秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

0015/網野善彦・歴史としての戦後史学(洋泉社新書、2007.03)を少し読む。

 網野善彦・歴史としての戦後史学(洋泉社新書、2007.03)は一部読んだが、相当に面白い。網野(1928-2004)の本は持っているがまともに読んでおらず、主として中世について仕事をした人でマルクス主義的でなさそうだ位の印象しかなかった。
 この本の初めの方によると、網野は東京大学史学科学生となった1947年の「後半には左翼の学生運動の渦中」に入り、48年に民青同盟の前身ともいえる民主主義学生同盟の組織部長・副委員長をし、49年以降歴史学研究会等で学習・研究しつつも、1953年夏頃、「戦後歴史学の流れから完全に落ちこぼれた」(p.51)。明記はないが、諸々の叙述からみて47年後半に日本共産党員になったことはほぼ明らかで、かつ53年に共産党の主流又は積極的活動家ではなくなったようだ(たぶん離党したのだろう)。それは、院に進学せず、失業ののち高校教諭として長らく過ごした経歴でも解る(たぶん党員でなくなり、党員なら得られる社会的「特権」を享受できなかったのだろう)。
 興味深い第一は、戦後の少なくとも1950年代後半までの日本史学界は日本共産党の動向と密着して揺れ動いたことだ。学問と政治の一般的関係からすると信じ難いが、例えば1.「1950年から52年にかけて…日本共産党は…民族の独立という旗印を掲げ、非合法活動を含む政治活動を開始していました。その影響は歴史学界に強烈に及び、殊に歴史学研究会や民主主義科学者協会、日本史研究会は、まともにこの影響」を受けた(p.42-43)。52年の歴研の大会の余興では「山村工作隊の紙芝居」まであったという。2.日本共産党内の国際派(宮本顕治・志賀義雄ら)・所感派(徳田球一・野坂参三ら)の対立は学者にも及んで、前者が井上清・鈴木正四ら、後者は石母田正・藤間正大らだった(p.44)。すごい話だが、学者たちが同時に日本共産党員であれば不思議でも何でもない。
 第二は、網野がおそらくは共産党員だった時期の自分を、「戦争犯罪人そのものであった」と明瞭に反省していることだ。網野は「序にかえて」で書く-「自らは真に危険な場所に身を置くことなく、…口先だけは「革命的」に語り、「封建革命」、「封建制度とはなにか」などについて、愚劣な恥ずべき文章を得意然と書いていた」その頃の私は「自らの功名のために、人を病や死に追いやった「戦争犯罪人」そのものであった」、1953年夏にそうした「許し難い自らの姿をはっきりと自覚した」。この文は2000年に書かれたようだが、網野のその後の人生は「二度とそうした誤りはくり返すまいという一念に支えられてきた」、という(p.12)。こうまでの自己批判をする必要がある具体的理由は定かでないが、おそらくはマルクス主義又はそれを体現化した日本共産党という組織や党員に、教条性・傲慢性・場合によっては暴力も厭わない残虐性等々を感じたのだろう。大学の後輩や若い人を火炎瓶闘争等の暴力行為へ煽って官憲による逮捕等により肉体的・精神的苦痛を受けさせたことへの罪悪感もあったかもしれない。
 第三に、網野は、マルクス主義史学が主流だった「戦後歴史学の50年」を振り返って、人が努力すれば「歴史は進歩する」という近代以降の自明の前提が「現在にいたっては」、「根本から崩れつつある」、との認識を示している(p.23-24)。私もまた感じているのだが、奴隷制→農奴制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義という「段階的発展」史観は明らかに誤謬だし、その他の「進歩し続ける」との史観は願望・信念あるいは宗教にすぎないだろう。上のように総括できるということは、網野は戦後日本史学のマルクス主義による「呪縛」からかなり自由だったことを意味するだろう。
 なお、羽仁五郎・井上清らの歴研「乗っ取り」事件のことや永原慶二、黒田俊雄らのマルクス主義歴史学者の名も出てきて関心をそそる。また、「乗っ取り」クーデター後に井上清らが会長にすべく津田左右吉と平泉で会見したのち、たぶんそれを契機に津田は反マルクス主義の論文を書いた、それで掲載予定の岩波・世界の編集者が「手直し」をお願いした、というエピソード(p.34-35)は面白い。戦前に日本書記等の信憑性を疑った津田左右吉は戦後にマルクス主義学者によって祭り上げられたが、彼自身はマルクス主義者ではなかった。
 なお、網野の本は、マルクス主義に批判的というだけで(たぶん共産党員学者は彼を「落伍者」と見ていただろう)、例えば岩波書店からは絶対に刊行されないと思われる。もともとこの本は、日本エディタースクール出版部刊のものが洋泉社新書になったものだ。洋泉社は、失礼ながら、大手の又は著名出版社ではないだろう(但し、洋泉社新書にはいいものも多い)。学問・文化・思想と出版社の関係における「政治」又は「党派」というテーマで、誰か書いていないだろうか。出版業界の「裏」を暴くような出版物は出にくいには違いない。

0014/一面で大きく-PAC3の配備。

 この記事は、産経新聞では朝刊11面の右上に出ている。埼玉県の入間基地に3/29にPAC3が配備されること、SM3(海上配備型迎撃ミサイル)なるものの配備も進めて2010年までに(北朝鮮等からのミサイル攻撃への)迎撃態勢を整える予定であること、といったことも含めて、国防の基本にかかわることで、第一面に配置してもいいのではないか。軍事に関する知識について威張れる私ではないが、軍事技術の詳細はともかく、「自衛隊」や米軍の基本的な動きくらいは、多くの国民が一般的知識として共有すべきものと思う。

0013/「科学的社会主義」とは「宗教のようなもの」でなく「宗教」そのものだ。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)全358頁もあと30頁程で全読了となる。早く同・保守主義の哲学(PHP、2004)も読み終えて、自称ハイエキアン憲法学者・阪本昌成の二著、すなわち同・リベラリズム/デモクラシー(有信堂、1998)、同・法の支配(勁草書房、2006)に向かいたいが、読書のみの生活というわけにはいかない。自由な元気に過ごせる時間だけは緩慢に進んでほしいものだ。
 共産党について又は共産主義について、「宗教のようなもの」という批判的な立場からの言葉を聴いたことが複数回ある。だが、日本共産党の奉じる共産主義とは、あるいは「科学的社会主義」とは、「宗教のようなもの」ではなく「宗教」そのもの、ではないか。ケインズとハイエクといえば、二人とも社会主義者ではないが、個人(のとりわけ経済活動)に対する国家の介入の容認の程度につき正反対と言ってもよい主張をしている学者又は思想家だった筈だ。但し、中川・上掲書p.237-8によれば、二人とも、共産主義又はマルクス主義を「宗教」と見ていた。中川が「レーニンによる共産ロシアを宗教国家と断じている」とする二人の文は次のとおりだ。ケインズ-「レーニン主義は、偽善者に率いられて迫害と宣伝を行なっている少数の狂信者の宗教」だ、「レーニン主義は宗教であって、単なる政党ではない」(「ロシア管見」全集9巻)。ハイエク-過去の何万もの宗教は「私有財産と契約」を認めず、「認めなかったものはすべて滅び、長続きしなかった。共産主義と呼んでいるものもこの迷信ないし宗教」に含められる(「文明社会の精神的病」エコノミスト1981年12月)。
 (少なくとも真面目な?)日本共産党員の中には共産党への批判・攻撃に対して「反共!」とだけ言い、又は思って、相手にしないで罵倒して、それだけで「勝った」と思う者(バカ)も多いだろう。だが、反共産主義とは、一部の偏狭な「右翼」と称される者のみの考え方ではない。「反共!」で済ませず、きちんと反共産主義に反駁するためには、ハイエク、ポパー、アレント等々も読んでからにすべきだ。と書きつつも、これらの人々の本を読むのを私も今後の楽しみにしているのだが(すでにかなり収集した)、私がマルクス、エンゲルスや共産党の文献を読んでいる程度にも反共産主義(自由主義、資本主義、保守主義と種々に表現できる)の文献を知らないままでは、彼らは、思考を停止して「信じる」だけの、「科学的社会主義教」という宗教(簡単に「共産教」でもよい)の宗徒にすきないだろう。資本主義から社会主義(さらに共産主義)へと不可避的に「発展」するという「予測」は、「科学的」でもなんでもない。ただの「信仰」であり、かつ「狂信」だ。

0012/石原慎太郎候補の圧勝を願う。

 東京都民ではないが、石原氏が再選してもらわないと困る。
 年齢を考えると、適当な別の候補を育てていれば、と感じなくもないが、今となってはそんなこと言っておれない。それに、健康面での問題はなさそうだ。
 浅野史郎には、思想も哲学もない。あるのは、情報公開制度の利用のさせ方も含む「行政技術」だけだ。
 それに何より、上野千鶴子、吉田康彦ら、有象無象の反体制派・所謂「左翼」が日本共産党の吉田某よりは当選可能性があるというだけで支持、応援している候補を都知事にしていいわけがない。
 確認はしていないが、佐高信・筑紫哲也・石坂啓ら週刊金曜日関係者・同読者は(都民であれば)浅野に投票するだろう。
 上野千鶴子、佐高信、筑紫哲也、石坂啓らが喜ぶ顔を想像するとぞっとする。
 千葉県知事・堂本暁子が浅野候補を応援したいというのは、同知事・堂本暁子がれっきとしたフェミニストなのだから当然だろう。
 東京都の有権者の方々は、都庁をフェミニズム、アナーキズム、残存マルクス主義、似非「市民主義」、親北朝鮮等々の牙城にしないように、断固として賢明な結果を示していただきたい。

0011/日本共産党よ、32年テーゼ・50年批判はスターリンの時代ではなかったのか。

 腑に落ちない、こと又はもの、は沢山あるが、ソ連崩壊に関係する日本共産党の言い分は最たるものの一つだ。
 同党のブックレット19「『社会主義の20世紀』の真実」(1990、党中央委)は90年04月のNHKスペシャル番組による「社会主義」の総括の仕方を批判したもので、一党独裁や自由の抑圧はスターリン以降のことでレーニンとは無関係だなどと、レーニン擁護に懸命だ。昨日に触れたが、2004年の本で不破哲三氏はスターリンがトップになって以降社会主義から逸脱した「覇権主義」になったと言う。そもそも社会主義国ではなかったので、崩壊したからといって社会主義の失敗・資本主義の勝利を全く意味しない、というわけだ。
 だが、後からなら何とでも言える。後出しジャンケンならいつでも勝てる。関幸夫・史的唯物論とは何か(1988)はソ連崩壊前に党の実質的下部機関と言ってよい新日本出版社から出た新書だが、p.180-1は「革命の灯は、ロシア、…さらに今日では十数カ国で社会主義の成立を見るにいたりました」と堂々と書いてある。「十数カ国」の中にソ連や東欧諸国を含めていることは明らかだ。ソ連は社会主義国(なお、めざしている国・向かっている国も含める)でないと言った3年前に、事実上の日本共産党の文献はソ連を社会主義国の一つに含めていたのだ。判断の誤りでした、スミマセン、で済むのか。
 また、レーニンの死は1924年、スターリンが実質的に権力を握るのは遅くても1928年だ。とすると、日本共産党によると、1928年以降のソ連は、そしてコミンテルン、コミンフォルムは、社会主義者ではなく「覇権主義」者に指導されていたことになる。そしてますます腑に落ちなくなるのだが、では、コミンテルンから日本共産党への32年テーゼはいったい何だったのか。非社会主義者が最終的に承認したインチキ文書だったのか。コミンフォルムの1950年01月の論文はいったい何だったのか。これによる日本共産党の所感派と国際派への分裂、少なくとも片方の地下潜行・武装闘争は非社会主義者・「覇権主義」者により承認された文書による、「革命」とは無関係の混乱だったのか。
 1990年頃以降、東欧ではレーニン像も倒された。しかし、日本共産党はレーニンだけは守り、悪・誤りをすべてスターリンに押しつけたいようだ。志位和夫・科学的社会主義とは何か(1992、新日本新書)p.161以下も参照。  レーニンをも否定したのでは日本「共産党」の存立基盤が無になるからだろう。だが、虚妄に虚妄を重ねると、どこかに大きな綻びが必ず出るだろう。虚妄に騙される人ばかりではないのだ。
 なお、私的な思い出話を書くと、私はいっとき社会主義・東ドイツ(ドイツ民主共和国が正式名称だったね)に滞在したことがある。ベルリンではない中都市だったが、赤旗(色は付いてなかったがたぶん赤のつもりのはずだ)をもった兵士のやや前に立って、十数名の兵士を率いて前進しているレーニン(たち)の銅像(塑像)が、中央駅前の大通りに接して立っていた。
 数年前に再訪して少し探して見たのだが、レーニン(たち)の銅像が在った場所自体がよく分からなくなっていた。
 レーニンまでは正しくて、スターリンから誤ったなどとのたわけた主張をしているのは日本共産党(とトロツキスト?)だけではないのか。もともとはマルクスからすでに「間違って」いたのだが。

0010/佐高信が何故読売新聞紙上で城山三郎氏の追悼文を書くのか?

 城山三郎が79歳で逝去(1927-2007)。広田弘毅に関するもの等二、三の小説を読んだことがあり、悪い印象はない。だが、読売の朝刊は、なぜ佐高信などにけっこうな字数を使った追悼文を書かせたのか、奇妙だ。佐高信といえば週刊金曜日の代表編集人で、昨秋11/19には皇室をパロディーにした集会も主催した。最近の同誌は警察による朝鮮総連関係団体への捜索を「朝鮮戦争前夜」を思わせる「異常さ」と書き(同誌取材班名義)、朝鮮総連の「弾圧糾弾」との主張と歩調を合わせていた。
 読売がなぜこんな人物を使うのかが解らない。読売はときどき奇妙な記事を載せ、主張をすることがある。
 佐高信は最後の方で、城山は叙勲を固辞した、「その意味するものをくみとってほしいと願う」と書いて佐高自身の「左翼」ぶりを存在証明している。城山氏のその態度が何を意味するのか私はよくわからないが、反天皇、反権力、反国家を意味するのだとすれば、そのような作家を読売は大きくとり上げて死亡・追悼の記事を載せるべきではなかろう。それに城山の小説に関する私の記憶では、反天皇、反権力、反国家の姿勢は感じられなかった。
 佐高の文の中で注目してよいのは、広田弘毅、石田礼助、井上準之助という城山の小説のモデルとなった人たちを「あるいは少数派かもしれないが、誇るべき日本の財産である」と明記していることだ。この中の広田弘毅は言うまでもなく所謂東京裁判の所謂A級戦犯として、たしか軍人以外では唯一人、死刑(絞首刑)になった人だ。佐高信がこれまで及び今後、広田弘毅を含めた所謂A級戦犯を批判し、貶めるような文章を書いていないか(書かないか)、監視しておく必要がある。
 内館牧子・女はなぜ土俵にあがれないのか(幻冬舎新書、2006)の最初57頁と最後の33頁を読了。主張はごく自然で納得できるし、最後に示してある改革案にも賛成だ。それにしても、第一に、この大相撲の土俵に関する「女性差別」問題らしきものも、議論を煽り、「女性」を応援したのは、この本で読むかぎりは、やはり?朝日新聞であることが分かる。朝日は混乱・錯乱を好み、表向きは「差別」反対なのだ。第二に、大阪府の太田房江という女性知事は大した人物ではないことも分かる。戦後教育の優等生、東京大学卒、元上級通産官僚では、日本の歴史・伝統・「国技」に関する特別の知識も教養も身につけていないのだろう。法律にもとづく男女共同参画行政もしている筈で、よく分からないが、フェミニズムに抵抗感がない可能性もある。これらは東京都知事候補・浅野史郎と同じだ…。

0009/日本共産党2004年綱領と不破哲三の本を瞥見する。

 1991年のソ連解体と東欧諸国の「自由」化によって<冷戦>は終わったとも感じたが、またそのように理解している人が多いかもしれないが、東・東南アジアには中国・北朝鮮・ベトナム・ラオスがあり前二者は日本への現実的脅威なのだから、少なくとも東アジアでは<冷戦>は継続していると見るのが正しい。<冷戦>とは、戦争に至らない、社会主義経済・・共産党独裁政治と資本主義経済・自由主義政治の戦いであり、日本国内でも前者を目指す又は前者に甘い勢力は残存しているので(日本共産党・社会民主党・これら周辺の団体等)、国内での戦いも継続している。
 
日本共産党もHPをもつことを昨年になって知ったが、そこに出ている2004年改正の同党綱領に「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」とある。ここにすでに虚偽がある。戦後もかなり後からの造語「科学的社会主義」をさも当時の概念かのごとく使っているのは別としても、<共産主義インターナショナルの日本支部として、天皇制と日本帝国主義の打倒をめざして(=大日本帝国の敗戦・崩壊をめざして)、ソ連共産党の理論的・財政的援助を受けて設立されました。>と正確に記述すべきだ。そのあとで「たたかった」を6つ並べていて戦前に一貫して継続的に「たたかった」かのごとく書くが、これも虚偽=ウソだ。長く見たとしても党としての活動は1934年くらいまでで、10年間以上は見るべきものはない。獄中で「帝国主義戦争反対」と念仏の如く呟くことも「闘い」だったというなら話は別だが。それに、1934年頃の中央委は半分以上がスパイで実質は特高にコントロールされていたのだ(笑っちゃうね)。22年以降一貫してでなく、1961年の新綱領制定・宮本体制の確立が実質的には現在の党の開始で、これは自民党、日本社会党よりも遅い。そのあと、「平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けた」、ポツダム宣言受諾は「日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示し」、「党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明した」と書く。よくもまぁヌケヌケととは、こういう文章にこそあてはまる。まずは自党の党員を騙す=洗脳しておく必要があるのはわかるが。
 同綱領は1989-91年のソ連・東欧の共産党支配の崩壊は「社会主義の失敗」ではなく、これらは「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」だったので「資本主義の優位性を示すものとはならな」い、と明記する。だが、これはどう見ても<後出しジャンケン>だ。つまり、ソ連等の崩壊のあとでソ連は「覇権主義」の「歴史的巨悪」で「社会主義国」でなかった、と言い立てる。では、日本共産党は、ソ連は「社会主義国」でないといつから言い始めたのか。ソ連の崩壊以降ではないか。不破氏も、例えば1977年日本共産党党大会でソ連は「社会主義の生成期」と見ていて社会主義をめざす国であることを否定していなかったと明記している。不破・新日本共産党綱領を読むp.184(新日本出版社、2004)参照。ソ連共産党に対する自主性があるかに見えたルーマニアを社会主義志向国と見つつ同共産党の大会に出席したのはチャウシェスクが殺された2年半前ほどではなかったのか。1950年代からスターリンのソ連は社会主義とは異質な国と主張していたならともかく、1992年以降になってよくもヌケヌケと自分たちを合理化する言辞を考え出せるものだ。恥ずかしいとは思わないのか。党の言うことを信頼していた党員・シンパに謝罪するつもりはないのか。
 日本共産党にとって今の希望の星は中国、ベトナム、キューバのようだ(北朝鮮は挙げていない)。不破・党綱領の理論上の突破点について(日本共産党、2005.03)p.77以下は、中国の「社会主義的市場経済」を「理論」的に?擁護している。すなわち、レーニンはロシアでは実践しなかったが「市場経済を通じて社会主義」へという路線の可能性を肯定しており、「中国やベトナム」はレーニンが構想した「道」に新たに挑戦している、のだとさ。
 不破氏が2005年に中国、ベトナム、キューバは「社会主義」に向かっている国である旨明記していることを我々はきちんと記憶しておこう。中国共産党の支配が崩壊したあとで、中国は「真の社会主義国」でなかった、となど言われるとシラケルからね(もういい加減白けているけど)。上の本では「専門家筋の観測では、中国の経済規模がやがて日本を抜き、ついでアメリカに追いつき、さらに上回ってゆくことも時間の問題だという見通し論が、いよいよ強くなっているようです」(p.71)とも書いている。このハシャギようは、予測が外れるとどうなるのだろう。楽しみでもあり、空怖ろしくもある。

0008/マルクス主義・社会主義国は何故簡単に大量殺戮するのか。

 20世紀は二つの大戦を経験して「戦争の世紀」とも言われる。しかし、第一次・第二次を合わせた大戦による死亡者(戦闘員・一般国民ともに含む)よりも多数の死亡者を出したものがある。共産主義であり、「社会主義国家」だ。中川八洋・正統の哲学…(徳間、1996)p.284は、根拠資料を示すことなく「総計で約二億人の殺害」と記す。その中にはカンボジアでのポル・ボトによる自国民の殺戮も当然含まれ、中川著p.237は「スターリンだけでも四千万~七千万の大量殺戮」とも書く。
 とすると、二〇世紀は「戦争の世紀」よりも、社会主義による殺戮の世紀と言った方がより適切ではなかろうか。ロシア革命により「社会主義国」が生れ、社会主義国の国家権力によって少なくとも1億人の国民が殺戮され(処刑・暗殺の他、収容所送り又は政策失敗が原因の飢餓によるものも含む)、社会主義国の大部分が1990年以降に崩壊した、というのが、20世紀の歴史の最も重要な流れ・基本線と見るべきではないか。従って、研究対象としては、ドイツ・ファシズムや日本軍国主義よりも共産主義と社会主義家こそが重要だ。
 なぜ共産主義が生れ、一時期は成功し、ほとんどの国で失敗に終わったのか、また何よりも、なぜに社会主義国において自国の政府によって少なくとも1億人の人々が殺戮されなければならなかったのか。
 スターリン、毛沢東、ポル・ポト等々の「人柄」・「性格」によるのではないことは間違いない。そして、依拠した思想、すなわちマルクス(・レーニン)主義が原因であることは明確だ。だが、なぜマルクス主義はかくも人命を軽視する(した)のか、というのはなかなか難しい問題だ。「全体主義」だから(この概念も使い方がかなり難しい)、国家・公共を個人よりも優先するから、というだけでは解り難い。中川・上掲書p.280-1は、簡単にコントを使って説明している。彼によると、「コントとヘーゲルを読めば誰でも「マルクス」になる」らしいのだが(p.279)、コントは、人の知性の発展により社会が「進歩」するのは「哲学的な大法則」に従うもので、かつ「社会的進化が主として死(=世代交替)を基礎」とする、と理解した。そして、人類全体の進歩又は社会の進歩には「世代交替を一定のスピードで」行う必要があり、人類全体・社会の進歩が絶対的価値をもつために「個々人の人間的配慮はなく個々人はこの価値実現の単なる手段に堕されている」。かかるコント哲学を継承したがゆえにマルクス主義は「個々人の生命について一顧だにしない、大量殺戮をためらわない非人間性」をもつ、という。
 なおも不分明さは残るが、ルソーの「自由」が「立法者」・「一般意思」への全面的帰依、死(=じつは「自由」の全剥奪)をも躊躇しない自己犠牲、を意味することも思い出すと、「狂気」の思想が少しは解った気になる。

0007/呉智英の謬見は中西輝政がすでに指摘している。

 二度めだ。呉智英の提案はいわば奇を衒った、あるいはウケ狙いの氏独特の主張の仕方と思い、それまでの途中の文章をまじめに読んでいなかったのだが、よく読むと、「私は第九条基本的支持だ。戦力放棄を完全非武装ととるか専守防衛と解するかなど、さまざまな議論があるが、今そこには立ち入らない。ともあれ、戦後六十余年の日本の経済的繁栄と戦死者ゼロという「現実的平和」は間違いなく第九条に支えられてきた。そのような功利的観点から、私は第九条を支持したい。」という文があり、どうやら本気で九条を擁護し、前文のみの改正(削除)の主張も本気のようなのだ。
 呉の他の主張も知っていたし、産経紙上であったこともあって油断していた。そして、呉智英には、心底、失望した
 私の言葉で反駁してもよいが、中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2006)を引用して代えることにする。呉智英は実際にこの本を読んで、学ぶことなくなお反論するなら(別に逃げるのではないが)中西に対してして貰いたい。
 同書p.41以下はいう。憲法九条からは軍を自衛隊と戦車を特車言い換える等の無数の嘘が生じ、「嘘の上に嘘を上塗りする」傾向が続くが、その大嘘の「最たるものが、『憲法九条があったから日本は平和を維持できた』という戦後神話」だ。これは「明らかな倒錯した言説」で、なぜなら、第一に、憲法九条の如き条項をもつ国は(コスタリカはそうらしいが一部の小国を除いて-秋月)存在しなかったのに二次大戦後は世界大戦が回避された。日本の憲法九条とは無関係に「世界の大部分の国は日本同様、平和を維持してきた」。日本と異なる憲法をもつ(そして正規の国軍を持つ)国も、「大半の国が60年の平和を享受しえた」。九条を平和と関係づける言説は、実は特殊な宣伝目的の(つまり中国・ソ連が米国よりも不利にならないための「社会主義支持の目的」の)「いわば詐欺的言辞」だった。
 第二に、ではなぜ世界平和が維持されたかというと、「米ソ両大国が核兵器を持ってにらみ合う冷戦体制があったから」に他ならない。
 第三に、日本に限定した話としても、「日米安保こそが戦後日本の平和を支えた」のだ。日米安保がなかったら、九条があろうとなかろうと、「戦後日本はもっと早い時期にソ連の侵略を受けたか、あるいは、いわゆる間接侵略を受け、国内に社会主義革命、暴力革命が起こっていた」だろう。60年安保が「安保騒動」の程度ですんだのは「警察力の背後に自衛隊があり、その背後には米軍がいるということが、当時の日本の革命勢力、あるいはその背後にいた中国・ソ連にはわかっていたから」だ。
 もう一点、呉智英は「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」を支えたのも九条だという。この点についても、中西輝政は、九条のおかげで平和だったとまでは言わなくとも「戦後の民主化が高度経済成長を促した」という大嘘があるとして、言及している。p.45以下は言う。
 戦後改革による「民主化」や「平等化」は高度成長とは何の関係もない。占領軍の民主化を経験していない戦前の日本も高度経済成長をしていたし、平等化が経済成長を促進すると言うならばソ連等の崩壊はありえなかった筈だ。そこで(九条もあって)「軍事支出を極端に少なくしたこと」も経済成長に役立ったとの議論が必ず出てくるが、これも「間違った見方」だ。「社会の「民主化」や「軍事費削減」が経済成長の必須要因だとしたら、韓国や台湾、ASEAN諸国の経済成長や、まして現在の中国の経済成長」を説明できない。
 この程度にしておくが、最後の部分に私の言葉を追加すれば、韓国もドイツも九条のような条項を憲法に持たないが、「経済的繁栄」をしているのではないか。日本のような「繁栄」ではないと反論するだろうか。しかし、同じ九条のもとで、日本の経済成長の程度も、大きく伸びたり逆に下がったことも現にあるのであり、日本ですら「戦後六十余年の日本の経済的繁栄」と大仰に表現できるような状況ではなかったと思われる。少なくとも、九条のような条項が憲法にあるか否かによって、日本とその他の国々、米国、ドイツ、韓国等々の経済伸展の程度を有意に区別できるはずはない。だが、九条があるために何か経済の状態に違いがあったとでも言いたいのが呉智英のようだ。
 反復するが呉智英には失望した。もうこの人の文章は読まないことにしたい。

0006/学者なら、その法案の具体的内容に立ち入っていただきたい。

 小林節氏の言うとおりで、憲法改正国民投票法は必要、民主党は参院選対策的すぎる、社民党・共産党は問題外だ。
 だが、学者なら、その法案の具体的内容に立ち入っていただく必要がある。先日同じ欄に百地章教授が現行案の内容の問題点をいくつか指摘していた。民主党が賛成しないならば、民主党との間で合意した修正案にこだわる必要はなく自民党の原案に戻せとの意見も自民党内にはあるようで、もっともなことだ。
 というわけで、憲法改正国民投票法の必要性一般の話だけではすでに時機遅れだ。
 ところで、小林節氏は季刊らしいサイトとかの雑誌に出て、自民党の改憲案を同雑誌編集長とともに批判していた。これについては、私の 
http://www.honey.ne.jp/~akiz/ の01/18で、次のように疑問視しておいた。
 以下、そのまま引用する。
 2007/01/18 (木)-「リベラル」雑誌上の小林・伊藤両氏は「法律のプロ」か?
 小林節・伊藤真両氏は「法律のプロ」との矜持がおありのようで、自民党改憲案を「専門家」らしく批判している所があるが、「言いがかり」のような指摘も見られる。1.二人とも「責務」を国語辞典どおりに「責任と義務」と理解している(p.53、p.62)。学者執筆と見られる法律学用語辞典にも同旨のものがあるが、「義務より弱い」(p.53)との答の方が適切だろう。法的な又は厳密な意味での「義務」ではない、抽象的・理念的な行動指針的なものを「責務」と称するのだ。ご不審なら、男女共同参画社会基本法8-10条が定める国・地方公共団体・国民の各「責務」を見てみ給え。小林・伊藤両氏は憲法しか知らないのではあるまい。
 2.小林氏は自民党案9条の2第三項の「自衛軍」の<国際協調活動>につき、国連決議等プラス「日本の国会の決議」に基づく必要があるとする。だが、自民党案は「法律の定めるところにより、…行うことができる」とする。法律は国会が制定するのであり、「決議」以上の力をもつ。あとは法律で十分か事案ごとの逐一の決議まで必要かの問題なのに、「何の歯止めもない」、「そうです」と安易に答えているのには恐れ入った。
 3.同様に小林氏は自民党案9条の2第四項の「自衛軍の組織…は、法律で定める」を、「あとは国会の多数でよしなに」で「権力を統制しきっていないから危ない」と批判する。これも奇妙だ。内閣、中央省庁等の組織は現在でも法律で定めているではないか。彼は憲法自体が内閣、中央省庁等の組織を定めていないと「権力を統制しきっていないから危ない」と主張しているのと同じだが、この人が内閣法、内閣府設置法、国家行政組織法、防衛省設置法等が法律であるのを批判しているとは聞いたことがない。「自衛軍」のみ特別扱いする趣旨の主張ならある程度は具体的規定を提案すべきだ。また、憲法で「自衛軍」の組織・統制事項をいったん定めたら憲法改正によらないとそれらを変更できないという大きな短所もある。この人は「法律のプロ」か?
 伊藤真氏も上の2.3.と似たようなことを主張する。「自衛軍には何の歯止めもかかっていない」と言うが(p.66)、デマだ。また、案9条の2第三項の最後の「緊急事態」時の行動につき、「日本の軍隊の銃口が国民に向けられる可能性がある」とさも重大な点の如く批判する。これはむしろ当然のことだ。「緊急事態」時に武器・実力を行使して秩序を破壊することにより日本国政府の行動を制約し又は妨害して少なくとも客観的には外国を利する者たちが存在しうる。国民の全てが「平和」的な人たちではない。法学の優等生・伊藤氏は他の多くの同様の人々と同じく「軍隊」を国民の「敵」と見る「左翼」史観に無意識に冒されていそうだ。
 以上。

0005/憲法改正の発議要件を2/3から1/2に変えるだけの案はどうか。

 呉智英氏はどの程度本気なのか、現憲法前文の一部又は前文の全体の削除のみの憲法改正を主張しているようだ。
 気持ちは解らぬではない。私は現憲法の内容すべてそのままでもよいから一度国民投票にかけて「自分たちのもの」にしておくべきだとすら思う。もともとは1952年の独立=主権回復の際に国民投票にかけて(そのためには一回だけ通用の特別の法律が必要だっただろうが)、現憲法をオーソライズ(正統化)しておくべきだったと思うし、かりにオーソライズされなければ暫定的に効力を付与しつつすみやかに新憲法・自主憲法の制定に取り組むべきだった、と思う。
 当時の吉田茂の、自主憲法制定を政治課題とのしないとの決断は、朝鮮戦争、経済復興等々、米軍駐留によるとりあえずの安全保障といった事情はあるにせよ、現在も後世も評価が分かれてしかるべきだろう。
 その後も憲法改正できなかった最大の責任は、国会の1/3以上の議席を占め続けた容共政党+共産主義政党の「戦略としての平和主義」にある。だが、自由民主党の責任も頗る大きい。「国家」を忘れた池田勇人・宮沢喜一系(→河野洋平・加藤紘一)や田中角栄系が主流派になどなってはならなかったのだ。
 第三の責任者は、客観的には80%はマルクス主義に直接・間接に影響をうけているとみられる日本の憲法学界(そうした個々の憲法学者)だと思うが、今回はこれ以上の論及は省略する。
 元に戻って、呉智英氏の案は現実的では、むろん、ない。奇を衒い、又はウケを狙うのであれば、現憲法の改正条項・96条1項の国会・各議員の発議要件を「三分の二以上の賛成」から「過半数の…」に改正するだけの憲法改正案の提案はどうだろう。これだと今後も各院総議員定数過半数確保政党の「賛成」と実際の投票有権者の過半数の「承諾」で憲法改正できるようになる。政治状況・政治スタイルはまるで変わるだろう。

0004/朝日新聞の若宮啓文さん、返答できるなら返答してみなさい。

 朝日新聞のサイトの「コラム」にはまだ、恥ずかしげもなく、2006年12月25日の若宮啓文・風考計「言論の覚悟・ナショナリズムの道具ではない」が載っている。
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 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」
 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。 
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。
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 やはり若宮啓文という人は「おかしい」。こんな人が論説主幹の朝日も「おかしい」。教育基本法改正・防衛省設置法成立の日の夜、「キミには愛国心がないね」/学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。」だと。-ウソを書くな。最低限の心得だろう。
 古い話を持ち出したあと言う。「では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。…気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている」。-ヌケヌケと書いているが、朝日は「気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言」を浴びせたことはないのだろうか。朝日の論調のために「つい発言を控える人々」はいなかったのだろうか。そもそも歴史の捏造をし事実の虚報を放って「言論の「不自由」」以前の状態を作り出して、例えば慰安婦問題につき政府(河野)談話まで出させてしまったのはどの新聞社だったのか。若宮さん、恥を知りなさい。
 「100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権…」。-平気でこんなことを簡単に書けるとは呆れる。若宮さん、歴史を勉強しなさい。竹島を「いっそ…韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた有名な(いや悪名高い)050327コラムを、韓国の某氏も「共同統治」を唱えたと言い訳するが、その人は韓国の大統領・首相・外交通商相それとも大手新聞論説主幹のうちいずれに含まれる人なのか。はっきりさせて貰いたい。一若手学者にすぎないではないか。
 ほぼ最後にこう言う。「自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ」。-この文に彼の真骨頂が表れている。日本人ではない「無国籍」者であることの宣言だ。かつ、ナショナリズムに一切の限定を付けずに自分=ジャーナリストは「ナショナリズムの道具ではない」という。これは、いかなる意味においても「ナショナリズム」には反対する、との宣言だろう。若宮さんはきっと北朝鮮拉致被害者家族会に何ら共鳴しない「冷酷」な人物に違いない。このコラム欄は今回で最後らしい。朝日新聞の減紙のきっかけが少なくなって、朝日には喜ばしいのではなかろうか。
 週刊新潮1/18号(新潮社)によると、若宮啓文さんは社長を狙っており、一方現秋山社長は若宮を切ると後任がさらに左派になる怖れがあり躊躇しているのだ、とか。恐るべし、いや驚くべき朝日だ。東京大学卒かつ長年の経験で、あの程度の文章しか書けない人物が、社長を狙えるとは!!
 万が一、上の「ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではない」との言明が適切だとしても、次のようにも語って貰いたい。「ジャーナリズムは左翼運動の道具ではないのだ」、「マルクス主義及びその亜流の道具ではないのだ」、「空想的・観念的平和主義の道具ではないのだ」、「国家を忘れた地球環境主義の道具ではないのだ」、「フェミニズム(又はジェンダー・フリー運動)の道具ではないのだ」。これらのどこに誤りがあるだろうか。若宮さんは、何故、なぜ「ナショナリズム」のみを問題にするのか。返答できるなら返答してみなさい。朝日新聞社の言論の「政治」的偏向又は極偏は、このコラムで典型的に吐露されている。

0003/フランス革命-1951年のソブール本と1987年のセディヨ本。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は刺激的な本で、第一部第一章第一節は「ロシア革命とは「第二フランス革命」」という見出しになっており、フランス革命の残虐性・狂気性およびマルクス主義・ロシア革命の重要な淵源性を指摘し、ルソー・ロベスピエールらを厳しく批判するとともに、より穏健なイギリス名誉革命を讃え、フランス革命時のイギリスの「保守」思想家バークらを肯定的に評価する。この本はフランス革命を肯定的・好意的に描く本は日本で多く翻訳され、消極的・批判的な本は翻訳されない傾向がある、という。また、肯定的・礼賛的なものの主要な四つのうち中央公論社の世界の名著中のミシュレのものの他はいずれも岩波書店から出版されている。そのうち、ソブール・フランス革命(上・下)(岩波新書、1989年各々42刷、39刷。初版、各1953年)を古書で入手した。
 1952年の時点での著者からの「日本の読者へ」の初め2行まで読んで(見て、に殆ど等しい)、たちまちぶったまげた。曰く-「20世紀、いいかえればプロレタリア革命―われわれはそれに終局的な人間解放の希望をかけているのだが―の世紀のちょうど中葉にあたって、日本の読者に…」。いかにスターリン批判がまだの時期とはいえ、のっけから、20世紀はプロレタリア革命の世紀で、それに終局的な人間解放の希望をかけている、とは…。岩波書店がこのパリ(ソルボンヌ)大学フランス革命史講座教授の1951年の本をさっそく新書化したのも分かる。岩波書店の<思想>にぴったりの内容だからだ。
 ソブールは上の言葉で始め、イギリスやアメリカの「革命」の妥協性や特異な限界を指摘してフランス革命は「人類の歴史の中で第一級の地位」を占めると自慢し、フランス革命は自由の革命、平等の革命、統一の革命、友愛の革命だった、とする。さらにこう続けているのが興味深い。-だが、経済的自由の宣言・農奴制廃止・土地解放によって「資本主義に道をひらき、人間による人間の新しい搾取制度の創設を助けた」。だがしかし、と彼は続ける。-フランス革命は「未来の芽生え」も見せていた、即ち「バブーフは経済問題を解決し、…平等と社会主義を完全に実現する唯一の可能な方法として、生産手段の私有廃止と不可分の社会主義的デモクラシーの樹立を提案した」。
 中川八洋の著を読んで抱いた印象以上に、フランス革命賛美者はマルクス主義者であること、フランス革命→社会主義革命という連続的な歴史的発展論に立っていることが解る。岩波書店はこの新書をもう絶版にしているようだが、1991年のソ連・東欧「社会主義」諸国の崩壊の後では、さすがに恥ずかしくなったのだろうか。
 一方、1987年のルネ・セディヨの本を訳した同・フランス革命の代償(山崎耕一訳。草思社、1991)は、フランスでは「修正派」と言うらしいが、筆者まえがきで、大革命は伝説を一掃すれば実態が明らかになる、全否定はできなくとも全てを無謬ともできない、偉大な部分・崇高な面もあるが、うしろめたい部分・有害な面もあると結論を示唆し、訳者あとがきは、この書によるとフランス革命は資本主義の発展に有利に作用せず、封建制を廃棄せず、土地問題を解決していない、等々と要約している。どちらか一方のみが適切でないにせよ、後者の方がより歴史の真実に近そうだ。
 いずれにせよ、フランス、アメリカ、イギリスの諸「革命」を同質の「市民革命」(ブルジョワ民主主義革命)と理解することは誤りだ。また、日本が(かつて又は現在でもよく説かれているように)フランス革命のような典型的な「革命」を経ないで「近代」化したことについて、劣等感をもつ必要は全くない。

0002/浅野史郎は「戦後教育」の優等生だ。だからこそ共産主義の怖さを知らない。

 浅野史郎は「日本が外国人を少なくとも一部は強制的に引っ張ってきて、従軍慰安婦という形で使ったのは歴史的事実」との「歴史認識」をお持ちのようだが、おそらく、慰安婦問題も、南京「大虐殺」問題も、これに関連する「百人斬り」競争報道事件も、関連する文献を、どの立場のものであれ、きちんと読んだことは一度もないのだろう。そして、河野洋平官房長官(当時)が1993年に事実を認めて謝罪したのだから、「少なくとも一部は」事実に違いない、という程度の認識なのだろう。
 学校秀才が東京大学に入り、上級官僚になり…の過程で、かつて日本政府・軍は「悪いことをした」という中・高校生のときの教育によって、何となくであれ、形成された歴史に関する一定のイメージは、何ら変わらず維持されたものと見える。そう、戦後教育の優等生であれば、十分に「何となく左翼」になってしまうのだ。
 そのような人々にとって、中国共産党がかつてどういう陰謀を実行して日本を戦争に引きずり込み、かつ現在も直接・間接に指示・示唆して反日本の雰囲気を世界で形成しようとしているかなど、思いもつかないのだろう。
 「何となく左翼」ではない、マルクス主義的フェミニスト、観念的・教条的平和主義者等々の「明瞭な左翼」に取り囲まれてしまっては、いかに賢くて関係文献をきちんと読めば判る筈の人でも、自らの頭による判断・確認の作業を省略して、「思いこんで」しまっている可能性が高い。
 一般にも言えそうに考えている。戦後「民主主義」教育の優等生は、大江健三郎が典型的大先輩だが、「戦前の日本は悪いことをした」史観をもつようになり、同じことだが「何となく左翼」になる。そして、社会主義・共産主義(=マルクス・レーニン主義)の本当の怖さを知らない、と。

0001/上野千鶴子は4/08後に福井県に転居するか。

 「アサノ〔浅野史郎〕と勝とう!女性勝手連」の3/18現在の呼びかけ人名簿を見た。
 上野千鶴子、木村民子(全国フェミニスト議員連盟元共同代表)、澤地久枝、白石冬美、辛淑玉、中山千夏、山崎朋子、樋口恵子、三井マリ子、新谷のり子、落合恵子、三木睦子等々。フェミフェミしているし、九条の会関係で名が出ていた人もいる。石原慎太郎でない有力候補なら、きっと誰でもよいのだろう。上野千鶴子は石原知事が居座るんだったら都民をやめる、と言っているらしい。他県へ転居するのをいずれ知りたいものだ。訴訟を起こしている福井県は如何?
 週刊新潮3/22号「「従軍慰安婦」問題のガン「河野談話」はこうして作られた」は1993年河野談話の当時の政権内部の動き・韓国の意向等をきちんとまとめており、櫻井よしこ連載コラムは、アメリカよこんな理不尽な決議をしてよいのかと(タイトルは「同盟国ゆえ、敢えて米国に問う」)最後にこれだけは言っておく、との感じ。やはり、週刊新潮はBestだ。と思うが、版元の新潮社は不破哲三の本や決して作家を追いかけないFocusを出すなど、儲ければ何でも手広く、との印象がある。出版社としては、新潮新書と文春新書を比較しても、文藝春秋の方が好きだが。
 大月隆寛という人の本は読んだことはないが、この人が産経3/14に「福島サンは弁護士ですよね?との小文(コラム)を書いて、慰安婦問題で「証言者がいるんだから事実なんですぅ」とのみ言っているのを皮肉っている。裁判ならば公開で(傍聴者がいて)、裁判官の前で、証言者は反対尋問を受ける。反対尋問(その際に裁判官も質問できる)に晒されていない証言は「証拠」にはならないのは当然のことだ。この当然のことを当面の日韓関係を優先して無視したのは河野洋平であり、政治的に無視しているのは福島瑞穂であるわけだ。
 上の週刊新潮の記事の最後-「しかし、今日の有様を見れば、むしろ日韓関係を悪化させる種を蒔いたばかりか、日本の国際的立場を貶めたと言わざるをえない。安倍首相は、河野談話を見直すべきである」」。

-0036/TBS様、筑紫哲也様、「やってくれた」ようですね。

 0909の中宮崇日記によると、6日の親王ご誕生につき、筑紫哲也News23は「生まれてくる子の性別を前もっては知りたくない。…そうおっしゃっていたというのは、いわゆるお世継ぎ問題以前に人の親であろうとする心情をうかがわせるエピソ-ドでありました。ですが!ア-今日ご誕生の男子はいやおうなしに皇位継承論議の中心に利用されることになります」で始め、「めでたい」旨の語は一言も発しなかった、という。
 かつ、放映した「市民」の声は次の3つだったとか。①「皇位継承とか色々問題あるし、雅子さまもほっとされるんじゃないかな」、②「女の子だったらいいねっていってたの。あっはっは。愛子さんがかわいそうだなって」、③「男の子だったら色々悩むこともあるかと思いますけどね」。
 親王誕生については、天皇制・皇室反対の立場や無関心=「どうでもよい」派からの、「興味なし」・「特別の感想なし」旨の回答もあったのではないかと推察されるし、上の3つのような回答もありえただろう。だが、祝意又は安堵の感想を一つも紹介しないというのは「公正」たるべき放送局のニュ-ス番組とは思えない。しかも、筑紫を筆頭に誰も慶祝の意を示さないのは、憲法上の存在でもある天皇と皇族に対して疑いなく非礼だ。TBS又は筑紫は、天皇・皇室の存在そのものに反対です、と断ってから報道せよ。
 数日前の朝日新聞の1面の、本田雅和が配転?された「アスパラ…」の宣伝記事中に、随筆連載(予定)者として名が出ていたのは、加藤登紀子と筑紫哲也。朝日はさすがにこんな末端にまで目を配っている。
 筑紫といえば、岩波新書赤版の、タイトルたて書きとなった1001番以上の最初の数冊の一つに「スロ-ライフのすすめ」(未読、購入予定なし)とやらを書いたようだが、中宮崇の文春新書によるマイナスイメ-ジを岩波が少しは消去せんとしているようで、出版社間の競争?が第三者的には面白く感じた。岩波新書のヒットは某教授の「会社法入門」くらいで、残りはそこそこの低迷ではないか。
 ところで、講談社DVD-BOOK昭和ニッポン全巻、激動の昭和を見る2-4(世界文化社)、ドキュメント昭和史全巻(平凡社)、中村隆英・昭和史1・2、升味準之輔・現代政治1955以後上・下、戦後史開封(産経)なども持ってはいるので、蔵書からすると私は相当の昭和史マニアに見えるはずだ。

-0035/「九条の会」アピ-ル文の無知と大谷昭宏・有田芳生。

 憲法改正の意図は<日本を戦争をする国に変える>ことにあるとの「九条の会」の言明は、二重の意味で無知かつ欺瞞的だ。
 第一に、憲法改正>九条改正により日本が<戦争をする国>になるとは具体的にどういう意味かの説明がないが、とくに何故<戦争をする国>になるのかの論理的・理由付け的説明がない。
 第二に、既述のように「自衛戦争」をする権利を九条一項は否定していないにもかかわらず、「戦争」=悪という一般的前提に立っていると見られる。「戦争」一般を悪と見る考え方は戦後日本にのみみられる特殊な「平和教」と言ってよいものだ。
 それに、九条二項の「前項の目的を…」を生かして、同項により禁止されるのは「侵略」のための「戦力」・「交戦権」に限られる(「防衛」目的のそれらは許容される)との政府・多数学説は採用していない有力学説もあるようなのだが、アピ-ル文はそんなことに思いを巡らしていない。
 ともあれ、九条改正により日本が<戦争をする国>になるとの論証されていないウソを書き、<戦争をする>ことが自衛戦争であっても悪であるかのごとき誤ったバカな考え方を前提に書かれているのが「九条の会」アピ-ルだ。
 保守派・右派は中国等特定アジア諸国、靖国問題、皇室典範問題等に筆を割くことが多いが、憲法改正阻止に焦点を合わせて「闘い」を準備している、又は開始している左派の存在をもっと意識して反撃すべきではなかろうか。
 昨日触れたことに関連するが、中国は戦後、米等の国連軍、ソ連、ベトナムと実際に「戦争」をした国、カンボジア内戦を応援した国、日本・台湾にミサイルの照準を合わせている国であって、軍事費を増強している。そんな国に日本を「軍国主義化」などと批判する資格はない。しかるに「右旋回」、「復古調」と基本的に中国と同様の認識を示す人々が日本国内にいるのだから、嘆かわしい。
 大谷昭宏はスポ-ツ新聞に「改憲を叫ぶ男に託していいのか」と安倍晋三を批判した。
 有田芳生は立花隆への特別の敬愛心でもあるだろうか、「安倍が総理となり戦後民主主義の枠組みを破壊するために闘うというなら、わたしもまたその安倍的『思想』と闘うしかない」、を含む文の題を「安倍晋三への宣戦布告」としている。ああ、やれやれ、昔ながらの発想だ。

-0034/九条を改正すれば日本は「戦争をする国」になるか。

 映画監督・山田洋次は70年代には日本共産党のパンフ類に共産党を「支持します」と出ていたので、その後も変わらず「九条の会」のごとき会に関係しても不思議ではない(変わっていても不思議ではないが)。知人某が10年以上前、映画「男はつらいよ」のいずれかの中でさくらの夫=博の本棚に雑誌「世界」があったのを見たと言っていた。私は雑誌「前衛」でなかったか?と尋ねたが。
 鳥越俊太郎の名がある。彼は最近OhmyNewsとやらで頑張っているらしいが、はたして「中立」的ニュ-スサイトは可能かどうか。彼自身がすでに「政治」的な<色>を自らに付けているので、「中立」的又はそれと同義の宣伝をOhmyNewsについてしていれば、虚偽広告になりはしないか。
 同じくコメンテイタ-としてテレビに登場している(たぶん元朝日の)大谷昭宏の名もある。
 いかなる主張・見解も自由だが、さも中立的・客観的な見解のごとき装いをとって視聴者を欺瞞的に誘導しないでほしい。鳥越もだが。
  「九条の会」アピ-ルを検討するためには、1.国際とくに東アジア情勢の認識、2.現九条の解釈論議をふまえる必要があるのだが、アピ-ル自体がこれらをきちんと認識し勉強しているとは思えない。
 北朝鮮のノドン一発で東京は壊滅し、中国の核弾頭は何本も日本に向けられているという現実の深刻さが彼らの文からはまるで伝わらない。武力攻撃という「危険」行為の可能性があるのは北朝鮮でも中国でもなく日米の側=自衛隊か在日米軍(「アメリカとの軍事同盟」)という倒錯し誤った認識に立っているとしか思えない。
 第二次大戦から「世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を導いたと最初の方にあるが、「国際紛争の解決のため」の戦争とは侵略戦争の意味であり、現9条1項のみからは自衛権と自衛戦争の否定は出てこない、ということは常識のはずなのに(奥平康弘がいながら)、常識的語法に無知の文だ。
 つづいて言う。「九条を中心に日本国憲法を『改正』しようとする動き」の「意図は、日本を、アメリカに従って『戦争をする国』に変えるところにあります」。
 ここに「九条の会」アピ-ルの策略と欺瞞性が象徴的に現れている。
 批判対象を批判しやすいように勝手に改めたうえで非難するという、議論の際よくみられる論法を使っている。
 さらにつづける。

-0033/左翼・平和教信者は「九条の会」に陸続と集結しつつある!

 中央公論新社の<日本の近代>は通史の8巻まで既に揃った。坂本多加雄氏による2巻は冒頭だけでも価値がある。講談社の<日本の歴史>の明治以降の通史5巻ほども。三省堂・戦後史大事典1945~2004も毎日新聞社の昭和史全記録1926~1989もある。個別テーマ関する文献も安い新書・文庫を中心にかなり買ったので、自分史叙述と憲法改正論の検討に役立てよう。
 朝日新聞(本田雅和記者等)は昨年に安倍氏の政治生命にかかわる虚報をしかつ一言の訂正・謝罪もしないで(教科書書換え、従軍慰安婦問題でも同じ)、よくも平然と安倍いじめを続けられるものだ。安倍氏はいつか内閣総理大臣として多数のテレビカメラの前で朝日を名指しにした厳しい批判をしてほしい(朝日はきっと虚報を含む何かの失態をするだろうから)。
 憲法改正の可否がいずれ日本の国論を二分し、日本の運命を決めるだろう。すでに9条改正反対で動いている「九条の会」の呼びかけ人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9名(2004.06)。「昔の名前で…」という人もいて、平均年齢はたぶん70歳を超す。
 同会のサイトには「賛同者」名簿と「講師団」名簿も公表されている。共産党員とそのシンパ、社民党員とそのシンパがほとんどと見られ、結局は両党組織が動くのだろう。
 「映画人九条の会」も大澤豊、小山内美江子、黒木和雄、神山征二郎、高畑勲、高村倉太郎、羽田澄子、降旗康男、掘北昌子、山内久、山田和夫、山田洋次の12名を呼びかけ人に設立され、「マスコミ九条の会」の呼びかけ人は秋山ちえ子、新崎盛暉、飯部紀昭、石川文洋、石坂啓、池辺晋一郎、井出孫六、猪田昇、岩井善昭、内橋克人、梅田正己、大岡信、大谷昭宏、大橋巨泉、岡本厚、小沢昭一、恩地日出夫、桂敬一、鎌田慧、川崎泰資、北村肇、小中陽太郎、斎藤貴男、佐藤博文、佐野洋、ジェ-ムス三木、柴田鉄治、須藤春夫、隅井孝雄、関千枝子、せんぼんよしこ、高嶺朝一、谷口源太郎、田沼武能、俵義文、仲築間卓蔵、茶本繁正、塚本三夫、辻井喬、坪井主税、栃久保程二、鳥越俊太郎、中村梧郎、橋本進、ばばこういち、原壽雄、平岡敬、広河隆一、前泊博盛、増田れい子、箕輪登、宮崎絢子、三善晃、守屋龍一、門奈直樹、山田和夫、湯川れい子、吉田ルイ子、吉永春子、若杉光夫。
 次回は若干の人物コメント、「九条の会」アピ-ルの論評・感想の予定だ。

-0032/鷲田小弥太他二名・大江健三郎とは誰か(1995)。

 大江健三郎については鷲田小弥太他二名・大江健三郎とは誰か(三一新書、1995)という本がある。
 雑読?したが、鷲田以外は文学系の人のためか目次にある天皇制・戦後民主主義との関係等は内容が貧弱だ。同じ年刊行の昨日も言及した谷沢の本の方が大江を広く読んでいて、論評として勝れている。但し、鷲田の大江への厭味は十分に伝わり、大江が天皇制に批判的であることも明記してある(p.259)。
 それにしても鷲田によれば-私自身の経験と印象ともほぼ合致するが-大江の小説は「ある時期から特定の文学評論家や研究者以外には、読まれなくなった…。特殊のマニア以外には、買われなくなった…。難解なのか、つまらないのか。私にいわせれば、その両方である」。ノ-ベル賞で重版が続いたらしいから「売れない、というのは当たっていないだろう。しかし、売れたが、読まれなかった、読もうとしたが、冒頭…で断念した、という人がほとんどだった、といってよい」(p.261)。
 これらが事実だとしたら(そのように思えるが)、そもそも大江にノ-ベル文学賞の資格はあったのか、「文学」とは何かという疑問も生じる。ふつうの自国々民に愛読者が少なくて、何が世界の文学賞様だ、とも思える。
 司馬遼太郎や松本清張等々の方がふつうの日本国民にはるかに多く読まれ、かつ意識に大きな影響を与えたことに異論はないだろう。この二人については、生前から「全集」が刊行されていた。三島由紀夫にもある。大江作品・エッセイを網羅した個人全集はなぜかまだない。大江は実質的には将来に影響を与えない、名前だけ形式的に記憶される作家になる可能性があるのでないか。
 大江は東京大学文学部入学・卒業を「誇り」にしていただろうが、いわゆる現役ではなく一浪後の合格だったことにコンプレックスを持っていたようだ。というのは、手元に元文献はないが間違いない記憶によれば、一年めに数学(か英語、たぶん数学)ができなくて途中で放棄して不合格だったがその年は例年より数学がむつかしくそのまま最後まで受験していたら合格した可能性が十分にあった旨をクドクドと書いてあるのを何かで読み、何故こんなにこだわっているのか、何故長々と釈明するのか、自分の「弱味」意識が強く内心の翳にある、と感じたことがある。意外に、いや平均人以上に、「世間」を強く意識している自意識過剰の人物かもしれない。

-0031/親王ご誕生と大江健三郎・日本共産党・朝日新聞。

 皇太子・秋篠宮各殿下の次の世代に親王誕生。慶賀と安堵の声を伝える放送を見ていて、大江健三郎は誕生と一般市民の反応の二つをどう感じているのだろう、と余計ながら思った。
 過日に言及した谷沢栄一の大江健三郎「告発」書を数日前に読了したが、この本の引用によれば大江は1959年に「皇太子よ、…若い日本人は、すべてのものがあなたを支持しているわけではない。…天皇制という…問題についてみば、多くの日本人がそれに反対の意見をもっているのである」と書き(ここでの皇太子は現天皇)、1971年には天皇制という中心への志向を特性とするのが日本の近代の「歪み、ひずみ」だとした。
 岩波新書・あいまいな日本の私(1995)の中にも反天皇的気分の文章はある(例えばp.151-2)。
 朝日新聞が今回彼のコメントを求めたら面白かったと思う。
 大江は民主主義の徹底を「あいまい」にしたものとして天皇・皇室の存続に反対であり、可能ならば天皇関係条項を憲法から削除したいが、「情勢」を見て自説を積極的に唱えてはいない、と推察できる。9条を考える会の呼びかけ人の1人になっているのは、天皇条項廃止とは異なり9条改正阻止は可能性があると「政治的」に判断しているからだろう。
 ほぼ同じことは日本共産党についても言える。昼休みに読んだ朝日新聞の中で共産党書記長が祝意を示していたが、「民主主義革命」達成までの「当面のこと」と付言すべきだ。
 その朝日の1面左側のたしか解説委員記事中で、記憶に頼れば、皇室の「心」・見解も反映させて皇室典範改正すべきと主張していたが、昨秋以降、小泉の私的諮問機関の最終報告書(皇室典範の基本的改正案)に皇室の一部から疑義が出されたときに朝日新聞は<皇室はダマっていろ>旨を「慎む」という語を使ってかなり失礼に、恫喝的に、述べたのではなかったのか。
 日本共産党が「安定的」な皇位継承を確保するために…などと言い出したら奇妙なように、朝日がそのような目的の意見を言うのも本当は片腹痛い。「夏の甲子園」開催と同じく、存立のための「大衆」迎合のつもりなのだろう。
 朝日はかつての戦後50年村山首相談話を継承するか等と質問して「安倍いじめ」を相変わらず続けている。日本共産党の志位某は国内で横田夫妻に逢うこともなく韓国の政党関係者と逢い、彼らが喜ぶ「歴史認識」を述べている。この2団体の動きを知ると精神衛生に悪いが、未来は彼らにはないと達観し、楽観して生きていこう。


-0030/田原総一朗は立花隆よりもマシそう。

 くどいようだが、日本共産党を軽視してはならない。8月25日に機関紙読者数の減少に触れたが、それでも同資料によれば、赤旗本紙30万、日曜版138万の読者がいる(筆坂・日本共産党(新潮新書、2006)p.54によれば、合計で164万)。
 この数字は、一般の書籍が10万も売れればヘストセラ-扱いされるのを考えると、ある種、恐ろしい数字だ。
 毎週1回は100万人以上がコミュニズムを支持する政党の見解を読んでいる。
 先進資本主義国日本で共産党が存在し活動しているのは異常であり、かつそこに日本社会・日本人の意識に独特の問題点又は特徴があるといういうのが私見だ。異常であること、そして異常さをさして意識していないのも異常である、ということを強調したい。
 日本共産党の存在は日本社会党のそれとともに60年安保や70年安保頃の闘争又は国民運動をどのように総括するかともかかわる。デモに参加したことを無邪気に書き、「60年安保」をおそらくは反米民族・民主主義闘争として肯定的に評価することを疑っていないようである立花隆・滅びゆく国家(2006)に比べて、同じくデモに参加していた田原総一朗・日本の戦後―上・私たちは間違っていなかったか(講談社、2003.09)は、「あの国民運動ともいうべきエネルギ-はなんだったのか」と問うているだけでも(p.32)-全部は未読だが-立花よりも良心的だ。
 私見では、日本の軍事力の弱小さを前提とすると、対等性の向上、有事のアメリカの防衛義務の明記等を図る60年安保改訂を当時の国民は反対すべきではなかった。だが、社会主義「革命」をめざす政党と「進歩的・良心的」知識人の「煽動」があったからこそ(マスコミも当然に入る)、大「国民運動」にまでになった。
 南原繁をはじめとする「知識人」たちの責任は頗る大きい、と思う。むろん日本社会党は欧州社民主義政党と異なり容共・反米の立場だったのであり、日本社会党のブレインたちの責任は極めて大きく、歴史的に誹られても仕方がない、と考える。
 このあたりの点はさらに勉強して、いずれまた、70年安保や「全共闘」問題とともに、触れるだろう。
 どのような時代を生きてき、どう当該時代を評価するかは、今後の私の重要な、形式的には趣味としか言い様がないが、作業なのだ。
 ドイツは統一に際してナチス前の帝国の領土回復を国家としては諦念した。が、個人次元では複雑な想いをもつ人もいることが判る-今朝の読売6面を参照。

-0029/「国内の左翼の策動」。あてはまるのは朝日新聞と誰々?

 米国は1日に模擬弾道ミサイル迎撃実験をして成功し、2日に北朝鮮は自国攻撃目的等と非難した。北朝鮮が核実験に成功し日本に向けて4、5発を誤りなく発射すれば、迎撃しないかぎり、日本と日本人はなくなる。かかる情勢への関心を全く示さず、「平和ボケ」の、ありきたり議論を展開していたのが、立花隆だった。
 読売1-2面の岡崎久彦寄稿は立花や大江とは違う「リアル」な認識が背景にある。靖国「問題」は「国内の左翼反体制運動から端を発し」た、消えた問題が再燃した「発端は例外なくすべて国内の左翼の策動である」とズバリ指摘している。朝日新聞社等の、と具体例を挙げないと意味不明の読者がいるのではと心配するが、朝日新聞等の「策動」者、高橋哲哉氏等の「策動」加担者はどう読んだだろう。
 かつては新聞社は報道機関と考えていたが、安倍晋三総裁・総理阻止の明瞭な姿勢とそのための布石等々を見ても(教科書、従軍慰安婦、NHKへの政治家圧力「問題」もそうだが)、少なくとも朝日新聞だけは「策動」団体(「謀略」団体と言う人もいる)と言ってよいと思う。正面から「安倍総裁の実現に反対する」、「福田総裁の実現を希望する」とかの見出しの社説を堂々と書けばまだましだが、皮肉・あて擦り・暗示が多いのが「卑劣」でもある。言い古されたことかもしれないが。
 荷宮和子・若者はなぜ怒らなくなったのか(中公新書ラクレ、2003)は「団塊と団塊ジュニアの溝」との副題が気を引いたが、「あとがき」を先ず読んで、この人自身の表現を借りると、この人は「アホである」(p.245)

 多少中身を見ても概念定義・論理構成不十分。
 同・なぜフェミニズムは没落したのか(同前、2004)を既所持で第一章まで読んでいたが、この人自身の表現を借りると、この人は「アホである」(p.277)。活字文化のレベルはここまで落ちている。何の学問的基礎・専門知識もなく、喫茶店のダベリを少し体系化しただけのような本が出ている。
 そんな傾向を全否定はしないが、中公ラクレ編集部の黒田剛司氏は自社の名誉・伝統のためにも執筆者の再検討を。2冊ともたぶん100~300円で買った古書なので大した打撃ではないが、読んだ多少の時間が惜しい。小浜逸郎・やっぱりバカが増えている(洋泉社、2003)の証左かも。が、「バカがこれ以上増えませんように」(前者最末尾)だとさ。

-0028/視野の狭い立花隆は「曲学阿一世」ではないか。

 月刊現代を買う。立花隆「安倍晋三に告ぐ、『改憲政権』への宣戦布告」が載っていたからだ。一読して、幻滅。
 こんなのを巻頭にするとは月刊現代も落ちぶれた。全体としてもかつてはもっと賑やかで興味を惹く記事が多かった気がする。
 立花論文?は8月15日の南原繁関係の集会にかかる原稿が元にあるようで、羊頭狗肉著しい。特定の政権への「宣戦布告」とワメくためには現在の日本を取り巻く国際又は東アジアの政治環境の認識は不可欠だろうが、異常にも、アメリカも北朝鮮も中国も、言葉としてすら出てこない。そして基本は岸信介のDNAを受け継ぐ安倍を立花が精神的には「DNA」を引くと「思うくらい」の南原繁を援用しながら批判するというもの。これを読んでほとんどすべてにノ-と感じた。
 「安倍の政治的見解は、ほとんど戦後民主主義社会の根幹をなす枠組みを全否定しようとするもので、いわば南原繁が作ったものをすべてぶちこわしたがっている…」。??? 南原繁が「あの時期にあったればこそ、我が日本国はいまこのようにあることができるのだ」。??
 もっとも、「戦後の金権腐敗政治、対米追随路線」は南原のではなく、岸信介のDNAを引く人々によるというから、立花によれば、現在の日本のよい(と彼が考える)点は南原DNA、悪い点(同前)は岸信介DNAによる、とキレイに(アホらしく単純に)説明できるわけだ。
 だがそもそも、南原繁とはそれほど立派な人物だったのか。東大学長だからそれなりの見識と能力はあり「人格的」魅力もあったのだろうが、歴史的に俯瞰してみると、全面講和論は間違いだったし、60年安保闘争も決して日本国民の「成果」ではない。吉田茂の「曲学阿世」との批評は結果として適切なものだった、と考える。
 全面講和論は客観的にはコミュニズム諸国に迎合し追随するものだった。立花隆は、世間の一部におもねているという意味で言うと、「曲学阿一世」ではないか。60年安保闘争は又書くとして、当時これを「煽った」大学人・知識人たち(主観的には共産党や共産同のように「革命」への一里塚と見ていなくとも)の氏名をいつかすべて記録しておきたい。直後の総選挙で社会党等が政権を取れずかつ1/3以上の議席を得たことはその後の日本政治に決定的影響を与えた。自主憲法棚上げについても、経済至上主義選択についても。「永世中立」論の主張者・南原繁の肯定的な歴史的評価は早すぎ、かつ誤っているだろう。

-0027/防災の日。安倍晋三は憲法改正・教育改革を鮮明に?

 初めての月変わり。昨日は勤務先のあと「軍艦」、古書店と回ってまた10冊ほど増えた。
 読売朝刊、盧武鉉大統領不支持率75%と。これで交替させる制度が憲法上ないとは、5年の任期保障は長過ぎということではないか。いろいろ読むところによると「異常」な政権で、まともな韓国々民の「苦労」も思いやられる。
 安倍晋三は第一に憲法改正、第二に教育改革(教育基本法改正等)を政策にするとか。朝日・岩波や「進歩的文化人」との正面対決が予想される。長年にわたって対決を避けてきた与党(自民党等)にこそ弱腰で問題があったもいえる。だが、ひところと違って護憲派「進歩的文化人」も小粒になってきた。大江健三郎が最大の「左翼」デマゴ-グ、いや失礼-イデオロ-グと位置づけられている印象もある。同じ作家の井上ひさしも迫力はないし、奥平康弘はその分野(憲法学)では大物だとしても一般的な通用力はない。要するに「カリスマ」がいない。といっても、激しいゲリラ戦的抵抗はあるだろう。
 靖国問題(ちくま新書、2005)を書いた高橋哲哉が日本評論社から「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」と題する本を出している。当面読むつもりはないが、何ともひどい、詐術的な題名だ。「憲法が変われば戦争になる」という(それこそ議論が必要な)命題を前提として措定しているのだから。
 著者はまともな「論理」を語れる学者なのか。日本評論社も少なくとも特定分野については歴史的に有名な「左翼」出版社で、この出版社についても今後何か書くだろう。
 渡部昇一他・日本を虐げる人々(PHP、2006)によると、保阪正康の「昭和戦争」(読売用語)観は、GHQ・東京裁判と同じらしい。なるほど、靖国神社を批判し、朝日が保阪に投稿を求めるはずだ。同・あの戦争は何だったのか(新潮新書)は未読のままだが。
 終戦後に生まれた「団塊」世代者としては占領の実態は従来よりもきちんと知っておきたいと思っていたのだが、占領(東京裁判もこの時期)を語ることは「あの戦争」の評価・理解、「戦後」史全体の評価・理解にかかわることが判ってきて、まことに重たい。朝日新聞的、かつての教科書的知識のままでいるのと比べれば、はるかに幸福ではある。

-0026/坊主憎けりゃ袈裟-。三島由紀夫が嫌いなら追悼発起人まで。

 坊主憎けりゃ袈裟まで、という語がある。祀られている者(の中の少なくとも一部の人々)は憎まれるべきだという理由で参拝者を非難するのは、この語が表現するのとよく似た現象ではないか。
 人が亡くなるととくに何がしかの業績を残した人については追悼集会・お別れの会が開かれることがあるが、そうした会の発起人たちは、故人のすべてを「讃え」、故人の全ての行動・言葉に「賛同」しているだろうか。いくら立派な人だったとしても、そういうことは通常はありえないと考えられる。
 1970年に三島由紀夫が自裁したのち、文学者・作家を中心に42名が発起人となって「三島由紀夫追悼集会」が開かれた。発起人代表は林房雄。発起人の中には倉橋由美子、桶谷繁雄、水上勉らがいた。唐突に読者は感じるだろうが、この追悼集会発起人全員の名を明記した上でこれらの人々に対して、「日本が朝鮮や中国などを侵略したこと」、「日本の侵略軍が…一般民衆を虐殺したこと」、「それらすべてが、最終的には『天皇』の名のもとに行われたこと」、これらの「事実に対して、あなた方はどう思っているのだろうか」との問いを発した人物がいた。
 上の3点と三島由紀夫の「思想」との関係もさることながら、追悼集会の発起人として名を連ねただけでかかる質問を受けるとは、発起人たちには訳がわからなかったのではないか。それが、常識的な、普通の感情だろう。追悼集会の発起人になったことが三島の「思想」・言動の全てを肯定し賛同することになるとはとても思えないからだ。
 上の問いを発したのは本多勝一(同・殺される側の論理(1982、朝日文庫)p.298-)だ。
 「名を口にするのも不快な一小説家」、「あのハラキリ小説家」と言うくらいだから余程三島由紀夫が「憎い」か「嫌い」なのだろう。だが、死後に追悼集会が開かれることに、そして42名の発起人がいたことに、なぜこんなに憤るのだろう。少なくとも私には理解不能だ。神経が違うとでもしか言いようがない。
 ところで、勝谷某が昔某女性歌手のさよならコンサートへ行ったと書いているが、10歳ほど年上の私も同じ会場にいた可能性がある。

-0025/沖縄集団自決冤罪訴訟・大江健三郎など。

 2005年10月28日に大阪地裁法廷で朗読された沖縄集団自決冤罪訴訟の訴状要旨の最後は次のとおり(徳永信一・正論2006年09月号による)。
 「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よつて、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰藉料の支払いを求めるものである」。
 原告側に有利な発言をする人物も近日登場したようである。
 すでに各所で言及されているが、小泉靖国参拝にかかる世論調査報道は各紙とも賛成・よかったが反対・よくなかったを上回っていたところ、なぜか最も遅かった朝日でも前者優勢と出た。49%対37%だ。0815前には昭和天皇発言にかかる富田メモ報道もあってか反対の方が多かった、「それなのに」と朝日中枢部はガックリしているだろう。が、朝日はメゲない。「小泉首相の<8・15参拝>は<よかった>49%、<するべきではなかった>37%で肯定的な見方が多いが、次の首相の靖国参拝となると一転、反対が増える。…7月調査の60%より少ないものの引き続き多数で…」(23日)。なんと、現首相については副文・従属節の中で触れ、主文・主節で次期首相については<反対が多いんだよ>と書いて、重点を自社に不利な前者にではなく後者に置いているのだ。さすがに「築地をどり」名取りは長年の経験によって多少のことでは悲観と失望を白状しないシタタカさを会得している。
 これまた旧聞だが、8月3日に韓国民族派極左政権の韓明淑首相は、<アジアには今でも日本により強制動員された「めぐみさん」が多数いる>と日本の記者に発言。事実かどうか極めて怪しい「強制連行」と北朝鮮の拉致を同一視することに唖然とするし、こんな人が首相とは韓国政府の性格とレベルを示している。だが、日本のマスコミはこの発言を「妄言」として何故抗議し、取消すまで紙面で頑張らなかったのか。朝日新聞は自国の過去・現在の非をあげつらうなら、なぜこの韓発言にも食いつかないのか。近隣諸国条項は日本の大半のマスコミにもあるようで、情けないこと著しい。

-0024/大江健三郎は「事実」と「情念」・面子のどちらを選ぶ?

 拉致被害家族会等(増元氏等)との意見交換会を突然に中国当局が中止した。北京まで(おそらく家族会等の負担で)来させておいて、今更北朝鮮に配慮とは失礼だ。こういう国なのだが、これを伝えたNHKの午後9時からのニュースの男性アナは<日中の微妙な国家関係が影響かも>旨を最後にコメント。何を中国に遠慮しているのか。約束違反・予定背馳そのものに日本政府に責任があるのか。朝日某ほどは目立たないが、NHKも奇妙な所がある。
 春頃日付が変わった後のニュース解説をつけっ放しでPCに向かっていると、<国民投票は憲法を変えることを国民が阻止する最後の砦になる側面もある>と聞こえてきた。国民の意思で憲法改正する最終的手続たる側面、には何故言及しないのかと、そのとき不審に思ったものだ。
 大江健三郎につき、谷沢永一・こんな日本に誰がした(1995、クレスト社)があり少し読んだ。表紙にもある「戦後民主主義の代表者大江健三郎への告発状」との副題はスゴい。この本は20万部売れたらしい。
 大江は谷沢永一・悪魔の思想-「進歩的文化人」という名の国賊12人(1996、クレスト社)の対象の一人でもあるが、「悪魔の思想」とはこれまた勇気凛々のタイトルだ。類書に日本を貶める人々、日本を蝕む人々(各PHP)等もあるが、これらに比して谷沢のは鼎談でなく断片的でもない。
 大江につき今最も関心があるのは、第一審・大阪地裁段階のいわゆる沖縄自決命令訴訟の行方だ。大江と岩波が被告だが、沖縄タイムズ社の本に書いてあったから信用したというだけでは、沖縄ノート(1970、岩波新書)の記述を30年以上訂正しなかった過失を否定するのに十分ではないことは明らかだろう。ノーベル賞作家は、あるいは誰でも、原告の政治的背景をアレコレ言う(大江・朝日新聞2005.08.16)前に、真の「事実」は何だったかに関心をもつべきだ。
 曽野綾子・沖縄戦・渡嘉敷島-「集団自決」の真実(ワック、2006)も参照。上の岩波新書は持っていたはずだが所在不明で購入要かも。大江等擁護の意見も読んでみたが、事実よりも「自由主義史観」者たちに負けるなとの感情過多の印象だ。
 いわゆる百人斬り名誉毀損訴訟も気になる。稲田朋美月刊・WiLL8月号参照。南京事件、本多勝一等にも関係するが、下級審で勝てず最高裁に上告中。

-0023/上野千鶴子にとって日本社会は居心地がいいはず。

 26日付朝日の続き。保阪正康は「無機質なファシズム体制」が今年8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えているが、「無機質なファシズム体制」の説明はまるでない。解らない読者は放っておけというつもりか。編集者もこの部分を「…を憂う」と見出しに使っている。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かってる(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか? 訳のわからぬ概念を使うな。使うなら少しくらい説明したまえ。
 今年のいつか、喫茶店で朝日新聞をめくりながら今日は何もないなと思っていたら、後半にちゃんと?大江健三郎登場の記事があったことがあった。26日付も期待に背かない。別冊e5面の「虫食い川柳」なるクイズの一つは、「産んだ子に〇紙来ないならば産む」(〇を答えさせる)。
 月刊WiLL10月号で勝谷誠彦が朝日新聞の投書欄に言及し、同様の傾向は一般の歌壇にもあるらしいが、「築地をどり」の所作は周到にクイズにも目配りしているのだ。
 小浜逸郎・ニッポン思想の首領たち(1994、宝島社)の上野千鶴子の部分を読了。小浜の別の複数の本も含めて、関心の乏しかったフェミニズムに関する知見が増えた。
 詳しく感想を述べないが、一つは上野の唯一?の、小浜が酷評する理論書(1990)でマルクスが使われていることが印象的だ。マルクス主義(この欄ではコミュニズムとも言っている)やその概念等の悪弊が上野そしてたぶんフェミニズム全般に及んでいる。今日ではマルクス主義は学問的にもほぼ無効に近いことを悟るべきだ。
 1990年本の執筆時点ではまだソ連もチェコスロバキアもあったのかもしれないが。
 二つは戦後のいわば男女平等教育の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。
 フェミニズムなるものも「戦後民主主義」教育の不可避の所産でないか。一般人の支持は少ないだろうが、現実政治・行政への影響は残存していそうなので注意要。フェミニストたちには尋ねてみたい。「搾取」・「抑圧」をなくし人間を「解放」しようとしているはずの中国・ベトナムで(又は旧ソ連等で)女性は「解放」へ近づいている(いた)のか、と。

-0022/あまり楽しくない話題を旅先の朝日新聞で読んでみた。

 26日朝、ホテルで朝日新聞を買ってみると、25面に「私の8月15日」という続き物らしき保阪正康の執筆文章。
 8/15の靖国参拝者は増えたようだが物見遊山派少なくないと参拝者増の意義を薄めたのち?、小泉首相靖国参拝に「反対である」と明言し、その理由として靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」と言う。
 初めて保阪正康の見解を知った感じだが、この理由づけはいけない。かりに靖国神社に関する説明が正確だとしても(この点も検証が必要だが)、参拝がなぜ「こうした歴史観を追認することになる」のかの説明が欠落している。また、靖国神社が「旧体制の歴史観」を温存していなければ反対しないのか、温存していないと認めるための要件・条件は何なのかには言及がない。あるいは、神社は明治以降に軍国主義のために設立されたものだからすでに反対なのか、国家神道の大元だったから反対なのか、神道の宗教施設で憲法違反だから反対なのか、要するにどのような条件・要素がなくなれば「反対しない」のかよくわからない(この紙面かぎりだとA級戦犯合祀問題とは無関係の理由づけのようだ)。
 Web上での情報によると保阪正康は雑誌「世界」でも靖国の宮司の「特異な歴史観」を批判しているらしい。「特異」とは一概にいえないことはこの欄で既述。
 首相靖国参拝を中国政府・共産党はA級戦犯合祀後数年経ってから批判し始め、江沢民は永遠に日本政府に言い続けろ旨を同文選に書いているらしい。彼国は靖国参拝問題を国際政治・外交上の一問題化しており、かつその彼国は共産党独裁「社会主義国」だ。
 この問題はすでに国際政治・外交上の「闘い」なのであり、彼国に結果として従えば別の要求・批判が続出することは目にみえている。問題は靖国神社のもつ「歴史観」の評価よりも中国の政治的言論に屈するか否かだ。この優先順位の見方が保阪と私とでは異なる。コミュニストたちが問題に絡んでいるのであり、現実には国内の「歴史観」論争では片付けられない側面が発生しているのだ。
 結果として保阪の論は朝日と中国政府・共産党を喜ばせ、彼らに武器を与える。保阪は(ひょっとして以前からなのかもしれないが)好中派・媚中派として彼国情報部にリスト・アップされたのではないか。ついでに、読売に登場していたときは「反対」の明示はなかったのだが…。

-0021/旅をして日本と大江健三郎を考える。

 25日夕方に旅に出た。往復の列車の車窓から見ると、山の樹々の緑は深く、まだまだ日本の自然は美しい。朝鮮戦争の際のゲリラ活動のために朝鮮半島の山は樹木が少ないと某ソウル市民からかつて聞いたことを思い出した。都市部と地方・農村部の「格差」が言われているようだが、邸宅といってよい大きな農家風住宅をしばしばみると、住宅は都市部の方が貧困、「格差」があっても中国や北朝鮮のそれとは質・レベルが大幅に異なるはず、と感じる。
  出立する直前に届いて目次を見て持参した小浜逸郎『いまどきの思想、ここが問題』(1998、PHP)を旅行中に読了した。この中の大江健三郎批判(分析)は秀逸ではないか。大江についてはこの欄で今後何かを書くだろう。上野千鶴子については、小浜が別に本格的に論じているという本を読んでからやはり(再び)何か書こう。小浜は、シタリ顔で論じ、字数を稼いでいるような箇所は別として、予想どおり<面白い>論者だ(たしか24日に、同『男という不安』(2001、PHP)も読了)。
 ただ、一番最後の国家論のうちの「ユートピア」の叙述は批判の対象になりうる。それを予期した「ユートピア」という語なのかと今ふと思ったが、「個の身体が実感しうる範囲の小さな共同体」と国家=「超越的な調整機構」の関係は、日本の戦国時代の一時期又は一地方や「くに」のない縄文式時代を想定すると一般化できないが、前者がつねに論理的に先に成立しているものではなく、後者の(機能・情念としての)「国家」があってこそ前者も平穏かつ秩序をもって成立しうるのであって、前者の存在を論理的につねに先行させるとすれば正しくないようにみえる。

-0020/日本共産党に睨まれると恐いが、良心と正義はこちら。

 朝日新聞や北朝鮮・中国問題については毎月の月刊誌に論文・ウォッチング記事が出るが、日本共産党(や社民党)については必ずしもそうでないとの印象がある。日本共産党を継続的に批判的にフォローする連載記事・企画をいずれかの雑誌は載せてほしいものだ。
 サイトでは、ずばり「共産党問題、社会主義問題を考える」とのタイトルの詳しいものを初めて見つけた(まだまだネット利用が足らない)。
 このサイト内の分析によると、機関紙赤旗の本紙・日曜版合計の発行部数は、1980年からの「25年間で、最高時の355万部から、187万部減り、減紙率52.7%になっている」。また、1990年からの15年では本紙は「54万部から、24万部減り、…減紙率44%」、日曜版は「232万部から、94万部減り、減紙率40.5%」、併せると、「東欧革命以降の15年間」で本紙と日曜版読者のいずれもの「ほぼ40%以上が、共産党に愛想をつかして、離れていったのである」。
 なるほど、筆坂秀世・日本共産党(新潮新書、2006.04)p.190が「共産主義社会などまったく将来への展望がないのだから…」と本音を語っているのも分かる。だが、安心?してはならない。500万票近く、投票者の7%という数字は決して小さくない。
 川上徹・査問で印象的なのは、1972年1月(と読める。いずれにせよ、査問より以前の正月)に彼が見た宮本顕治に関する叙述だ。p.21以降-「私の眼は、…大きな人影を見つけだした。その人影が放つ視線を避けながら、…人物の周囲をぼんやりと眺めた。……それまで人間の視線を恐ろしいと感じたことはなかった。背筋を冷たいものが走る、…自分が受けた感覚は、それに近いものだったろうか」。査問中に待たされて「あのときの視線を思い出していた。その視線は、周囲の浮かれた雰囲気とは異質の、じっと観察しているような、見極めているような、冷ややかな棘のようなものであった」。
 この宮本の「視線」を想像すると気味が悪い。宮本は川上が将来の自分とその仲間への障害、妨害、対立「分子」になる可能性がないかどうか、「じっと観察し」「見極めて」いたのではないか。そして、他の同様の人物とともに、「新日和見主義」なる語・内容ともに不分明な「主義」をでっちあげて早々に「危険」の芽を摘み取ろうとし、「成功」したのでないか。実質的に宮本独裁だったことを証明しもする。

-0019/「古在由重先生を偲ぶつどい」の世話役をしたら…。

 大学・学界には、顕然たる日本共産党員やその明確なシンパが他業界に比べて多そうだ。概して優秀な人が多いのにこの党の穏便・微笑路線に惑わされて「おそろしさ」を知らず、せっかくの能力とエネルギーが適切な方向に使われていないのはまことに勿体ない。
 この党の衆議院選挙得票数等を顧みると、60年代末からの「大学紛争」時代を巧妙に立ち回ったことが大きいと思うが、76年・79年の600万、580万(得票率各10.7%、議席数19と41)あたりがピークでその後減っていくが、政治改革=衆議院480議席のうち180もが比例代表選挙のおかげで96年には730万、13.1%と盛り返しつつも、その後再び低減傾向で、03年は480万、8%程度、05年は490万、7.3%で議席数は9。
 かつて「70年代の遅くない時期に民主連合政府を」は現実味が少しはあるように見えたが、今や政権獲得の現実的可能性は全くないと言いうる。だが、先進資本主義国で共産党があり500万票近くを獲っていること自体がじつに不思議なことで、日本人独特の優しさ、急激な変化を望まない気分(これは日本共産党に+に働いている)、曖昧さ(社会主義・共産主義を理解し支持してもいないのに批判票としてのみ、又は「人間」のしがらみで共産党に投票する)等々を示している。アメリカ、イギリス、ドイツ、カナダに共産党(少なくとも日本ほどの)は存在しないし、イタリアは名称変更した(フランスはどうだったかな?)。日本はこの点で欧米に比して極めて「異常な」国だ、という認識をどの程度の人が持っているだろう。
 川上徹の名も、「新日和見主義」批判なるものも聞いたことがあったが、この批判の対象に川上徹(60年安保後の再建代々木系全学連委員長、70年頃民青幹部)もなっていたことを知ったのは同・査問(筑摩書房、1997)が宣伝された時だった。
 今年になって中古の文庫本で読了したが、査問・党員権停止後も90年11月に離党届持参の際に「除籍」されるまで18年以上「党員」であり続けたことに、<イデオロギー>への囚われの怖さを感じた。18年とはこの人の32歳から50歳までの「壮年期」にあたる。党関係の要職に就けるはずはなく、生活自体が苦しかったよう。もう1点印象に残ったことは明日に。

-0018 /2008年北京五輪へ行って、お腹を毀したくない。

 読売6面の小さな記事によると、2004年以降の2年間余、中国での外国メディア記者の拘束の件数38、人数85、取材妨害は15ケ国メディアに対して72件、うち記者等への暴行10件、写真やノートの没収21件。中国の実態の一端だ。かかる状況に文句をつけると「内政干渉」、「中国の自由・民主主義を他国と同列に論じられない」とか言うのだろう。日米・欧州的基本価値を共有しない異質な「社会主義国」だのに、一衣帯水とか漢字文化に目眩ましされて、チャイナスクール卒外務省お歴々の中には「東アジア共同体」構想をめざす人もいるらしい。
 せめて中国共産党の支配が終わり毛沢東以降歴代の党書記の全ての「罪」が明らかになり、かつ北朝鮮「金」王朝が終焉してからにしてほしいものだ。ECはすべて自由主義国でかつドイツの社民党もNATOを承認しドイツへの米軍駐留を肯定するという(日本の社会党、現社会民主党と正反対の)現実的対応をとる国々で構成されている。そのような基盤は現在、東アジアにはまるでない。
 誰かがどこかに書いていたが、ドイツナチスは1936年のベルリン五輪の9年後に滅び、1980年のモスクワ五輪の9年後にベルリンの壁がなくなり、11年後にソ連が崩壊した。とすると、2008年北京五輪から9~11年後の2017~19年には大きな世界史的事件が東アジアで起きるかも。その前後の日本を巻き込んだ大暴発又は大混乱はいやだが。
 毛沢東の矛盾論・実践論をなるほどと感心しつつ読んだのは1970年頃だった。矛盾・対立には根本的なものから些細なものまであるので見極めが肝心ということはたぶん書いてあったと思う。
 優先順位の選択といってもよいが、国際政治でも国内政治でもこの見極めが大切で、日本と人類にとっての最大の矛盾・対立はコミュニズムとの間にある、コミュニズムの国と勢力に絶対に屈してはならない、が私見だ。ルーズベルト又はアメリカはコミュニズムへの認識が甘すぎた時期があったようだ。毛沢東・共産党が中国の覇権を握る可能性を真剣に予測し得ていたら、戦争中の日本への対応も違ったのでないか。ソ連と中国で計1億人以上が殺戮されたともいわれる。権力把握者から「嫌いな」主張者と感じられたとの理由だけでも。「政治犯収容所」と容赦ない殺人を伴うコミュニズムの「おそろしさ」を-日本共産党とも決して無縁でない-、昔風の「反共」で済ませず、深刻に考えておく必要がある。

-0017/不破哲三さんの本を併せて瞥見しても、面白いかも。

 党綱領のほか不破哲三さんの本を読むのも勉強になる。
 綱領は1989/91年のソ連・東欧の共産党支配の崩壊は「社会主義の失敗」ではなく、これらは「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」だったので「資本主義の優位性を示すものとはならな」い、という。
 これはどう見ても<後出しジャンケン>だ。つまり、ソ連等の崩壊のあとでソ連は「覇権主義」の「歴史的巨悪」で「社会主義国」でなかった、と言い立てる。ソ連は「社会主義国」でないといつから言い始めたのか。ソ連の崩壊以降でないか。不破氏も、例えば1977年日本共産党党大会でソ連は「社会主義の生成期」と見ていて社会主義をめざす国であることを否定していなかったと明記している(不破・新日本共産党綱領を読むp.184(新日本出版社、2004))。ソ連共産党に対する自主性があるかに見えたルーマニアを社会主義志向国と見つつ同共産党の大会に出席したのはチャウシェスクが殺された2年半前ほどではなかったのか。1950年代からスターリンのソ連は社会主義と異質な国と主張していたならともかく、1992年以降になってよくもヌケヌケと自分たちを合理化する言辞を考え出せるものだ。恥ずかしいとは思わないのか。党の言うことを信頼していた党員・シンパに謝罪するつもりはないのか。
 日本共産党にとって今の希望の星は中国、ベトナム、キューバのようだ(北朝鮮は挙げていない)。不破・党綱領の理論上の突破点について(日本共産党、2005.3)p.77-は、中国の「社会主義的市場経済」を「理論」的に?擁護する。
 レーニンはロシアで実践しなかったが「市場経済を通じて社会主義」へという路線の可能性を肯定しており、「中国やベトナム」はレーニン構想の「道」に新たに挑戦している、のだとさ。不破が2005年に中国、ベトナム、キューバは「社会主義」に向かっている国である旨明記していることを我々はきちんと記憶しておこう。中国共産党の支配が崩壊したあとで、中国は「真の社会主義国」でなかった、となど言われるとシラケルから(もういい加減白けているけど)。上の本では「専門家筋の観測では、中国の経済規模がやがて日本を抜き、ついでアメリカに追いつき、さらに上回ってゆくことも時間の問題だという見通し論が、いよいよ強くなっているようです」(p.71)とも書く(立花隆も同感か)。このハシャギようは、予測が外れるとどうなるのだろう。

-0016/日本共産党綱領を瞥見してみると面白く、楽しい。

 1991年のソ連解体と東欧諸国の「自由」化によって<冷戦>は終わったとも感じたが、東アジアには中国・北朝鮮・ベトナムがあり前二者は日本への現実的脅威なのだから、少なくとも東アジアでは<冷戦>は継続していると見るのが正しい。<冷戦>とは社会主義経済・共産党独裁政治と資本主義経済・自由主義政治の戦いであり、日本国内でも前者を目指す又は前者に甘い勢力は残存しているので(日本共産党・社会民主党・これら周辺の団体等)、国内での戦いも継続している。
 日本共産党もHPをもつことを今年になって知ったが、そこにある2004年改正同党綱領にはまず「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」とあるが、ここですでに虚偽がある。戦後もかなり後からの造語「科学的社会主義」をさも当時の概念かのごとく使っているのは別としても、<共産主義インターナショナルの日本支部として、天皇制と日本帝国主義の打倒をめざして(=大日本帝国の敗戦・崩壊をめざして)、ソ連共産党の理論的・財政的援助を受けて設立されました。>と述べる方がより正確だ。そのあとで「たたかった」を6つ並べていて戦前に一貫して継続的に「たたかった」かのごとく書くが、これも虚偽=ウソ。長く見たとしても党としての活動は1934年くらいまでで、10年間以上は見るべきものはない。獄中で「帝国主義戦争反対」と念仏の如く呟くことも「闘い」だったというなら話は別だが。それに、1934年頃の中央委は半分以上がスパイで実質は特高にコントロールされていたのだ(笑っちゃうね)。22年以降一貫してでなく、1961年綱領・宮本体制の確立が実質的には現在の党の開始で、これは自民党、日本社会党よりも遅い。そのあと、「平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けた」、ポツダム宣言受諾は「日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示し」、「党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明した」と書く。よくもまぁヌケヌケととは、こういう文章にこそあてはまる。まずは自党の党員を騙す=洗脳しておく必要があるのはわかるが。
 共産主義、コミュニズムへの批判は絶えず意識的に行うべきだ。とくに共産党が現に活動している国では。

-0015/藤代孝七船橋市長は同市職員・土橋悦子を懲戒免職に。

 昨夜就寝前+2.2、さっき+2.3。4時間無駄にし、うち1時間は夜とはいえ屋外の温風の中で憔悴した。
 温風といえば、船橋市役所の同市職員・土橋悦子に対する措置は「温風」すぎる。迂闊にも今年になって知ったのだが、船橋市職員(司書)で市立西図書館に勤務していた土橋悦子という女性が、(冊数が多い順に)西部邁、渡部昇一、福田和也、西尾幹二、長谷川慶太郎、小室直樹、谷沢永一、岡崎久彦、日下公人、坂本多加雄、井沢元彦、藤岡信勝、高橋史朗、福田恒存、一団体の、同図書館所蔵の著書計107冊を除籍・廃棄した(リストから外して捨てた)。うち個人8名等が慰藉料請求訴訟を提起し、第一審・控訴審ともに請求棄却だったが(但し、例えば1審判決は土橋は「原告…に対して否定的評価を抱いていた」、「他の職員に対して原告らの著書を書棚から抜いてくるよう指示して手元に集めた…」、「本件除籍等は、原告つくる会らを嫌悪していた被告A(土橋)が単独で行った」と認定し、市との関係では土橋の行為は「違法」と明言していた)、最高裁は昨年7月14日判決で「公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは、当該著作者が著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なう」、「公立図書館において、その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は、法的保護に値する人格的利益である」として国家賠償法上も違法となるとし損害賠償請求が認容されるべきものとして破棄差戻した。これを受けて東京高裁は昨年11月24日に原告一人3000円+法定利息という少額ながら市への請求を認容した。
 土橋悦子は公務員である。が、人の「思想」・「主張」によって不利に「差別」的に取扱った。「嫌いな」主張者に市の施設(水道も公園も)の利用を拒み、極論すれば市立病院で意図的に不利に扱って死なせることに等しい。公務員に対する根本規範(職務の公正・中立性)を侵害することの明白な極めて重大で「深刻」な非違行為だ。船橋市長は懲戒減給処分しか土橋にしていないようだが、懲戒免職処分に値する。被害者が「特定」の方向の人々らしいから言うのではない。逆の方向?の人々でも問題の本質は同じ。右か左かの問題ではない。不正義か正義か、悪か善か、「歪んで」いるか「真っ当」かの問題だ。

-0014/再び(三たび?)保阪正康を話題にしてみよう。

 数度触れた、保阪正康の松平某元靖国宮司への「倒錯した」あるいは「特異な」歴史観という批判は、やはり適切でないのではないか。19520428発効サンフランシスコ講和条約の1条aは「日本国と各連合国との間の戦争状態は、…この条約が…効力を生ずる日に終了する」と定めていることを確認した。同条約は1952年04月28日までは「戦争状態」と明記しているのだ。
 とすると、東京裁判等(中国での「戦犯」裁判を含む)はまさに「戦争状態」のさ中でなされた「裁判」に他ならず、刑死者は「戦死者」と言っても誤りではない(積極的に主張しているのではない。そういう言い方も十分に成り立つという意味)。保阪は昭和史に関する知識豊富で尊敬に値するが、松平某元宮司への批判がややエキセントリックなのはなぜか。
 保阪はかつて自衛隊イラク派遣に反対していたが、それはいいとしても、その理由として小泉首相が「昭和史」を知らない・学んでいない、日本はまだ軍事行動をする体制等をもたないことを挙げていた(同・昭和戦後史の死角p.306-)のは必ずしも説得的でない。かりに自らの「昭和史」に関する知識の自信が前者につながっているだけだとすると、結論はいいが理由付け・背景知識が問題だとして反対する愚論とどう違うのかと問われかねないのでないか。
 後者の理由については、では保阪は軍事行動をする体制等の整備のために積極的に発言しているのか、との横ヤリ的疑問も可能だ。この段落の文がやや強引なのは認めるが、いずれにせよ保阪氏のスタンス・正確な主張内容は素人の私には解りにくい。
 司馬遼太郎が亡くなって6年半。偉大といってよい人だったと思うが、とりわけ死後は司馬批判を中心とする本も出てきた。第一グループは延吉実・司馬遼太郎とその時代/戦中篇同・-戦後篇(青弓社、2002、2003)で、司馬のプライバシーに関する暴露内容に驚くとともに、なぜそんなことくらいを生前の司馬は断固として隠したのだろうとも感じた。第二グループは福井雄三・「坂の上の雲」に隠された歴史の真実同・-と東京裁判(主婦の友社、2004、2006)で、「坂の上」の日露戦争勝利までと異なる<昭和戦前は暗黒>史観=司馬史観は妥当かという基本的問題提起をし、乃木希典やノモンハン事件の評価も異なる。司馬の軍隊経験がその後の昭和の日本軍への評価に影響を与えている(客観的とはかぎらない)のは確かだろう。

-0013/塩崎外務副大臣モスクワへ。筑紫ニュースは見たくない。

 一昨日に安さと目次見出しを見て古書で買った小浜逸郎・「男」という不安(PHP新書、2001)の第三章をその日の夜に読んでいると歯切れもよく面白いので、昨日行った軍艦、イヤ船舶のような形の巨大施設内の書店で同・やっぱりバカが増えている(洋泉社新書、2003)を買い、上野千鶴子批判の全部と立花隆批判の中途まで読んだ。初めての著者だがもっと買い込む予感がする。楽しませる文章が書ける人で、「自由」そうなので歴史・社会の見方についても示唆を得られるだろう。いったい何冊を平行して読んでいるのか、と自問すると恐いが。
 TBS・某氏の番組については、出版後すみやかに読んだ中宮崇・天晴れ!筑紫哲也…(文春新書、2006.02)は超ド級に面白く(ある意味では超気持ち悪く)、一気に読み終えた。TBS・某氏のニュース23はまず観ないので、1年に1度くらい、かかるウォッチング本を貴重な歴史的記録として、文春は(でなくてもよいが)中宮崇によって(でなくてもよいが)発行してほしいものだ。全ての月刊雑誌を読めないのと同様、全てのニュース番組なんて見られないのだから。また、実際に視聴するよりもあとから本で読む方が精神衛生にはまだよさそうだ。中宮崇(でなくてもよいが)と文春さん(でなくてもよいが)、よろしく。
 靖国参拝問題でふと思う。個々の首相の個人的判断で可変的なものであってよいのか。東京裁判、「戦犯」、合祀、憲法等々の意味・関係等々を国・国家として整理し統一させておくのが本来だ。小泉首相の釈明・理由づけも完璧とは思えない。内閣法制局・外務省等々、本来なら行政官僚・外務-・法制-が首相をサポートすべきだ。一政治家・一個人のときどきの判断に重要な事項の決定が委ねられるのは好ましくなく、ときには危険だ。内閣法制局は首相靖国参拝の合憲性につき統一解釈を示せ。

-0012/日本の憲法「アカデミズム」はいったいどこにいる。

 8月14日付日記言及の朝日社説に或る「怖さ」を感じたというのは、近衛文麿は自殺させずに殺す=処刑すべきだったとのニュアンスを感じたからだったと思う。昨日の靖国関係の朝日記事でも、どこか外国のことに触れているような冷たさ、一般戦没者はもちろん戦争指導者たちも同じ日本人、先輩同胞だったという感覚の希薄さ、を感じたのだが、気のせいだろうか。
 12付日記の最後は憲法20条でいう「宗教」に神道もキリスト教・天理教も小規模新興「宗教」もすべて同列に含めてよいのかとの疑問だ。歴史的・伝統的に見て、神道が他とは区別されるわが国固有の土俗的なものにすら結びついていることは常識的だろう。
 靖国参拝問題と関連させれば、叙上の如く「神道」を特別視又は例外視できないとすれば、そもそも同行為は憲法20条3項が禁じる「宗教的活動」ではない、「活動」といえるほどの行為でない、として合憲視できるのでないか。伊勢神宮に正月に首相等が又はそれ以外の時でも新被選出首相等が参拝して朝日も(たぶん)問題視してきていないのは、昨日の小泉発言のとおり。このような解釈が無理なら、日本の宗教事情に無知なアメリカ人の発想によるものとして政教分離の憲法規定=条文自体が再考され、改正されるべきだ。
 こうした憲法問題について肝心のわが国の憲法学界=憲法アカデミズムの人たちは何を考えているのか。昨日も憲法学者の名が全く又はほとんど紙面に出てこないのは何故なのか。大学で憲法を講じている者は数百人はいるはずなのに。
 靖国問題に限らず国論分裂そのものが現憲法の見方の差違に由来しているとすらいえる。主権喪失(少なくとも制限)の占領期になぜ憲法という基本法を改正できたのか、不思議だ。本来は主権回復後に同じ内容でもいいから現憲法を国民投票にでもかけておくべだったと思う。GHQが占領末期に憲法改正可能を示唆したが吉田茂等が採用しなかったので「押しつけ」でないとの論(古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫)等)は、「押しつけ」の意味にもより、詳論しないが「詭弁」だ。また、新総選挙により構成された衆議院で審議・承認され、その後「国民によって歓迎され、受け入れられている」から「押しつけ」でないとの論(中村睦男・はじめての憲法学p.18(三省堂)は、上以上の詭弁・ヘリクツだ。
 中西輝政編・憲法改正(中央公論新社)を入手したので、その中の長谷川三千子論文から読んでみる。

-0011/ロシアとどうなる?、買った本は全部読めるのか?

 しばらく有休をとっている。ターミナルに出て10冊以上古書を買う。他に計10冊以上、配達された。
 読売社説。「ところが、…対中外交をどのように構築していくべきかについて首相は説明」せず-尖閣・油田・潜水艦等々外交上の問題は彼国が生み出しているのであり、社説子は小泉にいったい何をせよというのか。A級戦犯につき首相は「戦争犯罪人であるという認識…と国会で答弁」-この答弁は不用意で、取消し又は撤回されるべき、あるいは<東京裁判上の>との限定を施すべきで、この答弁は将来の議論の前提とされてはならない。
 同紙13面の保阪正康の文章-ここでも松平永芳宮司につきA級戦犯合祀の根拠を「特異な歴史認識」と批判している。が、東京裁判も「戦闘状態」の中でのものという理解は、講和条約発効まで米国等は日本を「敵国」視していることになるので十分に成り立ちうる。東京裁判の検察側証人は利敵行為をしていたことにとか、吉田内閣は占領軍の傀儡だったことにとかの批判は、批判の仕方として適切ではない。
 a物理的な戦闘終了=降伏文書交付まで、b「占領」期、c独立(といっても日米安保条約付きだったが)以降、の三期があるわけで、bを前後のどちらに近いものと見るかの問題である。そして、bはcよりはaに近いとの見方は十分に成立しうると思われ、「特異な」とかの批判はややエキセントリックに感じる。保阪はA級戦犯合祀に反対で、その「理論的」根拠を否定したいのだろうが、A級戦犯等を国内法的には「犯罪者」扱いしなくなったこととの関係はどう説明するのか。
 喫茶店で朝日を読んだ。靖国参拝問題のスペース多し。ついでに、加藤紘一自宅火災記事は1面中下。朝日に問うてみたいのは、戦争指導者としてのA級戦犯の合祀さえなくなれば問題はないのか?だ。B、C級戦犯には、映画「私は貝になりたい」にも見られるように一般人・庶民出身も多数含まれる。しかし、(B、C級戦犯も対象とした)東京裁判の全尊重という社是からすると、B、C級戦犯の合祀と彼らの靖国での慰霊・追悼も怪しからんということになるはずだ(中国の言い分も同じ。なお、B、C級戦犯の中には南京100人斬り競争したとの虚報による2軍人も含まれる)。どこか奇妙だとは思わないのだろうか。
 まあ、いい。朝日新聞には、重要な問題については朝日の主張と反対の主張を採択すべきとの歴史的教訓を生かせるべく、今後も健闘してもらわなければ困る。

-0010/61年めの記念日に二度めの日記でつぶやく。

 睡眠を経て、午後4時すぎ。終戦記念日の読売社説を読んで、朝日の13日の社説は読売の一部のパクリのごとくだと感じた。読売のように1年以上の検証を社内ですることなく、朝日は社説で唐突に、「責任」の有無や程度を一部の個人についてのみ言及したのだ。といって、読売社説に全部納得しているわけではない。朝日の世論調査報道のごとく、100%「侵略」戦争だったと100%の現国民が考えているわけではない。プラス面又は「自衛」面がかりにあったとすれば、論理的には「責任」者でなく「功労」者を検証すべきことになる。読売は「侵略」戦争一色史観なのか。
 小泉首相、午前早くに靖国参拝。昨年に比して方式がより本格的なのは、今年、靖国参拝違憲損害賠償請求訴訟につき最高裁が(合憲としたわけではないが)不法行為法(国賠法)上保護されるべき損害なしとして棄却したことが大きいと推測される。
 新聞社、半藤・秦・保阪等々が戦中史・戦後史について積極的に発言しているが、肝心のわが日本史学界(近現代史学界)=アカデミズムの人たちはいったい何をしているのか。かつて亀井勝一郎氏が批判して論争が生じた岩波新書・昭和史(1959、1995.05-56版)は1995年の増刷だが、依然として朝鮮戦争は南が北侵の旨記述する(p.276)。
 ソ連の同意と中国の了知のもとでの北の南侵が明瞭になっているのに、岩波と遠山茂樹・藤原彰等には「学問」的良心がなく、「知的退廃」がある。名誉毀損損害賠償訴訟を起こされなければ「嘘」の記述でも垂れ流して売るのだろう。このような人たちを指導教授とする親マルクス主義的研究者が多く育っていると思われ、「正常」化にはあと何世代か要するようで未来はただちには明るくない。
 松本健一は経済学部出身、故坂本多加雄氏は法学部出身。もっとも、非マルクス主義の通史シリーズもいくつかあるようで状況は少しは変わった。かつてヒットした中公の日本の歴史シリーズは直木孝次郎・黒田俊雄・井上清など「左翼」の多さが歴然としていたように思う。
 鈴木正四・戦後日本の史的分析(青木書店、1969)は「労働者階級の立場、マルクス主義の方法と観点」で書くと「まえがき」で宣言しつつ朝鮮戦争につき「少なくともいわば一万中の九九九九まで、アメリカが戦争をおこした疑いがきわめてこいという結論にたっした」と述べていた(p.114)。日本共産党員らしき研究者の体たらくを、今や嗤い、憐れむのみだ。

-0009/規律正しい生活で長生きして、将来の日本を見たい。

 午前1時半。中公ラクレ編集部編・メディアの迷走-朝日・NHK論争(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、安倍晋三は次のように活字で記している(抜粋)。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 朝日批判サイト・欄は、10を優に超えるものと思われる。
 昨夜9時からのテレビ朝日に日本共産党の穀田とかが出ていたが、「宗教は阿片」として「科学的社会主義」を信奉すれば、神道という宗教の施設自体の存在を否定すべきで、靖国神社にかかわる具体的なアレコレを言う資格はないのでないか。「民主主義革命」までの「当面」の主張というなら予めその旨を。

-0008/朝日新聞の一社説について書くのはきっと珍しい。

 午前2時。古書を数冊持って(買いすぎて残りは宅配回し)バス停が間に一つあってもおかしくない長い一街区以上を歩き、タクシーでワンメーター分乗って帰ってきた。
 かつては新聞の「社説」は重々しく権威あるように見えたものだが、とくに朝日のそれは、Web上で読んでいるせいか、軽くかつ駄文に感じてしようがない。
 8/13(日)の朝日の社説は結局何を言いたいのだろう。戦争について親子で考えようというだけか、それともその際の素材を少しは提示しているつもりなのか。それにしても、他のテーマでもある程度は同様と思うが、「侵略」と「責任」なる問題をよくまぁこれだけ簡単に書いて済ませられるものだ。社説子は、かつての戦争についてどの程度「研究」しどの程度豊富な「知識」があり、そして何らかの発言をする自信と資格がどの程度あると自己認識しているのだろう。
 「政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか」。これは何だろう。社説で歴史的評価を下すつもりか。政治家ではなぜ近衛文麿についてのみこんな指摘をするのか。軍人については「石原莞爾元参謀ら」とだけしか書いていないのはなぜなのか。
 日本人が裁判していれば「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」との半藤一利の言葉を肯定的に使い「それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかった」とつなげているが、ひょっとしてもっと多数の軍人・政治家が刑死すべきだったと社説子が考えているのだとすると、ある意味では「怖い」。
 「新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない」と言うが、その「責任」は日本人による裁判の対象になりえなかったのだろうか、朝日社主は死刑・懲役・禁固、どのあたりの刑罰が適当と考えているのだろう。白々しく、マスコミに「法的責任」はない、というつもりか。また、戦後に入って、朝日は中国・韓国と日本の対立を「あおった責任」は全くない、不十分な記事をきっかけにして外交「問題」をあえて作り出したことは全くない、と自信をもって言えるのか。
 半藤一利の他に保阪正康の本の一部も引用している。半藤は憲法9条擁護論者で朝日と共通の基礎的考え方をお持ちのようだが、過日示唆したように、保阪のスタンスはわかりにくい。「天下の」朝日社説で紹介され、名誉なことと感じておられるのかどうか。

-0007/「中国は社会主義の衣をまとった封建国家」-立花隆は?

 日曜とはいえ勝谷某と比べて12時間遅い(早い)生活リズムになって、体の調子がどこかおかしい。今日は2+1の計3冊届いた。このあと、5日ぶりくらいに最寄りの繁華街を散策し古書店にも入ってみよう(歩ける遠さではない)。
 読売の昨日の朝刊2面に、中国南東部地方で台風のため少なくとも104人死亡、行方不明190人とある。日本で水害数百人の死者となれば大騒ぎだが、治水のインフラ不備等の中国では珍しくもないのだろう。6面の「ドイモイ20年」との連続囲み記事中には、ベトナム「共産党の支配は大きく傷ついている」、「公正な社会の実現は、はるかかなただ」等とある。今でも社会主義・共産主義幻想を残している人々はいるのだろう。20世紀に関する歴史学上の最大の課題はなぜコミュニズムはある程度の期間、ある程度の地域で成功したのかだ、というのが私見方だ。帝国主義でもドイツ・ファシズムでも日本軍国主義でもない。
 立花隆・滅びゆく国家(2006.04、日経BP)は少なくとも一部に中国への「愛着」と「幻想」を示しており、かつての立花作品の愛読者としては幻滅した。逐一コメントしていくには、多すぎてこの欄は相応しくない。
 この本と同様に月刊誌・週刊誌等への連載寄稿をまとめたものに、最近では櫻井よしこ・この国をなぜ愛せないのか(ダイアモンド社、2006.06)がある。表面的に比べてみると、北朝鮮・拉致問題への言及が立花本には一切なく!、櫻井本には当然にある。精読していないが、立花本には(小泉は靖国参拝で中国を「挑発」するな旨言うくらいだから)中国批判、将来の中国への憂慮を示すフレーズはないのでないか。
 どちらが売れているのだろうと、某ネット販売サイトに今朝の未明に入って見てみたら、櫻井本5534位に対して立花本は80684位、しかも立花本の「カスタマーレビュー」の見出しに(だけでも)「立花隆にしてこれか」、「真に滅びゆくのは誰?」、「知の巨人?」などがあった。某社の販売数がどの程度全体を反映しているのか確たる知識はないが、それでも読者は「健全な」反応をしていると感じた。
 これまた読みかけの北村稔・中国は社会主義で幸せになったのか(PHP、2005)は中国を「社会主義の衣をまとった封建国家」としている。黄文雄・それでも中国は崩壊する(ワック、2004)などもある。ソ連と同様に中国共産党の支配もいずれ破綻するのが「歴史的必然」のように思うのだが。

-0006/「靖国問題」を論じない方が望ましいのだが。

 書き足りていないので、昨日分の続き。かりに東京裁判の「受諾」が戦後日本(正確には再独立後の日本)の原点だとの見方が正しい又は適切だとしても、それと東京裁判の被告たちを祀る神社を参拝することが矛盾しているわけではない。朝日新聞や中国(共産党・政府)は大まかには<靖国参拝=戦犯たちの賛美=侵略戦争肯定>という論法に立っているのだろうが、これは幼児の議論だ。たしかに参拝者の中には侵略戦争肯定又はあの戦争の侵略性否定の考えの者もいるだろう。しかし、死者の霊に手を合わせることが当該死者の生前の見解・行動のすべてを肯定し賛美することを意味するとは、少なくとも一般的には、絶対に言えない。一般刑法犯罪により死刑となった者の墓に手を合わせる人もいるだろう。だが(中には冤罪を主張している者もいるかもしれないが)、受刑者・刑死者の墓参者は死刑の原因となった犯罪を肯定している、と言えるはずがない。靖国参拝は戦犯たちの思想・行動の肯定を少なくとも一般的には意味しない。侵略戦争肯定又はかつての戦争の侵略性の否定を一般的には意味しない。そうだと思っている者には誤解だと説明する他はなく、意識的な「誤解」者は相手にする必要がない。
 死者に対する対応の仕方は生者に対するそれとは異なるのが、日本人のほぼ一般的な心情なのではないか。中国人にそれが解らなくても当然だ。朝日新聞社の者が解らないとすれば、半分は日本人でなくなっている。
 とはいえ、「神道」を含む「宗教」に関する適切な教育をほとんど受けていない私(そしておそらく多くの日本人)も、神社に死者を「祀る」といことの意味、「参拝」することの意味を、とりわけ前者をよくは理解していない。靖国神社や各神社自体にはそれぞれの意味づけが(神道の共通性は維持しつつ)あるのだろう。だが、参拝し手を合わせて瞑目する者が何を感じ思うかはまさに個人それぞれの「心の中」の問題で、一般的にこうだと強制も断定もできないのでないか。小泉現首相のこれまでの参拝の理由づけは完全には納得し難い=よく判らないところがあるが、本質的問題だとは思えない。
 首相の靖国参拝は政教分離の憲法条項に関連する。戦後教育を受けてきた裁判官がほとんどとなっているのは下級審で違憲判決が出ている土壌でもある。神道をまるでキリスト教あるいは他の新興宗教等と並ぶ宗教の一つと理解すること自体に問題がある、というのが私論だ。

-0005/「靖国問題」は存在しない方が望ましいのだが。

 仕事が後半も終了し、帰宅して夕食後に数時間寝てしまう。本格的な就寝時刻が心配だ。今日は久しぶりにないと思っていたら、覚醒後に2+2で計4冊が届いていた。
 昨日に続いて保阪正康にこだわって?みるが、文藝春秋9月号p.120の、講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自ら紹介する松平某靖国神社宮司の見方への、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ、との批判は、妙な例示も含めて、「かなりエキセントリックな」言葉遣いによる批判だ。秦の言うとおり、「そういう考え方もある」。占領自体が広くは「戦争」政策の継続で、東京裁判もその一環だった、という見方が完全な誤りとは思えない。
 「処刑された人々」以外に松岡洋右等の病死者も祀っているのが問題になりそうだが、いわゆるA級戦犯として被告人とされたこと自体が戦いの被害者だと見ることによって、理由づけできなくはない(私見を述べているのではない)。保阪の大仰な現?宮司批判に首を傾げた。
 朝日新聞社が社説も含めて「首相靖国参拝」に反対している理由は(一貫しているとは限らない新聞社なので現在のそれとしか言いようがないが)、東京裁判を受諾するとした講和条約による主権回復こそが戦後日本の出発点だった、その東京裁判にもとづき処刑された「戦犯」たちを「祀る」神社に参拝するのは、東京裁判受諾という原点を揺るがすものだ、ということにあるようだ(0804社説等)。
 この「理屈」に関係させていうと、東京裁判受諾の意味が問題とされ、「裁判」でなく「諸判決」という読み方もあるが、私見によれば裁判があってこその判決、裁判の一環としての判決なので「裁判」と「判決」を厳格には区別できない。だが、「受諾」の対象に諸判決の「理由」の中に書かれてあるすべて事項・考え方を含ませるのは間違いで、指摘あるように(上雑誌p.325-6)、宣告された諸判決のうちとくに禁固刑判決を講和後もきちんと執行することを約束した(そしてその他の部分にもはや国としては異議申立てしないことも約した)だけのことで(それも関係国の了解を得て緩和できた。だから、賀屋大臣もその後誕生した)、具体的な事実関係の認定、正邪・善悪の判断まで永久に東京裁判判決に拘束されるいわれはない、と理解している。朝日新聞は東京裁判に対する自由な言論を自ら封殺しているのだ。

-0004/朝日新聞の読者には「インテリ」が多いって本当か。

 昨晩は、もう今日の未明になってはいたが、深夜の住宅地内を「散歩」した。
 いつのまにかほぼ定期購読になっているが、文藝春秋9月号を買う。昭和天皇「靖国発言メモ」について半藤、秦、保阪の三氏が対談している。「昭和史」関係となると、このあたりの人々しか登場人物はないのかとも思ってしまう。戦争経験がないと、「昭和史」は適切には、あるいは実感をもっては?語りえないのか。経験と言っても個人的な狭い範囲のもので、それだけで全体を見渡せるものではあるまい。中身はともかく(まだ読んでいない)、これらの名前にはやや食傷気味なのだ。
 保阪正康は扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 文藝春秋9月号には安倍晋三の論稿というよりインタビュー記事的なものが載っているが(マスコミ戦略としての文春とこの人との関係の詳しいところに興味は湧く)、彼が昨年のある新書(中公新書ラクレ)の中で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしているのは、活字として明々白々な記録として残るだけに、勇気があると感じた。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)なら、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になっても不思議ではないからだ。むろん、昨年のNHK問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。
 それにしても(と続けるのが多くなりそうだが)、安倍内閣総理大臣の実現を怖れ、福田等にハッパをかけて非・反安倍勢力に期待していたことが(隠そうとしても)明らかだった朝日新聞社のお歴々は、安倍当確の情勢に困っているだろう。「インテリ」加藤紘一がどこかの講演会で「事実上の敗北宣言」をしたらしいが、この人は自らの現在の力量・国民からの被信頼度を少し勘違いしているのではないか。新聞社や政治家についてなら、今回程度の批判と皮肉も許されるだろう。

-0003/61年も経って決着がつけられない民族なのか。

 昨晩は某大規模店舗の見学を兼ねての同施設内の歩行を「散歩」代わりにしたための運動不足か、レストランに入っての帰宅後の体重測定では、数日前の日中散歩後と比べて1.5kgも増えていた。まずい。
 昨日は古書2冊のみだったが、今日は古書・新本併せて10冊以上が届いた。「栗本慎一郎の脳梗塞になったらあなたはどうしますか」(2000、たちばな出版)を一部読んでいると、脳梗塞ももはや他人事ではないという気がしてくる。読売編集の「検証戦争責任1」(2006.07、中央公論新社)は4刷のものが手に入った。今日あたりの新聞では、大増刷・第5刷の広告を見たように思う。
 読売の作業を、某著名人はチマチマした本質的でないものと批判していた。それはともかく、60年以上前に終わった戦争の見方・総括とも関連して、いまわが国はいわば<国論の分裂>状態にあるようだ。忙しく仕事をし、一紙程度の新聞とテレビを漫然と見ていたかつてはさほど強くは意識しなかったのだったが。
 岩波新書がすでに少なくとも2冊ある「憲法再生フォーラム」や、吉永小百合様を巻き込んでの、岩波の冊子がすでに少なくとも3つある「憲法9条を考える会」などは、すでに近い将来の<決戦>を意識して活発に?活動しているようにみえる(どの程度彼らの主張が読まれているかは知らないが、新田次郎の次男坊による短い、イヤ読みやすく内容の濃い本に完敗していることは間違いないだろう)。
 一方、憲法問題をも含んでいるだろうが、「日本教育再生機構設立準備室」なるものができ、08月05日には「八木秀次ともに日本の教育再生を考える夕べ」とやらが開催され、安倍晋三官房長官から祝電を受け、櫻井よし子等が「激励の挨拶」をしている。分裂・消滅した「…つくる会」的団体の再結集・再構築のように見える。
 国論分裂過多で右往左往して亡国したかつての某国のようにならないためにも、言論リーダーたちの責任は重い。いや、この秋月瑛二の責任だって??!!
 秋月瑛二も給与生活者なので、本来の仕事がある。今日もした。ある仕事の前半の実質的に40%はほぼ終わり、後半に突入しているが、明日には終えてしまいたいものだ。
 どうやら今日は散歩なしに終わりそうな気がする。まずい。

-0002 /「男女共同参画社会」で日本はどうなる?

 私にとって散歩というのは、自転車による散策の場合も同様だが、書店=本屋又は/及び喫茶店に入ることをたいてい伴っている。昨日、散歩のほぼ最終地点の小さな書店で1冊だけ買った山下悦子『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』(洋泉社新書、2006.07)は、一章まで(~p.72)を読んだだけだが、なかなか面白い。上野千鶴子や(この本で名前を憶えた)大沢真理等の「フェミニスト」の議論を大多数のより「ふつうの」女性の利益に反する<エリート女性シングル>のための議論として、強く批判しているからだ。大沢真理が関係法律の成立に審議会委員として貢献?したという知識を得たし、「ジェンダー・フリー」とは誤読にもとづく和製英語で、「性別にかかわりなく」という意味を本来は持っていないとされていることを知って苦笑してもしまった(東京大学教授の英語の知識が問われておる。上の二人はこの大学に在籍だ)。
 1970年代に結婚し、子どもを生み、育てていった者たちが多いはずのわが(若干広義の)「団塊」世代は男女平等を一つの理念とする「戦後民主主義」教育を受けていたのだったが、それは「子育て」・「しつけ」の仕方にも影響を与えただろうことはおそらく疑いなく、そして「団塊」ジュニアと呼ばれる世代の意識にも影響を与えたはずだ。上野氏は明確な「団塊」世代で大沢氏は下だがほぼ準じる。そして、上野・大沢両氏を代表とするような女性と彼女たちのような議論を生み出したのも、戦後の-とりわけ1970年以降の?-教育を含む日本社会に他ならない。
 「団塊」世代に責任がないとはいえない、日本社会のとりわけ1970年以降の変化は、国民にとって、あるいは日本に住む者にとって、はたして「よかった」のかどうか。来し方を振り返り、行く末を想って、多少は懸念と憂いを感じる。
 それにしても、東京大学は、正確には又は実質的には文学部及び社会科学研究所になるが、上野・大沢をよくも採用したものだ。学問の客観的評価が困難であるのはわかるが、珍しいから・威勢がいいからでは困る(まさかとは思うが)。それに、この二人に限らず、東京大学の中に「左翼」的な教授が多いのはなぜだろう。この大学だからこそ目立っているのだろうが、京都大学の方がまだマシのようにも見える。もっとも、大学は特別な、「左翼」がヌクヌクと安住できる世界のようなので、一部の大学を除いて似たような状況かもしれない。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
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