、翌8/05に日経、産経に、いずれも一面全体を使った広告、いや広告というよりも「九条を守ろう」との意見広告、を出した。一面全面広告には「億単位の広告料がかかるら。…護憲派は潤沢な資金源に恵まれているようだ」。
 引用されているのは私も所持している自民党政務調査会主席専門員の田村重信・新憲法はこうなる(講談社、2006.11)で、該当頁のp.164-5にはたしかに上の前半の事実が書かれている。その上で田村は言っている-18人は「左派系の学者や文化人」で、「背後には、2004年6月に発足した「九条の会」の存在があり、それを陰で操っているのは共産党です」。
 九条の会の呼びかけ人自体は井上ひさし・奥平康弘を除いて必ずしも日本共産党直系とは言えないが、各地域・各職域等に今や5000あるらしい「九条の会」の実権を握っているのは日本共産党のようだと諸情報から判断していたが、上の田村は、あっさりとそのことを「操っている」という言葉を使って認めている。私の推測は誤っていないだろう。
 つぎに、吉永小百合様批判の部分のみを紹介しておく。彼女は「もう一人の女優、渡辺えり子さん」とともに「女優の虚言や戯言はともかく…」とまともに扱われていないふうなのだが、潮は具体的には次の如く反論又は説明している(p.165以下)。-1.吉永は憲法九条は「コスタリカを始めとして、多くの国の人たちから賞賛されています」と書くが、コスタリカ以外のどの国が賞賛しているのか。外国の人は憲法九条の存在すら知らず、かりに知れば最新鋭の戦闘機やイージス艦を(「自衛隊」が)保有しているのを疑問に感じるだろう。また、「コスタリカ憲法は常備軍を廃止しただけで、有事には徴兵し軍隊を編成できる」し、「武装した国家警備隊」も持ち、米国との間に「集団自衛権行使」を含む軍事同盟関係にある。さらに、反共産主義を貫いていて中国と国交を結んでいない。
 コスタリカは護憲論者がよく引き合いに出す国だが、このような状況だとは知らなかった。
 2.吉永は「人間は、『言葉』という素晴らしい道具を持っています」と書き、「武器ではなく、憲法九条こそが、私たちを守ってくれます」とも書くが、後者は「いくら何でも言い過ぎではないか」、「あまりに低レベルな反論だが、相手の土俵に乗ろう。彼女は、自宅の門に憲法九条を掲げ、鍵も掛けずに眠るのであろう」。
 この潮匡人の本は「護憲派」の主張・言い分にも触れつつ多様な論点を扱っている。いずれまた、憲法九条論や憲法改正論に関連して言及したい。

0027/掛谷英紀・学者のウソ(2007.02)を3月半ばに読む-フェミニズム批判。

 ソフトバンク新書というのが新発行されたものの関心を惹くテーマ・執筆者のものが僅かだった。しかし、掛谷英紀・学者のウソ(2007.02)は、3月半ばに一部を読み終わっただけだが、なかなか良い本だ。読んだ順に記すと、第一に、脱税企業に関する新聞記事の量と当該新聞紙上の広告主との関係につき、仔細は省略するが、「朝日新聞についてはスポンサーへの配慮が記事にまで影響を及ぼしている可能性がきわめて高いことがわかる。一方、読売新聞にはスポンサー・非スポンサー間で有意な差は見られなかった。私は個人的には読売新聞をよく思っていないが、脱税事件の報道に限ると、同新聞の報道姿勢は評価に値する」(p.139)との結論が興味深い。朝日がスポンサーを配慮せざるを得なくなっているとすれば、それは経営的には必ずしも順調でないことを意味する、とつながれば、私にはますます好ましい情報なのだが。
 第二に、知る人ぞ知るの話かもしれないが、私は知らなかった。p.144-5によると、上野千鶴子は自閉症は母子密着が原因と主張したが生まれつきとの説が有力で、自閉症児の親たちから差別助長と抗議を受け、最初主張した本と同じ出版社の「「マザコン少年の末路」の記述をめぐって」の一部に謝罪文を掲載した。これを読んだ某「自閉症児の親の会」の会員いわく-上野からは自閉症に無知識だったのでうっかりしていた、ごめんなさいと素直に謝って貰ったらすっきりしたが、また彼女には「弱者の味方」のイメージもあり期待したが、謝罪文を読んで「「二度と自閉症にかかわるものか」という上野さんの姿勢が感じられ、その落差が激しくて…」。
 著者・掛谷は、次のように書く。「上野氏は弱者の味方のふりをするだけで、…持論を補強するために弱者を利用しているにすぎない」ことにこの母親は気づいてなかったのだろう。「上野氏がなくしたいのは、差別でも性差別でもなく、性差の存在(性の区別)そのものである」。著者は自信をもって断定している。
 上の第二で言及した「事件」はありうることだと納得できるが、第三に、つぎの諸指摘は断定的・明瞭でありすぎるために、その内容に驚きとじわりとした恐怖を感じる。掛谷いわく-フェミニストの殆どは「学歴エリート」だが、人間を男女の二つに分け、「女性全体を弱者と見立て」た上で、「弱者集団である女性への援助を名目に、女性集団の中の強者であるエリート女性のみに手厚い政策的援助が行くように誘導する」。「男女共同参画では強者の女性を援助して弱者の女性への福祉は切り捨てている」。フェミニストは専業主婦を「税金泥棒呼ばわりする」が、「現行の税・社会保障制度で一番得をするのは、…夫婦とも中・高収入を得ているエリートカップルの世帯」だ。「男女共同参画社会は、…高学歴夫婦世帯に対して集中的に福祉を施している。これでは格差がさらに拡大される」(p.155-p.160)。
 私が挟めば、フェミニスト、弱者のふりをし、「女性という人権」を振りかざして、少数の高学歴(かつとくに配偶者のいない)女性の利益のために政府にゆすり・たかりをしている圧力集団の参謀ではないか。その中の参謀長クラスが上野千鶴子だと思われる。
 第四に、少子化の原因としての妊娠・出産の減少は、女性の社会進出と無関係ではない、外での仕事が魅力的だと、又は外で働く必要があれば、女性が出産・育児を厭う場合もあれば、希望してもできない場合もあるだろう、だからある程度はやむを得ない、時代の流れなのかな、と何となく思ってきたのだが、この本を読んでかなり変わった。フェミニズムこそが少子化、人口減を招き、将来の日本を危うくしている根本的思想なのではないか、と。
 不勉強を曝すが、現在の政府の少子化対策は、働く女性の支援、つまり働きながらでも安心して子育てできる、同じことだが子育てしながらも安心して働ける環境の整備らしい。つまりはゼロ歳児から預けられる保育所も含めての、保育所の増設だ。これは、子育てしながら安心して働ける環境を整備すれば出生率は回復する、又は増加するとの「理論」又は「予想」にもとづく。そのために10年間、毎年2-3000億円の公金を厚生労働省は使った。しかるに、現実は出生率が増加していない。政策効果は出ていない。
 掛谷の本p.56以下によれば、上の「理論」・「予想」は誤りで、赤川学・信州大学教授が、同・子どもが減って何が悪い(ちくま新書)で、1.男女共同参画が進めば=女性が働きやすい環境が整備されれば出生率が上昇するとの「理論」の根拠とされるデータには「捏造」があり、OECD加盟国全27国の統計では「女性の社会進出が進むほど出生率は低下する」こと、2.28-39歳の有配偶者女性ではaフルタイム従業、b本人の収入、c都市居住、の三変数が「出生率の低下に有意に寄与している」、つまり「都市でフルタイムで働く高所得女性ほど出産しない」こと、を示した。男女共同参画は少子化を促進しても抑制することはない、ということだ。こちらの方に説得力があると、私には感覚的に思える。だが、フェミニスト又は女性学者等はなお、男女共同参画推進こそが少子化対策になると主張している、という。
 政府の少子化対策施策は昨年の猪口邦子大臣提言等で子育て家庭への経済的支援(育児手当、児童扶養手当類)の増大へと少し舵取り方向を変えるようだが、従来の男女共同参画社会論者はその見解=「男女共同参画を進めれば子どもが増える」を変えようとせず、「開き直っている」というわけだ。
 掛谷は上の赤川学の理解を支持しつつ、そのような学者ら=上野千鶴子、田嶋陽子、白波瀬佐和子、樋口美雄等を批判し、故意の、確信犯的な「学者のウソ」と断じる(p.73等)。また、女性学会とその周辺学会は「間違った情報を発信し続けて」おり、「日本女性学会のホームページをみると、…学会ではなく政治団体なのではないかと思うような情報発信が多い」としている(p.69)。
 男女平等も男女共同参画も基本的なところでは概念・理念として誤っているわけではないだろう(但し、男女平等は男女の差異の無視・否定と同義ではない)。だが、具体的な政策・施策の次元では、どうやら誤りのジェンダー・フリー論が幅を利かせ、政府の審議会類を乗っ取
ってきた気配がある。掛谷によると、フェミニストは「日本女性学会」等に巣くって政治的主張を展開しているようだ。
 p.66-67に紹介の上野千鶴子の、人口現象の原因を突き止めることは「できない」、少子化対策は「極端に言えば、やってもやらなくても同じ、とも言える」との発言は、掛谷の言葉どおり、「よく考えると、ものすごい」。関係学問の力を否定し、政策効果のなさを自認しているのだ。学問とは何かを、政策・政治との関係を考えてしまう。一般論的すぎるが、政策・政治に「悪い」影響を与える学問はなくてよい。あるいは、そのようなものは政治的主張ではなく社会系の「学問」と本当に言えるのかどうか。
 掛谷はまだ30歳代で、分かりやすい、しっかりした文章も書く。今後の活躍に期待したい学者だ。マルクス主義学者の「ウソ」に殆ど言及がないのは残念だが、年齢・世代、理系出身等からしてやむをえないだろう。それと、「学者のバカ」というタイトルは折角の好著には少し軽すぎだ。もっといい表題だったら、より売れるのでないか。

0026/吉永小百合様、美しい「言葉」の力で金正日と「粘り強く話し合い」して下さい。

 「団塊」世代のマドンナと称されているかもしれない、あの吉永小百合様が岩波ブックレット・憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005.08)の中で、次のように書いておられる。-「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが「言葉」を持つ私たちの使命だと思います」(p.18)。
 「言葉」という「道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく」ことができれば、それに越したことはない。「粘り強く話し合」っても何ら誠意をもって対応せず、言葉と矛盾する行動を平気で行う人や国家が存在するからこそ問題なのであり、経済的・軍事的「圧力」も必要になるのだ。吉永小百合には是非、朝鮮半島の北半分にいる将軍様(ウンサンニム)に「『言葉』という素晴らしい道具」で話しかけ、「粘り強く話し合」っていただきたいものだ。
 美しい心の小百合様には、国民を餓死させ、開発凍結と言っておいて平気で核実験実施をする国家の存在を想像すらできないのだろう。
 彼女はまた、「命を大切にすることは、憲法9条を大切にすること。国際紛争を解決する手段として、武力行使は永久にしないと定めた憲法は、人間の命を尊ぶ、素晴らしいものです」と憲法九条を讃える。
 だが、残念ながら小百合様には憲法に関する基礎的素養がなさそうだ。9条1項が規定している「国際紛争を解決する手段」としての武力行使の禁止は、少なくとも憲法学説上の多数見解および政府見解によれば、「侵略」戦争の放棄の意味だ。9条1項は「防衛」又は「自衛」戦争をも放棄(禁止)してはいない。そしてこのことは日本国憲法に限らず、今日の世界においては当然のことなのだ。
 憲法改正に際しての焦点は、「戦力」不保持、「交戦権」否認の9条2項をどうするかにある。1項によって「自衛」戦争が禁止されていないとしても、2項で「戦力」保持・「交戦権」が否定されているために、結果として「自衛」のための「戦争」もできなくなる、というのが多数見解による9条の条文の読み方なのだ。ここで「戦争」や「戦力」・「交戦権」の厳密な意味が問題になるが、そこに立ち入らないとしても、「戦力」不保持・「交戦権」否認の憲法9条2項があるがゆえにこそ外国からの攻撃によって日本国民の生命が奪われることを有効に防止できないとすれば、「憲法9条を大切にすること」は日本国民の「命を大切に」しないこと、を意味することになる。
 かくの如く、小百合様の文章は美しいが、<戦争反対という情緒>(これ自体を悪いとか誤っているとかは言わない)が書かせたものにすぎない。
 朝日新聞社が<私たちは「言葉」の力を信じます>とかのコピーで宣伝していたが、小百合様の上の文章にヒントを得たのではなかろうか。それはともかく、朝日は、事実を否定し又は存在しない事実を作り出す(「捏造」)ために「言葉」を用いた、あるいは「言葉」の力によって虚報をさも真実のごとく装ったことがある。当然ながら「言葉」の力は良い方向にも逆の方向にも働きうる。それが明確でないコピーは「言葉」の力でウソを真実に変えますと言っているようで、じつに気持ちが悪い。
 続けて記せば、吉永小百合様は、昨年の毎日か日経のインタビュー記事中で、広島・長崎に原爆を投下されたのは、当時の日本政府の<ポツダム宣言受諾が遅れたためだ>ということのみを語り、あたかも責任はすべて日本政府にあったかの如き旨を語っていた。表現・記述不足ということも考えられるが、当時の国際法上も違法だった可能性が高い非戦闘員・一般市民の大量殺戮を行った米国に対する批判的視点が全くないとすれば、由々しき「歴史認識」をお持ちだ。小百合様にとっては、広島・平和公園内の「過ちは繰り返しませんから」との碑の主語は、おそらく間違いなく日本、あるいは日本政府・日本軍なのだろう。ということは、彼女が生まれる直前の東京大空襲による非戦闘員・一般市民の大量殺戮も、決して米国に責任はなく、そのような反撃を招くような戦争に至らしめた日本政府・日本軍に責任があると考えておられる可能性もある。そのような「歴史認識」でおよろしいのかどうか。
 「九条を考える会」のアピールに賛同しておられる(賛同人名簿に載っている)吉永小百合様の個人的な「歴史認識」はもうお変わりにならないかもしれない。だが、実質的には日本共産党が実働部隊となり主導権を握って運動していく可能性が高い「九条の会」に政治的に利用なされることないよう願っている。

0025/潮匡人、産経上で「現実的平和」を支えたのは日米同盟と呉智英を正しく批判。

 3/21に憲法九条が経済的繁栄を支えた等々の呉智英の謬見を批判した。産経新聞3/28の同じ「断」というコラムで、今回は潮匡人が呉智英をきちんと簡潔に批判している。
 いわく-「『現実的平和』を支えてきたのは九条ではなく日米同盟である。『間違いなく』自衛隊と米軍の抑止力である」。かかる「功利的」観点からも「断固、九条は擁護できない」。
 このとおりだ。九条があったおかげで戦争に巻き込まれなくて済んだとか、軍事費に金をかけなかったおかげで経済活動に集中できた、とかの耳に入りやすい俗論はきっぱりと排斥する必要がある。
 潮匡人の本はじつは読んだことがない(たぶん。雑誌中ならある)。彼が最近、憲法九条は諸悪の根源(PHP)との本を出したらしいので、是非読んでみよう。新聞広告によると、吉永小百合批判も含まれているようで、その内容にも興味がある。

0024/歴史の国際的捏造、日本国家に対する最大級の侮辱、朝日新聞・中国共産党の高笑いを許すな。

 在米日本大使館の北野充広報担当駐米公使は、(1)旧日本軍の関与の下で女性の名誉と尊厳を傷つけたと認める、(2)同問題でおわびと反省を表明した河野談話を継承する、安倍晋三首相もこの方針を維持する、と説明して、慰安婦問題と北朝鮮の日本人拉致問題を同一次元で論じているとして日本非難の社説を掲載した米ワシントン・ポスト紙に反論したという。
 馬鹿なことをしている。前々から感じていたことだが、安倍首相の意向と、<とにかくとりあえず穏便に>という(いつもながらの?)日本外務省の方針とは食い違っているのではないか。すでに十分に謝罪しているから決議しないでくれというのは、愚の骨頂だ。情けなくなる。
 朝日新聞は、3/27星浩コラム等々、慰安婦「問題」の経緯も争点も、そして米国下院の決議案に賛成か反対かも曖昧にしている。おそらくは決議案採択をきっと朝日は歓迎するつもりなのだろう。その点、読売新聞は、同日3/27朝刊に「基礎からわかる「慰安婦問題」」とのほぼ一つの面を使った適切な解説記事を載せており、朝日と比べて圧倒的に誠実であり、姿勢が明瞭だ。
 あらためて上の読売の記事中の米下院決議案の外務省仮訳を見ると、責任を公式に認めて謝罪せよと要求したあと、「日本国政府による強制的売春である「慰安婦」制度は、その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるかつて例のないもので…20世紀最大の人身売買事業の一つであった」と述べ、「(日本国政府)が日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買は決してなかったとのいかなる主張に対しても明確かつ公に反論すべきであることを決議する」と結んでいる。
 米国下院は、そしてアメリカ人は、こんな下品な言葉が出てくる決議を公式にしようとしているのか侮蔑したい気分にもなるし、月刊WiLL5月号の堤堯・久保紘之対談の一部のように、かつての米軍兵士は戦地や占領下日本で「特殊慰安施設」に「関与」しなかったのか、と糾したくもなる。
 だが、問題は、この案の背後にいる主として反日中国系団体・中国政府(中国共産党)による歴史の偽造を、日本人が、日本政府が黙視してよいか否かだ。中国が仕掛けている「情報戦争」、「国際世論誘導戦争」の一環と見なしておく必要がある。
 繰り返す必要はないだろうが、私自身の言葉で書いておくと、上の決議内容は、事実ではない。日本国政府はを「人身売買事業」をしていない。「日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買」もなかった。
 よくありそうな誤解は、軍が慰安所や慰安婦募集事業者に何らかの形で「関与」したことをもって、軍又は政府の「関与」を肯定し、やはり悪いことをしたのではないか、というものだ。例えば「inkyoさん」は3/27に次のように書く。
http://inkyo.iza.ne.jp/blog/entry/140920/
 「安倍さんは、《「心の傷を負い、大変な苦労をされた方々に心からおわびを申し上げている」》と詫びながら、軍の関与を否定している。当時の政府が慰安所の設置や募集に関し一切関与していないのであれば、狭義の関与は否定できるかもしれないが、軍人の規律を守り防諜防止等の観点から、日本政府が慰安所の設置等に関与しているのであれば、広義・狭義の理屈は理解されない。それより、慰安所を設置しないと軍の規律が守れないとするなら、日本人としてその方が恥ずかしい。たとえ、戦時下で異常な心理状態になるとしても。
 私もまた、「当時の政府が慰安所の設置や募集に関し一切関与していない」とは思わない。また、「慰安所の設置等に関与している」こともあっただろうと思う。慰安所の存在を当然に知っていただろうし、衛生面での配慮等々もしただろう。慰安所経営者に対して注意・警告又は場合によっては要望をしたこともあっただろう。
 だが問題は、上のような事実の存否及び当否にあるのではない。上のような「関与」と決議案にいう「人身売買事業」あるいは慰安婦の「強制連行」とは全く別のものだ。問題は、日本政府又は軍が、慰安婦にすべく女性を「強制連行」したのかどうか、そうした意味での「強制」的契機を含む「人身売買事業」をしたのか否か、なのだ。通常の理解力があれば、「広義・狭義の理屈」は分かるはずなのであり、これをおそらく意識的に曖昧にしているのが朝日新聞であり、広義のものがあれば狭義のものもあったに違いないとの(じつは根拠のない)前提で書かれているのが米国下院決議案だ。
 「inkyoさん」は「慰安所を設置しないと軍の規律が守れないとするなら、日本人としてその方が恥ずかしい」と書くが、慰安所・慰安婦の存在自体が「悪い」ことだったかどうかは、戦地という場所的特性や「公娼制度」が存在した時代だったこともふまえて、別に議論すべきものだ。この点につき詳しいのは、秦郁彦・慰安婦と戦場の性(新潮選書、1999)だろう。「inkyoさん」は何歳の方か知らないが、こうした本を読んで「勉強」してみたらどうか。
 同じ読売3/27によると、下村官房副長官が「強制連行について軍の関与はなかった」と述べたことに対して、民主党の鳩山由紀夫は「歴史をもっと勉強してほしい」等と述べて批判した、という。「歴史をもっと勉強」する必要があるのは、鳩山由紀夫自身だ。民主党の中にも、松原仁(いまは無所属だが、西村真悟)等、歴史が分かっている議員もいるだろう。思わぬ形で、鳩山由紀夫の無知さ・不勉強ぶりを知った。

0023/「日本国憲法2.0開発部」は単純・素朴・幼稚かつ狂気の教条的平和主義。

 安倍首相は憲法改正を目指しており、自民党は憲法改正案を既に発表しているが、ほぼ60年も前に施行された憲法を「自分たちの手」で書き直す、「改正」するのは当然のことだ。
 その際、全くの白紙ではなく現憲法から出発するとしても、9条2項以外にも議論の必要がある条項がある。
 しかし、九条2項をどうするかが最大の争点になることは間違いないだろう。
 すでに日本共産党は「九条の会」に結集する、又は職場・地域等で「九条の会」を新設する旨の指示を出し、将来の憲法改正にかかわる「決戦」(具体的には国民投票の場になるだろう)に準備を進めているようだ。
 ネット上には改憲・護憲と種々のサイト又は意見が溢れているが、むろん現在以上に日本の軍事力(軍事的防衛力)を減殺する方向での改正案もありうるし、「市民」の立場からの憲法改正案も発表されている。
 後者の代表は、ネット上ではなくきちんとした本になっている、江橋崇・市民主権の憲法理論(生活社、2005.11)だろう。
 前者の例が、
http://blog.goo.ne.jp/nihonkoku_kempou/e/6a8833880d11ebd1fae76eabea76e725
 このサイトは「改憲か護憲か?」 を一番大きなサイト名の一部にし、トップページの中に「護憲派」の人も「改憲派」の人も「ぜひご検討下さい」などと書いて、さも、又は一見中立的に装っているが、トップページの上の方にはちゃんと「今の憲法第9条を守っていた方がいいよね」と書いてあるように、9条2項については紛れもなく「護憲派」=変えないという意味では「保守派」のサイトだ。
 もっとも全く変えないのではなく、現在よりも日本の軍事力を弱める、又は一切無にする方向での改正条文を作っている。そして、その条文は、戦争一般、軍備一般を「悪」と見る単純・素朴・幼稚な観念にもとづくもので、結果としては狂気に満ちたものになっている。
 目にするのもイヤな方々も多いと思うが(私もそうだが)、その狂気ぶりを示すために、こんな連中もいることを知っておくために、引用しておこう。
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「第8章 戦争の防止
 第62条【軍隊、軍備の禁止】
 日本は軍拡競争に参加せず、自ら体験した悲惨な戦争の再発を厳重に防止するため、また、国際的緊張を緩和するため、人、機械、ロボットもしくはヒト以外の生物からなる軍隊、自衛隊またはこれらに類する武力保持部隊を持ってはならない
 (2)(イ)国民の徴兵(ちょうへい)制度および一時入隊制度、(ロ)民間または外国民による軍事力の保持、および、(ハ)民間、外国民または無国籍者への軍事の委託、は、あってはならない。
 (3)国連により決議され構成された国連軍を除き、外国の軍隊、軍事設備および武器弾薬の、領海、領空を含む日本国内への移動および設置は、禁止する。これに反する同盟および条約を廃止および禁止する
 (4)日本は国際社会に、軍事力以外しか提供することはできない。これに反する同盟および条約を廃止および禁止する
 (5)日本は国際社会に対して、日本が締結(ていけつ)した条約および確立された国際法規にしたがって、たとえば、次の各号を特色とした貢献を率先して行う。
  1 国家間の対話および和平交渉の提案と仲介 2 軍縮の呼びかけと推進 3 本憲法のような平和憲法の研究と推奨 4 暴力によらない紛争解決の呼びかけ 5 災害救助、開発、生活環境改善、教育、疾病予防、疾病治療、リハビリテーション、地雷除去・汚染除去等戦争後始末、戦後復興、被災復興、防災、防犯、武装解除および戦争防止を支援するための人材、資金、物資および技術の提供 6 寄付金および寄付物品の募集、管理、運搬および配布 7 人権擁護と世界の協調を進めるための平和的国際機関活動および諸国との連帯(れんたい) 8 人権活動 9 平和のための教育、報道および情報発信
 第63条【戦争禁止】
 日本は戦争の生んだ悲劇をふまえて、暴力の不毛(ふもう)さと非暴力による平和の重要性を世界の人々そして次世代の子供達に常に訴え、世界の国々と人々の良識を信じて、暴力によらない紛争解決を率先垂範(そっせんすいはん)しなければならない。
(2)日本は、戦争およびテロを、理由と形態にかかわらず行ってはならない
(3)日本は、たとえ、自衛、集団自衛、共同防衛、先制攻撃、先制防御、外国への協力、外国からの協力要請、外国の治安維持、多国籍軍(たこくせきぐん)、国連平和維持活動(PKO、Peacekeeping Operations)、国連平和維持軍(PKF、Peacekeeping Forces)、抑止、報復、対抗、懲罰(ちょうばつ)、局所的(きょくしょてき)事態、緊急事態または人道(じんどう)支援等という名分をもっても、次の各号を直接または間接に行ってはならない。
  1 戦争またはテロとしての武力行使 2 武力による威嚇(いかく) 3 戦争のための役務(えきむ)、物資、武器、資材、弾薬、燃料、食料、飲料、日用品または医薬品の提供、補給または運搬
  4 戦争のための情報処理および通信
  5 その他戦争の後方支援に属する活動
そして、国際紛争解決のための手段として、日本は次の各号の行為を直接または間接に行ってはならない。
  1 殺傷(さっしょう)  2 逮捕監禁(たいほかんきん) 3 爆撃 4 自爆 5 抑留および拘禁 6 拷問 7 虚偽の宣伝 8 虚偽に基づく提訴 9 精神的暴力 10 マインドコントロール 11 その他暴力
 (4)国が国民の平和的生存権を犯す行為を行うとき、国民は、裁判所にその行為の差し止めを求めることができる
 第64条【警察の軍隊化の禁止】
 警察は、日本の内外の脅威(きょうい)から国民を守り安全を維持する。警察を、憲法の禁止している軍隊にしてはならない。警察には、国際法上も軍隊の条件を備えさせない
 (2)警察は、消防と協力して、国内外の災害救助、事故救助を行う。国外に派遣される警察は、護身(ごしん)を超えた殺傷(さっしょう)能力のある重火器(じゅうかき)等の武器または武器を内蔵する機器を持ち出さない。
 (3)外国からの武力攻撃またはテロが生じたとき、国民を守る専管(せんかん)機構は、警察である。警察は、領空、領海を含む国内でのみ、犯罪者または攻撃勢力を鎮圧することができる。国民が外国において犯罪、テロまたは戦争により危険な状態になった場合の救助は、警察が、本憲法、日本の国内法規、確立した国際的な法規および批准した条約に基づき、当事国または国連と協力して、行う。
 (4)警察が、外国軍隊、外国警察または国際機関の要員の保護または外国軍隊、外国警察または国際機関の要員への攻撃への報復のために、護身用武器を使用することは禁止する
(5)<略>
第65条【武器所持、使用】<略>
第66条【核、生物、化学兵器の禁止】<略>
第67条【有事例外の禁止】
 本憲法を破る国家権力の行き過ぎの行使から国民の人権を守るため、たとえ国に武力攻撃、重大テロ、重大事故、重大災害、その他非常事態または非常事態につながる懸念のある事態が生じたとしても、本憲法にも本憲法下の法にも基づくことなく、本憲法および本憲法下の全部または一部の法の、(イ)効力停止、(ロ)廃止、(ハ)読み替え、または、(ニ)恣意的(しいてき)な解釈変更、をすることを、厳重に禁止し、それらは無効とする
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 真面目に考えているようにも見えるが、この人たちは狂っている。最小限度、莫迦、と言っておこう(立法技術上の欠点も見受けられる)。憲法改正および9条2項関係の問題については、いずれもっと詳しく論じる予定だ。

0022/すべては原告団リーダーの娘婿の朝日・植村隆の記事から始まった。そんな経緯無視の卑劣な朝日・星浩。

 月刊WiLL5月号が慰安婦問題の特集を組んでいる。暫くぶりに読みごたえがある。まず、西岡力「すべては朝日新聞の捏造からが始まった」がよい。経緯をきちんとまとめてくれている。
 1982年まで、慰安婦「問題」はなかった。1982年の朝日による侵略→進出への教科書書換えとの誤報が一つのきっかけになった。韓国が、歴史問題を利用して、日本批判をし援助・協力をさせることができる、と学んでしまった。翌年に強制連行に携わったとの詐話師・吉田清治の本が出たがすぐには大きな話題にならなかった。最初から信憑性に疑問があったのだ。
 1990年に某日本人女性が韓国で、原告となって日本国相手に訴訟を起こそうと強制連行された人・慰安婦に呼びかけるビラを撒いた。これに現在でも運動団体にいる、軍関係者に強制連行されたのではなく「身売り」された某韓国人女性が反応して登場してきたのだが、その点(慰安婦になった経緯)を曖昧にしたまま、従軍慰安婦(氏名を書きたくないが、やむをえない。金学順氏)が名乗り出たと報道したのが、1991.08.11の朝日の植村隆だった。現在の米国下院で生じていることも、すべてはこの朝日・植村隆の記事から始まった。
 朝日・植村隆は金学順らが実際に提訴すると、彼女らを応援するためのキャンペーンを展開した。1992.01.11には慰安所への軍の関与を示す資料発見と1面で大々的に報じたが、その資料とは、吉見義明中央大学教授が発見した、業者が軍の名を騙って強制連行するな、という旨の悪徳業者を取り締まる方向での文書だった。朝日は卑劣にもこれを慰安婦に軍が関係しているというイメージを作るために用いたのだ。
 なぜ当時の自民党の政治家は朝日新聞の雰囲気作りに欺されたのだろう。1992.01.13に宮沢内閣の初代官房長官・加藤紘一が「お詫びと反省」を発表して謝罪し、同年01.17に訪韓した宮沢喜一首相は韓国・盧泰愚大統領に直接に何度も謝った。吉田清治の本の内容が事実ではないことは判明していた。また、その後韓国の大学教授による40名を対象とする調査で、とりあえず信憑性ある証言を得られたのは19名、そのうち「強制」されたと述べたのは4名だったが、4名のうち2名は戦地以外の釜山と富山で「強制」されたとの証言で最終的には信用できず、残る2名(うち1名が金学順氏)は訴訟の原告となったが、その訴状には軍により「強制連行」されたではなく「身売り」されたと書かれていた。日本政府の調査(聞き取り)でも軍による「強制連行」の事実は証明されなかった。
 にもかかわらず日本政府は謝罪し続けた。現在問題にされている「河野談話」(河野洋平は宮沢内閣の二代目の官房長官)は1993.08.04に出た。それは、軍(国・公権力)による強制はなくとも「本人の意思に反して」だったことに「強制」性があるという、「強制」性の意味を元来の意味とは(所謂狭義から広義へと)すり代えるものだった。「本人の意思に反して」慰安婦になったことについて、国がそれを「強制」したわけではないのに、なぜ国が謝罪するのか。朝日の「すり代え」が河野談話に影響を与えたのだろう。
 概ね上のような経緯を西岡力氏は書いているが(一部私自身の記述がある)、同氏は金学順氏につき「思い出したくない自分の履歴を公開し、日本の反日運動家に利用され、批判され、それによって証言を変えるとウソをついているんじゃないか、と言われる。二重、三重に名誉を傷つけられ、引きずり回された」のではないか、と言う。そして、朝日についてこう書く-「弱者の立場に立つと言いながら、弱者を貶めているのです。女性の人権を守ろうというのではなく、朝日新聞は単に日本が悪ければいいのです」。
 もう一度書いておく。朝日新聞は「女性の人権を守ろうというのではなく」、「単に日本が悪ければいいのです」。
 なお、別の本で読んだ記憶があるが、朝日の植村隆は、金学順を含む原告団組織・太平洋戦争犠牲者遺族会のリーダー的な某氏の娘と結婚している、ということを西岡も明記している。つまりは、義理の母親が原告団のリーダー格だったからこそ(情報を早く知るとともに)当該訴訟の原告に有利になるような記事を書き続けたのだ。このような家族関係があってはとても公正な報道記事にならない。朝日が日本相手の訴訟の原告団の「機関紙」になってしまったのも当然だったとも言える。むろん朝日を擁護しているのではない。そんな個人的利害関係をもつ人物に記事を書かせた朝日新聞社こそが、もはや「ふつうの」新聞社ではなく、「運動団体」になっていることの証左の一つだ。
 そんな朝日の影響を受けた、朝日にだけは好かれたいのかもしれない加藤紘一や河野洋平が行ったことは、正気の沙汰とは思えない。きちんと事実を確認しもせず、謝罪する必要はないのに国を代表して謝罪してしまった。そして、彼らの大きなミスが14-15年後の現在にまで尾を引き、現政府と日本人を、要するに日本という国家全体を苦しめている。日本の名誉が不当に、虚偽の事実によって汚される瀬戸際にある。
 以上のような経緯からすると、3/27の朝日朝刊の編集委員・星浩の「政態拝見」コラムは噴飯ものだし、自社こそが「問題」を発生させた元凶であることに全く言及しない、極めて卑劣なものだ。朝日に都合のよい、この「問題」をめぐる経緯の解釈しか示していない。しかも、社会主義国・ベトナムの政府要人が昨年秋の河野洋平の彼国での演説を高く評価していた、という日本共産党の志位委員長から聞いた話からコラムを書き始めるとは、星浩なる男の社会主義・共産党に対する抵抗感のなさ・無防備さを露骨に明らかにしている。
 朝日の星浩よ、見出しの如く、一度、自社や自分自身の「歴史・戦争…」に関する「見識を問おう」としてみたらどうか。

0021/谷垣禎一の言う「リベラル」とは何か。

 「思想的にはリベラルで」という場合の「リベラル」の意味が問題で、安倍晋三を「右」と言っていること等々これまでの谷垣の主張からすると、対中国、対北朝鮮に対する姿勢が安倍よりは厳しくない、つまり相対的には親中国、親北朝鮮であり、米国とアジア諸国(特定の諸国かもしれないが)との外交について、安倍にくらべれば反米・親アジアであり、憲法改正については少なくとも安倍ほどには積極的な姿勢を見せない、ということを意味するように思われる。また、マルクス主義(「科学的社会主義」)政党・日本共産党が今から憲法改正に強い抵抗意識を明らさまにしていることからすると、谷垣は、相対的には親中国・親北朝鮮、親アジア外交、憲法改正に消極的姿勢、いずれも安倍よりははるかにマルクス主義(「科学的社会主義」)政党・日本共産党に近いことがわかる。
 自民党員なのだからまさか容共主義者ではないと思うが、共産主義と闘う姿勢が安倍よりも弱いことは確かだろう(京都府選出のくせに。いや、それゆえにか)。日本共産党により近い主張をしていることは、決して有利に働かないことを自覚すべきだ。「右的」ではなく「リベラル」というレッテルで、自らが有利になる、国民的支持をより獲得できると思ったら大間違いだ。
 どうしても上のような意味での「リベラル」を貫きたけれれば、自民党を出て、民主党や社民党の中に多い「リベラル」派と糾合して、自民党に対抗する大政党を作ったらどうか。または、同じく自民党を出て、民主党か社民党に入ったらどうか。

0020/伊藤剛、本多知成、林潤の三裁判官は、良心に疾しくはないか-2。

 東京地裁平成11.09.22判決は、これまた不要で、かつよくもまた大胆にと思うのだが、次のようにも述べていた。―「本件当時我が国が中国においてした各種軍事行動は、以下で述べる昭和6年(…)の満州事変、昭和7年の第一次上海事変、同年の満州国の独立宣言、昭和8年の国際連盟脱退、昭和11年(…)の2.26事件等々を経て、我が国の軍部がその支配体制を確立し、昭和12年以降、しばしば交替する内閣の閣内不一致や、時に下克上的な軍部等に引き回されるまま、近代における欧米列強を模倣し、ないし欧米列強に対抗しつつ中国大陸における我が国の権益を確保拡大しようとして、中国内部の政治的軍事的極めて複雑な混乱に乗じて、その当時においてすら見るべき大義名分なく、かつ十分な将来的展望もないまま、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国及び中国国民に対する弁解の余地のない帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為にほかならず、この「日中戦争」において、中国国民が大局的には一致して抗日戦線を敷き、戦争状態が膠着化し、我が国の占領侵略行為及びこれに派生する各種の非人道的な行為が長期間にわたって続くことになり、これによって多数の中国国民に甚大な戦争被害を及ぼしたことは、疑う余地がない歴史的事実というべきであり、この点について、我が国が真摯に中国国民に対して謝罪すべきであること、国家間ないし民族間における現在及び将来にわたる友好関係と平和を維持発展させるにつき、国民感情ないし民族感情の宥和が基本となることは明らかというべきであって、我が国と中国との場合においても、右日中戦争等の被害者というべき中国ないし中国国民のみならず、加害者というべき我が国ないし日本国民にとっても極めて不幸な歴史が存することからして、日中間の現在及び将来にわたる友好関係と平和を維持発展させるに際して、相互の国民感情ないし民族感情の宥和を図るべく、我が国が更に最大限の配慮をすべきことはいうまでもないところである」。のちにも「我が国が朝鮮半島、満州、中国に進出し、ついにはあからさまな侵略行為、侵略戦争にまで及んだ」、「期待と信頼を裏切り、中国に対して侵略行為を継続したことはおよそ正当化できない」という文もあり、「将来にわたる両国民間の友誼と国家間の平和と友好関係」の樹立の必要も説いている。
 この判決は「帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為」と断言し、日本は「真摯に中国国民に対して謝罪すべきである」と贖罪意識も明言する。この判決が「政治的・外交的」性格をもつことは疑いえない。しかるに、判決を書く裁判官は政治家又は外交官になってよいのか
 以上までに引用したのは歴史学・政治学の概説書でもなければ一部は戦後50年村山富市社会党内閣の談話でもない。裁判にかかる判決理由中の文章だ。
 あえて原告にリップ・サービスをするつもりなら、原告らの被害が日本軍によることを認定するだけでもよかった。しかしこの判決は南京「虐殺」の事実まで認定した。これは前者にとって絶対不可欠でなかった。また、南京「虐殺」の事実のみならず、1931年以降の日本軍の行動を「帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為」と言い切った。こう言う必要性は南京「虐殺」の事実認定にとっても絶対不可欠でなかった。何故ここまで立ち入ったのか。それは、裁判官が「我が国が真摯に中国国民に対して謝罪すべきである」との(認識というよりも)価値判断に立ち、「相互の国民感情ないし民族感情の宥和を図る」ために、自らが政治家・外交官のつもりで判決を書く必要があると「錯覚」した、又は「倒錯した感情」に陥っているためだと思われる。
 しかして、最後に、この判決の語る「認識」や「価値判断」は適切なものだろうか。これらを語る必要は全くないのに触れているのはこの判決の致命的欠陥だが、そこでの「認識」・「価値判断」が誤っているとすれば、少なくとも常識的な認識として誰もが一致していることでは決してないとすれば、その欠陥は犯罪的ですらあるだろう。そして、判決のいう「日中戦争」の認識にせよ南京「虐殺」の真偽にせよ、日本の誰もが一致する常識的なものとは全く言えない。判決はこれと矛盾する「認識」があることを恐らく知りつつ意識的に完全に排除している。その際、「『南京虐殺』自体がなかったかのようにいうのは…、断定し得る証明がない以上事実そのものがなかったというに等しく、正当でないというべき」との開き直りすら見せて、事実上「虐殺」がなかったことの証明を要求し、それができていないから「あった」のだとの強引な(裁判官と思えない)論法をとっているし、南京事件が「政治的意図をもって、…誇大に喧伝された」側面があったとしてもそれは「当時我が国は『世界の孤児』であり、真実の友邦はなく、ほとんどの国から警戒され、敵対されていた」からだと述べて、責任が日本にあるとすら示唆する。問題は日本が信頼されていたか否かではなく「当時から世界に喧伝されていた」内容が真実か否かの筈だ。
 この判決の裁判官はその贖罪意識・日中友好意識から、いちおうは「一般的な歴史図書」に依ってとしつつ(明記されているのは正村公宏・世界史の中の日本近代史中村隆英・昭和史I中央公論新社・世界の歴史30NHK・映像の世紀等) 、原告ら及び支援団体が「気に入る」ような歴史認識をあえて述べたのではなかろうか。
 かりにそうだとすれば、伊藤、本多、林の三裁判官は憲法が保障する裁判官の独立を自ら放棄している。あるいは憲法と法律にのみ拘束され良心に従う(憲法76条3項)という場合の「良心」を、失礼ながら自ら「歪めて」いる。
 所謂東京裁判のウェッブ判事は歴史に対して傲慢だったと思うが、所詮は連合国の官僚で実質的にはマッカーサーの部下だった。独立性が保障された彼らはなぜこれほどに歴史に対して傲慢なのか。「日中戦争」の性格を、南京「虐殺」の事実を何故あれほどに簡単に述べてしまえるのか
 もともと彼らが明記する参考文献は旧すぎる。彼らはこの判決前に出版されていた東中野修道・「南京虐殺」の徹底検証(展転社、1998)も、南京「虐殺」説批判に130頁以上を割いている小室直樹=渡部昇一・封印の昭和史(徳間書店、1995)も、判決直前の藤岡=東中野・「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究(祥伝社、99.09)も、読んでいないだろう。前者には和書だけで100以上の「参考文献」が列挙されているが、多様な歴史上の議論を知りうるほんの数冊でも、彼らは読んでいないに違いない。そして、大学生でも書けるような戦前・戦時史の「レポート」文を判決理由中に載せたのだ。
 既に書いたように、裁判官は戦後教育の最優等生たちだ。そして「歴史認識」もまた基本的には戦後教育のそれを受容している。「何となく左翼」は裁判所の中にも浸透している。ここでも鬱然たる想いを覚える。藤岡信勝・前掲書p.337-8によれば、この判決につき産経新聞論説委員石川水穂は的確に、「裁判官といえども、歴史を裁くことはできない。…軽率な事実認定を行った判決は必ずや、後世の裁きを受けるであろう」と書いた。
 彼らは上掲の本や判決後に出た北村稔・「南京事件」の探究(文春新書、2001)やマオ(上・下)(講談社、2005)、松尾一郎・プロパガンダ戦「南京事件」(光人社、2004)、東中野修道他・南京事件「証拠写真」を検証する(草思社、2005)、東中野修道・南京事件-国民党極秘文書から読み解く(草思社、2006)等々を読んで少しは恥ずかしくなっただろうか。少しは恥ずかしくなったとすれば、まだ少しは合理的な人間としての「良心」が残っている、と言えるのだが。
 くどいが、追記する。再引用すると、東京地裁判決は「南京虐殺は日本軍及び日本兵の残虐さを示す象徴として当時から世界に喧伝されていた(…政治的意図をもって、その当時及び我が国の敗戦直後誇大に喧伝されたという側面があるかもしれないが、そうであるからといって、『南京虐殺』自体がなかったかのようにいうのは、…結局、現時点において正確な調査や判定をすることが難しいことに乗じて、断定し得る証明がない以上事実そのものがなかったというに等しく、正当でないというべきであろう。)」と述べた。
 「当時から世界に喧伝」されていたことを事実認定の補強証拠として使い、かつその「喧伝」が「誇大」だったとしても事実を否定し得ない、と論じているのだ。だが、当時の「喧伝」が「誇大」どころか全くの虚偽だったら、中国国民党(及び同党に潜入の中国共産党)の工作員だった外国人が国民党の意を受け金も貰って世界に発した全くのガセだったらどうなるのか。伊藤剛、本多知成、林潤の三人は、その可能性を完全に否定するのか。(了)

0019/伊藤剛、本多知成、林潤の三裁判官は、良心に疾しくはないか-1。

 司法試験合格者は司法試験の受験科目のみ集中的に勉強したはずだ。とすれば、その他の一般的知識につき欠けることがあってもむしろ当然だ。このことは、法学部出身の(ふつうの)弁護士についても、さらに裁判官についても言えそうに思われる。つまり彼らは、司法試験科目を中心とした法律(・憲法)の専門家だが、例えば日本の歴史・伝統・文化について、「昭和戦争」について、無論総じての話だが、平均的な人以上には詳しくは知らない筈だ。しかし、彼らは日本の戦後教育の「優等生」ではある。そして、専門家の部分以外の分野については、高校・大学で又は社会一般・マスコミから「一般教養」を身につけている。その「一般教養」がじつはマルクス主義又は「左翼」思想から派生しているとすれば一体どうなるのか。これは現実的な問題だ、と思っている。
 南京事件・同「大虐殺」という語をタイトルに含まなくともこれに言及している本は多い。藤岡信勝・「自虐史観」の病理(文春文庫、2000。初出1997)もそうだが、その中に愕然とすることが書かれている。直接には事件の具体的内容に関係のない筈の、一判決についてだ。東京地裁平成11.09.22判決で、南京事件の被害者・遺族(と称する)中国人が日本(国・政府)を被告に国家賠償請求した事件にかかるものだが、個人が外国政府に対して直接に戦争被害にかかる損害賠償請求をする権利はない、とした。棄却の結論(判決主文)を導くためにはこれで十分と思われるが、何とこの判決は「南京「虐殺」はあった」旨をも述べている、という。ネット上で何とかこの判決を探してみた。確かに次のように「事実認定」している。長いが引用する。
 「日本軍の上海攻略は1937年11月05日の杭州湾上陸(…)によりようやく一段落し、同月中旬上海を制圧したが、日本軍及び日本兵はその戦闘により多大の損傷を受けた上で、心身ともに消耗、疲弊した兵士らの士気低下、軍紀弛緩等が問題となっていたまま、11月20日南京追撃が指令され、正式な命令のないまま強行された南京攻略は、日本国民の期待とあいまって、12月01日正式に決定された。南京の特別市の全面積は東京都、神奈川県及び埼玉県を併せた広さで、11月末から事実上開始された進軍から南京陥落後約6週間までの間に、数万人ないし30万人の中国国民が殺害された。いわゆる「南京虐殺」の内容(組織的なものか、上層部の関与の程度)、規模(「南京」という空間や、虐殺がされたという期間を何処までとするか、戦闘中の惨殺、戦闘過程における民家の焼き払い、民間人殺害の人数、便衣兵の人数、捕虜の人数、婦女に対する強姦虐殺の人数)等につき、厳密に確定することができないが、仮にその規模が10万人以下であり(あるいは、「虐殺」というべき事例が1万、2万であって)、組織的なものではなく「通例の戦争犯罪」の範囲内であり、例えばヒトラーないしナチスの組織的なユダヤ民族殲滅行為(ホロコースト)と対比すべきものではないとしても、「南京虐殺」というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告Aがその被害者であることも明らかである」。
 結論が如上のとおりである限り全く不要な叙述で、井上薫のいう「司法のしゃべりすぎ」(新潮新書、2005参照)の典型例だ。かつ「歴史認識」に関係するためにさらに悪質だ。「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告Aがその被害者であることも明らかである」との判断まで示したこの判決を書いたのは、伊藤剛、本多知成、林潤の三裁判官だ(伊藤が裁判長)。
 この人たちは歴史家のつもりなのか。「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところ」などと普通の人でも簡単には書けない。国家行為の一つの判決に書けるとはどういう神経・精神構造の持ち主だろう。
 上に引用の文章の直後にはこう続けている。「南京虐殺は日本軍及び日本兵の残虐さを示す象徴として当時から世界に喧伝されていた(…少なくともその当時我が国は「世界の孤児」であり、真実の友邦はなく、ほとんどの国から警戒され、敵対されていたものである。そのような状況からして、政治的意図をもって、その当時及び我が国の敗戦直後誇大に喧伝されたという側面があるかもしれないが、そうであるからといって、「南京虐殺」自体がなかったかのようにいうのは、正確な調査をしようとせず、「南京」の面積と当時の人口が小さいとし、結局、現時点において正確な調査や判定をすることが難しいことに乗じて、断定し得る証明がない以上事実そのものがなかったというに等しく、正当でないというべきであろう。)」。
 先に引用の部分と併せて、この長い叙述は一体何だろう。「原告Aがその被害者であることも明らかである」と書いた直後に「…当時から世界に喧伝されていた」と述べるが、この後者は被害=損害発生の事実認定のための理由づけのつもりなのだろうか。さらにその後の()内は一体何だろう。「断定し得る証明がない以上事実そのものがなかった」という主張を「正当でない」と非難しているが、これは裁判官が吐くべき言葉だろうか。不法行為・損害賠償請求訴訟において原告に加害行為の事実の立証責任があるのは常識的だが、あえて逆のことを述べている。この判決は「本件に関する基本的な事実関係」につき「認識するところ」を「当裁判所の限られた知見及び能力の範囲内」で「一般的な歴史書物」等に依って「最小限度で言及」すると前の方で述べているので、歴史の「基本的な事実関係」については法的な立証責任の問題と無関係に「認識」しているのだろう。だが、かかる方法は歴史認識について適切なのか。また、既述のように、そのような「認識」を「示す」必要性はそもそもなかったのだ。
 中国人は戦争(日本軍人による)被害につき日本国に対して損害賠償請求権を持たないと述べるだけで訴訟の処理としては十分だ。日本軍人による損害がかりにあってもとか、戦争損害の有無にかかわらずとかを付加し、その余の諸点を論じるまでもなく、と書けば十分だ。にもかかわらず、何故この判決は(引用しないが)14世紀からの!中国・日本の歴史を長々と書くのか。上海攻略後、「日本軍及び日本兵は、…心身ともに消耗、疲弊した兵士らの士気低下、軍紀弛緩等が問題となっていたまま」などとさも<見ていたかの如く>書けるのか、つまりは「認識」できるのか。この判決は、従って三裁判官の神経は、常軌を逸している、と思う。なぜこうなったのか。三裁判官の基本的な対中「戦争」観・贖罪意識によるのではないか。(つづく)

0018/一審-土肥章大、田中寿生、古市文孝、二審-石川善則、井上繁規、河野泰義。

 百人斬り虚偽報道謝罪広告請求事件で最高裁でも原告敗訴だったことはネット情報で知ったが、月刊WiLL3月号でも稲田朋美自民党議員・弁護士がこれに触れている。たしかに高裁判決が「本件日日記事…の内容を信じることはできない…、…戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と述べつつ、「全くの虚偽であると認めることはできない」と結論づけるのは矛盾しているように見える。だが同氏も言うように、裁判所は、「全くの虚偽」と心証形成させるだけの厳しい立証を原告に課したのだろう。
 ネット上で一審・二審判決の全文が読めるが、先月に、煩わしくも理解しようと努めてみた。問題は「次の諸点に照らせば」と判決が言う「次の諸点」で、その中には「少なくとも、両少尉が、浅海記者ら新聞記者に話をしたことが契機となり、「百人斬り競争」の記事が作成されたことが認められる」、「少なくとも野田少尉は、本件日日記事の報道後、「百人斬り競争」を認める旨の発言を行っていたことが窺われる」などがある。
 これらを一読して感じたのは、一審・二審の裁判官は、「時代の空気」の差異を知らず、現在と当時の「歴史的状況の違い」を無視しているのでないか、ということだ。日日(現在の毎日)の他に朝日も、当時は戦意高揚の記事を書き、戦争を煽っていた。そのような雰囲気の中で両少尉が当時ならば自らを「軟弱兵」視させるような「真実」を当時に語れるだろうか。
 一審の裁判官は土肥章大、田中寿生、古市文孝、二審のそれは石川善則、井上繁規、河野泰義で、各々最初に記載の者が裁判長だ。関心をもつのは、この6名は何新聞を購読し、あの戦争に関する知識がどの程度あり、いかなる「歴史認識」をもっているか、だ。本多勝一・朝日と同じ<日本は悪いことをした>史観なら、こうした判決にもなるだろう。法律的議論を超えているつもりはない。心証形成の自由の中で微妙にであれ「歴史認識」が影響を与えなかったのか、という疑問が生じるのだ。
 周知のとおり、「百人斬り競争」の咎で向井敏明・野田毅両少尉(当時)はB・C級戦犯として南京郊外でまともな裁判もなく処刑死した。東京日日(現毎日)の報道記事が殆ど唯一の証拠だった。処刑直前の、無実を訴えつつ死の覚悟・肉親との別れれの言葉を綴る獄中日誌を読むと、遺族ならずとも表現し難い怒りの如き感情が湧いてくる。この件は東京裁判等とともに一般には忘れられていたが、これを掘り起こし死者に鞭打ったのが、朝日の本多勝一だった。彼は1971年の中国の旅(朝日文庫、現在でも売っている)で、当地の中国人の「証言」をそのまま書き写した。日本刀での「百人斬り競争」の不可能を山本七平氏が私の中の日本軍(のち文春文庫化)で書いたり、本多の本は「南京大虐殺」に触れるものであったため、鈴木明氏の「まぼろし」とする本も出たりした(現在、ワック文庫化)が、本多の本により苦痛と悲しみをさらに受けたのは向井・野田両氏の遺族だった。両氏の大きな写真が現在、南京の抗日(南京大虐殺)記念館に貼られているという。
 「百人斬り謝罪請求」訴訟の一審・二審判決は本多の書いたことが真実だと認定したわけでは全くない。ただ、例えば「真偽は定かでないというほかないが、これを直ちに虚偽であるとする客観的資料は存しない」と言うにすぎない。朝日の組織とその「権威」に屈したわけではないだろうが、判決は「全くの虚偽」とまでは認定しなかったわけだ。とすると、ただちには「全くの虚偽」と見抜かれない文書や証人を意識的に「でっちあげて」おけば、訴訟と学問的歴史研究は同一でないとは思うが、人の名誉毀損も歴史の改竄も「完全な反証」のできないかぎり可能となる。それでいいのか、大いに疑問だ。

0017/民主主義は本質的に、民衆とメディアを俗悪化させ、政治を腐敗させる。

 「民主主義」に特段の大きな疑問を持たなかった頃は、選挙の際の投票率は民主主義の成熟度、日本人の政治的成熟度を示すもので、例えばドイツと比べてのその低さは日本人の「未熟さ」を示していると思えて、嘆きたい気分があった。だが、昨日も言及した中川八洋の本を読んで、少しは変わった。長谷川三千子の新書・民主主義とは何なのか(文春新書、2001)でも知ったのだったが、民主主義はもともとは悪いイメージの言葉だった。すなわち、デモ・クラツィアとは<正しい判断のできない愚弄な大衆の支配>が元来の語義で、排斥されるべきものだった(中川は「民主主義」との訳は誤りで、イズム=主義ではなく「民主制」又は「民衆参加政治」が正しい旨を書いているが恐らくその通りだ)。だが、良きものとして民主主義が採用された以上、「衆愚政治」になる可能性があるのはその本質上明らかなことだ(単なる危険・逸脱ではなく、民主主義の理念そのものが内包している)。
 可能性どころか、現実にすでにそうなっているともいえる。私は小泉純一郎に好悪いずれの感情も持たないのだが(むろん宮本顕治・不破哲三よりは好感をもつが)、一昨年の小泉自民党圧勝は「正しい判断のできない愚弄な大衆」の感情をたまたま?巧く掴んだ者たちの勝利だった、というのは完全な間違いだろうか。
 中川八洋の本p.312-3は平等主義と結合している民主主義は本質的に、大衆を、そして大衆を相手とする「ジャーナリズム界」を「俗悪化」させる、と説く。全面的に誤った指摘では少なくともないだろう。
 もう少し詳しく正確に引用するとこうだ。-「デモクラシーは平等な教育と門地による差別の完全撤廃を伴うから(大学などの)高等教育機関や(新聞・テレビの)ジャーナリズム界につねに「大衆」そのものの疑似知識層を大量に輩出させる」。「これにより…国民全体の精神を野卑の方向に大幅に低下させる教育と煽動がさらに行われるので、俗悪化はますますひどくなる」。「これらの疑似知識層は「大衆」の精神を昂めず逆に卑しくさもしい欲望のみを刺激し、煽動する」。「これらの疑似知識層こそ…あたかも向上の道を説くかの演技(スタイル)をしつつ、心底ではみずから個人の利己一点張りで…、政治の品格をより下降せしめる。また、彼らには公共心は欠如して存在しておらず、現に彼らの「主張」は、…政治を、必ず腐敗に導く働きしかしていない」。
 確認しておけば、ここでの「大衆」から生まれた「疑似知識層」とは、大学等や新聞・テレビ等に「巣くっている」教員やジャーナリストだ。

0016/米国下院慰安婦問題対日非難・首相謝罪要求決議を回避する方法はないのか!

 自民党による再調査等は結構なことだ。だが、それで間に合うのか。
 週刊新潮3/29号の連載コラムで櫻井よしこは、前号に続いてなおも米国下院慰安婦決議案問題を扱っている。大きくは報道されなかったが、数日前の読売か産経によれば、同決議の本会議採択は5月にずれる見込みらしい。安倍訪米の後になるのはよいが、訪米中の安倍首相に厄介な関連質問が押し寄せる可能性もある。
 櫻井は言う-「米国の良識ある人々の反応を見て、中国を筆頭とする国々の反日情報戦略がここまで功を奏するに至ったことに嘆息せざるを得ない」。ホンダ議員の選挙区に本部がある「世界抗日戦争史実維護連合会には、中国共産党政府の資金が注入されていると考えるべきであり、一連の展開は…長年の、そして数多くの反日活動の一環だと断じざるを得ない」。「決議案は中韓両国による反日連合勢力の結実で、その中に米国が取り込まれつつある」。「これだけ広く浸透した汚名をそそぐには、個々の政治家や少数の言論人の力だけでは不足」だ。「拉致問題で行ったのと同じ手法で安倍首相の下に力を結集し、対策本部を設置する」しかなく、「5年でも10年でも」、「くじけず、誇り高く、事実を語り、世界を説得する心構えを新たにせよ」。
 基本的には彼女の主張のとおりだと思う。しかし、下院本会議で決議されてしまったら、どういう事態になるかと想像すると怖ろしい。5年も10年もじっくりと努力していけるのだろうか。
 当面中韓や米国の一部議員・マスコミを刺激するかもしれないが、河野洋平こそが、かつての事実を(事実確認をきちんとすることなく詫びてしまったこと、強制的「性奴隷」化等の事実は存在しなかったことを)全世界に向けて表明すべきだ。宮沢喜一も当時の首相としての政治責任を全世界に明らかにすべきだ。むろん当面は混乱する。しかし、決議がとおり、米国議会で、<従軍慰安婦強制連行>が歴史的事実と認定されることによる未来永劫に残る禍根に比べれば、ずつとマシだ。

0015/網野善彦・歴史としての戦後史学(洋泉社新書、2007.03)を少し読む。

 網野善彦・歴史としての戦後史学(洋泉社新書、2007.03)は一部読んだが、相当に面白い。網野(1928-2004)の本は持っているがまともに読んでおらず、主として中世について仕事をした人でマルクス主義的でなさそうだ位の印象しかなかった。
 この本の初めの方によると、網野は東京大学史学科学生となった1947年の「後半には左翼の学生運動の渦中」に入り、48年に民青同盟の前身ともいえる民主主義学生同盟の組織部長・副委員長をし、49年以降歴史学研究会等で学習・研究しつつも、1953年夏頃、「戦後歴史学の流れから完全に落ちこぼれた」(p.51)。明記はないが、諸々の叙述からみて47年後半に日本共産党員になったことはほぼ明らかで、かつ53年に共産党の主流又は積極的活動家ではなくなったようだ(たぶん離党したのだろう)。それは、院に進学せず、失業ののち高校教諭として長らく過ごした経歴でも解る(たぶん党員でなくなり、党員なら得られる社会的「特権」を享受できなかったのだろう)。
 興味深い第一は、戦後の少なくとも1950年代後半までの日本史学界は日本共産党の動向と密着して揺れ動いたことだ。学問と政治の一般的関係からすると信じ難いが、例えば1.「1950年から52年にかけて…日本共産党は…民族の独立という旗印を掲げ、非合法活動を含む政治活動を開始していました。その影響は歴史学界に強烈に及び、殊に歴史学研究会や民主主義科学者協会、日本史研究会は、まともにこの影響」を受けた(p.42-43)。52年の歴研の大会の余興では「山村工作隊の紙芝居」まであったという。2.日本共産党内の国際派(宮本顕治・志賀義雄ら)・所感派(徳田球一・野坂参三ら)の対立は学者にも及んで、前者が井上清・鈴木正四ら、後者は石母田正・藤間正大らだった(p.44)。すごい話だが、学者たちが同時に日本共産党員であれば不思議でも何でもない。
 第二は、網野がおそらくは共産党員だった時期の自分を、「戦争犯罪人そのものであった」と明瞭に反省していることだ。網野は「序にかえて」で書く-「自らは真に危険な場所に身を置くことなく、…口先だけは「革命的」に語り、「封建革命」、「封建制度とはなにか」などについて、愚劣な恥ずべき文章を得意然と書いていた」その頃の私は「自らの功名のために、人を病や死に追いやった「戦争犯罪人」そのものであった」、1953年夏にそうした「許し難い自らの姿をはっきりと自覚した」。この文は2000年に書かれたようだが、網野のその後の人生は「二度とそうした誤りはくり返すまいという一念に支えられてきた」、という(p.12)。こうまでの自己批判をする必要がある具体的理由は定かでないが、おそらくはマルクス主義又はそれを体現化した日本共産党という組織や党員に、教条性・傲慢性・場合によっては暴力も厭わない残虐性等々を感じたのだろう。大学の後輩や若い人を火炎瓶闘争等の暴力行為へ煽って官憲による逮捕等により肉体的・精神的苦痛を受けさせたことへの罪悪感もあったかもしれない。
 第三に、網野は、マルクス主義史学が主流だった「戦後歴史学の50年」を振り返って、人が努力すれば「歴史は進歩する」という近代以降の自明の前提が「現在にいたっては」、「根本から崩れつつある」、との認識を示している(p.23-24)。私もまた感じているのだが、奴隷制→農奴制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義という「段階的発展」史観は明らかに誤謬だし、その他の「進歩し続ける」との史観は願望・信念あるいは宗教にすぎないだろう。上のように総括できるということは、網野は戦後日本史学のマルクス主義による「呪縛」からかなり自由だったことを意味するだろう。
 なお、羽仁五郎・井上清らの歴研「乗っ取り」事件のことや永原慶二、黒田俊雄らのマルクス主義歴史学者の名も出てきて関心をそそる。また、「乗っ取り」クーデター後に井上清らが会長にすべく津田左右吉と平泉で会見したのち、たぶんそれを契機に津田は反マルクス主義の論文を書いた、それで掲載予定の岩波・世界の編集者が「手直し」をお願いした、というエピソード(p.34-35)は面白い。戦前に日本書記等の信憑性を疑った津田左右吉は戦後にマルクス主義学者によって祭り上げられたが、彼自身はマルクス主義者ではなかった。
 なお、網野の本は、マルクス主義に批判的というだけで(たぶん共産党員学者は彼を「落伍者」と見ていただろう)、例えば岩波書店からは絶対に刊行されないと思われる。もともとこの本は、日本エディタースクール出版部刊のものが洋泉社新書になったものだ。洋泉社は、失礼ながら、大手の又は著名出版社ではないだろう(但し、洋泉社新書にはいいものも多い)。学問・文化・思想と出版社の関係における「政治」又は「党派」というテーマで、誰か書いていないだろうか。出版業界の「裏」を暴くような出版物は出にくいには違いない。

0014/一面で大きく-PAC3の配備。

 この記事は、産経新聞では朝刊11面の右上に出ている。埼玉県の入間基地に3/29にPAC3が配備されること、SM3(海上配備型迎撃ミサイル)なるものの配備も進めて2010年までに(北朝鮮等からのミサイル攻撃への)迎撃態勢を整える予定であること、といったことも含めて、国防の基本にかかわることで、第一面に配置してもいいのではないか。軍事に関する知識について威張れる私ではないが、軍事技術の詳細はともかく、「自衛隊」や米軍の基本的な動きくらいは、多くの国民が一般的知識として共有すべきものと思う。

0013/「科学的社会主義」とは「宗教のようなもの」でなく「宗教」そのものだ。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)全358頁もあと30頁程で全読了となる。早く同・保守主義の哲学(PHP、2004)も読み終えて、自称ハイエキアン憲法学者・阪本昌成の二著、すなわち同・リベラリズム/デモクラシー(有信堂、1998)、同・法の支配(勁草書房、2006)に向かいたいが、読書のみの生活というわけにはいかない。自由な元気に過ごせる時間だけは緩慢に進んでほしいものだ。
 共産党について又は共産主義について、「宗教のようなもの」という批判的な立場からの言葉を聴いたことが複数回ある。だが、日本共産党の奉じる共産主義とは、あるいは「科学的社会主義」とは、「宗教のようなもの」ではなく「宗教」そのもの、ではないか。ケインズとハイエクといえば、二人とも社会主義者ではないが、個人(のとりわけ経済活動)に対する国家の介入の容認の程度につき正反対と言ってもよい主張をしている学者又は思想家だった筈だ。但し、中川・上掲書p.237-8によれば、二人とも、共産主義又はマルクス主義を「宗教」と見ていた。中川が「レーニンによる共産ロシアを宗教国家と断じている」とする二人の文は次のとおりだ。ケインズ-「レーニン主義は、偽善者に率いられて迫害と宣伝を行なっている少数の狂信者の宗教」だ、「レーニン主義は宗教であって、単なる政党ではない」(「ロシア管見」全集9巻)。ハイエク-過去の何万もの宗教は「私有財産と契約」を認めず、「認めなかったものはすべて滅び、長続きしなかった。共産主義と呼んでいるものもこの迷信ないし宗教」に含められる(「文明社会の精神的病」エコノミスト1981年12月)。
 (少なくとも真面目な?)日本共産党員の中には共産党への批判・攻撃に対して「反共!」とだけ言い、又は思って、相手にしないで罵倒して、それだけで「勝った」と思う者(バカ)も多いだろう。だが、反共産主義とは、一部の偏狭な「右翼」と称される者のみの考え方ではない。「反共!」で済ませず、きちんと反共産主義に反駁するためには、ハイエク、ポパー、アレント等々も読んでからにすべきだ。と書きつつも、これらの人々の本を読むのを私も今後の楽しみにしているのだが(すでにかなり収集した)、私がマルクス、エンゲルスや共産党の文献を読んでいる程度にも反共産主義(自由主義、資本主義、保守主義と種々に表現できる)の文献を知らないままでは、彼らは、思考を停止して「信じる」だけの、「科学的社会主義教」という宗教(簡単に「共産教」でもよい)の宗徒にすきないだろう。資本主義から社会主義(さらに共産主義)へと不可避的に「発展」するという「予測」は、「科学的」でもなんでもない。ただの「信仰」であり、かつ「狂信」だ。

0012/石原慎太郎候補の圧勝を願う。

 東京都民ではないが、石原氏が再選してもらわないと困る。
 年齢を考えると、適当な別の候補を育てていれば、と感じなくもないが、今となってはそんなこと言っておれない。それに、健康面での問題はなさそうだ。
 浅野史郎には、思想も哲学もない。あるのは、情報公開制度の利用のさせ方も含む「行政技術」だけだ。
 それに何より、上野千鶴子、吉田康彦ら、有象無象の反体制派・所謂「左翼」が日本共産党の吉田某よりは当選可能性があるというだけで支持、応援している候補を都知事にしていいわけがない。
 確認はしていないが、佐高信・筑紫哲也・石坂啓ら週刊金曜日関係者・同読者は(都民であれば)浅野に投票するだろう。
 上野千鶴子、佐高信、筑紫哲也、石坂啓らが喜ぶ顔を想像するとぞっとする。
 千葉県知事・堂本暁子が浅野候補を応援したいというのは、同知事・堂本暁子がれっきとしたフェミニストなのだから当然だろう。
 東京都の有権者の方々は、都庁をフェミニズム、アナーキズム、残存マルクス主義、似非「市民主義」、親北朝鮮等々の牙城にしないように、断固として賢明な結果を示していただきたい。

0011/日本共産党よ、32年テーゼ・50年批判はスターリンの時代ではなかったのか。

 腑に落ちない、こと又はもの、は沢山あるが、ソ連崩壊に関係する日本共産党の言い分は最たるものの一つだ。
 同党のブックレット19「『社会主義の20世紀』の真実」(1990、党中央委)は90年04月のNHKスペシャル番組による「社会主義」の総括の仕方を批判したもので、一党独裁や自由の抑圧はスターリン以降のことでレーニンとは無関係だなどと、レーニン擁護に懸命だ。昨日に触れたが、2004年の本で不破哲三氏はスターリンがトップになって以降社会主義から逸脱した「覇権主義」になったと言う。そもそも社会主義国ではなかったので、崩壊したからといって社会主義の失敗・資本主義の勝利を全く意味しない、というわけだ。
 だが、後からなら何とでも言える。後出しジャンケンならいつでも勝てる。関幸夫・史的唯物論とは何か(1988)はソ連崩壊前に党の実質的下部機関と言ってよい新日本出版社から出た新書だが、p.180-1は「革命の灯は、ロシア、…さらに今日では十数カ国で社会主義の成立を見るにいたりました」と堂々と書いてある。「十数カ国」の中にソ連や東欧諸国を含めていることは明らかだ。ソ連は社会主義国(なお、めざしている国・向かっている国も含める)でないと言った3年前に、事実上の日本共産党の文献はソ連を社会主義国の一つに含めていたのだ。判断の誤りでした、スミマセン、で済むのか。
 また、レーニンの死は1924年、スターリンが実質的に権力を握るのは遅くても1928年だ。とすると、日本共産党によると、1928年以降のソ連は、そしてコミンテルン、コミンフォルムは、社会主義者ではなく「覇権主義」者に指導されていたことになる。そしてますます腑に落ちなくなるのだが、では、コミンテルンから日本共産党への32年テーゼはいったい何だったのか。非社会主義者が最終的に承認したインチキ文書だったのか。コミンフォルムの1950年01月の論文はいったい何だったのか。これによる日本共産党の所感派と国際派への分裂、少なくとも片方の地下潜行・武装闘争は非社会主義者・「覇権主義」者により承認された文書による、「革命」とは無関係の混乱だったのか。
 1990年頃以降、東欧ではレーニン像も倒された。しかし、日本共産党はレーニンだけは守り、悪・誤りをすべてスターリンに押しつけたいようだ。志位和夫・科学的社会主義とは何か(1992、新日本新書)p.161以下も参照。  レーニンをも否定したのでは日本「共産党」の存立基盤が無になるからだろう。だが、虚妄に虚妄を重ねると、どこかに大きな綻びが必ず出るだろう。虚妄に騙される人ばかりではないのだ。
 なお、私的な思い出話を書くと、私はいっとき社会主義・東ドイツ(ドイツ民主共和国が正式名称だったね)に滞在したことがある。ベルリンではない中都市だったが、赤旗(色は付いてなかったがたぶん赤のつもりのはずだ)をもった兵士のやや前に立って、十数名の兵士を率いて前進しているレーニン(たち)の銅像(塑像)が、中央駅前の大通りに接して立っていた。
 数年前に再訪して少し探して見たのだが、レーニン(たち)の銅像が在った場所自体がよく分からなくなっていた。
 レーニンまでは正しくて、スターリンから誤ったなどとのたわけた主張をしているのは日本共産党(とトロツキスト?)だけではないのか。もともとはマルクスからすでに「間違って」いたのだが。

0010/佐高信が何故読売新聞紙上で城山三郎氏の追悼文を書くのか?

 城山三郎が79歳で逝去(1927-2007)。広田弘毅に関するもの等二、三の小説を読んだことがあり、悪い印象はない。だが、読売の朝刊は、なぜ佐高信などにけっこうな字数を使った追悼文を書かせたのか、奇妙だ。佐高信といえば週刊金曜日の代表編集人で、昨秋11/19には皇室をパロディーにした集会も主催した。最近の同誌は警察による朝鮮総連関係団体への捜索を「朝鮮戦争前夜」を思わせる「異常さ」と書き(同誌取材班名義)、朝鮮総連の「弾圧糾弾」との主張と歩調を合わせていた。
 読売がなぜこんな人物を使うのかが解らない。読売はときどき奇妙な記事を載せ、主張をすることがある。
 佐高信は最後の方で、城山は叙勲を固辞した、「その意味するものをくみとってほしいと願う」と書いて佐高自身の「左翼」ぶりを存在証明している。城山氏のその態度が何を意味するのか私はよくわからないが、反天皇、反権力、反国家を意味するのだとすれば、そのような作家を読売は大きくとり上げて死亡・追悼の記事を載せるべきではなかろう。それに城山の小説に関する私の記憶では、反天皇、反権力、反国家の姿勢は感じられなかった。
 佐高の文の中で注目してよいのは、広田弘毅、石田礼助、井上準之助という城山の小説のモデルとなった人たちを「あるいは少数派かもしれないが、誇るべき日本の財産である」と明記していることだ。この中の広田弘毅は言うまでもなく所謂東京裁判の所謂A級戦犯として、たしか軍人以外では唯一人、死刑(絞首刑)になった人だ。佐高信がこれまで及び今後、広田弘毅を含めた所謂A級戦犯を批判し、貶めるような文章を書いていないか(書かないか)、監視しておく必要がある。
 内館牧子・女はなぜ土俵にあがれないのか(幻冬舎新書、2006)の最初57頁と最後の33頁を読了。主張はごく自然で納得できるし、最後に示してある改革案にも賛成だ。それにしても、第一に、この大相撲の土俵に関する「女性差別」問題らしきものも、議論を煽り、「女性」を応援したのは、この本で読むかぎりは、やはり?朝日新聞であることが分かる。朝日は混乱・錯乱を好み、表向きは「差別」反対なのだ。第二に、大阪府の太田房江という女性知事は大した人物ではないことも分かる。戦後教育の優等生、東京大学卒、元上級通産官僚では、日本の歴史・伝統・「国技」に関する特別の知識も教養も身につけていないのだろう。法律にもとづく男女共同参画行政もしている筈で、よく分からないが、フェミニズムに抵抗感がない可能性もある。これらは東京都知事候補・浅野史郎と同じだ…。

0009/日本共産党2004年綱領と不破哲三の本を瞥見する。

 1991年のソ連解体と東欧諸国の「自由」化によって<冷戦>は終わったとも感じたが、またそのように理解している人が多いかもしれないが、東・東南アジアには中国・北朝鮮・ベトナム・ラオスがあり前二者は日本への現実的脅威なのだから、少なくとも東アジアでは<冷戦>は継続していると見るのが正しい。<冷戦>とは、戦争に至らない、社会主義経済・・共産党独裁政治と資本主義経済・自由主義政治の戦いであり、日本国内でも前者を目指す又は前者に甘い勢力は残存しているので(日本共産党・社会民主党・これら周辺の団体等)、国内での戦いも継続している。
 
日本共産党もHPをもつことを昨年になって知ったが、そこに出ている2004年改正の同党綱領に「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」とある。ここにすでに虚偽がある。戦後もかなり後からの造語「科学的社会主義」をさも当時の概念かのごとく使っているのは別としても、<共産主義インターナショナルの日本支部として、天皇制と日本帝国主義の打倒をめざして(=大日本帝国の敗戦・崩壊をめざして)、ソ連共産党の理論的・財政的援助を受けて設立されました。>と正確に記述すべきだ。そのあとで「たたかった」を6つ並べていて戦前に一貫して継続的に「たたかった」かのごとく書くが、これも虚偽=ウソだ。長く見たとしても党としての活動は1934年くらいまでで、10年間以上は見るべきものはない。獄中で「帝国主義戦争反対」と念仏の如く呟くことも「闘い」だったというなら話は別だが。それに、1934年頃の中央委は半分以上がスパイで実質は特高にコントロールされていたのだ(笑っちゃうね)。22年以降一貫してでなく、1961年の新綱領制定・宮本体制の確立が実質的には現在の党の開始で、これは自民党、日本社会党よりも遅い。そのあと、「平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けた」、ポツダム宣言受諾は「日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示し」、「党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明した」と書く。よくもまぁヌケヌケととは、こういう文章にこそあてはまる。まずは自党の党員を騙す=洗脳しておく必要があるのはわかるが。
 同綱領は1989-91年のソ連・東欧の共産党支配の崩壊は「社会主義の失敗」ではなく、これらは「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」だったので「資本主義の優位性を示すものとはならな」い、と明記する。だが、これはどう見ても<後出しジャンケン>だ。つまり、ソ連等の崩壊のあとでソ連は「覇権主義」の「歴史的巨悪」で「社会主義国」でなかった、と言い立てる。では、日本共産党は、ソ連は「社会主義国」でないといつから言い始めたのか。ソ連の崩壊以降ではないか。不破氏も、例えば1977年日本共産党党大会でソ連は「社会主義の生成期」と見ていて社会主義をめざす国であることを否定していなかったと明記している。不破・新日本共産党綱領を読むp.184(新日本出版社、2004)参照。ソ連共産党に対する自主性があるかに見えたルーマニアを社会主義志向国と見つつ同共産党の大会に出席したのはチャウシェスクが殺された2年半前ほどではなかったのか。1950年代からスターリンのソ連は社会主義とは異質な国と主張していたならともかく、1992年以降になってよくもヌケヌケと自分たちを合理化する言辞を考え出せるものだ。恥ずかしいとは思わないのか。党の言うことを信頼していた党員・シンパに謝罪するつもりはないのか。
 日本共産党にとって今の希望の星は中国、ベトナム、キューバのようだ(北朝鮮は挙げていない)。不破・党綱領の理論上の突破点について(日本共産党、2005.03)p.77以下は、中国の「社会主義的市場経済」を「理論」的に?擁護している。すなわち、レーニンはロシアでは実践しなかったが「市場経済を通じて社会主義」へという路線の可能性を肯定しており、「中国やベトナム」はレーニンが構想した「道」に新たに挑戦している、のだとさ。
 不破氏が2005年に中国、ベトナム、キューバは「社会主義」に向かっている国である旨明記していることを我々はきちんと記憶しておこう。中国共産党の支配が崩壊したあとで、中国は「真の社会主義国」でなかった、となど言われるとシラケルからね(もういい加減白けているけど)。上の本では「専門家筋の観測では、中国の経済規模がやがて日本を抜き、ついでアメリカに追いつき、さらに上回ってゆくことも時間の問題だという見通し論が、いよいよ強くなっているようです」(p.71)とも書いている。このハシャギようは、予測が外れるとどうなるのだろう。楽しみでもあり、空怖ろしくもある。

0008/マルクス主義・社会主義国は何故簡単に大量殺戮するのか。

 20世紀は二つの大戦を経験して「戦争の世紀」とも言われる。しかし、第一次・第二次を合わせた大戦による死亡者(戦闘員・一般国民ともに含む)よりも多数の死亡者を出したものがある。共産主義であり、「社会主義国家」だ。中川八洋・正統の哲学…(徳間、1996)p.284は、根拠資料を示すことなく「総計で約二億人の殺害」と記す。その中にはカンボジアでのポル・ボトによる自国民の殺戮も当然含まれ、中川著p.237は「スターリンだけでも四千万~七千万の大量殺戮」とも書く。
 とすると、二〇世紀は「戦争の世紀」よりも、社会主義による殺戮の世紀と言った方がより適切ではなかろうか。ロシア革命により「社会主義国」が生れ、社会主義国の国家権力によって少なくとも1億人の国民が殺戮され(処刑・暗殺の他、収容所送り又は政策失敗が原因の飢餓によるものも含む)、社会主義国の大部分が1990年以降に崩壊した、というのが、20世紀の歴史の最も重要な流れ・基本線と見るべきではないか。従って、研究対象としては、ドイツ・ファシズムや日本軍国主義よりも共産主義と社会主義家こそが重要だ。
 なぜ共産主義が生れ、一時期は成功し、ほとんどの国で失敗に終わったのか、また何よりも、なぜに社会主義国において自国の政府によって少なくとも1億人の人々が殺戮されなければならなかったのか。
 スターリン、毛沢東、ポル・ポト等々の「人柄」・「性格」によるのではないことは間違いない。そして、依拠した思想、すなわちマルクス(・レーニン)主義が原因であることは明確だ。だが、なぜマルクス主義はかくも人命を軽視する(した)のか、というのはなかなか難しい問題だ。「全体主義」だから(この概念も使い方がかなり難しい)、国家・公共を個人よりも優先するから、というだけでは解り難い。中川・上掲書p.280-1は、簡単にコントを使って説明している。彼によると、「コントとヘーゲルを読めば誰でも「マルクス」になる」らしいのだが(p.279)、コントは、人の知性の発展により社会が「進歩」するのは「哲学的な大法則」に従うもので、かつ「社会的進化が主として死(=世代交替)を基礎」とする、と理解した。そして、人類全体の進歩又は社会の進歩には「世代交替を一定のスピードで」行う必要があり、人類全体・社会の進歩が絶対的価値をもつために「個々人の人間的配慮はなく個々人はこの価値実現の単なる手段に堕されている」。かかるコント哲学を継承したがゆえにマルクス主義は「個々人の生命について一顧だにしない、大量殺戮をためらわない非人間性」をもつ、という。
 なおも不分明さは残るが、ルソーの「自由」が「立法者」・「一般意思」への全面的帰依、死(=じつは「自由」の全剥奪)をも躊躇しない自己犠牲、を意味することも思い出すと、「狂気」の思想が少しは解った気になる。

0007/呉智英の謬見は中西輝政がすでに指摘している。

 二度めだ。呉智英の提案はいわば奇を衒った、あるいはウケ狙いの氏独特の主張の仕方と思い、それまでの途中の文章をまじめに読んでいなかったのだが、よく読むと、「私は第九条基本的支持だ。戦力放棄を完全非武装ととるか専守防衛と解するかなど、さまざまな議論があるが、今そこには立ち入らない。ともあれ、戦後六十余年の日本の経済的繁栄と戦死者ゼロという「現実的平和」は間違いなく第九条に支えられてきた。そのような功利的観点から、私は第九条を支持したい。」という文があり、どうやら本気で九条を擁護し、前文のみの改正(削除)の主張も本気のようなのだ。
 呉の他の主張も知っていたし、産経紙上であったこともあって油断していた。そして、呉智英には、心底、失望した
 私の言葉で反駁してもよいが、中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2006)を引用して代えることにする。呉智英は実際にこの本を読んで、学ぶことなくなお反論するなら(別に逃げるのではないが)中西に対してして貰いたい。
 同書p.41以下はいう。憲法九条からは軍を自衛隊と戦車を特車言い換える等の無数の嘘が生じ、「嘘の上に嘘を上塗りする」傾向が続くが、その大嘘の「最たるものが、『憲法九条があったから日本は平和を維持できた』という戦後神話」だ。これは「明らかな倒錯した言説」で、なぜなら、第一に、憲法九条の如き条項をもつ国は(コスタリカはそうらしいが一部の小国を除いて-秋月)存在しなかったのに二次大戦後は世界大戦が回避された。日本の憲法九条とは無関係に「世界の大部分の国は日本同様、平和を維持してきた」。日本と異なる憲法をもつ(そして正規の国軍を持つ)国も、「大半の国が60年の平和を享受しえた」。九条を平和と関係づける言説は、実は特殊な宣伝目的の(つまり中国・ソ連が米国よりも不利にならないための「社会主義支持の目的」の)「いわば詐欺的言辞」だった。
 第二に、ではなぜ世界平和が維持されたかというと、「米ソ両大国が核兵器を持ってにらみ合う冷戦体制があったから」に他ならない。
 第三に、日本に限定した話としても、「日米安保こそが戦後日本の平和を支えた」のだ。日米安保がなかったら、九条があろうとなかろうと、「戦後日本はもっと早い時期にソ連の侵略を受けたか、あるいは、いわゆる間接侵略を受け、国内に社会主義革命、暴力革命が起こっていた」だろう。60年安保が「安保騒動」の程度ですんだのは「警察力の背後に自衛隊があり、その背後には米軍がいるということが、当時の日本の革命勢力、あるいはその背後にいた中国・ソ連にはわかっていたから」だ。
 もう一点、呉智英は「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」を支えたのも九条だという。この点についても、中西輝政は、九条のおかげで平和だったとまでは言わなくとも「戦後の民主化が高度経済成長を促した」という大嘘があるとして、言及している。p.45以下は言う。
 戦後改革による「民主化」や「平等化」は高度成長とは何の関係もない。占領軍の民主化を経験していない戦前の日本も高度経済成長をしていたし、平等化が経済成長を促進すると言うならばソ連等の崩壊はありえなかった筈だ。そこで(九条もあって)「軍事支出を極端に少なくしたこと」も経済成長に役立ったとの議論が必ず出てくるが、これも「間違った見方」だ。「社会の「民主化」や「軍事費削減」が経済成長の必須要因だとしたら、韓国や台湾、ASEAN諸国の経済成長や、まして現在の中国の経済成長」を説明できない。
 この程度にしておくが、最後の部分に私の言葉を追加すれば、韓国もドイツも九条のような条項を憲法に持たないが、「経済的繁栄」をしているのではないか。日本のような「繁栄」ではないと反論するだろうか。しかし、同じ九条のもとで、日本の経済成長の程度も、大きく伸びたり逆に下がったことも現にあるのであり、日本ですら「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」と大仰に表現できるような状況ではなかったと思われる。少なくとも、九条のような条項が憲法にあるか否かによって、日本とその他の国々、米国、ドイツ、韓国等々の経済伸展の程度を有意に区別できるはずはない。だが、九条があるために何か経済の状態に違いがあったとでも言いたいのが呉智英のようだ。
 反復するが呉智英には失望した。もうこの人の文章は読まないことにしたい。

0006/学者なら、その法案の具体的内容に立ち入っていただきたい。

 小林節の言うとおりで、憲法改正国民投票法は必要、民主党は参院選対策的すぎる、社民党・共産党は問題外だ。
 だが、学者なら、その法案の具体的内容に立ち入っていただく必要がある。先日同じ欄に百地章が現行案の内容の問題点をいくつか指摘していた。民主党が賛成しないならば、民主党との間で合意した修正案にこだわる必要はなく自民党の原案に戻せとの意見も自民党内にはあるようで、もっともなことだ。
 というわけで、憲法改正国民投票法の必要性一般の話だけではすでに時機遅れだ。
 ところで、小林節は季刊らしいサイトとかの雑誌に出て、自民党の改憲案を同雑誌編集長とともに批判していた。これについては、私の 
http://www.honey.ne.jp/~akiz/ の01/18で、次のように疑問視しておいた。
 以下、そのまま引用する。
 2007/01/18 (木)-「リベラル」雑誌上の小林・伊藤両氏は「法律のプロ」か?
 小林節・伊藤真両氏は「法律のプロ」との矜持がおありのようで、自民党改憲案を「専門家」らしく批判している所があるが、「言いがかり」のような指摘も見られる。1.二人とも「責務」を国語辞典どおりに「責任と義務」と理解している(p.53、p.62)。  学者執筆と見られる法律学用語辞典にも同旨のものがあるが、「義務より弱い」(p.53)との答の方が適切だろう。法的な又は厳密な意味での「義務」ではない、抽象的・理念的な行動指針的なものを「責務」と称するのだ。ご不審なら、男女共同参画社会基本法8-10条が定める国・地方公共団体・国民の各「責務」を見てみ給え。小林・伊藤は憲法しか知らないのではあるまい。
 2.小林は、自民党案9条の2第三項の「自衛軍」の<国際協調活動>につき、国連決議等プラス「日本の国会の決議」に基づく必要があるとする。だが、自民党案は「法律の定めるところにより、…行うことができる」とする。法律は国会が制定するのであり、「決議」以上の力をもつ。あとは法律で十分か事案ごとの逐一の決議まで必要かの問題なのに、「何の歯止めもない」、「そうです」と安易に答えているのには恐れ入った。
 3.同様に小林は、自民党案9条の2第四項の「自衛軍の組織…は、法律で定める」を、「あとは国会の多数でよしなに」で「権力を統制しきっていないから危ない」と批判する。これも奇妙だ。  内閣、中央省庁等の組織は現在でも法律で定めているではないか。彼は憲法自体が内閣、中央省庁等の組織を定めていないと「権力を統制しきっていないから危ない」と主張しているのと同じだが、この人が内閣法、内閣府設置法、国家行政組織法、防衛省設置法等が法律であるのを批判しているとは聞いたことがない。「自衛軍」のみ特別扱いする趣旨の主張ならある程度は具体的規定を提案すべきだ。また、憲法で「自衛軍」の組織・統制事項をいったん定めたら憲法改正によらないとそれらを変更できないという大きな短所もある。この人は「法律のプロ」か?
 伊藤真も上の2.3.と似たようなことを主張する。「自衛軍には何の歯止めもかかっていない」と言うが(p.66)、デマだ。また、案9条の2第三項の最後の「緊急事態」時の行動につき、「日本の軍隊の銃口が国民に向けられる可能性がある」とさも重大な点の如く批判する。これはむしろ当然のことだ。「緊急事態」時に武器・実力を行使して秩序を破壊することにより日本国政府の行動を制約し又は妨害して少なくとも客観的には外国を利する者たちが存在しうる。国民の全てが「平和」的な人たちではない。法学の優等生・伊藤氏は他の多くの同様の人々と同じく「軍隊」を国民の「敵」と見る「左翼」史観に無意識に冒されていそうだ。
 以上。

0005/憲法改正の発議要件を2/3から1/2に変えるだけの案はどうか。

 呉智英氏はどの程度本気なのか、現憲法前文の一部又は前文の全体の削除のみの憲法改正を主張しているようだ。
 気持ちは解らぬではない。私は現憲法の内容すべてそのままでもよいから一度国民投票にかけて「自分たちのもの」にしておくべきだとすら思う。もともとは1952年の独立=主権回復の際に国民投票にかけて(そのためには一回だけ通用の特別の法律が必要だっただろうが)、現憲法をオーソライズ(正統化)しておくべきだったと思うし、かりにオーソライズされなければ暫定的に効力を付与しつつすみやかに新憲法・自主憲法の制定に取り組むべきだった、と思う。
 当時の吉田茂の、自主憲法制定を政治課題とのしないとの決断は、朝鮮戦争、経済復興等々、米軍駐留によるとりあえずの安全保障といった事情はあるにせよ、現在も後世も評価が分かれてしかるべきだろう。
 その後も憲法改正できなかった最大の責任は、国会の1/3以上の議席を占め続けた容共政党+共産主義政党の「戦略としての平和主義」にある。だが、自由民主党の責任も頗る大きい。「国家」を忘れた池田勇人・宮沢喜一系(→河野洋平・加藤紘一)や田中角栄系が主流派になどなってはならなかったのだ。
 第三の責任者は、客観的には80%はマルクス主義に直接・間接に影響をうけているとみられる日本の憲法学界(そうした個々の憲法学者)だと思うが、今回はこれ以上の論及は省略する。
 元に戻って、呉智英氏の案は現実的では、むろん、ない。奇を衒い、又はウケを狙うのであれば、現憲法の改正条項・96条1項の国会・各議員の発議要件を「三分の二以上の賛成」から「過半数の…」に改正するだけの憲法改正案の提案はどうだろう。これだと今後も各院総議員定数過半数確保政党の「賛成」と実際の投票有権者の過半数の「承諾」で憲法改正できるようになる。政治状況・政治スタイルはまるで変わるだろう。

0004/朝日新聞の若宮啓文さん、返答できるなら返答してみなさい。

 朝日新聞のサイトの「コラム」にはまだ、恥ずかしげもなく、2006年12月25日の若宮啓文・風考計「言論の覚悟・ナショナリズムの道具ではない」が載っている。
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 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」
 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。 
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。
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 やはり若宮啓文という人は「おかしい」。こんな人が論説主幹の朝日も「おかしい」。教育基本法改正・防衛省設置法成立の日の夜、「キミには愛国心がないね」/学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。」だと。-ウソを書くな。最低限の心得だろう。
 古い話を持ち出したあと言う。「では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。…気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている」。-ヌケヌケと書いているが、朝日は「気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言」を浴びせたことはないのだろうか。朝日の論調のために「つい発言を控える人々」はいなかったのだろうか。そもそも歴史の捏造をし事実の虚報を放って「言論の「不自由」」以前の状態を作り出して、例えば慰安婦問題につき政府(河野)談話まで出させてしまったのはどの新聞社だったのか。若宮さん、恥を知りなさい。
 「100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権…」。-平気でこんなことを簡単に書けるとは呆れる。若宮さん、歴史を勉強しなさい。竹島を「いっそ…韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた有名な(いや悪名高い)050327コラムを、韓国の某氏も「共同統治」を唱えたと言い訳するが、その人は韓国の大統領・首相・外交通商相それとも大手新聞論説主幹のうちいずれに含まれる人なのか。はっきりさせて貰いたい。一若手学者にすぎないではないか。
 ほぼ最後にこう言う。「自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」。-この文に彼の真骨頂が表れている。日本人ではない「無国籍」者であることの宣言だ。かつ、ナショナリズムに一切の限定を付けずに自分=ジャーナリストは「ナショナリズムの道具ではない」という。これは、いかなる意味においても「ナショナリズム」には反対する、との宣言だろう。若宮さんはきっと北朝鮮拉致被害者家族会に何ら共鳴しない「冷酷」な人物に違いない。このコラム欄は今回で最後らしい。朝日新聞の減紙のきっかけが少なくなって、朝日には喜ばしいのではなかろうか。
 週刊新潮1/18号(新潮社)によると、若宮啓文さんは社長を狙っており、一方現秋山社長は若宮を切ると後任がさらに左派になる怖れがあり躊躇しているのだ、とか。恐るべし、いや驚くべき朝日だ。東京大学卒かつ長年の経験で、あの程度の文章しか書けない人物が、社長を狙えるとは!!
 万が一、上の「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない」との言明が適切だとしても、次のようにも語って貰いたい。「ジャーナリズムは左翼運動の道具ではないのだ」、「マルクス主義及びその亜流の道具ではないのだ」、「空想的・観念的平和主義の道具ではないのだ」、「国家を忘れた地球環境主義の道具ではないのだ」、「フェミニズム(又はジェンダー・フリー運動)の道具ではないのだ」。これらのどこに誤りがあるだろうか。若宮さんは、何故、なぜ「ナショナリズム」のみを問題にするのか。返答できるなら返答してみなさい。朝日新聞社の言論の「政治」的偏向又は極偏は、このコラムで典型的に吐露されている。

0003/フランス革命-1951年のソブール本と1987年のセディヨ本。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は刺激的な本で、第一部第一章第一節は「ロシア革命とは「第二フランス革命」」という見出しになっており、フランス革命の残虐性・狂気性およびマルクス主義・ロシア革命の重要な淵源性を指摘し、ルソー・ロベスピエールらを厳しく批判するとともに、より穏健なイギリス名誉革命を讃え、フランス革命時のイギリスの「保守」思想家バークらを肯定的に評価する。この本はフランス革命を肯定的・好意的に描く本は日本で多く翻訳され、消極的・批判的な本は翻訳されない傾向がある、という。また、肯定的・礼賛的なものの主要な四つのうち中央公論社の世界の名著中のミシュレのものの他はいずれも岩波書店から出版されている。そのうち、ソブール・フランス革命(上・下)(岩波新書、1989年各々42刷、39刷。初版、各1953年)を古書で入手した。
 1952年の時点での著者からの「日本の読者へ」の初め2行まで読んで(見て、に殆ど等しい)、たちまちぶったまげた。曰く-「20世紀、いいかえればプロレタリア革命―われわれはそれに終局的な人間解放の希望をかけているのだが―の世紀のちょうど中葉にあたって、日本の読者に…」。いかにスターリン批判がまだの時期とはいえ、のっけから、20世紀はプロレタリア革命の世紀で、それに終局的な人間解放の希望をかけている、とは…。岩波書店がこのパリ(ソルボンヌ)大学フランス革命史講座教授の1951年の本をさっそく新書化したのも分かる。岩波書店の<思想>にぴったりの内容だからだ。
 ソブールは上の言葉で始め、イギリスやアメリカの「革命」の妥協性や特異な限界を指摘してフランス革命は「人類の歴史の中で第一級の地位」を占めると自慢し、フランス革命は自由の革命、平等の革命、統一の革命、友愛の革命だった、とする。さらにこう続けているのが興味深い。-だが、経済的自由の宣言・農奴制廃止・土地解放によって「資本主義に道をひらき、人間による人間の新しい搾取制度の創設を助けた」。だがしかし、と彼は続ける。-フランス革命は「未来の芽生え」も見せていた、即ち「バブーフは経済問題を解決し、…平等と社会主義を完全に実現する唯一の可能な方法として、生産手段の私有廃止と不可分の社会主義的デモクラシーの樹立を提案した」。
 中川八洋の著を読んで抱いた印象以上に、フランス革命賛美者はマルクス主義者であること、フランス革命→社会主義革命という連続的な歴史的発展論に立っていることが解る。岩波書店はこの新書をもう絶版にしているようだが、1991年のソ連・東欧「社会主義」諸国の崩壊の後では、さすがに恥ずかしくなったのだろうか。
 一方、1987年のルネ・セディヨの本を訳した同・フランス革命の代償(山崎耕一訳。草思社、1991)は、フランスでは「修正派」と言うらしいが、筆者まえがきで、大革命は伝説を一掃すれば実態が明らかになる、全否定はできなくとも全てを無謬ともできない、偉大な部分・崇高な面もあるが、うしろめたい部分・有害な面もあると結論を示唆し、訳者あとがきは、この書によるとフランス革命は資本主義の発展に有利に作用せず、封建制を廃棄せず、土地問題を解決していない、等々と要約している。どちらか一方のみが適切でないにせよ、後者の方がより歴史の真実に近そうだ。
 いずれにせよ、フランス、アメリカ、イギリスの諸「革命」を同質の「市民革命」(ブルジョワ民主主義革命)と理解することは誤りだ。また、日本が(かつて又は現在でもよく説かれているように)フランス革命のような典型的な「革命」を経ないで「近代」化したことについて、劣等感をもつ必要は全くない。

0002/浅野史郎は「戦後教育」の優等生だ。だからこそ共産主義の怖さを知らない。

 浅野史郎は「日本が外国人を少なくとも一部は強制的に引っ張ってきて、従軍慰安婦という形で使ったのは歴史的事実」との「歴史認識」をお持ちのようだが、おそらく、慰安婦問題も、南京「大虐殺」問題も、これに関連する「百人斬り」競争報道事件も、関連する文献を、どの立場のものであれ、きちんと読んだことは一度もないのだろう。そして、河野洋平官房長官(当時)が1993年に事実を認めて謝罪したのだから、「少なくとも一部は」事実に違いない、という程度の認識なのだろう。
 学校秀才が東京大学に入り、上級官僚になり…の過程で、かつて日本政府・軍は「悪いことをした」という中・高校生のときの教育によって、何となくであれ、形成された歴史に関する一定のイメージは、何ら変わらず維持されたものと見える。そう、戦後教育の優等生であれば、十分に「何となく左翼」になってしまうのだ。
 そのような人々にとって、中国共産党がかつてどういう陰謀を実行して日本を戦争に引きずり込み、かつ現在も直接・間接に指示・示唆して反日本の雰囲気を世界で形成しようとしているかなど、思いもつかないのだろう。
 「何となく左翼」ではない、マルクス主義的フェミニスト、観念的・教条的平和主義者等々の「明瞭な左翼」に取り囲まれてしまっては、いかに賢くて関係文献をきちんと読めば判る筈の人でも、自らの頭による判断・確認の作業を省略して、「思いこんで」しまっている可能性が高い。
 一般にも言えそうに考えている。戦後「民主主義」教育の優等生は、大江健三郎が典型的大先輩だが、「戦前の日本は悪いことをした」史観をもつようになり、同じことだが「何となく左翼」になる。そして、社会主義・共産主義(=マルクス・レーニン主義)の本当の怖さを知らない、と。

0001/上野千鶴子は4/08後に福井県に転居するか。

 「アサノ〔浅野史郎〕と勝とう!女性勝手連」の3/18現在の呼びかけ人名簿を見た。
 上野千鶴子、木村民子(全国フェミニスト議員連盟元共同代表)、澤地久枝、白石冬美、辛淑玉、中山千夏、山崎朋子、樋口恵子、三井マリ子、新谷のり子、落合恵子、三木睦子等々。フェミフェミしているし、九条の会関係で名が出ていた人もいる。石原慎太郎でない有力候補なら、きっと誰でもよいのだろう。上野千鶴子は石原知事が居座るんだったら都民をやめる、と言っているらしい。他県へ転居するのをいずれ知りたいものだ。訴訟を起こしている福井県は如何?
 週刊新潮3/22号「「従軍慰安婦」問題のガン「河野談話」はこうして作られた」は1993年河野談話の当時の政権内部の動き・韓国の意向等をきちんとまとめており、櫻井よしこ連載コラムは、アメリカよこんな理不尽な決議をしてよいのかと(タイトルは「同盟国ゆえ、敢えて米国に問う」)最後にこれだけは言っておく、との感じ。やはり、週刊新潮はBestだ。と思うが、版元の新潮社は不破哲三の本や決して作家を追いかけないFocusを出すなど、儲ければ何でも手広く、との印象がある。出版社としては、新潮新書と文春新書を比較しても、文藝春秋の方が好きだが。
 大月隆寛という人の本は読んだことはないが、この人が産経3/14に「福島サンは弁護士ですよね?との小文(コラム)を書いて、慰安婦問題で「証言者がいるんだから事実なんですぅ」とのみ言っているのを皮肉っている。裁判ならば公開で(傍聴者がいて)、裁判官の前で、証言者は反対尋問を受ける。反対尋問(その際に裁判官も質問できる)に晒されていない証言は「証拠」にはならないのは当然のことだ。この当然のことを当面の日韓関係を優先して無視したのは河野洋平であり、政治的に無視しているのは福島瑞穂であるわけだ。
 上の週刊新潮の記事の最後-「しかし、今日の有様を見れば、むしろ日韓関係を悪化させる種を蒔いたばかりか、日本の国際的立場を貶めたと言わざるをえない。安倍首相は、河野談話を見直すべきである」」。

-0062/日本のマルクス主義的学者は1989/91年以降どうなったか。

 ドイツの現首相・メルケルは旧東ドイツ地域の出身で理学系の研究者だった。彼女が社会系の学者だったら今の地位はなかっただろう。マルクス主義そのものや、マルクス主義にもとづく経済学・歴史学あるいは国家制度・法制度の研究者・教育者は、東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)が西ドイツに併合される前後におそらく全員が職を失ったはずなのだ。
 東ドイツの共産党(社会主義統一党)書記長だったホーネッカーは有罪とされチリへ逃亡(亡命?)した。旧体制構成員そのもの又は積極的協力者として逮捕・拘禁された研究者・教育者もいたに違いない。
 ソ連と東欧での共産主義の敗北は旧体制側の人々(一般庶民もだが)の人生・生活を大きく変えたはずだ。
 しかるに、かの国々の旧体制のイデオロギーであった共産主義の理想を信じ、マルクス主義の立場で研究していた日本国内の数多くの研究者・教育者の生活・地位は、東ドイツの消滅・チェコ等の脱社会主義化によっても何ら影響を受けなかった。むろん、例えば東ドイツの労働者文学の研究者や東ドイツ「社会主義」の歴史研究者が多かれ少なかれ動揺しただろうことは想像に難くない。しかし、彼らは大学等での地位を失うことはなく、表向きは、研究のテーマは巧妙に?変えたとしても、従来どおり大学教授・助教授等でいることができた。
 彼らにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかも、経済学・歴史学・社会学や法学の一部等々では、そのような「マルクス主義」的研究者の数は決して少なくなかったと思われるのだ。
 むろん、ソ連や東欧諸国は「真」の「社会主義」国ではなかったとの日本共産党の言明に救いを見出し、なおも共産主義社会をめざすことを綱領に掲げる日本共産党の党員たる研究者も数多く残っているだろう。
 一方には現実の生活と社会的地位が激変したマルクス主義者たちがいるのに対して、影響は心理的・精神的なものにとどまった極東の国のマルクス主義者たちもいる。
 このことを私は、じつに奇妙なことだと感じている。しかし、日本の社会はほとんど問題視していないようだ。日本社会は欧州での激変・共産主義の敗北の現実があってもなお、諸思想に「寛容」で、共産主義・社会主義的考え方にも「自由」を認める。
 繰り返すが、マルクス主義者たち又はその許容者たちにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかし、そのことこそが日本の社会が蝕まれていく大きな原因になっているのではないか、とふと真剣に考える。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。