秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2079/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)①。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 上の書物については、「池田信夫のブログマガジン」に言及する中で、この欄ですでに2回触れた。しかし、内容の紹介または読書メモには至っていない。
 適宜、興味深い部分を抜粋・要約または一部引用する。引用は原則として邦訳書による(微細に修正している部分がある)。
 まずは「序文」だが、これは原著(1994年)のそれで、<新版へのまえがき>ではない。
 要約、引用等はこの欄の執筆者の関心と能力によるので、適切であるとは限らない。また、内容のある程度の専門科学性にもよるだろうが、「第一の話題」と明記してくれている部分は(言葉上は)ないなど、元々完璧に読みやすい文章ではないようにも感じる。
 番号は秋月が勝手に付したもので、原文にはない。
 英語書を参照して、適宜、原語を〔〕で示す。
 なお、「情動」と「感情」は相互排他的な言葉ではないようだ。<新版へのまえがき>ではほぼ「情動」だけが用いられている。
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 序文(初版、1994年)〔Introduction〕。
  第一の話題は、フィネアス・ゲイジ[Phineas Gage]という男性の事例とそれを契機とする考察だ。
 この事例から、「感情が理性という仕組みの不可欠な要素ではないか」と感じた。
 本書で提示したい考え方の第一は「情動や感情」[emotion, feeling]と「理性」[reason]の関係だ。おそらくはこう言える。
 「人間的な理性の戦略は、進化においても、そして一人の人間においても、生体調節機構[the mechanisms of biological regulation]という誘導的な力なしには発達しなかった。そして、その生体調節機構の顕著な表現が情動と感情である」。
 「その戦略の効果的な展開は、かなりの程度まで、感情を経験する持続的な能力に依存している」。
 もう少し語ろう。「情動と感情」は「理性」・「推論」[reasoning]に悪影響を及ぼし得ることを否定しないが、一方で、前者の欠如が後者に悪影響を及ぼし得るということも、「驚くべき、新しい」知見だ。
 「情動と感情」に注目することによって、人間は「理性」的でないと主張するのではない。「情動と感情のプロセスのある種の側面は合理性[rationality]にとって不可欠である」と提示するだけだ。
 我々の将来には「不確実さ」[uncertainty]がある。「そのとき情動と感情が、その基礎にある生理学的仕組み[physiological machinery]と一体となって、不確かな将来を予測し、それを基礎にして我々の行動を計画するという厄介な仕事を助ける」。 
  本書では、①「合理性障害と特定の脳損傷との関係」を最初に明らかにしたゲイジの事例を分析し、②同事例と最近の研究が示す「人間と動物の神経生理学[neuropsychological]研究」上の関連事実を概観し、③つぎの考え方を提示する。
 すなわち、「人間の理性は一つの脳中枢[brain center]に依存するのではなく、多様なレベルでの神経組織[neuronal organization]を介して協調して機能するいくつかの脳システムに依存している」=「前頭前皮質[prefrontal cortices]から視床下部[hypothalamus]や脳幹[brain stem]まで、『上位』脳領域と『下位』脳領域が協力して理性を生み出している」。
 上に言う「下位」レベルの「神経組織」は、「情動や感情のプロセスや有機体の生存に必要な身体機能[body functions]を調節する」ものと「ずばり同じ」だ。これは、「事実上すべての身体器官[bodily organ]と直接的相互的な関係を保っている」。よって、「身体は、推論、意思決定、そして社会的行動や創造性という最上位のものを生むという作用の連鎖の中に、直接に置かれている」。
 「情動、感情、生体調節」は「人間的理性」においてそれぞれ一定の役割を果たしている。=「我々有機体[our organism]の下位の指令[lowly orders]が、上位の理性のループの中に存在する」。
  ダーウィンの記述に、人間の「心的作用」[mental function]に「進化の過去の影が存在する」旨があるのは興味深い。但し、上位の理性が下位に変化するわけではなく、例えば「倫理原則」[ethical principle]に脳内の「単純な回路の関与」が必要だとしても「倫理原則」の価値は下がらない。
 変化してよい可能性があるのは、「同じような生物学的習性[biological disposition]を有する多くの人間が特定の環境の中で相互作用するとき、ある社会的背景の中で生じる倫理的原則の起源に生物的要素はどのように寄与してきたか」に関する我々の見方だ。
  本書の「第二の話題」は「感情」だ。
 「感情」は「人間の特質と環境との適合または不適合に対するセンサー」だ。
 この「特質」[nature]とは、①「遺伝的に構築され我々が受け継いだ一群の適応[adaptations]という特質」と②意識的か否かを問わず「社会的環境との相互作用をとおして我々が個人的な成長の中で獲得してきた特質」の両者を意味する。
 我々は「感情」を通して「生物学的な活動の只中にある有機体の姿」を見る。本来的な苦楽が定められた「身体状態」[body state]を感じ取れなければ、「人間の条件[human condition]には苦悩も至福も、切望も慈悲も、悲劇も栄光もない」。
 「複雑精緻なメカニズム」を知れば「驚異の念は増す」。「感情[feelings]は、人類が何千年ものあいだ、人間的な精神や魂[soul or spirit]と呼んできたものに対する基礎」を形成している。
  本書の「第三の話題」は、「脳の中に表象される身体[body]が、我々が心[mind]だとして経験する神経プロセス[neural processes]の不可欠の基準[frame of reference]を構成していること」だ。「人体という有機体そのもの」が、外周「世界」の他に「常在的な『主観の感覚』を構築するための基準」として、つまり我々の「洗練された思考、最善の行動、この上ない喜びや悲しみ」全ての「基準」として、使われている。
 上の考え方は、以下を基礎とする。①「人間の脳と身体は分かつことのできない一個の有機体[organism]」であり、「相互に作用し合う生物学的および神経的な調節回路[biochemical and neural regulatory circuits](内分泌、免疫、自律神経的要素を含む)によって統合[integrate]されている」。
 ②「この有機体は、一個の総体として環境と相互作用している」。身体または脳のいずれかの相互作用ではない。
 ③我々が「心[mind]と呼んでいる生理学的[physiological]作用は、その構造的・機能的総体に由来する」のであり「脳のみに由来するのではない」。「心的現象」は「有機体という文脈」でのみ「完全に理解可能」なものだ。
  「いまや心がニューロン〔神経細胞[neuron]〕の活動から生じていることは明白だから、まるでニューロンの作用が有機体の他の部分から独立しているかのよう」に語られる。しかし、「脳を損傷」した多数患者を診るにつれて、「心的活動[mental activity]は、ごく簡単なものからきわめて精緻なものまで、脳と身体の双方を必要としているという考え方」を抑えられない。
 「身体の優先性」[body precedence]から出発すると、我々は「どのようにして周りの世界を意識[concious]」するのか、我々は「認識しているもの」や我々が「認識」しているということを、どう「認識」[know]するのか、といった問題を解明できる可能性がある。
 「愛や憎しみや苦悩、優しさや残忍さ、科学的問題の計画的解決や新しい人工物の創造」は全て「脳の中の神経活動」に依拠するが、それは「脳が過去から現在まで、かつ現在もなお、身体と相互作用している」ことを前提とする。「苦しみ」は、始まりが「皮膚の中」であれ「心象」[mental image]であれ、「すべて肉体[flesh]の中で起きる」。
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 以上。

2078/秋月瑛二の想念⑦-2019年11月。

 「自由」、「平等」、「正義」あるいは「日本(民族)精神」、<真・善・美>でも何でもよい、こうしたものに関する<思考>・<思想>の実体はいったい何なのか?
 なぜ人々はこうしたものに関して考え、かつ人によって差異や対立があるのか、あるいはなぜ、どのようにして、日本でも欧米でも、<左翼>と<右翼>等々の差異や対立があるのか、を問う前に、そもそも、「思考する」、「哲学する」等の人間の<行動>の実体は何か?
 精神的自由、その中でも「内心の自由」なのかもしれないが、その「内心の自由」によって形成される「意思」・「意図」・一定の「思想」・「哲学」等は、人間の、論者によれば生物の中で人間にしかない<理性>の働きかもしれない。
 <(個人的)人格の形成・陶冶・完成>を目標とするような(旧制高校的・教養主義的)人にとっては、以上で十分なのかもしれない。
 自分個人の「理性」の発現体である言葉・文章・論考・書物によって、他ならぬ自己の「考え」・「思想」等の<立派さ・偉大さ>が表明され、実証される(はずな)のだ。そうした人々にとっては。
 しかし、そうした人々も他ならぬ生物の個体であり、ヒトの一員であるからには「死」を迎えざるをえず、それ以降は、「考え」も「思想」も、その基礎にある「理性」も、その(かつて生きていた)人間には、なくなってしまう。
 自己の<霊魂>・<魂魄>の永生を真に「信じる」ならば、別だ。
 「考え」・「思想」等も、それらの表明のために用いられる言葉・文章等も、「理性」なるものも、よく考えれば、少しでも<事実>に向き合う気持ちがあれば、それぞれの人間・ヒトの「精神」作用であり、「脳内」作業の所産であることが分かる。悲しいかな、自分を高い「人格」をもって「思索」していると自負している人の「理性」による行為も、他者と本質的には異ならない、生物が行う種々の営為の一つにすぎないことが分かる。
 強い「思い込み」・「偏執」というのは(<左翼>であれ<右翼>であれ)、脳細胞の、あるいは神経回路の一定の、独特な絡まり具合によって生じる。
 生物・ヒトに関する自然科学または「科学」に接すると、かつての「文科」系人間には見えていなかった世界が、新鮮に立ち現れてくる。「観念」・「思索」こそが<人間>なのだ、と「思い込んで」いる<文学的>人々は、むろん江崎道朗や小川榮太郎も含めて、ほんの少しは、秋月瑛二の程度には、生物・ヒトに関する自然科学または「科学」を知った方がよい。
 「言葉」・「観念」を弄ぶだけでは、虚しい。何の意味もない。たんなる「自己満足」だ。しかし、拡散されるそうした空しい「言葉」・「観念」に酔ってしまう人々が生じるのも、またそのような陶酔によってこそ<食って生きて>いくことができる人々が生じるのも、人間という生物の種の<弱さ>・<不十分さ>であり、そして人間世界の<はかなさ>なのだろう。
 あるいはまた、<食って生きて>いくことはできるようになってきた人間の<文化>による、日本社会も含めての、贅沢な<遊び>なのかもしれない。
 <余暇>が生じてこそ、種々の「娯楽」・「エンターテイメント」産業も成立するのだが、「評論」・「言論」もまた相当程度に産業化・商業化してきているので(「情報産業」、広義の「エンターテイメント」産業)、「言葉」・「観念」(・「観念体系」)に陶酔した人々によって書かれる文章や書物もまた、それらを「気晴らし」として必要とする人々によって読まれるのだろう。需要が、一定程度はあるのだ。
 そこにはしかし、「自由」、「正義」あるいは<真・善・美>とかの高尚な?理念はない。「売れれば」よい。「売れる」ことは「じっくりと読まれる」ことを意味せず、また、「読まれる」ことは、著者が尊敬されたり敬愛されたりすることをむろん全く意味しないのだけれども。
 侮蔑の対象にしかならないような書物が、依然として多数出版されている。それに関係して(出版社も編集者も)<食って生きている>または<生活の足し>にしている人々がいる。
 これはどの程度「日本的」現象なのだろうか。日本語という世界的には一般的ではない「閉鎖的」な言葉で、しかし相当程度の規模の「市場」をもつ日本社会で発表される、多数の日本語による雑誌・書物。これらは、世界的な規模・視野での批判に晒されることはほとんどない。侮蔑の対象にしかならないような書物が依然として多数出版されているのは、ある程度は、ヒト・人間の一種である「日本人」が形成する社会の特殊「日本的」現象なのだろう。

2077/J・グレイ・わらの犬(2002)④-第2章01。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。<ー人間と他の諸動物に関する考察>。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの要約・抜粋または一部引用のつづき。
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 第2章・欺瞞〔The Deception〕①。邦訳書、p.37~p.54。
 第1節・仮面舞踏会。
 カントが仮面舞踏会で恋慕した仮面の麗人は実妻だったというショーペンハウワーの寓話での妻はカント時代のキリスト教信仰で、ヒューマニズムが現代の信仰だ。哲学は200年の間にキリスト教を捨てたが、「人間は他の生き物と根本的に違うと考える教理の根幹をなす誤謬は温存した」。仮面を剥ぎ取るはずの哲学者の仕事は本格的には開始されていない。
 「動物はみな、この世に生まれ、番(つがい)の相手を求め、餌を漁り、死に果てる。それだけのことだ」。人間は「意識、自我、自由意思」があるから違うと言うが、誤りだ。
 「人の一生は意識の命じる主体的な行動よりも断片的な夢想の堆積である」。
 「死命を分ける重大な決断の多くを知らず知らずのうちに下す」。
 「自身の存在を意志の力で統御することはできない相談であるにもかかわらず、…できると考えるのは神に対する非合理な信仰を棄てて、非合理な人類信仰に乗り換えた思想家の教条主義である」。
 第2節・ショーペンハウアーの難題〔Crux〕。
 ショーペンハウワーは19世紀半ばの人間「全的解放」を批判し、「革命運動には恐怖と侮蔑」を抱き、主流哲学に「猛然と反発し」、「後にマルクスにも強い影響を与えたヘーゲルを国家権力の代弁人風情と扱き下ろした」。
 彼は規則正しく生活し、「人間存在の根底にある盲目的な意志」に従った。哲学は「キリスト教の偏見に毒されている」とし、18世紀の「啓蒙」の主潮だったカント哲学を「キリスト教信仰の世俗版」だと批判した。
 彼にとって「人間は本質において動物と何ら選ぶところがない」。人間も同じく「世界の根底にあって苦悩し、忍従しながらすべてを誘起する生命衝動-盲目的な意志の現れ」だ。
 カントはイギリス(スコットランド)のヒュームの「底知れぬ懐疑主義」に衝撃を受けた。ヒュームによれば「人間は外界の存在を知り得ず、…自分自身の存在すら知っていない」、「何も知らない以上、自然と慣習を標に生きるほかはない」。
 ヒューム説の「人間は事物をそれ自体として知ることはできず、ただ経験のかたちであたえられる現象を知るだけ」によると「経験の背後にあるリアリティ、カントのいわゆる物自体は不可知」だが、カントは「高鼾の熟睡」に再び戻り、ヒューム・懐疑論を拒否した。
 ショーペンハウワーは「世界は不可知」とのヒューム・カントを受容しつつ、「世界も、世界を知ったつもりでいる個別の主観も、リアリティの根拠を欠いた幻影だと論じた」。彼は「ベーダンタ哲学と仏教思想に共鳴している」。そして、カントを進めて、「表象」世界に生きる人間を捉え直した。
 ショーペンハウワーによると「欲情は種の保存を約束するが、個人の福祉や自律にはなんのかかわりもない。体験が人間に自由行為者たる確信を押しつけると考えるのはまちがいである」。また、「独立した個体は存在せず、数多性も差異もない」、ただ「<意志>と名付けた絶えざる衝動だけ」がある。「理知は否応もなく意志にしたがう下僕でしかない」。
 ショーペンハウワーは、「カント哲学を否定し、返す刀でキリスト教信仰とヒューマニズムの根底にある人間の唯我論を切り捨てた」。
 第3節・ニーチェの「楽天主義」〔Optimism〕。
 ニーチェはショーペンハウワーの「ペシミズム」を批判したが、後者は前者の「神の死」という結論をすでに道破していた。
 ニーチェは「キリスト教とその価値観を論難してやまなかった」が、それ自体が「信仰から脱しえなかったことの何よりの証拠」だ。父母に「キリスト教の血筋」もある。
 彼はショーペンハウワーを意識しかつ敬愛しつつも後者の「哀憐」は「至高の徳目ではなく、…生命力の減退の徴」だと弁じた。後者は<意志>に背いて=「自身の幸福や生存に対する執着を断って、はじめて他者を憐れむ心になる」と説いたのだが、ニーチェにとって、「憐れみ」は「反生命主義」で、<意志>を賛美する方が理に叶う。「苛酷な生をそっくりそのまま是認する」のが、ショーペンハウワー・悲観主義に対するニーチェの回答だった。
 しかし、ショーペンハウワーは「哀憐ゆえに蹉跌する」ことはなく、ニーチェの方が「錯乱」して「身を滅ぼした」。
 ニーチェと異ってショーペンハウワーは、キリスト教信仰・その根幹の「人類の歴史を重視する思想」を放棄した。
 「ほんとうにキリスト教と絶縁する気なら、人類は歴史に意味があるとする考えを棄てなければならない」。古来の異教世界と文化ではかかる認識の例はない。「ギリシア、ローマでは、歴史は栄枯盛衰の自然な循環であり、インドでは、ただ果てしなくくり返される共同幻想だった」。
 「人間は生き物で、他の動物と変わらないとわかってみれば、人類の歴史などというものはありえず、ただ個体の一生があるだけである。
 かりに種の歴史を語るとすれば、そうした個体の一生の、知りようもない総和に意味をさぐることでしかない。
 動物と同じで、幸せな生活もあれば、惨めな暮らしもある。
 だが、個体を超えたところに存在の意味はない。」
 ニーチェは「人類の歴史」の無意味を「知っていながら承服できなかった」。「最後まで信仰に囚われて」いたので「動物である人間もどうかなるという迷妄を断ち切れず」、「笑止千万な超人の思想を生み出した」。
 彼は「支離滅裂な人類の夢に、…悪夢を加えるだけで終わった」。
 第4節・ハイデガーのヒューマニズム〔Humanism〕。
 ハイデガーは西欧哲学を支配してきた「人間中心の思想」への決別を宣した。しかし、「人類は必然の存在だが、動物に正当な存在理由はないという」偏見をもち、「存在」に目を向けて「人類の特異な立場を肯定」した。ニーチェと同じく、「キリスト教の希望」を棄てきれなかった「不信仰者」だ。
 ハイデガーは「宗教に依存しない人間存在」を語るが、「現在性」・「無気味さ」・「罪」のいずれも「キリスト教の理念の世俗版」だ。キリスト教の「堕落」・「原罪」等に「実存主義的なひねりを加え」た「焼き直し」にすぎない。
 「存在」の意味は不明で「定義を拒むもの」と考えている節があるが、明らかに「独我論の根拠」になっている。
 ハイデガーは世界を「ただ人間との関係においてしか」見ない。「旧来の人間中心主義」と変わらず、「秘教的知恵」が救うとする「古代思想」や「グノーシス主義」の世俗化した「蒸し返し」だ。
 ニーチェは「放浪者」のために書いたが、ハイデガーは「終生、身の置きどころを求め」た。後者は次第にヒューマニズムから遠ざかったと公言したが、人間中心でない「古来の思想」への関心はなかった。「ギリシア語とドイツ語だけが真の哲学の言葉」だと断じて、「荘子、道元」等々の「深遠な思想も哲学ではありえない」と無視した。
 ハイデガーのごとく「哲学者がかくまで自己を主張し、妄想に取り憑かれることはきわめて稀である」
 晩年に「静謐」を語るが、ショーペンハウワーの「意志からの解放」にとどまるだろう。後者によると芸術・音楽への耽溺で「意志」形成の労苦を忘れて「没我の境」に入り、「無私無欲の観察者の視点」で世界を観察する。ハイデガーは晩年に「迂路をたどってショーペンハウアーに回帰した」。
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 つづける。

2076/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)②。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この本の、筑摩書房の出版・編集担当者は湯原法史。
 上の書・第一章のいわば第二節の表題は、「Liberty とFreedom の違いについて」。p.29。
 著者は、<あなたは自由か>と高飛車に発問するためには、英語に「Liberty とFreedom」の両語があることに触れざるをえないと考えたのかもしれないし、あるいはこの両者の「違い」を手がかりにして、何らかのことを語りかったのかもしれない。
 しかし、この節には、看過できない過ちがある、と見ざるをえない。
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 冒頭でアダム・スミスのいう「見えざる手」によって「自由が広がるのではなく、私たちの市民的権利が知らぬままに脅かされ、不自由にいつのまにか覆われてしまう現代のもう一つの別の側面」があり、それは「コンピュータ社会」での「秩序の喪失、異常の出現」と軌を一にするのではないか、という旨の問題意識が示される。p.30。
 ここでは、前回でも触れた、「アメリカを先頭とする」資本主義・「自由主義経済」あるいは現代に発展する<科学技術>に対する不信・不快感・不安感がやはり示されているのだろう。
 しかし、現代の科学技術または「自然科学」を敵として戦おうしても無意味だ、技術、自然科学それ自体が一般に「悪」なのではない、ということは秋月のコメントとしてすでに記した。
 さて、アダム・スミスに論及する中で西尾はA・スミスにおける「自由」の原語に関心を示し、表題にしているここでのテーマについて、つぎの結論を見出す。p.35。
 ・ヒトラーが奪った「自由」は「公民の権利」という意味でのそれで、奪えなかった「自由」は「個人の属性」または「個人的精神」としてのそれだ
 ・英語は用意周到な言葉で、「前者をliberty とよび、後者をfreedom と名づけております」。
 ヒトラーうんぬんは別として、このような両語に関する結論的理解は誤りだろう。
 西尾幹二によると、A・スミスにおける「自由」は前者なのだそうだ。
 その根拠として明記されているのは、つぎの一文だけだ。
 友人・星野彰男がA・スミスの「見えざる手」に関する専門書を送ってくれたのだが、「アダム・スミスは、私の友人の話によると、『自由』という日本語に訳されていることばにliberty だけを用いているそうです」。
 そして、高名な?日本のいわゆる保守派知識人の西尾幹二は、つづけてこう書く。
 「それはそうでしょう。経済学とはそういう学問です」。
 この部分は、相当に恥ずかしい(はずだ)。
 友人の、いかなる態様かは不明な「話」を根拠にして、A・スミスの邦訳書も原書も紐解くことなく、こんなに簡単に言い切ってしまっている。そりゃそうだ、「経済学」なのだから、「個人の属性」または「個人的精神」の意味でのfreedom を用いているはずがない、というわけだ。
 しかし、秋月でも簡単に目にすることができる原著(英文)には、つぎの語が多数出てくる。
 freedom of trade
 これは、Adam Smith, The Wealth of Nations =An Inquiry into the Nature and the Causes of The Wealth of Nations. から探したもので、「取引の自由」と訳されると思われる。「trade」に「取引」以外の日本語をあてるとしても、「freedom」は「自由」としか訳しようがないだろう。
 その他、上の著には、こんな英語もある。他にもあるかもしれない。
 freedom of commerce、freedom of the corn change、freedom of exportation
 A・アダムスはスコットランド人だったかもしれないが、本来はスコットランド語ではLiberty に当たる言葉を英語に訳して?Freedom に変えた、ということはないだろう。
 というわけで、「個人の属性」・「個人的精神」に関係しなくてもfreedom は使われている。
 西尾自体の文章の中に「経済市場の自由競争」という言葉が出て来る。p.33。
 ここでの「自由競争」は、英訳すると、liberty が選ばれなければならないのか?
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 西尾幹二は懸命に?つぎのように、言う。
 既述のサイバー・テロもコンピュータ社会も「所詮はliberty の自由概念の範囲」の問題だ。ここでは「まったく異なる自由概念、精神の自由の問題」を示唆していることを「強調しておきたい」。p.37。
 そうであるならばなぜ、この書物を第一章第一節の表題である「サイバーテロの時代にどんな自由があり得るか」で始めるのか、という感想・疑問が生じる。
 この書はときどきの随筆を何とか一つの主題をもつように集めたものであるかもしれない。
 「あなたは自由か」と上から目線で問いながら、そこでの「自由」概念自体が、微妙に揺れ動いている。
 秋月によれば、「Liberty とFreedom の違い」に立ち入って両者を異質のものと判断するから奇妙になっている。
「自由主義」(経済学)者といえばF・ハイエクの名を思い浮かべる人が多いだろう。
 この人はウィーン生まれだが(<オーストリア学派>とも呼ばれる)、邦訳されている著作のほとんどは英語で執筆しているのではないか、と思われる。
 瞥見したのみだが、F・ハイエクにおける、「Liberty とFreedom」の使い方には、つぎの例がある。
 F・ハイエク・自由の条件Ⅰ~Ⅲ/西山千秋=矢島釣次監修(春秋社、新版2007)。
 =F. A. Hayek, The Constitution of Liberty(1960).
 第一部/自由の価値。=Part Ⅰ/The Value of Freedom.
 第二部/自由と法。=Part Ⅱ/Freedom and the Law.
 第三部/福祉国家における自由。=Part Ⅲ/Freedom in the Welfare State.
 F・ハイエク・法と立法と自由Ⅰ~Ⅲ/西山千秋=矢島釣次監修(春秋社、新版2007)。
 =F. A. Hayek, Law, Legislation and Liberty(1960).
 第一部(PartⅠ)第三章第2節〔表題〕/自由は原理に従うことによってのみ維持でき、便宜主義に従うと破壊される。=Freedom Can Be Preserved Only By ….
第一部(PartⅠ)第五章/ノモス-自由の法。=Nomos: The Law of Liberty.
 これの第6節の中の文章(邦訳書Ⅰp.108.)-「各個人の『生命、自由および所有地』をも含めた…財産は、個人の自由を対立の欠如と妥協させるという問題にたいして、これまで人間が見出した唯一の解である」。=Property, in which --- not only --- but the 'life, liberty and estate' of every individual, is the only solution men have yet discovered to the problem of reconciling individual freedom with absence of conflict.
 西尾幹二が主張?するような、「Liberty とFreedom の違い」の理解の仕方を採用することができないことは明らかだろう。経済活動の「自由」と個人の精神的「自由」に両者が対応しているのでは全くない。
 秋月瑛二の幼稚な理解でも、liberty とfreedom は異質なものではない。L・コワコフスキ著の試訳をしていると両者が出てきて後者の方が多いが、異質の「自由」として語られているのではない、と解される。
 たしかに西尾が示唆するようにliberty は「市民(権)的自由」というニュアンスがあり、freedom は<一般的>であるのに対して、liberty は国家・市民社会の対比を前提とした、「国家」に対する(との関係での)「自由」という意味合いをもつようにも感じる。だが、後者は前者を含む、または基礎にしている、ということは否定できないのではないか。
 しかし、これも断定はできない。なお、<公民的(市民的)自由>には、civic freedom や civic rights という語が使われていることもある。civic でなく、civil —もある。
 ***
 なお、西尾は「自由」として経済活動の「自由」と個人的精神的「自由」の二つしか想定していないようにも見えるが、前回に私見の分類を示した中に簡単に書いたように、「自由」はそんなに単純に分類できるものではない。
 日本の憲法学の教科書・概説書類は、日本国憲法を念頭に置きつつ、「自由」を種々に分類・体系化していて、定説はない、と見られる(むろん、条文別の形式的分類は-改正がなければ-動かないだろう)。
 あくまで一例にすぎず、私が書いた「行動の自由」というのもないが、つぎの教科書・概説書は、つぎのように「自由」を分類・体系化している(同「目次」による)。
 芦部信喜=高橋和之補訂・憲法/第五版(岩波書店、2011)。
 A/精神的自由権(1)-内心の自由。
  1/思想・良心の自由。
  2/信教の自由。
  3/学問の自由。
 B/精神的自由権(2)-表現の自由。
  1~3/表現の自由の意味・内容・限界。
  4/集会・結社の自由、通信の秘密。
 C/経済的自由権。
  1/職業選択の自由。
  2/居住・移転の自由。
  3/財産権の保障。
 D/人身の自由。
  1/基本原則。
  2/被疑者の権利。
  3/被告人の権利。
 以上。
 他にも、9条から「平和に生きる自由」、13条から「プライバシー(私事)の自由」や「自己決定」の自由などが導かれ得るかもしれない(これは秋月の勝手な叙述)。
 西尾幹二は、このように多岐にわたる「自由」が論じられ得ることを知っているのだろうか。
 この人が関心を持つのは、「精神的自由」のうちの「思想・良心の自由」、それにもとづく「表現の自由」に限られているのかもしれない。
 そして、意識・気分を「不快」・「不安定」にする<科学技術の進展への不安>から免れるいう意味での「自由」、自分には知識がない「自然科学」なるものに脅かされているという<不安>から免れるいう意味での「自由」であるのかもしれない。
 しかし、<信仰・宗教の自由>も、<集会・結社の自由>も、<職業選択の自由>も、<人身の自由>もある。これらはむろん、「個人的精神」と密接な関係がある。
 ***
 ともあれ、西尾幹二が所持していても不思議ではないA・スミスの原著で確かめることなく、知人の「話」を聞いてA・スミスの(invisible hand に関連する)「自由」はliberty だとして、これをfreedom と区別し、かつ後者を「個人の属性」・「個人的精神」にかかわる「自由」だということから出発しているようでは、この書物に大きくは期待することができない。
 あれこれと揺れ動きながら随筆をとりまとめたような書物を、それでも現時点でさらに読んでしまった。
 今回の記述には、なおも追記したいことがある。

2075/L・コワコフスキ著第三巻第13章第2節③。


 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳のつづき。
 第13章・・スターリン死後のマルクス主義の進展。
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 第2節・東ヨーロッパでの修正主義③。
 (22)ハンガリーで修正主義の第一の中心になったのは、ブダペストの "Petőfi Circle"で、ルカチ学派の者たちを含んでいた。
 ルカチ自身はこの議論で顕著な役割を果たした。そして、ポーランドの修正主義者たちと比べて、彼もその支持者たちも、マルクス主義への忠誠をはるかに強調した。
 ルカチは「マルクス主義の枠内での」自由を求め、単一党支配の原理に疑問を抱いていなかった。
 あくまで想定にすぎないが、ハンガリーの修正主義者たちのスローガンがはるかに正統派的だったことは、民衆一般の不満の運動から離れるようになって、党に対する攻撃を彼らが適度に維持することができなかった理由だった。
 その結果は、明示的に反共産主義の性格をもつ大衆的抗議だった。そしてこれが、党の崩壊をもたらし、ソヴィエトの侵攻を招いた。
 ソヴィエトによる侵攻は、「民主化された」共産主義体制という考えはお伽噺であることがただちに明白になったポーランドにのみならず、西側の共産主義者たちに対しても、衝撃を引き起こした。
 小規模の共産党のいくつかは分裂し、その他の共産党は多数の知識人たちの支持を失った。
 ハンガリー侵攻は、世界じゅうの共産主義者たちの間に多様な異端的運動や、ソヴィエト路線の運動や教理を再構築しようとする試みが生まれるのを刺激した。
 イギリス、フランスおよびイタリアでは、民主主義的共産主義の可能性如何に関する多数の著作が出版された。
 1960年代の「新左翼」の大多数は、これらから刺激を受けて鼓舞されたものだ。
 (23)ハンガリーの修正主義運動は、ソヴィエトの侵攻によって破壊された。
 ポーランドのそれは、数年間にわたって、多様な、比較的に穏健な形態の抑圧と闘わざるをえなかった。抑圧とは、定期刊行物の閉刊、党方針に屈するのを拒む寄稿者の強制的な不採用、個々の著作者による出版の禁止、文化の全分野に及ぶ検閲の強化、といったものだ。
 しかしながら、ポーランドの修正主義が次第に減退していった主な理由は、そのような抑圧手段ではなく、修正主義者による批判論によって掘り崩されていった、党イデオロギーの解体にあった。
 (24)修正主義は、「根源」-主としては青年マルクスとその人間性の自己創造という観念-に立ち戻ることによってマルクス主義を再生し、その抑圧的で官僚制的な性格を治癒して共産主義を改良しようとする試みとしては、つぎのかぎりで、有効なものであり得ただろう。すなわち、党が伝統的イデオロギーを真摯に受け止め、党装置がイデオロギーの問題にある程度は敏感であるかぎりで。
 しかし、修正主義自体が、公式的教理に対する敬意を党が失ったこと、そしてイデオロギーがますます殺伐としているが不可欠の儀礼になったこと、の大きな原因だった。
 このようにして修正主義者の批判論は、とくにポーランドでは、共産主義の脚下からそれを崩した。
 文筆家や知識人たちは、宣言行動と抗議、当局に政治的圧力を加える試みを継続した。しかし、徐々に、真の修正主義思想、つまりマルクス主義に依拠することが少なくなった。
 党と官僚機構では、共産主義イデオロギーの重要性が明らかに衰退していた。
 かりにスターリニズムの暴虐に関与したのであってもそれぞれに忠実な共産主義者であって共産主義の理想を堅く保持していた者たちに替わって権力を掌握したのは、自分たちが利用してきた共産主義スローガンの空虚さを完全に知った、冷笑的で幻惑から醒めた出世第一主義者たち(careerists)だった。
 こうした種類の者たちで成る官僚制的機構は、イデオロギー上の衝撃にも動じなかった。/
 (25)他方で修正主義自体に、やがてマルクス主義の先端部を超えて進行するという、確かな内在的論理があった。
 合理主義の考え方を真摯に採用した者は誰でも、マルクス主義の伝統に対する自分の「忠誠心」の程度について、もはや関心をもつことができず、別の淵源や理論的刺激を利用することが禁止されているとも感じなかった。
 レーニン=スターリン主義の形態でのマルクス主義は貧困で未熟な構造をもつものだったので、厳密な検証を行うにつれて実際には消滅していった。
 マルクス自身の教理は、確かに知性に対するより多い栄養を供給するものだった。しかし、物事の性質からして、マルクスの時代より後に哲学や社会科学が提起した諸問題に対する回答を与えるものではなかったし、また、20世紀の人間主義的(humanistic)文化が発展させた多様で重要な観念的範疇を消化することができるものでもなかった。
 マルクス主義をどこかで始まっている新しい動向と結びつける試みがなされたが、それはすみやかにその明晰な教理形態をマルクス主義から奪うこととなった。
 マルクス主義は、知的歴史に寄与するいくつかのうちの一つにすぎなくなった。マルクス主義は、たとえ困難に思えても全ての問題に対する回答を見出すことができる、権威ある真理による全包括的な大系ではなくなった。
 マルクス主義は数十年間は、ほとんど全体として、有力だが自己充足的なセクトの政治イデオロギーとして機能した。その結果は、マルクス主義は諸思想がある外部世界からほとんど完全に遮断された、ということだった。
 この孤立状態を解消しようとする試みがなされたときには、すでに遅かった。-教理は解体した。ミイラ化した遺骸が突如として空中に晒されるがごとく。
 こうした観点からすると、正統派党員たちは全く正当に、マルクス主義の中に新しい空気を注入することを怖れた。
 修正主義者たちの訴えはたんに常識的なことと感じられた。-マルクス主義は科学に普遍的に適用される知的な方法にもとづく自由な討議で防衛されなければならない。現代的諸問題を解決するマルクス主義の能力を恐れることなく分析しなければならない。マルクス主義の観念的大系は豊富にされなければならない。歴史文書は捏造されてはならない。等々。
 こうした修正主義者たちの訴えは全て、悲惨な結末となることが判った。マルクス主義を豊かにしたり補完したりすることなく、疎遠だった諸思想の逆巻の中へと消失したのだ。//
 (26)ポーランドの修正主義はしばらくの間は残存したけれども、反対派の他形態の思想に比べて次第に重要ではなくなっていった。
 ポーランド修正主義の1960年代初期を代表したのは、KurońとModzelewski だった。彼らは、マルクス主義的かつ共産主義的な綱領を提案した。
 彼らによるポーランドの社会と政府に関する分析の結論は、共産主義諸国には新しい搾取階級が存在するに至っており、それはプロレタリア革命によってのみ克服される、というものだった。そしてこれは、伝統的なマルクス主義の基本的考えに沿っていた。
 彼らはこれにより、数年間の投獄を被った。しかし、彼らの抵抗が助けたのは、1968年の3月に相当に広がった暴動を指導することとなる、学生たちの反対運動の形成だった。
 しかしながら、このことは、共産主義イデオロギーとはほとんど関係がなかった。
 学生たちのほとんどは、市民的自由と学問の自由の名のもとで抗議運動を行った。そして、これらを特別に共産主義の意味で、また社会主義の意味ですら、解釈しはしなかった。
 政府は、暴乱を鎮圧した後、文化の分野での攻撃を開始した(これは当時の党内批判者たちとの闘いと関連していた)。そして、そうすることで、政府の主要なイデオロギー上の原理が反ユダヤ主義であることを露呈した。 
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 ④へとつづく。

2074/西尾幹二の境地・歴史通11月号①。

 月刊WiLL2019年4月号(ワック)に、つぎの対談が掲載されたようだ。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」。
 これが、歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)に再掲されている。
 前者を読んでいないので知らなかったが、後者を読むと、今年の初めに西尾幹二が考えていたことが分かり、興味深いとともに、いささか驚き、また呆れる。
 その西尾発言部分を、まずは引用する。一行ごとに改行する。
 「女性天皇と女系天皇の区別」はかなり理解されてきたようでもある。<中略>
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません
 大げさにいえば、超越的歴史観を信じるか、可視的歴史観しか信じられないかの岐れ目がここにあるといってもいいでしょう。
 126代の皇位が一点の曇りもない男系継承であるからといって、今や…情勢が変わったのだから政治世界の条件は少しは緩めて寛大にしてもよいのではないかと考える人が急速に増えているようです。
 しかし残念ながらそれは人間世界の都合であって、神々のご意向ではありません。//
 神話は歴史と異なります。
 日本における王権の根拠は神話の中にあるのであって、歴史はそれを支えましたが、歴史はどこまでも人間世界の限界の中にあります。
 歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません。
 ですから神話を今の人に分かるように絵解きして無理なく伝えるのは容易な業ではなく、場合によっては危険でもあり、破壊的でもあるのです。//
 例えば、女系天皇の出現を阻止するのは…今や無理であり、…女性宮家を創設して、…が合理的で、男系継承一点限りの原則論ではもはややっていけない、と囁く声が保守派の中からさえ聞こえてきます。
 それでいいのですか。」
 ここで、いちおう区切る。
 これまでのところで、原理的な問題として西尾幹二が取り上げているのは、<神話と歴史>という問題だ。そして、明確に、前者を尊いものとしている。
 池田信夫は「天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ」と書いているが(同11月11日ブログマガジン)、ひょっとすれば?、「歴史学的にはナンセンス」であることは、西尾も容認するのかもしれない。
 しかし、西尾幹二は、「歴史学」が示す「可視的世界観」に立ってはならず、「人間世界の限界の中」にある「歴史」によらず、また「人間世界の都合」によらないで、「神々のご意向」に添わなければならない、という見解を主張しているようだ。
 なぜなら、「歴史」には「事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由」があるが、「神話を前にしては」「そういう自由」はない。
 「神話」と「歴史(学)」と関係は、一般論として、興味深い主題ではある。
 ごく最近に読んだジョン・グレイの書物の一部は、近代人文社会科学は「ヒューマニズム」を基礎としており、それはまた一種の「信仰」であり「迷信」だ、と主張しているとみられる。
 むろん、J・グレイの方が、西尾幹二よりも視野が広く、思索は深い。
 まだこの欄で紹介していないが、つぎの書物には、つぎのような印象深い一文がある。
 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)=John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)、邦訳書p.85。
 「曇りのない知見は、歴史、地理、物理学など、広い分野に学んで身につくものである」。
 西尾幹二の知見は、幼稚な秋月瑛二の目から見ても、「曇りのない知見」だとは思えない。
 以上はさておき、「歴史(学)」の対象には「神話」も含み、またJ・グレイの示唆するように「歴史(学)」もまた何らかの「宗教」(近代ヒューマニズム、近代啓蒙主義にもとづく人文社会系学問)を基礎にしているとも言えるから、西尾のように「神話」と「歴史」を対比させること自体が、なおも説得力を欠くところがあるだろう。
 しかし、それにしても、公然たる、明確な「神話」優越論だ。
 これが、日本人、あるいは世界も含めてもよいが、人間多数の支持を受け得るとは考え難い。
 「神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません」と何やら深遠なことを言っているようでもあるが、じつはほとんど無意味だ。
 「人間の手による分解と再生」を許さないのが「神話」であり、人間はそれに従うほかはない。これを西尾は「可視的歴史観」と区別される「超越的歴史観」と称しているようだ。要するにこれは、「神話を信じるべきだ」、という主張だ。
 世界観、人間観、人生観として、これは成り立つ可能性はある。キリスト教も含めて、真に敬虔な「宗教信者」は、たぶんそう考えているのだろう。
 だが、論じるまでもなく、そして残念ながら、普遍的な、または日本と日本人に不変の「世界観、人間観、人生観」として西尾が勝手に他者に押しつけることができるものではない。西尾幹二の「虚しい思い込み」にすぎない。
 この点ではまだ、岩田温のつぎの言葉の方が冷静だ。
 「神話をすべて信じろというのは現代人にとって難しいでしょうが、神話を敬う態度は必要だと思います」。上掲書、p.220。
 秋月もまた、「敬う」と表現できるかは別として、日本書記であれ古事記であれ、日本と日本人の歴史を考察するにあたって、これらのうちの「日本神話」を無視してはならないと思っているし、「事実」・「史実」ではないものがあると注記しつつ諸記述・諸「物語」を学校教育の場にも導入すべきだと思っている。
 しかし、むろん「神話を信じる」べきだ、という前提に立っているのではない。
 なお、上に引用部分にはないが、西尾幹二は、原理的・基本的な論点として、つきの主張を行っていることにも注目される。以下、引用。上掲雑誌p.222。
 「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神です。
 自然科学ではない科学が蘇らない限り、…へひた走ってしまいます。
 それが行きつく先はニヒリスムです。<一文略>
 自分たちの歴史と自由を守るために、自然科学の力とどう戦うか。
 現代の最大の問題で、根本にあるテーマです。」
 ここでは私は、「ニヒリズム」観念には関心がない。
 興味深い一つは、「自分たちの歴史と自由」の大切さを説いて、ここでは(「神話」ではなく)「歴史」を重視していることだ。西尾幹二における諸概念の使い方には、そのときどきの、文章の流れの中に応じたむら気に対応して、結構いいかげんなところ、がある。
 それよりも決定的に重要だと感じられるのは、最後にある、「自然科学の力とどう戦うか」、これが「現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ、という主張・見解だ。
 むろんこれも、西尾幹二の独自の主張の一つにすぎない。
 すでに言及した部分を含めて言えば、西尾幹二は、こういう図式を描いているようだ。
 「神話」>「歴史」>「自然科学」
 これまた面白い理解の仕方だ。J・グレイによると「曇りなき知見」を得るためには「物理学など、広い分野」を学ぶことが必要なのだが、西尾によると、「自然科学」と戦うことが必要なのだ。J・グレイとは真反対にあるとも言える(なお、この人物は<容共>主義者ではない)。
 岩田温もこれにほぼ追随していて、「皇室は、近代的な科学に抗う日本文化」の「最後の砦」だとか、「無味乾燥な『科学』」だとか発言している。上掲雑誌、p.224。
 ここに、はしなくも、日本の「文学」系人間に特徴的であることが多い無知蒙昧さが明瞭に示されている、と秋月は感じる。人間である日本人を理解するためには、人体・脳等々を学問対象とする「医学」、その基礎にある物理学、化学等々、そして脳神経生理学、進化生物学等々もまた必要なのだ。
 これら現代「自然科学」を無視しては、さらには「戦う」などという姿勢・感覚では、日本人も、その歴史も、西尾幹二もときに用いる「日本精神」なるものも、理解することができない、議論することすら不可能だと思われる。
 さて、以上は全体をいちおう一読したあとでの原理的、基本的な論点の所在の指摘だ。
 とりあえず問題になるのは、しかし、つぎにあるだろう。
 万が一「神話」と「歴史」(と「自然科学」)の関係が西尾が考えるようなものだとして、つまり西尾の見解にかりに従うとして、つぎの問題がただちに生じる。
 西尾のいう「神話」とは少なくとも日本書記上の「神話」だろう。あるいは古事記も含んでいるかもしれない。
 そして、第一に、日本書記(8世紀初頭成立)が記述する「神話」は、「神々のご意向」として、上に西尾の言葉を引用したような意味での「神話」としてそのまま「信じる」必要があるのか。あるいは「信じる」ことができるのか?
 第二に、「126代の皇位が一点の曇りのない男系継承である」ことは、日本書記(+古事記)が記述する「神話」に照らして、疑い得ないものなのか?
 岩田温は西尾に迎合して?、つぎのように語る。上掲雑誌、p.220。
 「人の世を扱う歴史には人間の自由があるが、神話には人間の自由がないとのご指摘、大変勉強になります。
 確かに歴史は解釈の余地がありますが、神話はその神話を受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られます。」
 大いに「勉強」すればよいが、西尾の「神話」・「歴史」の対比とともに、これは少なくとも日本書記(+古事記)につては<妄言>・<誤謬>だ。
 ①日本書記と古事記では、記述内容が異なっている場合も少なくない。
 ②日本書記の記述は「解釈」を許さないほどに「一義的に明確な」ものではない。「神話」であっても、あるいは「神話」部分だからこそ、「受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られる」ような意味明瞭な記述にはなっていない。
 日本書記の記述にだって、「解釈」の争いがあることがある。これは、ほとんど常識ではないか。
 西尾と岩田の二人は、いったい何を喚いているのだろうか。とりわけ、<日本の「保守派」知識人>西尾幹二は、いったい何を考えており、いかなる境地に達しているのだろうか。
 (つづく)

2073/孝明天皇暗殺(非自然死)説-中村彰彦。

 京都・泉涌寺-孝明天皇陵といえば、ただちに連想するのは孝明天皇「暗殺」説だ。
 のちの伊藤博文に対する狙撃犯・安重根も「噂」を知っていた、というくらいだから、(伊藤の関与の程度は別として)明治の「元勲たち」の誰かによる孝明天皇「暗殺」の風聞はかなり広く伝搬していたのだろう。
 公武合体・攘夷論者の孝明天皇の死により、攘夷論は「臆面もなく」放棄されて倒幕・開国への政治情勢へと大きく転換した(と秋月には感じられる)。次期天皇・明治天皇の母・中山慶子の父親(明治天皇の実の祖父)は岩倉具視等々とともにいわゆる<過激派>公家だった。
 「暗殺」と称さなくとも、自然死ではなかった、病気自体を感染させられた、あるいはその治療が適切には行われてなかった等々の主張・見解あるいは推測・憶測の類は、明確ないずれかの「物証」が出てこない限りは、今後も継続するような気がする。
 中村彰彦・幕末維新史の定説を斬る(講談社、2011/文庫2015)。
 この中に、中村彰彦が1992年、2008年にすでに書いていた孝明天皇の「毒殺」・「暗殺」に関する「小論」を詳細にした、または発展させた、「孝明天皇は『病死』したのか」が収められている。小説ではない。
 内容もそうだが、別の点である意味ではきわめて興味深い叙述が、最初の方にある。文庫版、p.153。
 2008年の小論が発表されたあと、こういうことがあった、という。一文ごとに改行する。
 「ある会合で評論家の宮崎正弘氏に会うと、かれは声を潜めて告げた。
 『ある右寄りの人が中村さんの歴史読物を読んで、天皇暗殺を論じること自体が尊王の態度に反するといっているそうです。
 気をつけた方がいいですよ』。
 この忠告を受け、中村は「天皇暗殺を論じること自体が尊王の態度に反する」と批判・立腹されていると考えたようだ。そして、「官撰国史」の日本書記もまた二人の天皇(安康・崇峻)が「弑逆」されたことを明記している、として、天皇「弑逆」事件を記述するのは決して「反・尊王」ではない、と反論?している。
 この反批判または釈明は、必ずしも的を射ていないように思われる。
 「ある右寄りの人」が怒っている対象は特定の孝明天皇についての「暗殺」事件の記述であり、かつその加害者がのちの明治新政権の中に入った者たちの中にいる、というほとんど明示的な指摘・推測がなされていることだろう、と考えられる。
 そして「ある右寄りの人」は明治維新あるいは「明治の元勲たち」が批判されている(または批判されているようである)ことを苦々しく感じたのだろう。
 上によると、宮崎正弘は「声を潜めて」、「気をつけた方がいいですよ」と言った。
 気味が悪い、話だ。
 「気をつけた方がいい」、というのは、身体または生命に対する危険が(多少とも)ある、ということを告げた言葉だろう。
 しかして、「ある右寄り」の人はどういう人物で、属しているとすれば、どういう団体・組織または運動団体だったのだろうか。「右寄り」は「右翼」とも表現することができる。
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 泉涌寺-孝明天皇の死-孝明天皇陵という連関は、さらにつぎのように辿ることできる。
 孝明天皇陵-御陵衛士-伊東甲子太郎-新撰組-「油小路の変」(京都・七条油小路での伊東らの「暗殺」)。
 また、つぎのような連想も可能だ。
 孝明天皇-京都守護職-会津藩主・松平容保(・黒谷金戒光明寺)-新撰組。 
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 「狂熱的」・「狂信的」な人は、たぶん「尊王・右翼」の人の中には、いるものだ。安本美典のある著書に対して、某ネット上の書籍販売サイト上に、こんな「書き込み」(レビュー)があった。今でも残っているかもしれない。
 <神功皇后を実在だとするのはよいが、同皇后を「不義密通」した女性だとするのは「許せない」。>
 この「許せない」、というのが、なかなかに「気味が悪い」。
 同じ団体・組織の事務方の長(事務長・事務総長)を20年以上も同一人物が続けていることとは、別の次元のものだとしても。
 上の「不義密通」というのは、応神天皇は神功皇后の子だとしても(胎中天皇)、父親は仲哀天皇ではない、ということを意味する。安本美典のほか、井沢元彦も、その可能性を強く示唆している。
 この秋月の書き込みも「気をつけた方がいい」内容なのかもしれない。不気味だ。

2072/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史06。

 一 産経新聞2019年10月21日付は、自民党有志「日本の尊厳と国益を護る会」提言を報道する中で、こう記述している。ネット上による。一文ごとに改行。
 「皇統は126代にわたり、父方の系統に天皇をもつ男系で維持されてきた。
 女性天皇は10代8人いたが、いずれも父方をたどると初代の神武天皇に行き着く男系だ。
 女性天皇の子が即位した『女系天皇』は存在しない。」
 これが日本会議諸氏・櫻井よしこや「126代」と明記した西尾幹二らの見解として書かれているならばよい。
 驚いたのは、これが、「沢田大典」という署名のある産経新聞記者による「地」の本文の中にある、ということだ。
 産経新聞社または産経新聞記者は、日本の(天皇の)歴史をこう確定的に記述する、いかなる資格・権限があるのだろうか。歴史の「捏造」ではないか。せめて、<~と言われている>くらいは追記しておくべきだ。
 日本書紀には代数の記載はなく(近年の<日本書記>現代訳文の書物には参考として日本書記原文にはない代数を記載しているのもあるが紛らわしい)、「大友皇子=弘文天皇」の記事はなく、一方、女性の「神功皇后」の記事は(神武等々と同じ扱いで)いわば一章を占める。
 冒頭の「皇統は126代にわたり」という数字自体、明治期以降の<決定>にもとづくものだ。
 また、「初代の神武天皇」という記述自体、<日本書記によれば>という話で、<史実>性は疑わしい。
 「女系天皇」の存否や「神武」以降の不連続性の可能性には立ち入らないが、明治維新以降、戦前までの<国定・公定>歴史解釈を現在の全国民が採用して「信じる」義務はない。
 しかるに、産経新聞の記者は何を考えているのだろう。
 堅い読者層の中に<天皇・愛国・日本民族>の「右翼」派が多いからといって、歴史を勝手に「創造」してはいけない。朝日新聞の「虚報」・「捏造」ぶりと本質的にどこが違うのか。
 二 池田信夫Blog/2019年11月7日付(全部は11/11の電子マガジン配信予定らしい)は、こう書く。こちらの方が適切だろう。但し、以下は一部省略しているが、「儒教の影響」だとする等の専門的知見は、私にはない。
 「天皇家をめぐる論争では、天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ。
 万世一系は岩倉具視のつくった言葉であり、『男系男子』は明治の皇室典範で初めて記された原則である。」
 「それまでの政権は万世一系どころか、継体天皇以前は王家としてつながっていたかも疑わしいが、そのうち有力だった『大王』が『天皇』と呼ばれた。
 中国の建国神話をモデルにして『日本書記』が書かれ、8世紀から遡及して多くの天皇が創作され、天皇家が神代の時代から世襲されていることになった。」
 「武士が実権を握るようになると、天皇は忘れられた。
 それを明治時代に『天皇制』としてよみがえらせたのが、長州の尊皇思想だった。
 それは『王政復古』を掲げていたが、実際には新しい伝統の創造だったのだ。」
 三 <古式に則り>という言葉を最近によく聞くが、その<古式>の全てではないにせよ、明治期以降の<古式>・儀礼方法であることが多いだろう。
 先月10月22日の「即位礼正殿の儀」を、テレビでたぶん全部視ていた。
 最近の関心からは、<神道>的色彩がどれほどあるかに興味があった。
 所功(ところ・いさお)らによると京都御所には「宮中三殿」はなかったらしいから、「宮中三殿」中での賢所等での天皇の儀礼は、大正天皇からなのだろう。しかし、これは<神道>的・式なのかもしれない。もっとも、神道式とは特定できない<天皇・皇室に独自の儀礼>かもしれない。「神道」の意味・範囲にもかかわる。
 一方、<高御座>で言葉を述べられる等の「国事行為」は、当然に特定の「宗教」色があってはならずせいぜい<日本の伝統>に即して、ということに理屈上はなると思われる。
 だが、素人の私の感触では、「日本」独特というよりも、「中国」(むろん過去の)の影響・色彩を強く感じた。
 なるほど十二単衣等は「平安王朝」的かもしれないが、前庭に立っていた「幟」の様子・色彩や「萬歳」と明らかに明確に漢字で書かれた旗などは、日本の「みやび」・「わびさび」等々の<和風>とは離れた<中国>風に感じた。高御座の建築様式自体も、どちらかというと神社ではなく寺院に見られるように感じた。これが仏教的なのか、道教なのかあるいは儒教ふうなのかは正確にはよく分からない。
 ひるがえると、明治天皇の即位の場合はどういうふうだったのだろうか。
 新政府が安定した(戊辰戦争勝利)後だったのか否かも、確認していない。
 しかし、まだ<神武天皇創業>以来の「日本的」儀礼の仕方が確定されていない時期だとすると、<即位の礼>が純粋に<日本的>ましてや<神道式>であったかどうかは疑わしいだろう。そして、この明治天皇を含めてそれ以降の大正天皇等の<即位の礼>の様式を、今回も採用したような気もする。
 上のことは、<即位の礼>に関することで、天皇の死後の葬礼・墳墓の性格となると、つぎのように、話は異なるようだ。
 四 この欄で、京都・泉涌寺に関係して、室町時代から江戸末期の仁孝天皇までとは異なる、つまり<仏教式>ではない葬礼と陵墓が明治天皇の父親の孝明天皇について行われたようだ、と書いた。№.1982、2019/06/18。
 専門家がいずれの分野にもいることは分かっているので「大発見」のつもりで記したのでは全くない。
 きわめて興味深く感じたので、孝明天皇陵については陵墓の方式自体が九重仏塔を持たない「円墳」のようだと書いたのだった(一般には立ち入れないので、既存の写真に頼るしかなかった)。
 しかし、推測が妥当であることを、上記の池田信夫Blog が挙げているつぎの書物によって確認することができた。
 小島毅・天皇と儒教思想-伝統はいかに創られたのか?-(光文社新書、2018)。
 こう書かれている。
 「文久年間に在位していた孝明天皇は、…慶応へと改元されたその二年の年末、12月25日(グレゴリオ暦では1967年1月30日)に崩御する。
 翌慶応三年にはその陵墓が、じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された。
 陵墓に埋葬され、かつ国家管理の聖地とされたのは、明治政府の陵墓政策を先取りするものだった。」
 この「山稜」というのは、南向きで南側に拝礼場があると見られる、<後月輪東山陵>のことで、現在も京都市東山区・泉涌寺の東の丘の中腹にある。
 先だっては記さなかったが、それまでの天皇は「仏式」でかつ「火葬」のあとで納骨されて葬られている(かつ真西の方向を向く)のに対して、孝明天皇については(「神道」式か否かは不明だが少なくとも)「仏教式」ではなくかつ「土葬」の陵墓のようだ。
 しかも、上の書物によると、「じつに1000年ぶりに山稜形式で造営された」、とある。
 これまた、<新しい伝統の創造>だっただろう。
 もっとも、かつての「山稜形式」は「神道」式と称し得るものであるかについては、疑問が残る。
 いわゆる前方後円墳(伝仁徳天皇陵、伝応神天皇陵が著名)が「神道」式なのかというと、おそらくこれを肯定する学者・論者は存在しないのではないか。
 この問題は、「神道」というのはいったい何だったのか、いつ頃どのように形成され、意識されたのか、といった疑問にかかわる。
 櫻井よしこは、神道の「寛容」性のゆえに仏教伝来を許した、という旨を明記している(別に扱う)。聖徳太子の時代頃の「仏教伝来」以前にすでに確たる「神道」があった、という物言いなのだが、果たして本当か? 
  天皇家と「神道」に(神武天皇以来?)強く密接な関係がある、天皇家の「宗教」はずっと神道だ、と主張するならば、古代天皇は「神道」式で葬られたのか? その儀礼や墳墓の様式は?
 尊いはずの初代・神武天皇陵の場所が特定されて整備され、近傍に橿原神宮が造営されたのは、いったいいつの時代にだったのか? まだ150年ないし120年ほどしか経っていない。
 「初代の神武天皇」と「史実」のごとく平気で書く産経新聞記者・沢田大典は、そのような「初代」天皇の「墓」の所在地が<2000年以上>も不明なままだったことを、不思議とは感じないのだろうか。「古い」ことだから仕方がない、では済まないと思われる。
 このあたりは、あらためて触れることにする。

2071/J・グレイ・わらの犬(2002)③-第1章03。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの一部引用・要約のつづき。
 「各『小節』の見出しは原書にはないようで、…」とこれまで記してきたが、大間違いだった。
 例えば、第一章第2節「恣意的進化の蜃気楼」の原語は、The Mirage of Concious Evolution。
 同第6節の「反原理主義…」の原語は、Against Fundamentalism …。
 「」は邦訳書からの直接引用。太字化は秋月による。
 <わらの犬>の意味は、第12節で説明されている。
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 第一章・人間③。邦訳書、p.23~p.35。
 第8節・人間中心主義を矯正する科学。
 「科学」は「人間中心主義の要塞」で、他生物と違って「自然を意のままに服従させることも…可能であるという思い込み」を助長して身を守っている。
 しかし、「最先端の自然科学」は「因果律も古典論理」も本質からずれていると疑問視し、例えば「時間が外的世界の部分」ではないと示唆し、「一つの事象に複数の現実が存在する」ことを肯定する。「観測者の立場次第で世界は変わるとするのが量子力学の根幹」だ。
 「ほんとうは、人間が知覚するように組み立てられた世界は絵空事(ギメラ)であることを露呈するところに、科学ならではの意味がある」のではないか。
 第9節・真理をもたらすもの。
 ヒューマニストは「真理を知ることで人間は自由になる」と言うが、そうした「ヨーロッパ思想」はソクラテスからプラトンを経てキリスト教に伝わった。
 ソクラテスにとって「真理の本質」は問題にならず、「人間の知識と福利は別物」だ。「内省」を重んじ、真の「充足は不変のうちにある」とする立場には「原始宗教の名残」がある。「シャーマニズム」という「精霊との交感」を大切にした風習の影響で、彼は「内なる声」を「神の声」と呼ぶ。
  「ヨーロッパの合理主義は神秘体験が原点」だが、現代ヒューマニズムが異なるのは「その不合理な起源を自覚せず、大それた高望みを正当」とする点にある。
 ヒューマニストの一部は「真理が人間を自由にする」とするソクラテスを含む「ギリシア思想」とキリスト教の「解放の希望は万人のもの」とする信仰を混同している。
 「現代のヒューマニズムは、人間は科学を通じて真理を知り、自由を手にするという信仰である。
 しかし、ダーウィンの自然淘汰説が正しいとしたら、これはありえない。
 人間の頭脳は、…ひたすら真理を求めるようにはできていないからだ。」
 ダーウィン以前の誤りの一例は「ミーム論」=「模倣子」・「意伝子」論で、残念だが「ミームは仮想の主体であり、遺伝子とはちがう」。 
 「思想の対立が真理の勝ちで決着するとは思いもよらない」。「思想は対立し、反目するが、…権力と愚昧を味方につけた側が勝つことに相場が決まっている」。
 ダーウィン・進化論は「真理への関心が生存や繁殖のためには無用で」「むしろ少なからず有害である」ことを示す。
 「進化心理学」は「動物が擬態で外敵を欺く」ことを教えるが、「同じことは政治の場をはじめ、さまざまな人間関係について言える」。
 進化過程は、「真理」は「誤謬」より「優位」ではなく「その逆」で、「自己欺瞞の度合いで方向を選ぶ」ことを示す。
 「生存競争の修羅場で真理を求めるのは贅沢か、さもなければ無知の業である」。
  人間と同じく「科学」は「もっぱら真理の探究と人間の向上を目指す」ことはなく、「知識」は「むら気と曲がった心に妨げられる」。
 「日常生活の中で人間が一所懸命になるのは、損得の勘定である。<一文略>行動がただ感情を発散させるため」だけのこともある。これらは「改まる落ち度ではない」。
 第10節・啓蒙家パスカル。
 17世紀のパスカルは、「信仰」が「心の空白を満たす」と考えなかったが、「信仰を支える習慣」の力を知っていた。同様に現代人は「科学」に期待し、「理性を眠らせて、人類に対する信仰を深め」ている。
 第11節・人間主義対自然主義。
 「分子生物学」のジャック・モノー(J. Monod)によると、「生命は理論では説明できない偶然の産物だが、ひとたび発生すると突然変異と自然淘汰で進化する。人間は、宇宙が賽子を投げていい目が出た他の生き物と少しも変わらない」。
 この「なかなか容認しがたい事実」、「自身の存在がまったくの偶然であることを認めなくてはならない」。但し、モノー自身が「人類は特権に恵まれた孤高の種」だとしてじつは認めていない。 
 モノーは「人間主義と自然主義を折衷」した。ダーウィン・進化論は「自然主義の真理」を明らかにしたが、「逆説」的に、この論が「人間が獣性を超越して地球の支配者たりうるとするヒューマニズム信仰の要石となっている」。
 第12節・わらの犬。
 <ガイア説>は、「地球は一個の自動制御システムであり、その動作は少なからず生命体に似ている」とする。ラヴロックの<デイジー>モデルは「惑星温度は自動制御される」とする。
 <デイジー>モデルのごとく<ガイア説>は「狭義の科学信仰」にもとづくが、「科学原理主義者」はこれに反発する。「ガイア説と現代の正統派の対立は、科学的な論議」に由来せず、「その根底にあるのは、キリスト教信仰と、はるか以前か伝わる古い信仰の衝突」だ。
 <ガイア説>の「概念」は、「老荘哲学の原典」・「道徳経」に明記されている。
 「古代中国では、わらの犬を祭祀の捧げものにした。
 祭りのあいだ、わらの犬は丁寧に扱われたが、祭りがすんで用がなくなると踏みつけにされ、惜しみなく棄てられた」。
 「人間とても、地球の平穏を乱せばたちまちに踏みつけにされ、情け容赦なく棄てられる」。<ガイア説>批判者は「非科学的」だとこれを忌避する。
 しかし、「実を言えば、人間はわらの犬でしかないことを認める勇気がないばかりにそっぽを向いているのである」。
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 第2章以降につづく。

2070/J・グレイ・わらの犬(2002)②-第1章02。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの一部引用・要約のつづき。
 各章の中の「小節」の見出しは原書にはないようで、邦訳者が読者の便宜のために付したのではなかろうか。「」は邦訳書からの直接引用。太字化は秋月による。
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 第一章・人間②。邦訳書、p.15~p.23。
 第5節・グリーン・ヒューマニズム。
 環境保護のグリーン論者は「人間が地球の支配者たりえない」ことを知っているが、「ラッダイト運動にも似て、…地球を人間の目的にかなうものにすることができるという幻想」を引き摺っている。彼らは「人間主義-ヒューマニズムの焼き直し」を唱えているだけだ。
 「技術」は地球上の生命と同じ「長い歴史」をもつ。昆虫にも「技術」がある。
 人間自身が「原始バクテリア共同体が遺伝子保存の手段として工夫した機械的装置」であることを、マーギュリス(L. Margulis)とセーガン(D. Sagan)は、こう述べる。
 人間は「バクテリアが地球を席巻して以来の複雑なネットワークの一部である。
 生命力と知力は人類の占有ではなく、全生物が共有する財産である」。
 「ヒューマニズムは救済の教理であり、人類は自己の運命に責任を負うという思い込み」だ。グリーン論者は、地球の「資源を管理」する役を理想としているが、「人間の行動が自分たちや惑星を救う」とおめでたく考えている。
 有史以前から、人間は概して他の生物と「多少とも」違うとは考えてこなかった。
 「人間と動物を隔てる溝は越えがたいというヒューマニストの認識は誤りで、人間も動物も等しく自然の一員である」。希薄化しているかもしれないが、人間と生物を「運命共同体と見る感覚は人の心の深層に刷りこまれている」。
 人間はときに「意識の表層に浮かぶ倫理観には縛られず、利己心から行動」する。「いつの場合も、人間を駆り立てるのは、その時々の必要である」。
 「ずば抜けた破壊能力を持つ種に地球を託す以上の悲劇」はないだろう。
 第6節・反原理主義-宗教と科学。
 「科学」は「宗教」から権威を奪い、人間を「偶然の…取るに足らない」存在にした。「人間存在」の意味を復活させるなら「信仰」も復活させる必要がある。しかし、「現代社会」から意識的に「科学を排除することは不可能」だ。
 「科学は技術を介して社会に浸透する。人間の意志にはかかわりなく、科学技術は生活様式に変化を強いる。」//
 「宗教原理主義者」は現代社会の「医療師」だと自負するが、そうした存在自体が「病の兆候」で、その主張は「妄想」だ。彼らが「どれほど望もうとも、科学の網目に覆われて生きている人間が近代科学以前の視野に立ち戻ることはできない」。
 「科学原理主義者」の「公平無私な真理の探究」だとの主張は、「人間の現実を無視」している。「科学」がもつ一つは「希望」で、「進歩神話の根拠」となる。しかし、「無条件の信頼」からではなく「諦めた先に何があるかわからない不安」のためだ。「科学」の「進歩」的様相は「道徳律や政治」に求めることはできない。
 「科学」がもつもう一つは「異端を封じる力」で、「現在、権威を誇りうる唯一」のものだ。それは「浅薄な既成の世界像を俗受けのする幻影のままに温存する」ことでその「人気を根底で支えている」。大衆には「不確実から身を守る避難所」なのだ。
 「科学」の権威が由来するのは「人間がその力を借りて環境に影響をおよぼす」ことで、また「実際の必要を離れて純粋に真理の探究」に資するかもしれない。しかし、「その目的が達成される」と想定するのは「科学以前の発想」で、「実用の場から切り離」された「自然とは異質な超越論的思考に変容させること」、「世界を支配するのは真理であり、真理は神聖であるとする神秘主義の再現」が見られる。
 第7節・科学の不合理な起源。
 「科学原理主義者」によれば科学は「すべてに優る理性の表現」で、それは教会・国家・迷信等と闘って「合理の探究を実現した」。
  しかし、「科学の起源は合理の探究ではなく、信仰、魔術、知略」にある。ガリレオ・地動説が時代を画したのは「科学的」でない「条件が見方」したからだった。
 「20世紀をつうじて最も影響力のあった」カール・ポパーによると「理論は反論されてはじめて科学的」だが、ダーウィン・進化論もアインシュタイン・相対性理論も「発表当時は確たる証拠」がなく、「かなり後に」揃った。
 「現在では宗教、神話、魔術の領分とされている考え方が近代科学を開拓した先人たちの世界観を支える親柱だった」。「理性に背くこと」により、科学も進歩も生じた。
 例えば、「ガリレオは、自身、教会の敵ではなく、神学擁護の立場をもって任じていたし、…ニュートンは、自分の理論を森羅万象、神の定めた秩序にしたがおうとする教理と不可分であるように考えて、時にみられる自然界の異常を神の残した指紋と説明した」。
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 つづける。


2069/J・グレイ・わらの犬(2002)①-第1章01。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 以下、邦訳書から一部引用したり、要約したりする。
 各章の中の「小節」の見出しは原書にはないようで、邦訳者が読者の便宜のために付したのではなかろうか。「」は邦訳書からの直接引用。
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 第一章・人間。邦訳書、p.1~p.15。
 第1節・科学かヒューマニズムか。
 現代人の多くは自分たちで「運命を支配する」ことができるヒトという生物の種の一員だと考えているが、これは「信仰である。科学ではない」。
 ダーウィンをもう一度振り返る必要がある。
 「種とは遺伝子の集合であって、遺伝子は相互に、かつ変遷する環境と、無作為に関連し合っているにすぎない。
 種は自己の運命を制御できない。
 個々の遺伝子を取り出してみれば、種というものはない。
 生き物はすべて同属で、人間も例外ではない。」
 人間が「人類の進歩」を語るのは、「キリスト教の希望」に由来する「抽象概念」にとらわれているからだ。
 「人間とほかの生き物は同類」だが、人間を優越させるキリスト教を母胎としたために「進化論」は喧しい議論を発生させた。
 現在では、「人間主義者」と、「人間は動物と同じで運命の支配者たりえないことを理解している少数派」が対立する構図がある。
 「人間主義」とはここでは「進歩信仰」を指す。「人間は増しつづける科学知識を力として、ほかの動物〔の〕…限界を超え、自己を解放できるという思いこみ」だ。
 これには何の根拠もない。「知識を身につけたところで、生き物である人間はもとのままである」。
 他の動物と変わりがないとしたダーウィンに対し、「ヒューマニストは人間と動物をいっしょにするなと声高に言う」。それを裏付けるため、「人間は、みな救われる」というキリスト教の「いかがわしい約束」を担ぎ出したが、「ヒューマニストの進歩信仰はキリスト教信仰の世俗版でしかない」。
 ダーウィンの「世界に進歩と呼べるものはない」。
 ヒューマニストにこれは耐え難いことで、ダーウィン説を「逆手に取り」、「人間はいかなる動物とも異なる」とするキリスト教の根底にある「誤信」を永らえさせた。
 第2節・恣意的進化の蜃気楼。
 人間は「偶然にもてあそばれている-当てもなく進化の流れに身を任せてきた」。
 しかし、ウィルソン(E. O. Willson)は遺伝子工学を味方につけて、「人間進化の恣意的な操作」は可能である、と言う。しかし、この主張は「蜃気楼」だ。
 「人類が運命の管理責任を負うという考えは、種に目的意識があってはじめて意味をなす」。しかし、「種は遺伝子の流れに浮かぶ泡沫でしかない」。
 次世紀にかけて「科学の力で人間が変わることはありえよう」。しかし、変わるとしても「無計画な改造に終わる」。
 「人間が神の立場で運命をあやつったところでどうなるものでもない。
 もし人類が改良されるなら、それもまた運命の気紛れである」。
 第3節・人間がいっぱい。
 6500万年前に「全生物の4分の3に相当する種」が忽然と消滅した。その後も急速につづく「種の絶滅」の原因は、「地にはびこって」いる人間にある。
 1万2000年前に人間が登場した世界に生きていた動物の原産種のほとんどは、「狩猟によって絶滅した」。
 「自然破壊はグローバルな資本主義や産業化」や「人間の組織や習慣」の欠陥に起因するのではなく、「進化の過程で異様なまでに貪婪な霊長類が突出した結果」だ。有史以前から今日まで、「人類の隆盛と自然環境の荒廃は軌を一にしている」。
 地球規模で見ると、今後も人口は大幅に増加する。80億人ともなれば、「地球を荒らさずには維持できない」。
 遺伝子工学が「痩せこけた土壌からむりに豊かな収穫を上げる」のに成功すれば、「ほとんど何もなくなつた地球で、人間だけが人工的に欠乏を補った環境に細々と生きる」「孤愁の時代」がやって来る。
 実際には「地球の自動調節機構」によって、人間が住めなくなるか、人口の増加停止が生じるだろう。
 ラヴロック(J. Lovelock)の「筋書き」は、1.病原菌である人類の絶滅、2.慢性的地球汚染、3.宿主たる地球の破壊、4.地球(宿主)と人類(寄生動物)が「互恵関係を維持する共生」、だ。
 最もあり得るのは、1.に「いくぶんか脚色」を加えたものだ。「気候変動の副次的効果で、新しい病気が人口を抑制するとも考えられる」。「戦争の影響は計り知れない」。「生物化学兵器」、「遺伝子兵器」類が「人間社会の生命維持機構にあたえる打撃こそが深刻」だろう。
 モリソン(R. Morrison)はつぎのように言う。
「環境がもたらすストレスに、動物の多くはホルモンによって反応を制御し、栄養源が不足するとなれば新陳代謝をより効率のいい状態に切り替える。当然ながら、エネルギーを消耗する生殖行動は真っ先にその対象となる。<一文略>
 出産を打ち切って環境ストレスに対応する人間は動物一般と少しも変わらない。」
 「気候変動、新型の疾病、戦争の惨害、出生率の低下」等々の複合と「未知の要因」により、それ自体が「一過性の異常」である「人口爆発」は終息するだろう。
 「2150年までに生物圏は無事、ホモ・サピエンスがはびこる以前の状態に戻り、人口は5億から10億のあいだに落ち着くにちがいない」。
 第4節・人類はなぜ技術をもてあますのか。
 「『人類』は存在しない。ただ、矛盾する欲求と幻想に衝き動かされ、とかく不確かな意志と判断に左右される人間がいるだけである」。
 「技術」を手に負えなくしている原因は国家が多数に分かれていることではなく、「技術」を実現する「知識」それ自体は無償であることだ。「大量殺戮」目的の「新種ウイルス」開発に「莫大な資金、大規模な設備、最先端の機材」は必要がない。
 ビル・ジョイ(B. Joy)の言う「知識が招来する大量破壊の危険」という情況の責任の一端は国家にあるが、つまるところは「誤った政治の結果」ではなくて「知識の普及」による。
 「技術の管理は強制できない」。「遺伝子操作」は「戦争」に使われ得る。「政府の目が届かない…生物兵器」を防ぎようがない。「クローン人間」技術は「人間の理性や感情に乏しいか、まったく欠落した兵士」をいくらでも増殖させ得る。
 「ユダヤ人大虐殺」は「鉄道と、電信と、毒ガス」があって可能だった。スターリン・毛沢東の「強制労働収容所」には「近代的な輸送、通信手段」が必要だった。
 「そもそも技術は人類の手に負えない」。テレビ、インターネット…、「新しく登場した技術はとうてい人の理解がおよばないところまで生活様式を変える」。
 「道徳の深化が科学知識の発展に歩調を合わせられなかったこと」を嘆いても、無意味だ。
 「手段に罪はない。その手段をもてあそぶ人間にこそ問題がある」。
 「技術の進歩はひとつだけ未解決の問題を置き去りにする。すなわち、人間の弱さである。
 悲しいかな、こればかりはどうする術もない。」
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 第1章②へと、つづける。

2068/J・グレイ・わらの犬(2003)「序」③。

 政治思想・政治哲学研究者のジョン・グレイ(John Gray)は1948年生まれ。
 John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals は2002/2003年に刊行されている。原版は、54歳になる(なった)年だ。
 そして、2008年まではイギリスの大学教授(最後はロンドン大学)で、その年に引退するまでは講義や研究指導をしていたのだろう。
 それにしては、つまりそうした年齢や境遇からすれば、上記著書の内容は相当に驚くべきものだ。
 邦訳書に依拠すれば、巻末の最後の文章は、以下のとおり。一行ごとに改行する。
 「動物は、生きる目的を必要としない。
 ところが、人間は一種の動物でありながら、目的なしには生きられない。
 人生の目的は、ただ見ることだけだと考えたらいいではないか。
 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)、p.209。
 上の「見る」は、原文では see。
 最後の一文を直訳すると、<我々は、人生の目的について、たんに見ることだと、考えることはできないのか?>
 この「たんに見る」というのは、すでに「序」でも書かれているが、社会あるいは世界を「変革」しよう、「改善」しよう、「進歩」させよう、などと考える必要はない、あるいはそうしてはならない、ということを意味するだろうと思われる。
 静かに<見る>、<じっと黙想する>、それでよいではないか、と言いたいのだろう。
 こういう境地には、54歳くらいで、また現役の大学教授が、とくに「文科」系の研究者が、なかなかなれないのではないか。
 上に引用の文だけではなおも理解し難いようだが、脳科学者の茂木健一郎が標題を<生きて死ぬ私>とする書物を30歳代に刊行した、そのような心境に、政治・思想を扱う「文科」系人間でありながら、到達しているように見える。
 80歳を過ぎている日本の「知識人」らしき人物が、なおも<世俗感>・<現世感>丸出しの文章を雑誌に寄稿したり書物を出版しているのとは、大きく違っているだろう。
 もっとも、J・グレイには彼なりの<戦略>があったのかもしれず、そしてその意図どおりに、この著は種々の大きな<衝撃>を欧米の(少なくともイギリスの)「知的」世界に与えたらしい。
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 「序」は邦訳書で計6頁ほどしかなく、以下はこれまで紹介していない最後の部分を、ほとんど邦訳書に依らないで、抜粋的に「試訳」しておく。邦訳書ⅶ~ⅷ。
 「進歩という希望が幻想であるとすれば-つぎのように尋ねられるだろう-、我々はいかに生きるべきなのか?
 この疑問が前提にしているのは、世界を造り直す(remake)力を有していてのみ、人間は幸福に(well)生きることができる、ということだ。
 しかし、過去に生きたほとんどの人間はこれを信じ(believe)なかった。そして、大多数の人間は幸福(happy)に生きてきた。
 この疑問が前提にしているのはまた、人生の目的は行動だということだ。しかし、これは近現代(modern)の異端説だ。」
 プラトンは人間の最高の形態は「行動」だとしたが、同様の見方は「古代インド」にもあった。
 「人生の目的は世界を変革(change)することではない。世界を正しく見る(see rightly)ことだ」。//
 こうした考え方は「今日では破壊的な真実(subversive truth)」を示すものだ。「なぜならば、政治というものの空虚さをその意味に含んでいるからだ」。
 「優れた政治は卑劣であり当座凌ぎのものなので、21世紀の初めの世界には、失敗に終わったユートピアの瓦礫が山のように撒き散らされている。
 左翼は瀕死の状態にあり(moribund)、右翼がユートピア的空想の本拠になった。
 グローバルな共産主義のあとに続いたのは、グローバルな資本主義だった。。
 これら二つの未来像には、多くの共通するところがある。
 両者ともに醜怪で(hideous)、かつ幸いにして、荒唐無稽(chimerical)だ。」//
 「政治活動が救済(salvation)のための代用物になるに至っている。しかし、いかなる政策も、人間をその自然条件から救い上げる(deliver)ことはできない。
 いかに急進的であっても、政治的な諸方針はあくまで便宜的なものだ。-それらは、繰り返し出現する悪に対処するための穏健な方策にすぎない」。
 「人間は、世界を救済することができない。しかし、このことは絶望する理由にはならない。
 人間は、救済を必要としない。
 幸運にも(happily)、人間は決して、自分たちが造る世界に生きることはないだろう。
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 <わらの犬>の意味も含めて、別にこの書物の内容に論及したい。

2067/L・コワコフスキ著第三巻第13章第2節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳のつづき。
 第13章・・スターリン死後のマルクス主義の進展。
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 第2節・東ヨーロッパでの修正主義②。
 (9)修正主義者たちは、これら全ての問題について、民衆一般のそれと合致するように要求した。
 しかしながら、彼らは、民族主義的または宗教的議論ではなく社会主義やマルクス主義の論拠を用いた。そして、党生活やマルクス主義研究に関連する要求も提示した。
 この点では、歴史上の異端者たちと同様に、「根源への回帰」を訴えた。すなわち、システムに対する批判論の基礎にしたのは、マルクス主義の伝統だった。
 とくに初期の段階では、一度ならず、レーニンの権威が持ち出された。彼らはレーニンの著作の中に、党内民主主義、統治への「広範な大衆」の参加、等々に関する文章を探し求めた。
 要するに、修正主義者たちは、しばらくの間は、この運動の残存者たちが今でもときどき行っているように、レーニンをスターリニズムに対抗させた。
 しかし、知的な面での多くの成果はなかった。スターリニズムとは、レーニンの基本的考え方を自然かつ正当に継承するものであることが、議論を通じてますます明確になったからだ。
 もっとも、政治的に見れば、彼らの論拠は、自分たちのステレオタイプに訴えかけることで、すでに述べたように共産主義イデオロギーが壊れていくのを助けた、という重要な意味があった。
 状況が特有だったのは、マルクス主義とレーニン主義はいずれも、人間的で民主主義的なスローガンに充ちたものとして語られた、ということだ。それらは、権力システムに関するかぎりでは空虚な修辞用語だったが、当時のシステムに反対するために呼び起こされた。
 修正主義者たちは、マルクス=レーニン主義が語ったことと現実の生活との間のグロテスクな対照を指摘することで、教理自体に内在する矛盾を暴露した。
 イデオロギーは、いわば政治的運動から切り離されるようになった。イデオロギーは運動のたんなる表面にすぎなかったのだが、しかし、独自の歩みをとり始めた。//
 (10)しかしながら、レーニン主義にしがみ付く試みはほとんどの修正主義者たちによってすみやかに放棄されたが、他方で、「真の(authentic)」マルクス主義に回帰するという望みは、より長く継続した。//
 (11)修正主義者たちを党の仲間たちから分かつ主要な論点は、彼らはスターリニズムを批判したということではなかった。
 当時、とくに20回党大会の後では、党員たちのほとんど誰も、異様な力をもってスターリニズムを防衛する、ということがなかった。
 主に批判論の範囲についてすら、違いはなかった。そうではなく、違いは、スターリニズムは「誤り」または「歪曲」だった、あるいは一続きの「誤りと歪曲」だった、という公式の見解を拒否した、ということにあった。
 彼らのほとんどは、スターリン主義システムはその社会的機能の観点からはほとんど誤っておらず、ゆえに悪の根源はスターリンの個人的な性格または共産主義権力の性質以外の「誤り」に求められなければならない、と考えていた。
 しかしながら、彼らがある範囲の時期の間に信じていたのは、共産主義をその基盤を疑問視することなく再建する、または「脱民主主義化」することができる、という意味で、スターリニズムは治癒可能だ、ということだった(その特質のうち基本的なのはは何で偶然的なのは何かはほとんど分かっていなかったけれども)。
 しかし、ときが経つにつれ、このような立場は成り立たないことがますます明瞭になった。すなわち、かりに一党システムが共産主義の不可欠の前提条件であるならば、共産主義システムを改良することはできない。//
 (12)しかしながら、しばらくの間は、マルクス主義の社会主義はレーニン主義改革がなくとも可能であるように、そして共産主義は「マルクス主義の枠組みの内部で」攻撃することが可能であるように見えた。
 このゆえに、反レーニン主義の意味でのマルクス主義の伝統を再解釈する試みが行われた。//
 (13)修正主義者たちは、マルクス主義は検閲、警察や特権といった一元的権力に依拠するのではなく、科学的な合理性という規範的規準に従うべきだ、と要求することから始めた。
 そのような特権的地位は不可避的にマルクス主義の頽廃をもたらし、マルクス主義から生命力を奪う、と論じた。
 マルクス主義は、科学が普遍的に受容する経験的かつ論理的な方法でもって、その存在を防衛することが可能でなければならない。かつまた、マルクス主義研究は、批判から免れる国家イデオロギーへと制度化されてきたがゆえに廃絶されなければならない。
 こうしたことは、理性的論拠でもってこそ各人の地位を守らなければならない、そのような自由な議論があってのみ、一般化することができただろう。
 批判論は、マルクス主義諸著作の未熟さと不毛さを、今ある時代の主要諸問題について適切さを欠くことを、図式性と硬直性を、そしてその教理の主要な構成員だと見なされている者たちの無知を、攻撃した。
 レーニン=スターリン主義的マルクス主義の観念的範疇の貧困さを、全ての文化を階級闘争の用語法で説明し、全ての哲学を「唯物論と観念論の間の闘い」へと還元し、全ての道徳性を「社会主義の建設」の手段に変える、等々の単純な企てを、攻撃した。//
 (14)哲学に関するかぎりは、修正主義者たちの主要な目標は、レーニン主義教理とは対立する、人間の主体性(human subjectivity)の擁護だった、と定式化することができるかもしれない。
 彼らによる攻撃の主要点は、つぎのとおりだった。//
 (15)第一に、レーニンの「反射の理論」を批判した。マルクスの認識論(epistemology)の意味とは全体として異なっている、と論じることによって。
 認識(cognition)とは客体が心(mind)に反射されることではなく、主体と客体の相互作用であり、社会的および生物的要因に規定されているこの相互作用を、世界を複写したものと見なすことはできない。
 人間の精神(mind)は、存在と関係し合う態様を超越することができない。
 我々の知る世界は、部分的には人間によって造られた。//
 (16)第二に、決定論(determinism)を批判した。
 マルクス理論も事実に関するいかなる考察も、とくに歴史に関する決定論的形而上学を正当化しない。
 不変の「歴史の法則」があり、社会主義は歴史的に不可避だという考えは、共産主義に対する熱望を掻き立てるのに一定の役割を果たしたかもしれない、しかしなおそれ以上のものをもった神話的迷信だった。
 偶然と不確実さを過去の歴史から排除することはできない。未来の予言については、なおさらのことだ。//
 (17)第三に、不確定な歴史編纂の定式から道徳的価値を帰結させようとする企てを、批判した。
 かりに間違って、社会主義の将来はあれこれの歴史的必然性によって保障されている、ということが支持されたとしても、そのような必然性を支持するのが我々の義務だ、ということにはならない。
 必要なことは、その貴重な理由のためにあるのではない。社会主義は、「歴史的法則」の結果だと主張されるものの基盤の上に、それを超えたところに、なおも道徳的基礎づけを必要としている。
 社会主義という観念を回復するためには、価値のシステムが先ずは歴史編纂上の教理からは別個に再建されなければならない。//
 (18)こうした批判論は全て、歴史過程および認識過程での主体の役割を回復するという共通の目的を持っていた。
 それらは、官僚制的体制への批判と結びついた。また、党装置は「歴史的法則」に関する優れた見解と知識をもっており、この力の強さにもとづいて無制限の権力と特権をもつのだ、という馬鹿げた偽装に対する批判とも。
 哲学の観点からは、修正主義はすみやかに、レーニン主義と完全に決裂した。//
 (19)修正主義者たちは、批判論を展開する過程で、当然のこととして、さまざまの根拠に訴えた。そのうちある範囲はマルクス主義で、別のある範囲はマルクス主義ではなかった。
 東ヨーロッパでは、一定の役割を実存主義(existentialism)が、とくにSartre の著作が、果たした。多くの修正主義者たちは、Sartre の理論、主体は事物たる地位に還元できないこと、に惹き付けられたのだ。
 別の多数の者たちは、ヘーゲルに着想を求めた。一方では、エンゲルスの科学理論に関心をもった者たちは、分析的(analytical)哲学をエンゲルスとレーニンの「自然弁証法」へと適用しようとした。
 修正主義者たちは、マルクス主義と共産主義に関する西側の批判論や哲学上の文献を読んだ。すなわち、Camu、Merleu-Ponty、Koesler、Orwell。
 過去のマルクス主義の権威は、彼らの議論と批判では二次的な役割しか果たさなかった。
 トロツキーへの言及は、ごく稀れだった。
 ある程度の関心はRosa Luxemburg に向けられたが、それは彼女のレーニンおよびロシア革命に対する攻撃のゆえだった(しかし、この点に関する彼女の書物をポーランドで出版する試みは、成功しなかった)。
 哲学者たちの中では、一時的にはLukács に人気があった。それは主として、主体と客体は統一へと向かうという歴史過程に関する彼の理論に理由があった。
 いくぶんか後に、Gramsci が関心の対象になった。彼の著作は完全にレーニンのそれとは反対する認識(knowledge)に関する理論の概略を含んでおり、それはまた、共産主義官僚制、先進的前衛という党に関する理論、歴史的決定論および社会主義革命への「操作的」接近方法、に関する批判的考察を伴っていた。//
 (20)このときにさらに補強する力を与えたのは、イタリア共産党だった。
 そのときまで生え抜きのスターリン主義者という、それに値する評価を受けていたPalmiro Togliatti は、第20回党大会の後では、ソヴィエトの指導者たちを批判した者として記録に残された。彼の言葉遣いは穏やかだったが、重要なのはその結論だった。
 彼はソヴィエト指導者たちを、スターリニズムの責任の全てをスターリンに負わせ、官僚機構の退廃の原因を分析できなかったとして非難した。そして、世界共産主義運動の「多極化(polycentrism)、すなわち他諸国共産党に対するモスクワの覇権を終焉させること、を訴えるに至った。//
 (21)1950年代の批判運動が東ヨーロッパの他国よりもはるかに進んだポーランドの修正主義は、党知識人から成る多数のグループの作業だった。-哲学者、社会学者、ジャーナリスト、文筆家、歴史家および経済学者。
 彼らは特別のプレスや文学、政治の週刊誌(とくに<Po prostu>と<Nowa Kultura>)に表現の場を見出し、それらは当局に抑圧されるまでは重要な役割を果たした。
 修正主義者だとして頻繁に攻撃された哲学者および社会学者の中には、B. Baczko、K. Pomian、R. Zimand、Z. Bauman、M. Bielińska および、主犯者として抜き出されたこの書物の執筆者がいた。
 修正主義理論を前進させた経済学者は、M. Kalecki、O. Lange、W. Brus、E. Lipinski およびT. Kowalik だった。//
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 ③へとつづく。

2066/J・グレイ・わらの犬(2003)「序」②。

 ジョン・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002/2003).
「序」のつづき。
 (1) ダーウィン・進化論(ガレリオ・地動説、ニュートン力学も?)がキリスト教世界・文化に対して与えた衝撃を実感として理解することはできない。
 ともあれ、J・グレイはダーウィニズムにこう言及しつつ、さらに、キリスト教→ヒューマニズムの歴史を語り、後者もまた「科学」ではなく「信仰」だと述べる。以下、邦訳書を参照しつつ、そのままには従っていない。
 ・本書は「新ダーウィニズムの思想(Neo-Darwinism orthodoxy)」が「人間という動物(human animal)に関する究極的な説明」だとはどこにも書いていない。支配的な「ヒューマニズムの世界観」を打破するために「戦略的」にダーウィニズムを使っているのだ。にもかかわらず、ヒューマニストたちは「進歩への信仰が今日に揺れ動いている」のを支えるためにダーウィンを用いている。しかしながら、彼が明らかにした世界には「進歩」はない。「真に自然主義の世界観は、世俗的な〔進歩という〕希望の余地を残していない」。
 ・19世紀初めに、Henri Saint-Simon とAuguste Comte が「人間中心教(Religion of Humanity)」を創始した。これが20世紀の「政治的宗教(political religion)」の原型となり、John Stuart Mill に強い影響を与え、「リベラリズムを今日の世俗的信条(secular creed)にした」。また、Karl Marx への影響を通じて「科学的社会主義」の形成を助けた。
 ・「ヒューマニズムは科学ではなく、宗教(religion)である。-人間はこれまでに生きてきたいずれよりも世界をより良く造ることができる、というキリスト教以降の信仰(faith)である。」
 (2) つぎにJ・グレイが言及するのは、ヒューマニズムという「進歩への信仰」のもう一つの淵源(source)としての「知」=「知識(knowledge)」だ。
 ・「科学では、知識の増大は蓄積していく。しかし、人間の生活全体は、蓄積していく活動ではない。ある一つの世代が獲得したものは、つぎの世代には失われるかもしれない。」
 ・「科学では、知識は純然たる善き(good)ものだ。しかし、倫理や政治では、知識は善であるとともに悪(bad)でもある。
 ・「進歩という観念が依拠するのは、知識の増大と種の進化は相伴っている、という信念(belief, 邦訳書では適切に「思い込み」)である」。
 ・「知識は、我々を自由にはしない。知識は我々を、これまでつねにそうだったような、あらゆる種類の愚行の餌食にしたままだ」。
 (3) このような「知識」論は、秋月瑛二の最近の関心を大きく刺激するところがある。
 「知識」は無条件に良いものではない。「知識の増大」=「進化」・「進歩」ではない。
 つまり「良い」必要な知識も「悪い」不要な知識もある。
 にもかかわらず、「知識」ないし「知」がほとんど無条件に良いものだと考えられているのは、いったい何故なのだろうか。
 「知識人」それ自体で<えらい>わけでは全くない。良質の「知識人」もいれば、悪辣で犯罪的な「知識人」もいる。
 にもかかわらず、「知識人」というだけで<立派な>人間だというイメージ・「思い込み」が生じているようであるのは、いったい何故なのだろうか。
 「知識」をほとんど対象とするのが、高校入学試験、大学入学試験、種々の国家試験類(公務員試験・司法試験等々)だ。これらに合格して特定の「大学」生等々の<資格>を得ること自体は、まだ善か悪か、<えらい>か否か、<立派>か否かを決するものでは全くない。
 にもかかわらず、「知識」の有無・多寡によって<全人格>までが決せられるようなイメージがある程度は相当に生じているようであるのは、いったい何故か。
 これは、<学歴>一般のほか<国家公務員最上級職>とか<弁護士>とかの資格の評価に関連する。
 「知」・「知識」の重視、これは少なくとも明治期日本以降には<伝統>になった、と思われる。
 日本国憲法もまた<リベラル・ヒューマニズム>の系列・流れの中にある。
 J・グレイによれば、憲法もまた一つの「宗教」・「信仰」あるいは「仮構」・「虚構」ではある。この点も、私にはよく分かる。
 そしてまた、<リベラル・ヒューマニズム>あるいは「近代啓蒙主義」は「知識」=「善」・「進歩(に役立つもの)」と理解したと考えられるが、これもまた「宗教」・「信仰」・「仮構」・「虚構」だろう。
 「知識」は生命体たる人間の、あるいは人間の脳内の一定部位や一定の仕組みが持つ、一定の側面にすぎない。
 「学歴」意識の虚妄と「学歴」意識の無惨・悲惨。
(つづく)
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2065/J・グレイ・わらの犬(2003)「序」①。

 ジョン・グレイ(John Gray, 1948~)というイギリスの政治・社会思想家(・研究者)の文章を少し読み始めている。
 ジョン・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 この中の「ペーパーバック版序」は2003年に書かれているが、なかなかに興味深い、刺激的な内容を含んでいる。
 本文を読まない、「序言」・「後記」のみ読者の弊害に陥らないで、全体を読んでみたいものだ。しかし、興味深いのでここで論及する。
 原書は2002年刊行で、邦訳書の対象であるPaperback 版は2003年に出たようだ。原書の原題は、つぎのとおり。
 John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002/2003).
 原書の英語(とくに単語)も参照しつつ、「序」に言及する。なお、Paperback 版の元の原書には「Foreword〔序〕」はなかったようだ。
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 J・グレイがこの著で主張したいことは、上の「序」によると、簡単には、以下に対する反抗、あるいは以下のものの「否定」、「消極視」だ。
 すなわち、「リベラル・ヒューマニズム」、あるいはたんに「ヒューマニズム」、「人間中心主義」。
 この文章には出てきていない言葉・概念ではあるが、グレイの意味する「リベラル・ヒューマニズム」、「ヒューマニズム」、「人間中心主義」とは、<近代>あるいは<(近代)啓蒙主義>あるいは<近現代の「科学」主義>であるように思える。
 あるいは、彼が反抗?しているのは「近代進歩主義」または「進歩」という観念自体だ。
 冒頭に、「思想家の不用意な謬見」を「論破」するのが本書の趣意だと明言したあと、つぎのように書いている。原文を参照して、一部またはかなり、邦訳書の訳を変更する。
 ・「リベラル・ヒューマニズム(liberal-humanism)」はかつての「啓示宗教」に劣らず「広く一般に浸透」し、ヒューマニストたち(Humanists)は「理性的(rational)な世界観」を「標榜」している。
 ・しかし、「その核心をなす進歩信仰(belief in progress)」は、いかなる宗教よりもなお、「人間という動物(human animal)の真実」〔邦訳書では、「生き物である人間の本然」〕から遠く離れた「迷信(superstition)」である。
 これと同じ主旨が繰り返し、かつより詳細にまたは具体的に語られている。しばらく追ってみよう。原文を参照して、一部は邦訳書の訳を変更する。
 ・「科学」の分野は別として「進歩とはたんに神話(myth)にすぎない」と原書が主張したので一部の読者は激高し、「リベラルな社会への忠誠という中心的項目を誰も疑問視することができない」、「それなくしては、我々は絶望的だろう」と言った。しかし、彼らは「進歩的希望(progressive hope)」という「虫の食った旗印」に縋りついている。
 ・「宗教界の思想家たち」はもっと自由に考えている。一方で「世俗の信仰者たち(believers)」は、「時流の在来的知識にとらわれて、検証されていないドグマの捕囚になっている」〔これは一般の思想家・哲学者のこと〕。
 つぎに、最近にこの欄に「自由」する西尾幹二著とも関連させて論及した<自由意思>に、J・グレイは説き及ぶ。
 ・現在の「主流の世俗的世界観は、当今の科学正統派と敬虔な希望を混合したもの」だ。ダーウィンは人間は動物だとしたが、「ヒューマニストたち」は「他のどの動物とも違って」、「我々は我々が選択するように生きる自由がある」と説教する。
 ・しかし、「自由意思(free will)という観念は、科学に由来するものではない」。「自由意思」の起源は、彼らが揃って罵倒する宗教・「キリスト教信仰」にある。「人間は、自由意思を持つことによって他の動物いっさいと区別される、という信念は、キリスト教から継承したものである」。
 ・ダーウィンの進化論はインド、中国、アフリカで唱道されたならば、欧米でのような「論議の的」(scandal)にならなかっただろう。「キリスト教以降(post-Christian)の文化でのみ」、「科学的決定論」と「自分の生き方を選ぶ人間に特有の能力」とを調和させようとする「哲学者たち」の努力が見られた。「確信的ダーウィニズムが皮肉であるのは、哲学者たちが宗教に由来する人間性という見方を支持するために、それ〔ダーウィニズム〕を援用している、ということだ」。
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 まだ「序」の1/3も終わっておらず、つづける。
 最後の方に、グレイのこんな文章がある(邦訳書による)。一文ずつ改行する。
 「21世紀を迎えた世界は、…失敗に終わったユートピアの瓦礫の山である。
 左翼は息も絶えだえで、右翼がユートピア思想の本家となり、世界資本主義が世界共産主義に取って代わった。
 この二つの未来像には共通するところ少なくない。
 ともに醜怪この上なく、幸いにして、荒唐無稽である。
 欧米または<キリスト教(を継承した)諸国・社会>との違いもやはり関心を惹くが、日本にも当てはまるだろうという意味で「普遍的な」テーマが提示されているだろう。
 近代・啓蒙・近代「科学」・近代「思想」-これらと現代日本・日本人。
 ヒト・人間と「科学」・思想・宗教。
 J・グレイが合理主義・理性主義(またはヒューマニズム・リベラル)に対して懐疑的・批判的であるのは、日本での本来の「保守」におそらく近いだろう。
 しかし、おそらくはという推測になるのだが、J・グレイは、日本の「いわゆる保守派」とは異なる。
 人間中心ではなく、「自然との共生」とか「環境の保護」とかくらいは(持続可能な社会等とともに)、<容共・左翼>でも主張しているだろう。
 また、日本の「いわゆる保守派」も、人間は「自然の一部」だとか「自然」を畏怖してきた日本人等々とか叙述しているかもしれない。
 しかし、これまた全体を読まないでの推測になるが、J・グレイが主張したいことは、人間が「自然」の一部であることは当然で、かつ犬・猫等々の他の動物・生物と<本質的に>変わるところはない、それらと十分に共通性がある、ということだろうと思われる。 そして、そのことを十分に意識して思考し、議論しなければならない、ということだろう。
 この欄で比較的最近に、私の理解として<ヒト・人間の本性>(の認識・重視)という言葉を使うことがある。上がJ・グレイの主張したいことなのだとすると、かなり共通性がある。
 そして、考える。例えば、<日本精神>、<日本人のこころ>が日本人に自然に「継承」されているかのごとき見解・主張は、<ヒト・人間の本性>に反している。
 なぜならば、人間の生後の獲得形質は「遺伝」の対象にはならないのであって、日本人だから<日本精神>、<日本人のこころ>を受け継いでいる、というのは、人間の本性と学問的にも反する、反科学の「迷信」ごときものにすぎない。
 江崎道朗が6世紀の「保守自由主義」なるものが19世紀に「受け継がれた」とか叙述するのも、荒唐無稽な、日本人を含む<ヒト・人間の本性>に全く反する血迷いごとだ。
 せいぜい<こうあってほしい>という願望で、正確には、<政治的プロパガンダ>の虚言だ。
 J・グレイは「右翼がユートピア思想の本家となり…」と語るが、日本の「右翼」はまともな「ユートピア」像すら示すことができていない。
 ともあれ、さらに次回へ。

2064/L・コワコフスキ著第三巻第13章第2節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳のつづき。
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 第13章・スターリン死後のマルクス主義の進展。 
 第2節・東ヨーロッパでの修正主義①。
 (1)1950年代の後半以降、共産主義諸国の党当局と公式イデオロギストたちは、党員またはマルクス主義者であり続けつつ多様な共産主義教条を攻撃する者たちを非難するために、「修正主義」という語を用いた。
 この言葉には、厳密に正確な意味はなかった。あるいは実際には、スターリン後の改革に反対する党「保守派」に対して、「教条主義」という語が用いられた。
 しかし、原則としては、「修正主義」という語が示唆していたのは、民主主義的かつ合理主義的な傾向だった。
 従来はこの語はマルクス主義に対するBernstein の批判について用いられてきたので、党活動家たちは新しい「修正主義」をBernstein の考え方と連結させようとした。しかし、これら両者の関係は隔たっていて、そうした関係づけは馬鹿らしいものだった。
 積極的な「修正主義者」のほとんど誰も、Bernstein に関心を持たなかった。
 1900年頃のイデオロギー論議の中心にあったものは、もはや話題にならなかった。
 当時に激しい憤懣を掻き立てたBernstein の考えのいくつかは、今では正統派マルクス主義者たちに受容されていた。社会主義は合法的手段で達成し得る、という原則的考え方のように。-全くの戦術上の変化だけれども、イデオロギー的には重要でなくはない。
 「修正主義」はBernstein の読解に因っていたのではなく、スターリンのもとにあった時代に由来していた。
 しかしながら、党指導者がこの用語をいかに曖昧に用いたとしても、1950年代と1960年代には、本当の、能動的な政治的および知的な運動が存在した。その運動は、当面の間はマルクス主義の範囲内で、あるいは少なくともマルクス主義の語彙を使って活動しはしたれども、共産主義の教理に対してきわめて破壊的な効果を持った。//
 (2)1955-57年に共産主義イデオロギーが解体するにつれて、システムに対する攻撃が広がった。
 この時期の典型的な特質は、現存する条件の批判にとどまらず、きわめて活発で目立っていて、全体としてきわめて有効だった、ということだ。
 このような優勢的な力には、いくつかの理由があった。
 第一に、修正主義者たちは「既得権益層」に帰属していたので、大衆メディアや非公開の情報に接近することが十分に容易だった。
 第二に、事柄の性質上、彼らは他のグループよりも、共産主義イデオロギーとマルクス主義について、また国家と党機構について、多くのことを知っていた。
 第三に、共産主義者たちは全ての問題について指導すべき考え方に慣れ親しんでおり、結局のところは党が、活力と主導性をもつ多数の党員たちを取り込んでいた。
 第四に、そしてこれが主要な理由だが、修正主義者たちは、少なくとも相当の期間、マルクス主義の語彙を用いた。すなわち、彼らは共産主義のイデオロギー的ステレオタイプとマルクス主義の権威に訴えかけ、社会主義の現実と「古典」に見出し得る価値と約束の間の差違について、驚かせるほどの比較を行った。
 このようにして、修正主義者は、民族主義または宗教の観点からシステムに反抗した他の者たちとは違って、党内見解について訴えかけたのみならず、党の周囲に反響を与え、覚醒させた。
 彼らの意見には党機構員も耳を澄まし、そしてこれが政治的変化の主たる条件だったのだが、その結果として党機構のイデオロギー的混乱を招くこととなった。
 彼らは、ある程度は共産主義ステレオタイプをまだ信じているがゆえに、またある程度はそれが有効だと知っているがゆえに、党の用語を用いた。
信仰と慎重な偽装(camouflage)の割合がどうだったかは、現在の時点では査定するのが困難だ。//
 (3)生活の全分野に影響を与え、共産主義の全ての神聖さを徐々に掘り崩した批判論の大波の中で、一定の要求や観点は修正主義に特有のものだったが、片方で、一定のそれらは非共産党または非マルクス主義の体制反対者と共通していた。
 提示された主要な要求は、つぎのようなものだった。//
 (4)第一に、批判論の全ては、公共生活の一般的な非中央化、抑圧と秘密警察の廃止、あるいは少なくとも、法に従い、政治的圧力から自立して行動する司法部に警察が従属すること、を求めた。
 プレスの自由、科学と芸術の自由、事前検閲の廃止も、要求した。
 修正主義者たちは党内民主主義も求め、ある範囲の者たちは党内に「分派」を形成する権利も要求した。 
 これらの点で、彼らの間には最初から違いがあった。
 ある者たちは、一般的要求にまで進めることなく党員のための民主主義を要求した。彼らは、党は非民主主義的社会の中にある孤立した民主主義的な島であり得ると考えているように見えた。
 彼らはそうして、明示的にであれ暗黙にであれ、「プロレタリアートの独裁」原理、すなわち党の独裁の原理を受容し、支配党は内部的な民主主義という贅沢物を提供できると想定していた。
 しかしながら、そのうちに、修正主義者のほとんどは、エリートたちだけのための民主主義は存在することができない、ということを理解するに至った。
 つまり、かりに党内グループが許容されれば、そのグループは、そうでなければ発言を否定される社会的勢力のための発言者となり、党内部の「分派」制度は多元的政党制度の代わりになるだろう、ということをだ。
 したがって、政治的諸党の自由な形成とそれに伴う全ての結果か、それとも党内部での独裁を含む一党による独裁か、を選択する必要があった。//
 (5)民主主義的要求の中でも重要なのは、労働組合と労働者評議会の自立性だった。
 「全ての権力を評議会へ」との叫びすら聞こえてきた。-たしかに声高ではなかったが、賃金や労働条件の問題のみならず産業管理にも重要な役割を果たす、労働者評議会の党からの独立という考えは、ポーランドとハンガリーの両国で頻繁に提示された。のちには、ユーゴスラヴィアの例が引用された。
 労働者の自己統治は、当然に経済計画の非中央化につながるものだった。//
 (6)非政党界隈で望まれた重要な改革は、宗教の自由と教会への迫害の中止だった。
 ほとんどが反宗教的である修正主義者たちは、この問題を傍観していた。
 彼らは教会と国家の分離を信じており、その間に拡大していた、宗教教育の学校への再導入という要求を支援しなかった。//
 (7)一般的に提示された要求の第二の範疇は、国家主権と「社会主義ブロック」諸国の間の平等に関係していた。
 全ての社会主義ブロック諸国で、ソヴィエトの監督は多数の分野できわめて強かった。とくに軍と警察は特別で直接的な統制のもとにあり、全ての問題について長兄〔ソヴィエト同盟〕の例に従う義務は、国家イデオロギーの基盤だった。
 民衆全体が鋭敏に感じていたのは、それぞれの諸国の恥辱、ソヴィエト同盟への従属、それによる隣国に対する不躾な経済的搾取、だった。
 しかしながら、ポーランド民衆は全体としては強く反ロシア的だった一方で、修正主義者たちは一般的には伝統的な社会主義諸原理を主張し、民族主義(nationalism)の語法を用いるのを避けた。
 修正主義者たちや他の人々が頻繁に主張した要求は官僚機構員たちが享受している特権の廃止であり、収入の問題というよりも、日常生活の困難さから彼らを解放している超法規的な取り決め-特殊な店舗や医療機関の利用、居住上の優先、等々-にあった。//
 (8)批判論の第三の主要な領域は、経済の管理だった。
 産業を元のように私人の手へと移すという要求はほとんどなされなかった、ということには注目しておかなければならない。
 ほとんどの人々は、産業が公的に所有されていることに慣れ親しんでいた。
 しかしながら、つぎのことが要求された。
 強制的な農業集団化の停止、極端に負担の多い投資計画の縮小、経済への市場条件の役割の拡大、労働者への利潤分配、合理化された経済計画、非現実的な全包括的計画の廃止、起業を妨害している基準や指令の減少、およびサービスや小規模生産の分野での私的および協同的活動の容認。
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 ②へとつづく。

2063/L・コワコフスキ著第三巻第13章第1節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終章の試訳。分冊版、p.453~p.456。
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 第13章・スターリン死後のマルクス主義の進展。
 第1節・「脱スターリニズム化」②。
 (8)ポーランドでは、第20回党大会の時点ですでに社会的批判と「修正主義」(revisionist)の運動は大きく前進してはいたが、その大会とフルシチョフ演説は、党の解体を大きく加速させた。 
 また、体制を公然と攻撃する大胆な批判が可能になった。そして、統治機構を弱めて、長年にわたって蓄積していたが威嚇でもって抑えられていた社会不安が、ますます明白な形をとって表面に出てくるまでに至った。
 1956年6月、Poznań で労働者の蜂起が発生した。
 直接的には経済的困難が誘発したものだったが、ソヴィエト同盟とポーランド政府に対する、労働者階級の鬱積した憎悪が反映されていた。 
反乱は鎮圧されたが、党は士気と方向を失い、分派に攪乱され、「修正主義」が浸食した。
 ハンガリーでは、党が完全に崩壊して、民衆が公然たる反抗を行うまでに達した。そして政府は、ソヴィエト軍事駐留地(ワルシャワ協定)から撤退していると発表した。
 赤軍が反乱を鎮圧すべく介入し、指導者たちは容赦なく処理され、1956年十月の政府一員たちのほとんど全てが殺戮された。
 ポーランドは最後の瞬間で侵攻を免れたが、それの理由の一つは、従前の党指導者のWladyslaw Gomulka (W・ゴムウカ)が暴乱を回避する好運な人物として前面に出てきたことによる。この人物は、スターリンによる粛清の時代に生命を救われていた。政治的に収監されていたという、こうした彼の背景は、民衆からの信頼を獲得するのに役立った。
 当初はきわめて疑い深かったロシアの指導者たちは、最終的には-判明したように全く正当に-、ゴムウカはクレムリンの承認なくして権力を継承したけれども著しく従順でないことはないだろうと、そして〔ポーランドへの〕侵攻は多大な危険を冒すことになるだろうと、判断した。
 「ポーランドの十月」と言われるものは、社会的文化的な革新または「自由化」の時期を誘引するものでは全くなく、そのような試みが徐々に消滅していくのを表象していた。
 1956年のポーランドは、相対的に言って自由な言論と自由な批判の可能な国だった。それは、政府がそのように意図したのが理由ではなく、政府が事態掌握能力を失っていたことによる。
 まだ残っていた自由の余地は、年ごとに少なくなった。
強制的に設立されていた農民の協同組合は、その大部分がすみやかに解体された。
 しかし、1956年十月以降は、党機構が、失っていた地位を少しずつ回復した。
 党機構は統治の混乱を修復し、文化的自由を制限し、経済改革を停止させた。そして、1956年に自発的に形成されていた労働者評議会(councils)には全くの粉飾的な役割しか与えなかった。
 そうしているうちに、ハンガリー侵攻とそれに続く処刑の大波は、 他の「人民民主主義」諸国へもテロルをもち込んだ。
 東ドイツでは、積極的な「修正主義者」のうちの数人が拘禁された。
 脱スターリニズム化は、最後には激しい抑圧をもたらした。しかし、ブロック全体に生じた荒廃状況は、ソヴィエト・システムは以前と全く同じものではあり得ない、ということを示した。//
 (9)「脱スターリニズム化」という言葉は(「スターリニズム」と同様に)諸共産党自身が公式に用いたものではなかった。共産主義諸党は、その代わりに「誤りと歪曲の是正」、「人格崇拝の克服」、「党生活のレーニン主義規範への回帰」といった語を用いた。
 これらの婉曲語は、スターリニズムは無責任な大元帥(Generalissimo)が冒した遺憾な一連の過ちであってシステム自体とは関係がない、かつまた、体制がもつ抜群の民主主義的性格を回復するためにはスターリンを非難するので十分だ、という印象を与えることを意図していた。
 しかし、「脱スターリニズム化」や「スターリニズム」という用語は、共産主義諸国の公式の語彙の中では用いるのが排除されているというのとは異なる別の理由で、誤りに導くものだ。共産党員たちは、つぎの理由でこれらを用いるのを慎重に避けたのだから。すなわち、「スターリニズム」という語は支配の人格の欠陥から生じた偶然の逸脱ではなく、システムに関するものだ、との印象を与えたから。
 他方ではしかし、「スターリニズム」という語はまた、「システム」はスターリンの個性と結びついており、彼を非難することは「民主化」または「自由化」の方向への急激な変化の合図だ、ということも示唆する。
 (10)第20回党大会の背景が何だったかの詳細は知られていないけれども、振り返ってみると、25年間を覆ったシステムの一定の特徴がスターリンと彼が享有した侵し得ない権威なくしては維持することができない体制だった、ということは明らかだ。
 大粛清(great purges)以降にロシアにあった体制のもとでは、党や政府の最も特権をもつ者は全て、党の政治局員ですら、ある日とその翌日の間に、生きているのかそれとも破壊されているのかが僭政者のむら気による誤謬なき指立てによって決定される、という状況にあった。
 スターリンの死後に彼の継承者は誰もその地位につくはずがない、と彼らが懸念したのは、何ら驚くべきことではない。
 「誤りと歪曲」を非難することは、党の指導者たちの間での相互安全確保のための、不文の手段だった。
 そして、それ以降、他の社会主義諸国でと同様にソヴィエト同盟では、党内対立は廃された寡頭制の指導者たちによって生命を失うことなく解決された。
 周期的に行われた大虐殺には、政治的安定の確保という観点からは、たしかに一定の長所があった。分派を形成するのを不可能にし、権力装置の統一を確保してきたわけだ。
 しかし、この統一のために払った対価は、ワン・マン僭政制だった。また、全ての組織員が隷属状態に貶められることだった。彼らには、生命の持続自体が不確実だったのだ。彼らは、もっと悲惨な条件のもとにある他の奴隷たちの管理人たる地位をまだ享受していたけれども。
 脱スターリニズム化の第一の影響は、大量テロルが選択的テロルに代わったことだった。テロルはまだかなりの範囲で行われていたが、スターリンのもとでと比べれば、全く恣意的なものではなくなつた。
 ソヴィエト市民たちは、これ以来、多かれ少なかれ、監獄または強制収容所に入れられるのを回避する方法を知った。従前は、これに関する規準が完全になかったのだ。
 フルシチョフ時代の最も重要な出来事の一つは、強制収容所から数百万の人々が解放されたことだった。//
 (11)変化のもう一つの影響は、非中央化に向けた多様な動向が見られたことだった。そして、対立する政治グループを秘密に形成することが、より容易になった。
 経済改革の試みも行われ、一定の程度で、経済の効率性が改善された。
 しかしながら、重工業の優先というドグマは保持されたままで(Malenkov のもとでの短い中間期間を除く)、市場機構を解放することによって大衆の需要にもっと対応するように生産を変える歩みは、何らなされなかった。
 また、農業分野での実質的な改良も、何らなされなかった。頻繁に「再組織化」がなされたけれども、農業は集団化によって貶められた従来の惨めな状態のままだった。//
 (12)しかしながら、あらゆる変化も、「民主化」には到達せず、共産主義僭政体制を無傷なままに残した。
 大量テロルの放棄は人間の安全確保にとって重要なことだったが、個人に対する国家の絶対的権力を変えるものではなかった。
 個人には制度上の権利を何ら付与するものではなかった。また、全ての生活領域での主導性と統制力についての国家と党の独占を何ら侵害しなかった。
 全体主義的統治の原理は保持されたままだった。他方で、人間は国家の所有物のままで、人間の全ての目標と行動は国家の目的と必要に適合しなければならなかった。
 多くの生活分野で〔全体主義への〕吸収に対する抵抗があったけれども、現在もそうであるように、体制の全体が、可能な最大の限度で国家の統制を保障すべく作動した。
 大規模の無差別テロルは、必要で永続的な全体主義の条件ではない。
 抑圧手段の性格と強度は、多様な状況に応じて可変的だったかもしれない。
 しかし、共産主義のもとでは、法の支配のような原理は存在しなかった。その原理のもとでは、法は市民と国家の間の媒介者として機能し、個人<と向かい合う>国家の絶対的権力を剥奪する。
 ソヴィエト同盟および他の共産主義諸国の現在の抑圧体制は、たんなる「スターリニズムの残存」、またはシステムの根本的な変化なくしていずれは修復され得る遺憾な欠陥にすぎないのではない。
 (13)世界にある共産主義体制だけが、レーニン=スターリン主義の様式(pattern)だ。
 スターリンの死とともに、ソヴィエト同盟のシステムは、個人的僭政から寡頭制的僭政へと変化した。
 国家の万能性という観点からすれば、少しは効率の悪いシステムだ。
 しかしながら、それは、脱スターリニズムに至っているのではなく、スターリニズムの病原を継承しているシステムにすぎない。//
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 つぎの第2節の表題は、<東ヨーロッパでの修正主義>。

2062/松下祥子・阿児和成・近藤富美子③。

 前回№2043/2019年09月16日付に「要旨」という語は法律用語ではないと記述したが、法令で用いられている概念ではない、という趣旨であるとすると、誤りだ。
 行政不服審査法50条第1項は、こう定める。
 「裁決は、次に掲げる事項を記載し、審査庁が記名押印した裁決書によりしなければならない。
 一 主文
 二 事案の概要
 三 審理関係人の主張の要旨
 四 理由(<中略>を含む。)」
 他にも、何らかの文書について、その「要旨」の記載や公表を求める法令上の条項がある。
 しかし、「この法律(や政令等)において、要旨とは…をいう」などといった定義規定はおそらく間違いなく存在しないので、前回に記したように、「要旨」の語意は、「結局は、健全な適切な<社会的感覚>または<社会的常識>で判断するしかない」。
 そして、常識的な日本語の用法からして、例えば元の文書・文章よりも<長く>なっている文書・文章は、前者の「要旨」だとは言えないだろう,と書いたのだった。
 上に引用の条項によると、「裁決」なるものには「審理関係人の主張の要旨」を記載しなければならない。
 これはいわば必要的記載事項だから、これを欠く、または「要旨」ではない文章を記載している「裁決」は、瑕疵あるものになるだろう。
 但し、行政不服審査(行政不服申立)制度やそこでの「裁決」の意味・位置づけ等にはここでは立ち入らない。行政事件訴訟法3条2項によると、同法上の「取消訴訟」には「処分」についてのそれと「裁決」についてのそれがあるようなのだが。
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 G・トノーニら/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む統合情報理論(亜紀書房、2015)、p.78に、つぎのような文章がある。
 「脳に損傷を受けた患者に意志に基づく身動きが見られるならば、確かに意識があるといえる」。しかし、「身動きがまったく見られない場合でも、意識がある可能性がないとはいえない」。
 相当に幼稚な叙述になるが、上の文章は、単純にはつぎのことを意味することが容易に分かる。
 Aであれば、Bといえる。しかし、Aでなければ、Bでない、ということにはならない。
 そして、ここでG・トノーニらが問題にしているのは「意識」があると言えるか否か、であることも明らかだろう。彼らは、「意識」の有無に関心があるのだ。
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 幼稚な叙述を続けるが、「要旨」という語を使って、つぎの文章があると想定してみよう。
 ①A文章と<まったく(ほとんど)同じ>だから、B文章はAの<「要旨」とは言えない>。
 このような主張・指摘に対して、某行政担当者で法規・文書関係の責任者(知事または市長の「専決」権をもつ者)は、つぎのように反論・釈明または主張をしたらしい。
 ②<まったく(ほとんど)同じ>ではなく、<少し異なっているし、少し詳しくなっている部分もある。>
 分量的には、B文章の方がA文章よりも<少し長い>か<ほとんど同じ>であることを、この話題は前提にしている。
 しかし、上の②を述べることによって、この人物は、<BはAの「要旨」とは言えない、ということにはならない>、という趣旨を述べたつもりだったらしい。G・トノーニらの場合に問題は「意識」の存否であつたのと同様に、この場合の問題は<BはAの「要旨」と言えるか>だったのだから、厳密にはまたは論理的には同一ではないとしても、上の②を述べることは、まるで<BはAの「要旨」だと言える>というに等しいだろう。
 幼稚で、馬鹿らしい話だ。
 この人物は、<BはAの「要旨」とは言えない、ということにはならない>と明言しただけで、その後自らは何もせず、何の反応もしなかったらしい。
 そして、この人物が、上にいうB文章はA文章の「要旨」であるとは言えない、ということを公式に?肯定したのは、一ヶ月半のち、つまり約6週間後だった、とされている。
 ここまでをまとめると、<まったく(ほとんど)同じ>だからB文章はA文章の「要旨」ではない、というのが主旨である主張・指摘に対して、この人物は、B文章はA文章と<まったく(ほとんど)同じ>ではなく<少し異なっているし、少し詳しくなつていいる部分もある>といったん明確に回答した。そののち、ひょっとすれば両者の文書をきちんと比較して読んでみたのか、一ヶ月半、約6週間後になってようやく?、上にいうB文章はA文章の「要旨」であるとは言えない、と認めた、というのだ。
 いったいなぜ、こんなことが生じるのだろうか。
 じつに興味深い。人間というものの意識・発言・行動について、考えさせられる。
 人間個人(自然人)といっても様々だ。組織・団体に帰属している場合、そしてその帰属によって<食って生きている>場合、自分の身を守るために、あるいは自分の身の安全を図るために、その組織・団体との関係で、あるいはその組織・団体のために、その人間個人はどう振る舞うのか。
 (つづく)

2061/司馬遼太郎「華厳をめぐる話」(1993)。

 司馬遼太郎「華厳をめぐる話」同・十六の話(中央公論社、1993/中公文庫1997、初出1989)、司馬遼太郎全集第54巻(文藝春秋、1999)収載。
 司馬遼太郎のこの随筆または紀行文の冒頭に、興味深い文章がある。全集、p.351。
 ・「この地でさまざまな"因縁"(関係性)が構成され、それが"縁起"となって、…という"因果"をうんでいる」。
 ・「孤立せる現象など、この宇宙に存在しない」。「一切の現象は相互に相対的に依存しあう関係にある」。
 ・「たがいにかかわりあい、交錯しあい、無限に連続し、往復し、かさなりあって、その無限の微小・巨大といった運動をつづけ、さらには際限もなくあらたな関係をうみつづけている。大は宇宙から小は細胞の内部までそうであり、そのような無数の関係運動体の総和を…"世界"という」。
 きわめて<哲学>的にも見える文章だが、「華厳経」(盧舎那仏・釈迦如来=東大寺大仏)に関する「話」だ。
 特段に難解な日本語が用いられているわけではない。しかし、このように叙述することのできる司馬の筆力も相当のものだろう。筆力のみならず、一個の人間としての感受性も優れていたに違いない。
 上の文章から想起するのは、私は正確な意味を知らないが、<弁証法>というものだ。
 「大は宇宙から小は細胞の内部まで」何かと何かが「交錯しあい」「相対的に依存しあ」いながら「あらたな関係」を生み出す、というのは単純化すれば<正-反-合>ということにもなる。むろん、対立し矛盾し合うのは二つの「階級」でも「生産力と生産関係」でもない。革命が「あらたな関係」を生み出して「社会主義・共産主義」社会になるのでも全くないけれども。
 また、関連して想起するのは、人間社会の現在または過去・「歴史」に関して、司馬の上の文章を借りると、「因縁」・「縁起」・「因果」を、「相互に相対的に依存しあう」「一切の現象」を、あるいは「かかわりあい、交錯しあい、無限に連続し、往復し、かさなりあ」う「無限の微小・巨大といった運動」の「総和」を、正確にまたは厳格に叙述する、ということの、苛酷なほどの困難さだ。
 人間とその社会の「歴史」を、過不足なく可能なかぎり正確にまたは厳密に叙述してきた者が、はたしているだろうか。
 ここでさらに思い浮かべるのは、レシェク・コワコフスキの大著・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978)の「はしがき(Preface)」の中の言葉だ。この欄の№1839/2018年09月01日に掲載。
 L・コワコフスキはそこで、つまり大著の冒頭で、くどいほどに叙述対象に限定を加え、くどいほどに叙述の困難さを述べている。
 最も一般的で、注目されてよい叙述は、つぎの文章だろう。
 「いかなる主題に関する著作者も、完全には自己充足的でも自立してもいない分離した断片を『生きている全体』から切り出すことを余儀なくされる。/これが許されないとすれば、全てのものが何らかの態様で結びついている限り、我々はもっぱら世界史を記述すればよいことになる。」
 つまり、マルクス主義の歴史の叙述についても、「全てのものが何らかの態様で結びついている」ので、厳密には、あるいは正確には、「世界史」全体の叙述が必要になる、と言うのだ。
 したがって例えば、第一に、もちろん強い関係はあるけれども、対象は「マルクス主義」の歴史であって「社会主義思想の歴史ではなく、…政治的党派や運動の歴史でもない」。
 また第二に、「政治史、思想史であれあるいは芸術史であれ」、著者の主観的な「歴史的評価」のみがあって「歴史的説明」は存在しない、と最初から言ってしまえば、どんな「歴史的手引書」を執筆することもできなくなるのだから、「素材の提示、主題の選択について、また多様な思想、事象、人物や著作物に付着させる相対的な重要性」について、「著者の見解や志向が反映される」のは不可避だ。
 なお、<〜の歴史>ではなく<〜の主要潮流>というタイトルにしているのも、重要な意味があるのだと思われる。歴史全体を描くなどという大それたことをするつもりはない、という釈明?を、あらかじめ行っていることにもなる。
 ひるがえって考えて、複雑・多様な「全体」から一部を「切り出す」ことを余儀なくされるのは、小説(・フィクション)でないかぎり、歴史叙述・歴史学の宿命だろう。
 また、もともと、「言語」による抽象化、<立体的・総合的な>描写様式が開発されていない、ということによる平板化・単純化もまた、人間の知的営為としての歴史叙述の限界であり宿命なのだろう。
 しかし、困ってしまうのは、このような意識または自覚なく、歴史叙述の「訓練」を受けていないシロウトが「歴史」に関する書物や小論を平気で執筆して、公刊していることだ。櫻井よしこや江崎道朗のごとし。その他、小説と明記しないままの、<思い込み>による<歴史物語>の作成者たち。
 アカデミズム内にある者ならば、対象(・時代)の限定のほかに、叙述・検討する「視座・観点」の特定の必要、基礎とする史資料の適切な提示の必要といった「訓練」をいちおうは受けているに違いない。
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 詳しい説明・コメントは省略するが、司馬遼太郎が「大は宇宙から小は細胞の内部まで」というからには、人間の「脳内」も(身体全体も)、無数の要素の相互依存とその統合によって成っている、と言えそうだ。すでにこの欄で触れている二著から、一部を引用的に紹介しておく。
 アントニオ・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・感情・人間の脳(ちくま学芸文庫、2010)、p.198-9。
 ・この「反復的な回路で活動しているのは一連のfeedforward とfeedback のループ」だが、この「仕組みでもっとも重要なことは、基本的な生体調節と関わっている脳構造がじつは行動調節にも関わっていて、認知プロセスの獲得と正常な機能に不可欠であるという事実だろう」。「視床下部、脳幹、辺縁系は身体の調節だけでなく、たとえば知覚、学習、想起、情動と感情、そして推論と創造性といった、心的現象のよりどころであるすべての神経的プロセスにも介入している。身体調節、生存、そして心は、密接に絡み合っている。」
 ジュリオ・トノーニほか/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか(亜紀書房、2015)、p.126。
 ・「理論のかなめとなる命題」は、「意識を生み出す基盤は、おびただしい数の異なる状態を区別できる、統合された存在である」ということだ。「差違と統合が同時に存在する」というのは、「脳という物質のなかには、本当に何か特別なものがある」ということだ。〔情報統合理論〕
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 司馬遼太郎・空海の風景(1975)は、ずっと昔に概読したような気がする(1975年芸術院恩賜賞受賞作)。
 あらためて読み直したいものだ。たんなる「宗教」話ではなくて、当時の日本人が構築した学問大系(大乗仏教・顕密)らしきものの「雰囲気」を知るためにも。司馬の人間というものに対する好奇心は相当なものだと思われる。

2060/江崎道朗2017年8月著の無惨と悲惨25。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子が「助けて」いる。江崎道朗本人はもちろん、PHP研究所、川上達史、山内智恵子も、恥ずかしく感じなければならない。
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 江崎道朗が論及する十七条の憲法第10条の一部。
 「共に其れ凡夫のみ」=「共其凡夫耳」。
 坂本太郎・聖徳太子(吉川弘文館、1979/新装版1985)による第10条全体の読み下し文。適宜、改行する。
 「十に曰く、心の怒りを絶ち、面の怒りを棄て、人の違ふを怒らざれ。/
 人みな心あり。心おのおの執るところあり。/
 彼れ是とするときは我れは非とす。我れ是とするときは彼れは非とす。/
 我れ必ずしも聖にあらず、彼れ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。/
 是非の理、詎<たれ>かよく定むべき。相共に賢愚なること、鐶<みかがね>の端なきがごとし。/
 ここをもって、彼の人は瞋<いか>ると雖も、還って我が失を恐れよ。/
 我れ独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙<おこな>へ。」
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 上のように江崎は聖徳太子・十七条の憲法の全体またはその第1~第3条のいずれにでもなく、第10条の、かつその一部に着目する。そして、前回に記したように、そこから、五箇条の御誓文以降につながる<保守自由主義>を「感じ取る」。
 江崎は、第10条の全文に何ら言及しない。
 かつまた、多少立ち入って読むと判明する第三は、以下のことだ。
 第10条の上の部分=「共に其れ凡夫のみ」に着目するのは、自分の判断・考えによってではなく、他人の著にに依拠している。つぎの書物だ。
 江崎は、この小田村寅二郎と山本勝市の二人を、戦前・戦中の<保守自由主義>者として高く評価する。二人に併せて言及する最初は、p.278。なお、江崎著には小田村のこの本からの直接引用や要約的紹介が多い。
 小田村寅二郎・昭和史に刻むわれらが道統(日本教文社、1978)。
 では、「共に其れ凡夫のみ」に着目するのは小田村のこの著かというと、そうではない。
 小田村がこの著の中で「紹介」する、小田村らが十七条憲法について講義を受けたという、黒上正一郎という人物だ。
 江崎は、小田村の上掲著の一部を、こう引用している。小田村の文章だ。p.346。
 ・黒上の「"聖徳太子研究"の勉学の方法……は、世の仏教家や歴史学者とは違って、聖徳太子御一代の政治・外交についての御事業を、独特の見方でみようとした」ことだ。
 ・「すなわち、聖徳太子が"この世の人はどんな人であろうとも、所詮は"十七条憲法の第10条"に書かれてあるように、『共に其れ凡夫のみ』と把えられたあの痛切極まりない宗教的な御人生論を、とくに凝視なさって、黒上氏ご自身の心魂を傾けつくして太子のお心を偲ばれ、そうした"追体験"の学問の中に自らを徹入されながら、以て太子の御思想を説き明かそうとなさった点である」。
 この引用文に見られるように、小田村は黒上の聖徳太子研究には「世の仏教家や歴史学者とは違」う「独特の見方」がある、と明記したうえで、「共に其れ凡夫のみ」が示す「宗教的な御人生論」に対する共感を述べている。
 この部分について、江崎は、つぎの諸点には注意を向けていないようだ。
 ①黒上正一郎の研究には「独特の見方」があったこと。
 ②小田村は「共に其れ凡夫のみ」を直接には「宗教的人生観」と見ていたこと。
 ③上の「宗教」とは、いかなる、またはいかなる意味での「宗教」なのか。
 ともあれ、江崎道朗が依拠しているのは小田村寅二郎であり、その小田村が依拠しているのは黒上正一郎による聖徳太子・十七条憲法10条の一部の読解の仕方なのだ。
 そうすると、江崎は、その脳内で、つぎの作業をしている。
 ①小田村の叙述を自分自身のものとする、②小田村が紹介する黒上の所説も自分自身のものとする。そして、③その部分=「共に其れ凡夫のみ」から<保守自由主義>なるものを導き、それは五箇条の御誓文等の「明治の日本」にも継承されている、とする
 これは、読者を納得させ得る論理展開なのだろうか。
 ①と②の根拠または理由自体が、いっさい論述されていないのだ。
 聖徳太子に関する書物は、今日までに多数あるだろう。
 それにもかかわらず、なぜ、小田村寅次郎のみを参照するのか? なぜ、小田村が紹介する黒上正一郎の読解の仕方をそのまま支持するのか?
 また、③なぜ、それが<保守自由主義>と称される「日本の政治的伝統」とつながるのか?
 さっぱり分からない。異常であり、異様だ。
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 秋月は聖徳太子や十七条憲法に関する専門的研究者では全くないのだが、上の諸点とともにあるのは、常識的には、つぎの問題だろう。
 そもそも第一に、聖徳太子・十七条の憲法の「思想」・「主義」・「考え方」を、その第10条の一部の句-「共に其れ凡夫のみ」-にのみ着目して理解することが適切なのか。
 江崎道朗は、小田村らを称揚したい気分が嵩じて、何か勘違いをしているのではないか。
 またそもそも第二に、小田村寅二郎の「思想と行動」において、聖徳太子・十七条憲法はいかほどの位置を占めていたのか。
 なお、小田村や黒上が「保守自由主義」という語を使っていたのでは全くなく、これは江崎道朗が2017年の時点で「新発明」した?造語だ。
 最後に記した諸点をさらに検討する。江崎道朗、<ああ恥ずかしい>。

2059/江崎道朗2017年8月著の悲惨と無惨24。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。「助けて」いるのは、自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子。江崎道朗本人はもちろんだが、PHP研究所、川上達史、山内智恵子も、恥ずかしく感じなければならない。
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 ①p.13-「聖徳太子以来の政治的伝統」。
 ②p.344-「聖徳太子以来の日本の伝統的政治思想」。
 ③p.352-「聖徳太子以来の五箇条の御誓文、…へと至る『本来の日本』」。
 ④p.404-「聖徳太子の十七条憲法以来のわが国の政治のあり方」。
 このように何度も出てくる聖徳太子以来の日本の政治的伝統が、江崎道朗によると<保守自由主義>だ。
 そして、少し立ち入って読むと分かる第二は、この「聖徳太子」または「十七条憲法」というのは、聖徳太子の「政治思想」全体でも、十七条憲法の全体の「精神」でもなく、後者の十七条憲法の、ある特定の条の一部を意味する、ということだ。
 聖徳太子の「実在」性や日本書記に全文の記載のある<十七条憲法>の作成者・作成時期については周知のように議論があるところだが、江崎道朗はそれらをいっさい無視しているので、<聖徳太子が十七条憲法を執筆した>という前提で、つまりは彼と同じ立場に立って、論評を進める。
 小田村寅次郎らは聖徳太子から学んだ、とかその十七条憲法から学んだ、と何度も叙述されているので、上記のように聖徳太子の考え全体や十七条憲法全体から「保守自由主義」が導かれている、と想定しがちになるが、それは、この著の読み方としては、誤っている。
 十七条の憲法というくらいだから、第17条までの条数があり条文がある。
 最も有名なのは第1条の冒頭の「和を以て貴しとなし…」だが、あくまで通説的にだろうが、第2条は<仏教>、第3条は<天皇>への崇敬を求めるものだとされる。第1条は一口では「和」だが、<日本教>・<日本精神>を示すとか、さらにこの条との関係で<神道>が言及されることもある。
 江崎道朗が言及しているのは、しかし、第1条でも(仏教の第2条を飛ばして)第3条でもない。
 第10条だ。p.346。
 しかも、第10条の全体でもなく、そのごく一部に限られる。p.346-7。以下の部分だけだ。
 「共に其れ凡夫のみ」。
 他書からの引用・依拠も多いが、江崎道朗の理解はつぎのごとくのようだ。p.346-7。
 ・聖徳太子・十七条憲法第10条に書くように、この世の人は「どんな人でも」、所詮は「共に其れ凡夫のみ」だ。つまり「人はみな自分に執着し、過ちを犯す欠点だらけの人間だ」。
 ・全ての人間は「不完全で、自己に執着してしまいがち」という「極めて厳しい『自己』認識」だ。
 ・「国民同胞一人のこらず」(=「共に其れ」)、「欠点だらけの人間」(=「凡夫」)であり、「それ以外の何物でもない」(=「のみ」)、という深い意味が込められている。
 この部分は、江崎道朗によると、<五箇条の御誓文>の第一項の「万機公論に決すべし」に継承されている(以下、立派に活字となって明記されている主張・見解なので紹介を続ける)。江崎は、こう書く。p.348-9。
 ・「人間は不完全だ。不完全なもの同士だから、お互いに支え合い、話し合ってより良き知恵を生み出すことが必要である-この聖徳太子の発想は、まちがいなく明治日本の理想にも引き継がれている」(!!!-これは引用者・秋月)。
 ・「『万機公論に決すべし』の背景にあるのは、…『それぞれが凡夫で力不足なのであるから、お互いに高め合いながら、より高いものをめざすべく努め合うところに日本の国柄がある』という宣明なのである」(!!!-これは引用者・秋月)。
 さらに、五箇条の御誓文の全部・全条が、江崎道朗によると、つぎのことを示している、とされる(以下、立派に活字となって明記されている主張・見解なので紹介を続ける)。江崎は、こう書く。p.350。
 ・日本が目指してきたのは「エリートが世の中のことをすべて取り仕切る全体主義」ではない。「お互いが『自らの足らざるもの』を自覚しつつ、お互いに支えあい、創意工夫をしながら、より高きをめざす『自由な社会』のあり方こそが、日本の本来の姿なのである」。
 このあとに、前回にほとんどを引用した、つぎの文章が続く。p.350。「政治的伝統」ではなく「人生観」になっているのは破綻の一部がすでに見られる、と指摘した。
 ・「日本の『保守主義者』が『保守』すべきものとは、聖徳太子が『共に其れ凡夫のみ』という言葉で示した人生観であり、明治天皇が『五箇条の御誓文』で示した自由主義的な政治思想なのである」。
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 すでに論評と批判的指摘に入っていきたくもなる。「共に其れ凡夫のみ」→「保守自由主義」・五箇条の御誓文。何だこれは?
 だが、もう少し、聖徳太子・十七条憲法に立ち入ってみよう。
 上記のとおり、江崎道朗が注目するのは十七条憲法の第10条の一部の「共に其れ凡夫のみ」という部分だけで、これは原文・漢文だと「共其凡夫耳」の5文字
 第10条というのは(十七条憲法全体だとむろんもっと多いが)この5文字だけで成り立っているのではなく、つぎの文献によって計算すると、計74文字の漢文だ(冒頭の「十日」の2文字を除く)。
 日本思想大系・聖徳太子集(岩波書店、1975)、p.74。
 計74の漢字文のうち5文字だけ取り出して読解することはできないだろう。
 そこで、漢字だけを並べても意味を解し難いので、手元にあったつぎから、読み下し文をその下に掲げる。適宜、改行する。
 坂本太郎・人物叢書/聖徳太子(吉川弘文館、1979/新装版1985)、p.89。
 「十に曰く、心の怒りを絶ち、面の怒りを棄て、人の違ふを怒らざれ。/
 人みな心あり。心おのおの執るところあり。/
 彼れ是とするときは我れは非とす。我れ是とするときは彼れは非とす。/
 我れ必ずしも聖にあらず、彼れ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。/
 是非の理、詎<たれ>かよく定むべき。相共に賢愚なること、鐶<みかがね>の端なきがごとし。/
 ここをもって、彼の人は瞋<いか>ると雖も、還って我が失を恐れよ。/
 我れ独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙<おこな>へ。」
 さてここで、江崎に対して、つぎの疑問が生じる。
 第一。上の10条全体のうち「共に其れ凡夫のみ」=「共其凡夫耳」だけに着目し、<人はみな不完全な物に他ならない>という意味だと理解してよいのか。全体の文章・文意の中で位置づけて解釈する必要があるのではないか。
 第二。そもそもなぜ、<聖徳太子・十七条の憲法>に何度も言及しておいて、第10条の一部にのみ着目するのか。
 異常、異様だと感じざるを得ない。
 もちろん、<人間はみな不完全だ>との意識・認識が<保守自由主義>なるものにどのようにして帰着するのか?、という問題も厳然としてある。
 凡夫=不完全な人間という理解の仕方自体の問題もありそうだ。
 それはかりに別としても、<人間はみな不完全だ>から出発して、いかなる<主義>も取り出せるような気がする。
 あるいはそもそも、聖徳太子・十七条の憲法の一部を読まないと、<人間はみな不完全だ>ということを、江崎道朗は認識できないのか?
 純粋無垢な?高校生が、あるいは何かの新興宗教の教主が書いたような文章を読むのもいいかげんうんざりはする。
 第三に、上のことを江崎道朗は、自分自身の検討等によってではなく他人の本(のしかもまた引用または間接的紹介)に依拠して書いている、ということを次回に記す。

2058/江崎道朗2017年8月著の悲惨と無惨23。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。「助けて」いるのは、自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子
 江崎道朗本人はもちろんだが、PHP研究所、川上達史、山内智恵子は、恥ずかしく感じなければならない。学者・研究者としての良心があるならば、京都大学「名誉教授」・中西輝政も、同じく京都大学「名誉教授」・竹内洋も。
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 江崎は、上の著は最終文の直前の文でこう書いている。
 p.414(おわりに)-「われわれはいまこそ、五箇条の御誓文に連なる『保守自由主義』の系譜を再発見すべきなのである」。
 また、最終章の末尾には、こうある。
 p.406(第6章)-「われわれは、憲法改正によって取り戻すべきは『保守自由主義』であって『右翼全体主義』でも『左翼全体主義』でもないと明確に答えることができるようなっておくべきなのだ」。
 さらに、第5章の末尾には、こうある。
 p.354(第5章)-「われわれは、……小田村寅次郎ら『保守自由主義』の系譜を受け継ごうとするものだ」。
 これらでの「われわれ」とは誰なのか明記されていないが、江崎を含む仲間たち、要するに<現在の日本の「保守」派>であり、その仲間たちに呼びかけているのだろう。
 「われわれ」の意味・範囲は瑣末なことだ。
 上のようにこの著にとって重要な基礎概念である<保守自由主義>とは何かが、当然に問題にされなければならない。そして、これが曖昧なままだと、この書物の目的は達成されていないに、ほとんど等しいだろう。
 そして、多少立ち入れば、つぎのことが読み取れる。
 第一、<保守自由主義>とは、聖徳太子・十七条憲法と関係があり、そこに示されるとされる「日本の長い政治的伝統」だとされている。
 例えば、以下のとおり。
 p.13(はじめに)-日本のエリートたちは大正時代以降3つのグループに分かれたが、「第三は、聖徳太子以来の政治的伝統的を独学で学ぶ中で、…皇室のもとで秩序ある自由を守ろうとした『保守自由主義』のグループだ」。
 p.279(5章第4節)-小田村寅次郎らの一高昭信会のリーダーは「聖徳太子の十七条憲法や……を学ぶことを通じて、日本型の保守主義についての勉強を行っていた」。
 p.344(5章第27節)-見出し「聖徳太子以来の日本の伝統的政治思想に学ぶ」。
 同(5章第27節)-小田村らが「聖徳太子の十七条憲法歴代天皇の政治思想を学ぶことを通じて日本型の保守主義についての勉強や活動を行ってきたことはこの章の最初に、すでに述べた」。<なお、立ち入らないが、「歴代天皇の政治思想」を学んだとは章の最初に書かれておらず、「歴代天皇の政治思想」が出てくるのはここだけだ。>
 p.348(5章第28節)-見出し「保守自由主義の立脚点は聖徳太子、五箇条の御誓文、帝国憲法」。
 そして、聖徳太子(・十七条憲法)に関するやや立ち入った言及があった後のつぎの結論的叙述は、最も長い文章であるかもしれない。
 p.350(5章28節)-「日本の『保守主義者』が『保守』すべきものとは、聖徳太子が…で示した人生観であり、明治天皇が『五箇条の御誓文』で示した自由主義的な政治思想なのである。/
 小田村たち、「すなわち『若き保守自由主義者たち』の脚点は、まさに、聖徳太子から五箇条の御誓文、そして帝国憲法へと至る、日本の真の伝統であった」。 
 同様の趣旨は、この後にも現れる。
 p.352(5章29節)-「右翼全体主義者」は「聖徳太子以来の五箇条の御誓文、帝国憲法へと至る『本来の日本』などまったく顧慮せず、……帝国憲法体制を破壊すべく邁進していったのだ」。
 p.404(第6章15節)-彼らは「聖徳太子の十七条憲法以来のわが国の政治のあり方も、大日本帝国憲法に込められた叡慮も、…もきちんと学ばずに、…レーニンの帝国主義論など、最新の学問潮流に幻惑されていった」。
 この程度にするが、このように、何度も「聖徳太子」・「十七条憲法」や「五箇条の御誓文」を登場させている。
 しかしながら、決定的に不十分なのは、<これらがなぜ「保守自由主義」を示すものなのか>だ。
 江崎道朗は、これに全く言及していないわけではない。
 だが、おそるべきほどの杜撰さで、これらを叙述し、理解しようとしている。
 そこには決定的に不備・誤りがあるだろうが、上に引用した中では、聖徳太子以来の「政治的伝統」であるはずなのに、「聖徳太子が…で示した人生観」(p.350)なるものに遡ろうとする叙述にも<破綻>の一端が見られる。
 そして、江崎道朗は、十七条憲法にせよ、五箇条の御誓文にせよ(大日本帝国憲法は別に措くとして)、<保守自由主義>だということを示す何ら詳細で具体的な「研究」ないし「論証」も展開していない。
 皮を剥いていくと何もなかった、というのにほぼ等しい。言葉としては、聖徳太子・十七条憲法等が出てくる。しかし、これらに多少とも立ち入った叙述はない。そのような観のある叙述部分も、江崎自身の見解ではなく、他者の見解を紹介・引用することで済ませている。
 何と無惨だろうか。こんな叙述で、読者は納得するとでも考えていたのだろうか。
 怖ろしいことだ。こんな書物が日本では堂々と出版されている。<惨憺たる>出版物だ。
 次回には、聖徳太子の十七条憲法のどの部分が、江崎のいう<保守自由主義>なのか、という、奇妙な叙述を紹介し、論評する。

2057/池田信夫のブログ015-高坂正堯。

 池田信夫ブログマガジン2018年10月29日号「高坂正堯の孤独な現実主義」。
 高坂正堯が書いたものを熱心に読んだ記憶はないが、ごく常識的なことを書いたり語ったりしていた記憶はある。
 池田信夫はいう。高坂が「論壇」で孤独だったのは京都大学出身と関係がある。東京大学(法学部)を中心とする「論壇の主流は非武装・非同盟の理想主義」だったからだ。
 「非武装・非同盟の理想主義」とは日本共産党ではなくかつての日本社会党の主張だろうか。そして、池田によると、「論壇はなくなったが、今もマスコミの主流は彼の批判した一国平和主義である」。
 2018年時点での「マスコミの主流」はどうなのかはよく分からないが、朝日新聞・東京新聞および系列のテレビ局等は、アメリカ(と日本?)の「好戦」気分に反発する「平和かつ護憲」路線なのかもしれない。
 そういうことよりも、池田信夫が高坂正堯を好意的・肯定的に取り上げていることの方が興味深い。
 池田によると、高坂は「民社党に近いリベラルだった」。
 そして、「こういう中道右派が育てば、日本の政策論争も少しは健全なものになったかもしれないが、彼の早すぎた死で、日本には安全保障に関する論争がなくなってしまった」。
 おそらく確かなのだろう。高坂は「自民党には投票したことがない」と言っていたらしい。
 高坂を<保守反動>の国際政治学者とみていた<容共・左翼>も多かっただろうから、上の指摘はすこぶる関心を惹く。
 そして再び思い出すのだが、かつて自由社の社長だった石原萌記は、もともとは日本社会党右派の人脈の中から出発した。そして、「社会党」というと<左翼>のイメージではあるが、しかし<反共産主義>の明確な人物だった。だからこそ江田三郎・江田五月を応援し、またかつての民社党関係者や財界を含む<保守>的人々との交流も深かった。
 高坂正堯、1934年5月生~1996年5月。満62歳。
 確かに、早すぎた。
 石原萌記、1924年11月生~2017年2月。満92歳。
 石原は長寿だったが、石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)を刊行してその人生の一区切りをつけたと見られる。この本には 高坂の論考類による主張の紹介も何箇所かで行われている。そして、この年は、高坂の死の3年後。
 この時期、つまりソ連解体1991年12月の後の10年足らずの間は、重要な時代だったとともに、日本に明確な<反共・自由主義者>が消失していった、または数少なくなっていった大きな画期だったようにも思われる。
 いや、実質的には<反共・自由主義者>は多くいたに違いない。
 しかし、重要なのは、多くいたし、現にいるのだろう<反共・自由主義者>たちが、かつての福田恆存等々と違って、「保守」とは自称しなくなった、そう標榜しなくなった、ということだ。
 なぜか。1997年設立の日本会議、「愛国」・「日本」・「天皇」の右翼団体が<保守>を標榜し、産経新聞社等のマスコミ・メディアがこの団体とその背後の情報・読書<需要>を商業的に利用しようとしたからだ、と思われる。これに巻き込まれた、または進んでこの界隈に入っていった<もの書き>=文章作成非正規雇用者たち、もいた。
 これは、この頃にはイメージがよくなってきたとされる「保守」という言葉の、誤用であり、簒奪だった。
 石原萠記やその著書については、さらに触れなければならない。間接的にせよ、L・コワコフスキらが1970年代前半に組織したシンポジウムと関係があったことは、この欄ですでに触れた。
 雑誌・自由に寄稿していた、日本文化フォーラム(1956年~)や日本文化会議(1968年~1994年、初代理事長・田中美知太郎)のメンバーたちの論調や人脈は、この1990年代の半ばから後半にほとんど途切れたのではなかろうか。
 日本会議の活動家たちは石原萠記の「左翼」性を強調し、日本文化フォーラム・日本文化会議の歴史を決して高く評価しないのだろうが、日本会議には全く欠如している感のある「知性」・「理性」があり、また<反共産主義>の明確さにおいて、立派な<保守>だったと思われる。
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 1991年/ソ連解体。
 1991~93年/宮沢喜一内閣。
 1993~94年/細川護熙内閣。
 1994年/日本共産党第20回党大会-「ソ連は社会主義国でなかった」。宮本顕治・中央委員会議長。不破哲三・幹部会委員長。
 1994年/日本文化会議解散。村山富市内閣発足。
 1994年/福田恆存、逝去。
 1995年/戦後50年・村山内閣談話。新進党結成。
 1996年/新しい歴史教科書をつくる会発足。
 1996年/高坂正堯、逝去。
 1997年/日本会議発足。
 1997年/日本共産党第21回党大会。書記局長・志位和夫。宮本顕治は退任。
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2056/L・コワコフスキ著第三巻第13章第1節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳。最終章へと移る。分冊版、p.450~。
 第13章・スターリン死後のマルクス主義の進展。
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 第1節・「脱スターリニズム化」①。
 (1)Joseph Vissarionovich Stalin は、1953年3月5日に脳卒中で死んだ。
 彼の後継者たちが権力をめぐって立ち回り、誤導的にも「脱スターリニズム化」と称された過程を開始したとき、世界はその報道をほとんど理解することができなかった。
 ほとんど3年後に、それは頂点に達した。そのとき、Nikita Khrushchevが、ソヴィエト共産党に、そしてすみやかに全世界に、進歩的人類の指導者、世界の鼓舞者、ソヴィエト人民の父、科学と知識の主宰者、最高の軍事的天才、要するに歴史上最大の天才だったスターリンは、実際には、妄想症的(paranoiac)拷問者、大量殺戮者、ソヴィエト国家を大敗北の縁に追い込んだ軍事的無学者だった、と発表した。//
 (2)スターリン死後の3年間は劇的瞬間に満ちた時期だった。ここでは簡潔にのみ言及する。
 1953年6月、東ドイツの労働者の反乱が、ソヴィエト兵団によって粉砕された。
 そのすぐあと、クレムリンの幹部の一人で国家保安局の長官だったLavrenty Beriya が多様な犯罪を冒したとして逮捕された(彼の裁判と処刑は12月まで報道されなかった)。
 同じ頃(西側はもっと後で非公式に知ったのだが)、いくつかのシベリアの強制収容所の収監者たちが、反乱を起こした。
 これらの反乱は残虐に鎮圧されたが、おそらくは抑圧制度の変化をもたらした。
 スターリン崇拝者たちは、スターリン死後の数カ月以内に多くは排除された。
 党が1953年7月に50周年を記念して宣言した「テーゼ」では、スターリンの名はわずか数回しか言及されず、いつもは随伴していた称賛の言葉がなかった。
 1954年、文化政策に若干の緩和があり、その秋には、ソヴィエト同盟がユーゴスラヴィアとの和解する用意があることが明らかになった。これが意味したのは、東ヨーロッパ全体の共産党指導者たちを処刑する口実となってきた「Tito主義者の陰謀」という責任追及を撤回する、ということだった。//
 (3)スターリン崇拝とスターリンの疑いなき権威は長年にわたり世界の共産主義イデオロギーの楔だったので、こうした転回が全ての共産党に混乱と不確実さもたらし、その全ての側面について-経済的愚鈍さ、警察による抑圧、文化の隷従化-、社会主義システムに対するますます厳しいかつ頻繁な批判を呼び起こしたことは、何ら疑うべきことではなかった。
 批判は、1954年末以降に「社会主義陣営」の中に広がった。
 最も激烈だったのはポーランドとハンガリーで、これらの国では、修正主義運動-と呼ばれたのだが-は、共産主義のドグマの例外なく全ての側面に対する全面的な攻撃へと発展した。//
 (4)1956年2月のソヴィエト同盟共産党第20回大会で、フルシチョフは、「個人崇拝」に関する有名な演説を行った。
 これは非公開の会議で行われたが、外国の代議員も出席していた。
 この演説はソヴィエト同盟では印刷されなかった。しかし、そのテキストはいく人かの党活動家に知られており、のちにすみやかにアメリカ合衆国国務省によって公表された。
 (共産主義諸国の間では、ポーランドは、信頼されていた党員によってテキストが「内部用に」印刷して配布された唯一の国だったように見える。
 西側の共産主義諸党は、このテキスト文の真正さを承認するのを長い間拒否した。)
 フルシチョフは演説文の中で、スターリンの犯罪と妄想症的幻想、拷問、処刑および党官僚の殺戮に関する詳細な説明をした。しかし彼は、反対派運動をした党員たちのいずれについても名誉回復を行わなかった。彼が言及した犠牲者たちは、Postyshev、Gamarnik、およびRudzutak のような疑いなきスターリニストたちで、Bukharin やKamenev のような独裁者のかつての反対者たちではなかった。
 この演説は、どのようにして、またいかなる社会的条件のもとで血に飢えた妄想狂が25年にわたって無制限の専制的権力を2億の住民をもつ国家に対して行使することができたかに関して-その国家はその間ずっと人間の歴史上最も進歩的で民主主義的な統治のシステムだと祝福されてきたのだったが-、何の手がかりも提示しなかった。
 確実だったのはただ、ソヴィエトのシステムと党自体は完璧に無垢であり、僭政者の暴虐について何の責任もない、ということだった。//
 (5)世界のコミュニストたちに対するフルシチョフ演説の爆弾的効果は、それが含む新しい情報の量によるのではなかった。
 西側諸国では、学問的性質のものであれ第一次資料であれ、すでに多数の文献を利用することができた。それらは、相当に確信的にスターリン体制の恐怖を叙述するもので、フルシチョフが言及した詳細は、一般的な像を変更したり多くを追加したりするものではなかった。
 ソヴィエト同盟や従属諸国では、共産主義者も非共産主義者も、個人的な経験から真実を知っていた。
 共産主義運動に対する第20回大会の破壊的な効果は、その運動の二つの重要な特質によっている。すなわち、第一に共産党員の心性(mentality)、第二に統治システムにおける党の機能。
 (6)国家当局が情報が外部世界に浸み出ることを阻止すべくあらゆる手段を用いた「社会主義ブロック」のみならず、民主主義諸国でも、共産党は、「外部から」の、すなわち「ブルジョア」的源泉から来る全ての事実と議論からの影響を完璧に受けない、という心性を生み出した。
 ほとんどの場合、共産党員たちは魔術的思考の犠牲者だった。その魔術的思考によれば、免疫的源泉が外部からの情報に汚染しないように清めてくれるのだ。
 基本的な係争点に関する政治的敵対者は全て、個々のまたは事実の問題で自動的に間違っているに違いなかった。
 共産党員の心性は、事実と理性的な論拠による攻撃に対して、十分に武装されていた。
 神話的システムでのように、真実は(むろんイデオロギー上の手引きでではないけれども)実践において、実践から生じる源泉でもって明確になる。 
 「ブルジョア的」書物や新聞に書かれているかぎりで何も怖れを生じさせない諸報告は、クレムリンの託宣が確認したときには雷鳴のごとき効果をもつ。
 昨日には「帝国主義者のプロパガンダによる卑劣なウソ」だったものは、突如として、呆れるほどの真実に変わった。
 さらに、落ちた偶像は誰か別の者に脚台を占められただけではなかった。 
 スターリンが冠を剥がれたことは一つの権威が崩壊したことを意味したのみならず、制度全体の崩壊を意味した。
 党員たちは、最初の者の誤りを糾すための第二のスターリンに希望を託すことができなかった。
 スターリンは悪だったが党とシステムは無欠だという公的な保証を、彼らはもはや真面目に受け止めることができなかった。//
 (7)つぎに、共産主義の道徳的破滅は、瞬間的に、権力のシステム全体を揺るがした。
 スターリン主義体制は、党の支配を正当化するイデオロギーという接合剤なくしては、存在することができなかった。そして、このときの党装置は、イデオロギー上の衝撃に対して敏感だった。
 レーニン=スターリン主義社会主義では権力システム全体の安定性は統治する機構のそれに依存していたので、官僚機構の混乱、不確実さおよび士気喪失は、体制の構造全体を脅かした。
 脱スターリニズム化とは共産主義が二度と治癒することのできない病原菌であることが判明することとなった。何とか一時的な態様をとってであれ、その病に適応すべく努力はしたのだけれども。//
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 第一節②へとつづく。第二節以降の表題は、つぎのとおり。
 第二節・東ヨーロッパの修正主義。
 第三節・ユーゴ修正主義。
 第四節・フランスでの修正主義と正統派。
 第五節・マルクス主義と「新左翼」。
 第六節・毛沢東の農民マルクス主義。

2055/L・コワコフスキ著第三巻第11章第5節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。
 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
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 第5節・論評(Commentary)② 。
 (5-2)人間の思考は、プラトンによる知識と意見の区別、epsteme とdoxa の区別のおかげで恣意的判断には従わない知識の領域を拡大することができ、科学を生み、発展させた。
 もちろん、この区別は、思考、感情および欲求が高次の「統合」へと融合する、究極的で全包括的な統合体を形成する余地を残したわけではなかった。
 このような願望の達成は、全体主義的神話が思考に対する優位を要求するときにのみ可能になる。-この全体主義的神話とは、より深い直観にもとづくために、自己正当化する必要がなく、精神的および知的な生活の全体に対する司令権を獲得する、そのような神話だ。
 むろん、これが可能になるためには、全ての論理的で経験的な規準は無意味なものだと宣告されなければならない。そしてこれこそが、マルクーゼがしようとしたことだ。
 彼が追求したのは、技術的進歩のごとき瑣末な目的を軽蔑し、一つでかつ全包括的であることに利点のある、統合された知識の一体だ。
 しかし、思考が論理による外部的強制を免れることが許容されるときにのみ、このような知識は可能になり得る。
 さらに、人間各人の「本質的」直観は他者のそれと異なる可能性があるので、社会の精神的な統合は、論理や事実以外の別のものにもとづいて構築されなければならない。
 そこにあるのは、思考の規準以外による、かつ社会的抑圧の形態をとる何らかの強制であるに違いない。
 言い換えると、マルクーゼのシステムが依存するのは、警察による僭政による、論理の僭政の置き換えだ。
 このことは、全ての歴史上の経験が確証している。すなわち、特定の世界観を社会全体に受容させるには一つの方法しか存在しない。一方では、その思考の作動規準が知られて承認されているかぎりで、理性的思考の権威を押しつけるには多様な方法があるのだけれども。
 エロスとロゴスのマルクーゼ的統合は、力(force)によって確立されて統治される全体主義国家の形態でのみ実現することができる。
 彼が擁護する自由は、非自由(non-freedom)だ。
 かりに「真の」自由が選択の自由を意味しておらず特定の対象を選択することにあるのだとすれば、かりに言論の自由が人々が好むことを語ることができることを意味しておらず正しい(right)ことを語らなければならないことを意味するとすれば、そして、マルクーゼと彼の支持者たちだけに人々が何を選択し、何を語る必要があるのかを決定する権利があるとすれば、「自由」は単直に、その正常な意味とは反対のものになってしまう。
 このような意味で、ここでの「自由な」社会は、よりよく知る者の指令を受ける以外には、人々から目的や思想を選択する自由を剥奪する社会だ。//
 (6)つぎのことは、とくに記しておかなければならない。マルクーゼの要求はソヴィエト全体主義的共産主義がかつて行った以上に、理論と実践のいずれについても、はるかに大きいものだった。
 スターリニズムの最悪の時代ですら、一般的な教条化と知識のイデオロギーへの隷属があったにもかかわらず、ある領域はそれ自体で中立的で論理的かつ経験的な法則にのみ従う、ということが承認されていた。数学、物理学および若干の期間を除いて技術について、このことが言えた。
 マルクーゼは、これに対して、規範的本質は全ての領域を支配しなければならない、新しい「ものだ」ということ以外には我々は何も知らない新しい技術と新しい質的な科学が存在となければならない、と強く主張する。
 これら新しいものは、経験と「数学化」という偏見から自由でなければならない-つまり、数学、物理その他の科学に関する知識が何らなくとも獲得できる-。そして、我々の現在の知識を絶対的に超越しなければならない。//
 (7)マルクーゼが渇望し、産業社会が破壊したと彼が想像しているこのような統合は、かつて実際には存在しなかった。例えば、Malinowski の著作で我々が知るように原始社会ですら、技術的秩序と神話を明瞭に区別していた。
 魔術と神話は決して、技術や理性的努力に取って代わらなかった。これらは、人類が技術的統制を及ぼさない領域で補充するだけだった。
 マルクーゼについて先駆者だと唯一言えるのは、中世の神性主義者(theocrat)であり、科学を排除し、科学から自立性を剥奪しようとした初期の宗教改革者(Reformation)だ、ということだ。//
 (8)もちろん、科学も技術も、目的と価値の階層制に関するいかなる基礎も提示しない。
 手段の反対物である目的それ自体は、科学的方法によって特定することができない。
 科学はただ、我々が目標を達成する方法とそれを達成したときに、またはそれに一定の行動が続いたときに、生起するだろうものは何かを語ることができるだけだ。
 ここにある空隙を、「本質的」直観で埋めることはできない。//
 (9)マルクーゼは、科学と技術に対する侮蔑意識を、物質的福祉に関する全ての問題は解決されて必需用品は豊富に溢れているがゆえに、より高次の価値を追求しなければならないという信念と結合する。すなわち、量を増加させることは、たんに資本主義の利益に貢献するだけなのだ。資本主義は、虚偽の需要を増やし、虚偽の意識を注入することによって生き延びる。
 マルクーゼはこの点で、典型的に、食糧、衣服、電気等々を得ることに何も困難を感じる必要がなかった者たちの心性(mentality)をもつ者だ。これらの生活必需品は既製のものとして調達可能だったのだから。
 このことは、物質的および経済的生産とは何の関係もなかった者たちの間で、彼の哲学が人気があったことの説明になる。
 快適な中産階級出身の学生たちは、生産に関する技術や組織が精神的地平に入ってこないルンペン・プロレタリアートと共通性がある。豊富であれ不足であれ、消費用品は彼らにとって、奪うためにあるのだ。
 技術と組織に対する敵意は、活動に関する標準的規則に従う、または積極的努力、知的な紀律および事実や論理の規準に対する謙虚な態度が必要な、そのような全ての形態の知識に対する嫌悪感と一体のものだった。
 骨の折れる仕事を回避し、我々の現在の文明を超越しかつ知識と感情とを統合するグローバル革命に関するスローガンを唱えるのは、はるかに簡単なことだ。//
 (10)マルクーゼはもちろん、個人がそれぞれ履行する機能にすぎなくなってしまう生活に対して功利主義的に接近していることから帰結しているのだが、現代の技術と精神的疲弊が破壊的効果をもつことについて、日常的に絶えず繰り返して、不満を述べていた。
 これはしかし、彼に独自の考えではなく、永遠に自明のことだ。
 しかしながら、重要なのは、技術の破壊的効果に対しては、技術自体をさらに発展させることよってのみ闘うことができる、ということだ。
 人類は、技術的進歩の好ましくない帰結を稀少化するために、「不毛な」論理や社会的計画化の方法の助けを借りて、科学的に仕事を履行しなければならない。
 この目的のためには、生活をより耐えられるものにし、社会改革に関する理性的考察をより容易にする、そのような価値観を確立し、促進しなければならない。社会改革とは、寛容、民主主義および言論の自由の価値の実現だ。
 マルクーゼの基本綱領は、これとは正反対だ。すなわち、科学と技術を従属させる全体主義的神話の名のもとに民主主義的諸制度と寛容を破壊すること(実際に適用することだけではなく、理論的側面でも)。ここでの科学と技術の従属とは、経験論と実証主義に反対する哲学者たちの排他的財産である、漠然とした「本質的」直観への隷従化のことだ。//
 (11)マルクスの標語である「社会主義か野蛮か」を「社会主義=野蛮」という範型に置き換える、ということほど明確な例証はほとんどあり得ないだろう。
 そしてまた、我々の時代に、マルクーゼほどに完璧に反啓蒙主義(obscurantism)のイデオロギストだと称するに値する哲学者は、おそらく存在しない。
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 第5節、終わり。マルクーゼに関する第11章も終わり。

2054/福田恆存における「史実」と「神話」-1965年。

 福田恆存「紀元節について」同評論集第8巻(麗澤大学出版会、2007)。
 これの初出は、雑誌・自由(自由社)1965年4月号。
 福田恆存は「建国記念日(2月11日)」設置に反対する「左翼」に反対し、旧紀元節の復活に賛成していたのだが、上の中でこう明確に記述している。
 福田恆存の主張・論評類の全体を知らないと、<神話と歴史>・<物語と史実>に関するこの人の正確な考えは分からないだろう、ということは承知している。但し、なかなかに面白い、興味深いことを上の論考で主張している。
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 福田は「二/史実」の中で、反対論者は「史実」に反するという、と述べて、こう続ける。一文ごとに改行。旧かなづかいは現在のものに改めさせていただく。
 ・「私たちは絶対天皇制の時代に育ちましたけれども、伊邪那岐命・伊邪那美命の話をほんとうの話と思ったことは一度もない。
 天照大神のこともほんとうだと思ったことはない。
 神武天皇のことでもほんとうのことだと思ったことはない。
 歴代の天皇が100年も200年も生きているなどという馬鹿げたことはないのですから、そんな馬鹿なことを先生が学校でむきになって教えても、本気にしない。<中略>
 だから戦前の歴史教育は間違っていたと言いますけれども、それはあまりに国民を馬鹿にするものです。」p.120。
・「『日本書記』についていえば、当時の大和朝廷が、国の基が固まったという一つの喜びを、将来この国がりっぱに伸びていくというようにということで、自分たちの仕事を権威づけ、仕事が後に末長く栄えていくようにと祈る気持ちで、当時の歴史編纂官に命じて書かせたものであります。
 そして作者は日本の紀元を、そう言いたければ、あえて『でっち上げた』のです。」p.122。
 ・戦前の天皇制と当時の大和朝廷は「全く違った」もので、「いまの気持ちからその当時の気持ちを推察するのは間違い」だが、1月1日=新暦2月11日を「日本の紀元」とすることに問題はない。かつての「日本人の心理的事実を史実とみなしての上の根拠」だが、「その日が最も根拠があると思う」。p.123。
 ・「記紀の話は事実としては作り話であっていいわけです。
 しかしなぜ作り話が一定の効果をもったかが問題なんですね」。p.124。
 ・「どういう気持ちで日本人が日本民族の紀元を定めたのか、こうありたいと願ったその当時の人々の気持ち、それを受け継いだ明治政府の気持ち、そしいうものを全部否定してしまうのは、日本国の歴史は歴史上くだらない歴史であった、敗戦に至るまだ全部だめだったということで、日本人の過去を全部抹殺してしまうことになります」。p.124-5。
 ・「紀元節が史実に反するとかなんとか言うのは、全くの言いがかりで、その本当の反対理由は、日本の過去を全部過ちの連続としてとらえたいという戦後の歴史観が危うくなりそうだと不安感の悲鳴にすぎません」。p.126。
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 福田恆存、1912年生~1994年没。
 相当に鋭いのではないか。論旨も、ほとんどよく分かる。
 幼稚にまとめれば、「史実」ではなくとも「当時の人間の心の動きだとか、価値観だとか」(p.123)が史実以上に大切なことがあるのだ。
 ともあれ、喫驚するほどに、福田恆存は日本書記または記紀が記述する<日本神話>の「史実」性を否定している。だが、いっさい無視するのでもなく、そこに示された当時の(ということは天武=持統天皇系の皇室になるが)人々の「感情・価値観」を大切に理解すべきだ、という旨を言っている。
 まことに、冷静で、知的な<保守>の考えだと思われる。
 このような認識や議論の仕方は、天皇<万世一系>論、天皇<男系継続>論(女系否定論)等についても、大切だと思われる。あるいは当てはまり得るものだと思われる。例えば、「記紀」がこれらの問題に関する主張の根拠になるわけがない。
 このような人が、現在はほとんどいなくなった。福田恆存の没後に数年だけ経過して<日本会議>が設立され(1997年)、まるでこの団体が<保守>の代表だと見なされるようになった観があるのは、日本にとって大きな悲劇であり厄災だった。
 <日本会議>は反共・自由主義という意味での「保守」ではなく、「日本」と「天皇」にだけほとんど執心する「右翼」団体だ。
 この日本会議に批判的であったはずの西尾幹二が2019年には見事に、上の福田恆存とは真逆に<神がかり>的になって、<日本の神話を信じるか、信じないか>の対立だ、などと血迷い事を述べるに至っていることは、別に触れる。

2053/G・トノーニら・意識はいつ生まれるのか(2015)②。

 M・マシミーニ=G・トノーニ/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む情報統合理論(亜紀書房、2015)。
 p.76~p.91には、「意識の事件ファイル」の「第一」から「第三レベル」の記述がある。ただちには理解不可能だが、「意識」の有無の判別について、三つの段階の問題がある、といった趣旨だろう。
 (1)第一。自発的とみられる「身動き」のあること。但し、「身動き」がなくとも、「意識」があることがある。
 ①脳「梗塞や出血」で「大脳皮質から脊髄へと伸びる、密集した線維が完全に切れて」いるのが、<ロックトイン症候群>の典型例。
 ②「脊髄から筋肉」への全ての「ニューロンと神経において、電気信号の発生がブロックされる」場合が、<筋萎縮性側索硬化症(ALS)>や<ギラン・バレー症候群>。
 ③「大脳皮質」中の運動関係部位の広い範囲が「外傷または血液循環の不全」で破壊されると、同様のことになる。
 これらの場合、「意識がある可能性がある」。
 (2)第二。外部からの指示に<正しく>反応すること。
 脳出血により前頭大脳皮質に広い損傷をした23歳女性はいったん「植物状態」と診断され、身動きは全くなかったが、「テニスをする」、「自宅内を歩く」を想像してとマイクで指令すると、「前運動野」のニューロンの動きが活発になった=「酸素消費量」が明確に増えた。2006年に公表。
 但し、このような変化がなくとも、「意識」があることがある。
 ①指令で使う「言語」が理解できない場合。失語症のこともある。
 ②「大変な心理的・身体的状態」のため、<実験>に参加する気になれない場合。
 ③ そもそも対応する「気力」が残っていない。
 「意識がある証拠があがらないからといって、意識がない証拠とすることはできない」。
 (3)第三。直接に脳内に入り込んで、信号・波動・微粒子の動きを調べて分析する。
 基本的な技術は、つぎの二つ。
 ①機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)・ポジトロン断想法(PET)-脳の代謝活動を測定する。
 ②脳波図(EEG)・脳磁図(MEG)-ニューロンの電気活動を記録する。
 いずれも、「意識の発生と完全に相関関係にあるニューロンの動き」の有無を特定する。
 しかし、ア/ニューロンの活動量・代謝レベルによっては結論が出ない。
 イ/「ニューロンのインパルスの同期」も、完全な指標を示さない。
 ・「人に意識がある証拠をとらえるのは、いうは易しで、実際はずっと難しい」。
 ・「他人の脳のなかに意識の光が灯っているか、消えているかは知りえない。そんなはずはないと思われるかもしれないが、本当にそうなのである」。-p.91の最後の一文。
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 トニー・ジャット(Tony Judt)-1948年1月~2010年8月/満62歳で死去。
 この欄でかなり多く言及したこの人物は、上に出てくる<筋萎縮性側索硬化症(ALS)>(ゲーリック症)だったとされる。
 L・コワコフスキが2009年7月に逝去した直後の哀惜感溢れる追悼・回顧の文章(この欄で言及)は、その時点ではいっさい明かされていないが、この病状のもとで「意思表示」され、配偶者や同僚たちの助けで公にされたと見られる。

2052/L・コワコフスキ著第三巻第11章第5節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。分冊版、p.415-。
 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
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 第5節・論評(Commentary)① 。
 (1)マルクーゼの初期の著作は、一種のマルクス主義を表明するものと見なし得るかもしれない(ヘーゲルに関する青年ヘーゲル派的な誤った解釈にもとづく、というのは本当のことだ)。一方で後期の著作は、マルクス主義の伝統を頻繁に呼び起こしてはいるが、ほとんどマルクス主義と関係がない。
 彼が提示するのは、(福祉社会によって回復不能なほどに腐敗した)プロレタリアートなきマルクス主義だ。また、(歴史変化の研究にではなく真の人間の本性に関する直観に由来する未来の見方としての)歴史なきマルクス主義だ。さらに、科学崇拝のないマルクス主義だ。
 解放された社会の価値が創造的活動にではなく愉楽のうちにある、そのような一つのマルクス主義だ。
 これらは全て、本来のマルクスのメッセージに関する、曲解し、歪曲した影像だ。
 マルクーゼは実際に、最も非理性的な形態での、半ロマン派的アナキズムの予言者だ。 確かに、マルクス主義はロマン派的特質を含んではいる。-前産業社会の失われた価値への、人間と自然との間の統合への、そして人間相互間の直接的意思疎通への思慕や憧憬。また、人間の経験上の生活はそれの真の本質と合致することができるし、合致すべきだ、という信念。
 しかし、マルクス主義はこうした要素以外のもの、つまり階級闘争の理論やそれがもつ科学的かつ科学主義的側面、を剥ぎ取られてしまえば、マルクス主義ではない。//
 (2)しかしながら、マルクーゼの著作の主要点は、逆のことを示す明白な証拠があるにもかかわらずマルクス主義者だと自称することにあるのではなく、我々の文明に現在すでにある趨勢のための哲学上の根拠を与えようとすることにある。その目標は、事物の本性によって描写することはできない、そのような幸福の新世界(the New World of Happiness)の啓示のために、内部からその文明を破壊することだ。
 さらに悪いことに、マルクーゼの著作から推論することのできる千年王国(millennium)の特徴は、社会は啓蒙された者たちの集団によって僭政的に支配されなければならないということだけだ。その集団の主たる資格は、ロゴスとエロスの統合を自分のうちに実現し、論理、数学および経験科学の忌々しい権威との関係を断っていることだろう。
 こうした叙述はマルクーゼの教理を戯画化したもののように見えるかもしれない。しかし、彼の著作の分析からこれ以外の何かを抽出することができる、というのは困難だ。//  
 (3)マルクーゼの思考は、技術、正確な科学および民主政体に対する封建主義的侮蔑意識に積極的内容のない漠然たる革命主義を加えた、奇妙な混合物だ。
 彼は、つぎのような文明の存在を嘆き悲しむ。
 (1) 倫理から科学を、価値から経験的数学的知識を、規範から事実を、規範的本質の洞察から普遍世界を、切り離す社会。
 (2) 「不毛な」論理と数学を生み出した社会。
 (3) エロスとロゴスの統合を破壊し、現実はそれ自体の感知されない「規準」を有することを理解しないために我々が直観でもって客観的規範それ自体と比較することができない、そのような社会。
 (4) 全てを技術的進歩に賭けてきた社会。
 こうした歪んだ社会は、知識と価値の「統合」を保持し、規範的本質を喚起することで現実を超越する弁証法によって、対抗されなければならない。
 論理や経験主義の困苦に染まっていない、この高次の知見を獲得した者たちは、この理由によって、共同社会の残余を形成する多数派に対して、暴力、非寛容および抑圧的手段を行使する資格がある。
 該当するエリートたちは、革命的学生たち、経済的後進国の識字能力のない農民層、およびアメリカ合衆国のルンペン・プロレタリアートによって構成される。//
 (4)根本的諸問題について、マルクーゼは、自分がいったい何を主張しているのかを示していない。
 例えば、人間性の真の本質は特定の直観によって明らかになる、そうではない直観によってではない、と我々はどのようにして語るのか?
 あるいは、どのモデルや規範的観念が正しい(right)ものだと、我々はどのようにして知るのか?
 これらの疑問については、答えがないし、かつあり得ない。つまりは、我々はマルクーゼとその支持者たちの恣意的な決定に、思うがままにされるのだ。
 同様に、解放された世界はどのようなものになるのか、我々には分からない。そして、マルクーゼは、あらかじめこれを描写することはできない、と明白に語る。
 我々が語られるのはのはただ、現存社会を完全に「超越」しなければならない、「グローバルな革命」を実行しなければならない、「質的に新しい」社会条件を生み出さなければならない、等々だけだ。
 抽出され得る唯一の積極的結論は、現存文明を破壊する傾向があるものは何でも全て、肯定的評価に値する、ということだ。
 例えば、つぎのように考えるべきいかなる根拠もない。アメリカ合衆国の多数の大学の中心で起こっている書籍の焼却は、プラトンやヘーゲルふうの高次の理性の名において腐敗した資本主義世界を「超越」する、そのような革命的過程を開始する良い方法ではない。//
 (5-1)科学と論理に対するマルクーゼの攻撃は、民主主義的諸制度と「抑圧的寛容」(「真の」寛容、すなわち、抑圧的非寛容の反対物)に対する攻撃と相携えて行われている。
 規範的行為や価値判断を論理的思考や経験的方法から明瞭に切り離す現代科学の基本的考え方は、実際には、寛容や自由な言論と密接に結びついたものだ。
 形式的であれ経験的であれ、科学的規準は、知識の領域を明確に画するのであり、その範囲内で、論争者は共有する諸原理を主張し、その自然の結果として、いずれの理論または仮説が受け入れられ得るものであるかの基礎について、同意することができる。
 言い換えれば、科学は思考のコード(code)を進化させ、演繹的および確率論的論理を構成してきた。そうした論理は、人間の精神に強制的に課され、承認し合う心づもりのある全ての者の間に、相互理解の領域を生み出している。
 この領域を超えたところにあるのは、価値の分野だ。そして、科学的思考の法則によっては証明不可能な一定の特有の価値が関与者たちの間で承認されているかぎりで、ここでも議論は可能だ。
 だが、科学的思考を支配する規準によっては、基本的な諸価値を有効なものにすることができない。
 こうした単純な基本的考え方をすることで、我々は、法則の適用が強いられる分野とそのような法則と相互寛容は存在しないために必要な分野を区別することができる。
 しかし、我々の思考が規範的「本質」に関する直観に従うということがかりに要求されるとすれば、そして、この条件のもとでのみ本当の思考だと称することができると宣告され、またそれが高次の理性の要求に適合するとされるだとすれば、非寛容と思考統制を宣言することに等しいことになる。特定の思想の唱道者たちは、論理的および経験的な規準についての共通する蓄積物を呼び起こせば、彼らの見解を防衛する必要がなくなるのだから。
 「不毛な」形式論理を痛罵すること(論理に関してマルクーゼの語るのはただ、不毛だということだけだ)、そして量的志向の自然科学を罵倒することは(科学についてマルクーゼは、経済学や技術について知っている以上には確実に何も知らない)、単直に無知を称揚することを意味する。
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 段落の途中だが、ここで区切る。

2051/G・トノーニら・意識はいつ生まれるのか(2015)①。

 M・マシミーニ=G・トノーニ/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む情報統合理論(亜紀書房、2015)。
 せっかく全読了しているので、記憶喪失にならない前に、少しでもメモしておこう。
  「意識はいつ生まれるのか」というよりも、「意識」とは何か。
 「意識」とは何かというよりも、「意識」の有無はどう判断するのか。
 より分かりやすく言うと、どのような状態が「有り」なのか。
 「意識」というのは、関連学界でも定義できない、きちんとした定義が存在していないらしい。
 「文科」系人間でもこの語はよく使うが、人体との関係で「意識」とは何のことか。
 専門的な説明よりも、皮膚感覚で分かりやすいのは、つぎの例だ。
 ①外科手術等のために麻酔を受けて昏睡している間、「意識」はない。「生きて」はいる。
 ②睡眠中の深い睡眠(ノンレム睡眠)のとき、「意識」はない。「生きて」はいる。
 特段の前提的議論をすることなく、著者たちは、上のことを疑いないこととしているようだ。生物神経学、脳科学等において一致しているようでもある。
 ということは、第一に、「意識」の有無と「生と死」は一致しない。
 第二に、「生きて」いても「意識」がないこともある。
 この第二点は言葉の用法として当然のことかもしれない。しかし、「意識」を喪失している間に「生きて」いる状態にあることの感知・証明可能性の問題とともに、「意識」喪失のあとで「生」の世界に回復する場合と「死」の世界へと移行する場合の二つがある、という明確な事実をも関連して含んでいる。
 上の二例でいうと、①麻酔による昏睡から回復・覚醒することが想定されていても、手術失敗・麻酔ミス等により、「死」に至ることもある。
 ②深い睡眠から目覚めることが通常だとしても、何らかの(外部者による又は突然の疾患による)突然の「死」もあり得る。
 これらにおいて、「死」の瞬間に<覚醒>、または意識回復がわずかでもあるのかはよく分からない。しかし、きっとないのだろう。
 さらにまた、上のような例で、とくに睡眠の例で分かるのは、「意識」の有無は、○か×、+1か-1の択一ではなく、いわば+1と-1の間で0を跨いでしまった瞬間がその有無の境界であって、同様に、昏睡から「死」へは連続的な移行過程があるのだろう、ということだ。
 無知の「文科」系人間がこのように書けるだけでも、上の著を読んだ意味があるかもしれない。
  すでに登場している、デカルト、松果体、スパコン、小脳・脳半球奥の「基底核」、ニューロン・シナプス等々をとりあえず飛ばして、第三章の一部、p.55-p.76の範囲から、気を惹いた部分を要約的に抜粋する。
 (1)全身麻酔。
 ・全身麻酔で外科手術中に、昏睡のはずの患者が「意識」を回復することが1000人につき1人の割合で生じている。但し、「意識」が回復したことを患者が伝える手段がないことが多い。
 ・全身麻酔=昏睡中は「自力呼吸」ができず、ポンプにより助ける必要がある。
 ・全身麻酔は効いている間の記憶を喪失させる副作用があるので、記憶がないからと言って、意識ないし「苦痛」がその途中になかったことにはならない。
 (2)脳死。
 ・かつては、「脳幹」に異常が発生し「昏睡」状態になると、自発呼吸・心臓が停止し、「死」に至る。
 新部位/大脳皮質や視床の損傷のみならず、旧部位/脳幹の損傷により、「昏睡」が生じる。
 ・昏睡→「死」を救ったのが(心臓を停止させない)人工呼吸器。昏睡→心臓の停止→「死」という判定だっったところ、「死の判定が心臓から脳に移された」。
 ・心臓・心拍と肺臓・呼吸は人工的にかつほぼ無期限に保つことができる。
 ・心拍と呼吸の停止ではなく「脳幹を含む脳全体の不可逆的な機能停止」をもって「死」とする。
 「脊髄より上部の全ての機能と反射の停止」を確認する。「頭部は機能していない」=「脊髄より上の神経系が完全に破壊されている」。機能していない頭部をもつ身体に「機械の力で血と酸素を行き渡らせている」。
 (3)「意識」と「覚醒」。
 ・昏睡→「脳死」か、昏睡→意識回復か。ここには多様な可能性がある。
 ・「覚醒」=「目覚め」は、「脳幹が十分な機能を取り戻す」こと。「脳幹」中の「延髄」は「主として、心拍と呼吸を保つ」。「脳幹」中の「橋」と「中脳」には、「覚醒すべきか眠るへきかを決めている」とくに重要なニューロンが含まれている。
 ・「覚醒」=意識回復、ではない。「脳幹のニューロンが活動し始め、目が開いても、意識がまったく回復しないことがある」。p.70。
 ・「意識」回復のためには、「脳幹」の上の新部位/<視床と大脳皮質>も機能する必要がある。
 (4)「植物状態」等。
 ・<植物状態>の定義は、「脳幹」の機能が回復しても「視床-皮質系」の機能が戻らず、「覚醒」はあるが「意識」がなく、「なにかが見えることなく目が開いた状態」だ。
 ・この状態は、「回復する可能性はあり、明らかに脳死と異なる」。「昏睡」とも違って「目を覚ましている」。「生きているのだ!」。p.72。
 ・上の<植物状態>とも違い、「目を開き、自分とまわりの世界を知覚して意識を完全に取り戻す」が、「全身が麻痺したまま」の患者もいる。「神経の損傷」のため、「麻痺が解けることはない」。
 ・<ロックトイン(閉じ込め)症候群>は上の場合の一つで、多くのこの患者は「まぶたを開け、目を上下に動かす能力」を回復し、「目」のサインで、「意識」があること、そしてある程度の意思を、伝達することができる。
 ・だが、この症候群の患者の中には、目を動かす力を失い、「意識が十全にある」のに、それを伝達できない者もいる。実際の数は分からない。
 ・<植物状態>と<ロックトイン(閉じ込め)症候群>の間に、<最小限意識状態>という、2002年に認知された中間状態がある。「植物状態であることが明らかである患者と違い、長い年月が経過したあとでも、意識を十全に取り戻すことがある」。
 意識がある状態を本人が伝えられないで外部でそれを感知できないため,「意識がない植物状態であるとの誤診を受けている可能性がある」。この問題は、「現在の神経医学において、臨床上、そして倫理上、最も深刻」だ。
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 (つづける。)

2050/鈴木光司・ループ(角川書店、1998)。

 鈴木光司・ループ(角川書店、1998/角川ホラー文庫、2000)。
 <リング>・<らせん>の物語世界がコンピータ内の「仮想空間」だったと暴露?されて、気が遠くなる感覚とともに、よくもこんなことを考えつくなという感想も、生じたものだった。
 適当にp.310から引用すると、こうある。
 「新しく生まれた細胞は細胞分裂を繰り返し、やがて親と同じような動きで、ディスプレイの中を這い回るようになっていった」。
 人工知能・人工生命・人工人間(ロボット?)を通り越した「人工世界」・「仮想空間」だということになっていた。プロジェクト名が「ループ」だ。
 現実?世界での「転移性ヒト・ガンウィルス」の発生・拡大を防止するため、「貞子」のいる元の世界へと(死んだはずの)高山竜司=二見馨は戻っていく。
 それを可能にするのがNSCS(Neutrino Scanning Capture System)というもので(と真面目に書くのも少しあほらしいが)、つぎのようなものだとされる。p.319-p.320。
 「ある物質にニュートリノを照射しその位相のズレを計測して再合成することにより、物質の微細な構造の三次元デジタル化が可能にな」る。
 「ニュートリノ振動を応用すれば、脳の活動状態から心の状態、記憶を含めた、生体がもつすべての情報を三次元情報として記述する画期的な技術が可能になる」。
 これによって再び仮想空間に送り込まれて高山竜司となる予定の二見馨は、作業?室・手術?室で、つぎのような「操作」を受ける。p.356-。
 「あらゆる方向からニュートリノは照射され、馨の身体を突き抜けて反対側の壁に達し、分子情報を逐一積み上げていく…。その量は徐々に増え、…、肉体の微細な構造の三次元デジタル化の精度は増していく」。
 「現実界での肉体は消滅し、ループ界での再生が…」。
 「解析がすべて終了すると、さっきまで馨が浮いていたはずの水槽に、人間の姿はなかった。水は…<中略>これまでと違った どろりとした液体に変じてしまった」。
 最終的?形態は、こう叙述される。p.358。
 「肉体の消滅にもかかわらず、馨の意識は存在した。
 ニュートリノは死の直前における馨の脳の状態、シノプスやニューロンの位置や化学反応に至るまで正確にデジタル化し、再現させていた。
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 「ニュートリノ」なるものは今でも理解していないが、上にいう「脳の活動状態から心の状態、記憶を含めた、生体がもつすべての情報」の「三次元デジタル化」というものも、かつては、将来的にはいつかこういうことが可能になるのか、と幼稚に感じてしまった可能性がある。
 だが、人間の脳内での意識(覚醒)を超える「心」・「感情」・全ての「記憶」のデジタル化・記録・記述というものは、かりに一人の人間についてでも、不可能だろうと今では感じられる。
 人工知能の進化によって囲碁・将棋レベルのAIはさらに優秀?になるかもしれず、基礎的な「感情」を表現する動作のできる犬・猫ロボット(Sony-aiboのような)はできるかもしれず、クイズ解答大会で優秀する人工「頭脳」もできるかもしれない(これらはすでに現実になっているのかもしれない)。
 しかし、たとえ一人についてであれ「心」・「感情」・全ての「記憶」をコンピュータに<写し取る>のは不可能だろうと思われる。
 ましてや、生存する人間の全員について、これを行うのは不可能だろう。
 いや、かりに「理論的・技術的」には可能になる(可能である)としても、実際に人類がそれを行うことは、おそらく決してないのではないか。最大の理由は、種々の意味での<コスト(費用)>だ。
 G・トノーニら/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む情報統合理論(亜紀書房、2015)。
 これの原書は、2013年刊行。
 10年以上前よりも後でこの本に書かれているような関係学問分野の議論状態であるとすると(全体として面白くなかったという意味では全くないが)、上のような感想が生じ、かつ実際的・経済的にというよりも「理論的・技術的」にも不可能ではないか、という気がする。
 もちろん、「理論的・技術的」にも実際的・経済的にも可能で、かつそれが実践される人間社会というのは、一定の障害・病気の治療または防止のために対象はきわめて限られるとかりにしてすら、とてつもなく<恐ろしく、気持ちが悪い>のではないか。障害・病気ーこれらが何を意味するのか自体が曖昧なままであるに違いないが、この点を度外視するとしてもーの治療・防止のために使わない「人間」がきっと発生するに違いない、と想定される。

2049/L・コワコフスキ著第三巻第11章第4節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。分冊版、p.410-p.415。合冊版、p.1115-p.1119。 
 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
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 第4節・自由に反抗する革命(The revolution against freedom)。
 (1)インチキの必要を増大させてその必要を充足させる手段を提示する、そして虚偽の意識の呪文で多数の人々を縛る、このようなシステムから逃れる方途はあるのか?
 ある、とマルクーゼは言う。
 我々は、現存する世界を完全に「超越」し、「質的変化」を追求しなければならない。
 我々は、現実の「構造」そのものを破壊し、人々が自由のうちに要求を発展させるようしなければならない。
 我々は、(現在あるものを新しく適用するだけではない)新しい技術を持ち、芸術と科学、科学と倫理の統合を再び獲得しなければならない。
 我々は、自由な想像力を発揮し、科学を人類の解放のために用いなければならない。//
 (2)しかし、人々の多数が、とくに労働者階級が、システムに囚われて既存秩序の「世界的な超越」に関心をもたないとき、これら全てのことをいったい誰がすることができるのか?
 <一次元的人間>によると、答えはこうだ。
 「保守的な民衆的基盤のすぐ下には、浮浪者と外れ者の、異なる人種と異なる肌色の被搾取者と被迫害者の、失業者と雇用不能者の、下層界がある。
 彼らは、民主主義諸過程の外部に存在している。<中略>
 彼らがゲームをするのを拒むことから始めるということは、この時代の終わりの始まりを画しているということだ。」(p.256-p.257.)//
 (3)そして、アメリカ合衆国の人種的少数者のルンペン・プロレタリアートは、エロスとロゴスの統合を回復し、新しい科学技術を生み出し、そして形式論理、実証主義および経験論の僭政体制から人類を自由にするための、中でもとくに選ばれた人間たちの部門だ。
 しかしながら、マルクーゼは別の箇所でこう説明する。我々はまた、他の諸力を頼みにすることができる。すなわち、学生たちと経済的かつ技術的に後れた諸国の人々だ。
 これら三つのグループの同盟は、人間性の解放のための主要な希望だ。
 反乱する学生運動は、「変革のための決定的要素」だ。彼ら自体では完成させることはできないけれども(<五つの講義録>の中の「暴力の問題と急進的反対派」を見よ)。
 革命的勢力は暴力を用いなければならない。彼らは高次の正義を代表しており、現在のシステムはそれ自体が制度化された暴力の一つなのだから。
 合法的な範囲内に抵抗を制限することを語るのは馬鹿げている。いかなるシステムも、最も自由なシステムですら、自分に向かう暴力の行使を是認することができない。
 しかしながら、目的が解放であるならば、暴力は正当化される。
 さらに、学生たちの政治的反抗が性的な解放に向かう運動と結びついているのは、重要でかつ勇気を与える兆候だ。//
 (4)暴力を避けることはできない。現在のシステムは、虚偽の意識でもって多数民衆を苦しめており、僅かな者たちがそれから免れているにすぎないからだ。
 資本主義は、文化と思想の全てを同質化する手段を作り出してきた。その結果として、システムの一部に批判を変質させることで、批判を骨抜きにすることができている。すなわち、そのゆえにこそ、必要なのは暴力による批判なのであって、これはそのようにしては弱体化され得ない。
 言論と集会の自由、寛容および民主主義諸制度は全て、資本主義的価値による精神的支配を永続化する手段だ。
 従って、真の、惑わされていない意識をもつ者はみな、民主主義的自由と寛容からの解放を目指して闘わなければならない、ということになる。//
 (5)マルクーゼは、この結論を導くことを躊躇しない。彼はおそらく最も明確に、「抑圧的寛容」に関する小論でこれを述べている(Robert Paul Wolff 等による<純粋な寛容性への批判>(1964年)で)。
 彼は過去には、寛容は解放のための理想だ、と主張する。しかし今や、それは抑圧のための道具だ。多数派の同意を得て核兵器庫を建設し、帝国主義政策を追求する等々の社会を強化するために役立つとして。
 この種の寛容は、解放主義の理想に対する多数者の僭政だ。
 さらに、間違っていて悪であるがゆえに寛容であるべきではない教理や運動に対して寛容だ。
 全ての個別の事実と制度は、それらが帰属する「全体」の観点から判断されなければならない。そして、この場合の「全体」とは本来的に邪悪である資本主義システムであるので、このシステム内の自由と寛容は、それら自体が同様に悪(evil)だ。
 ゆえに、真の深い寛容は、虚偽の思想と運動に対する不寛容さを伴っていなければならない。
 「自由の範囲と内容を拡大する寛容は、つねに党派性がある(partisan)。-抑圧的な現状の唱道者に対しては不寛容だ」(p.99.)。
 「新しい社会(これは将来の事柄であるために現在とは反対のものとして以外には描写したり定義したりすることのできない)の建設が問題となっているときに、無限定の寛容を許容することはできない。
 真の寛容は、解放の可能性と矛盾したり反対したりする虚偽の言葉や間違った行為を擁護することができない」(p.102.)。
 「生存のための充足、自由と幸福自体が危うくなっている場合には、社会は無差別的であることができない。この場合には、寛容を隷従状態を継続するための道具にしないかぎりは、一定の事物を語ることぱできず、一定の思想を表現することはできず、一定の政策を提案することはできず、一定の行動を許容することができない」(同上)。
 言論の自由は肯定されるが、それは、客観的な真実を含むがゆえにではなく、そのような真実が存在し、かつそれを発見することができるからだ。
 従って、言論の自由は、真実でないものを永続ためのものであるならば、正当化することができない。
 このような自由が想定しているのは、全ての望ましい変化はシステム内部での理性的な議論を通じて達成される、ということだ。
 しかし、実際には、このようにして達成することのできるものは全て、システムを強化することに役立つ。
 「自由な社会はじつに、非現実的で叙述し難いほどに、現にある社会とは異なる。
 このような環境のもとでは、『事態の正常な行路を経て』、破壊されることなく生起するものは全て、全体を支配する特有の利益が支配する方向での改良になりがちだ」(p.107.)。
 多様な意見を表現する自由は、表現される意見は既得権益層(establishment)の利益を反映するということを意味する。既得権益層には意見を形成する力があるために。
 たしかに大衆メディアは現代世界の暴虐ぶりを描写する。しかし、無感動に、偏りを示すことなく、そうする。
 「かりに客観性が真実と何がしかの関係があるとすれば、またかりに真実は論理と科学の問題以上のものだとするならば、この種の客観性は虚偽であり、この種の寛容性は非人間的だ」(p.112.)。
 教理化されるのと闘い、解放の勢力を発展させるには、「表向き明らかに非民主主義的な手段が必要だろう。
 こうした手段は、つぎのような諸グループが行う言論や集会について寛容であることをやめる、ということを中に含んでいる。すなわち、攻撃的政策、武装、狂信的排他主義、人種や宗教を理由とする差別、を推進する者たち、あるいは、公共サービス、社会的安全、医療等々の拡大に反対する者たち。
 さらに、思想の自由の回復は、必ずや学校教育制度での教育や実務に新しく厳格な制限をもたらすかもしれない」(p.114.)。この制度の内部に囲い込まれて者たちは、本当の選択する自由を持っていないのだから。
 どの場合に不寛容と暴力が正当化されるのかを決定する資格をもつ者は誰なのか、と問われるとすれば、それに対する答えは、それをすることでどの根本教条に奉仕するか、にかかっている。
 「解放的寛容<中略>は、右(Right)からの運動に対する不寛容を意味し、左(Left)からの運動についての寛容を意味するだろう」(p.122-p.123.)。
 この単純な定式は、マルクーゼが主張する「寛容」の性格を典型的に示している。
 彼が明瞭に述べるところでは、彼の目的は独裁制を打ち立てることではなく、寛容という観念と闘うことで「真の民主主義」を達成することだ。巨大な多数派は、その心性が情報の民主主義的淵源によって歪められているために、正しい判断をすることができないのだから。//
 (6)マルクーゼは、共産主義者の見地から書いているのではなく、彼の思想が共有する「新左翼」のそれから書いている。
 共産主義の既存の形態に関するマルクーゼの態度は、批判と称賛の混合物の一つであり、きわめて曖昧で両義的な言葉で表現されている。
 彼は、アメリカ合衆国とともにソヴィエト連邦に適用されるように、「全体主義的」や「全体主義」という語を用いる。しかし一般的には、前者と比べると、後者を軽蔑している。
 マルクーゼは、あるシステムは多元主義的で、別のそれはテロルにもとづくことを承認する。しかし、この点を本質的な差違であるとは見なさない。
 すなわち、「ここでの『全体主義的』とは、テロルによってのみならず、定立された社会によって効果的な反対の全てを多元主義的に吸収することをも意味するよう、再定義される」(<五つの講義録>, p.48.)。
 「『全体主義的』とは、社会によるテロルを用いる政治的調整のみならず、与えられた利益による必要物の操作を通じて働く、非テロル的経済技術的な調整もそうだ」(<一次元的人間>, p.3.)。
 「文化の領域では、新しい全体主義は厳密には調和させる多元主義として出現するのであり、そこでは最も矛盾する労働と真実とが無関心なままで平和的に共存する」(同上, p.61.)。
 「今日では、先進的産業文明の活動過程の中に、権威主義体制のもとにはない社会は存在するのか?」(同上. p.102.)。//
 (7)要するに、テロルは、テロルとしても、民主政、多元主義および寛容によっても、いずれによっても行使される。
 しかし、テロルが解放のために用いられれば終焉に到達するだろう約束がそこにはあり、にもかかわらず、自由の形態で用いられるテロルは、永遠に続く。
 一方で、マルクーゼは、つぎの考えを繰り返して表明している。すなわち、ソヴィエトと資本主義体制は、産業化という同じ過程の類型として、ますます似たものになっている、との見方を。
 彼は<ソヴィエト・マルクス主義>で、マルクス主義の国家教理を鋭く批判し、それにもとづくシステムはプロレタリアートの独裁ではなく、プロレタリアートと農民に対する独裁の手段を用いた産業化の加速のための手段であり、マルクス主義はその目的のために歪曲されている、と主張する。
 マルクーゼは、マルクス主義のソヴィエト版が幼稚な知的水準にとどまることや、マルクス主義が純粋に実用主義的(pragmatic)な目的のために使われていることを、認識している。
 他方で彼は、西側資本主義とソヴィエトのシステムは、中央集中の増大、官僚制、経済合理化、教育の編成、情報サービス、労働の気風、生産等々の方向で、一つに収斂していく顕著な兆候を示している、と考える。
 しかしながら、一方で、彼がより大きい希望を認めるのは、資本主義よりもソヴィエトだ。ソヴィエトでは官僚制はその利益を完全には囲い込むまたは永続化することをしていないからだ。すなわちそれは、「究極的には」、抑圧による統治体制とは比較しようもない、全てに及ぶ技術的、経済的および政治的目標に対する第二次的地位を占めるに違いないからだ。
 階級を基礎とする国家では、合理的な技術的経済的発展は搾取者たちの利益と矛盾する。
 同じような状況はソヴィエト社会でも発生している。官僚制は、それ自体の目的のために進歩を利用しようとしているのだから。しかし、将来にこの矛盾は解消される可能性がある。それは、資本主義では生じないだろう。//
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 第4節、終わり。第5節・最終節の表題は<論評(Commentary)> 。

2048/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)③。

 茂木健一郎・脳とクオリア-なぜ脳に心が生まれるのか(日経サイエンス社、1997)。
 <第10章・私は「自由」なのか?>の後半、「認識論的自由意思論」。p.302-。
 「自然法則の基本的性質」からする自由意思論に加えて、「認識論的自由意思論」なるものが提示される。この部分の方が、<哲学者>の思考にまだ近い。
 茂木によると、「自由意思」概念は、「時間」の認識と深い関係がある。
 そして相対性理論のもとでの「相対的時空観」では四次元の中に「空間」と結びついて「時間」が最初から「そこに存在」するので、「自由意思」なるものは成立し得ない。
 この「相対的時空観」は、私たちの「直感」上の「時間」とは異なり、アインシュタインの過去・現在・未来の区別は「幻想」だとの言明は「正しい」としても、この「幻想」は強固であって、この「幻想」が「自由意思」と深くかかわる。
 どのようにか。これは、つぎのように論述される。
 ・「現在」が生成して「過去」が消滅する。「現在」時点でには「未来」は存在しない。「未来」が作成されたときに「現在」は消滅する。
 上のことが意味するのは、「未来」は「現在」には存在しないからこそ、つまり「未来」は不分明だからこそ、「自由意思」が作動して「未来」の私たちの行動が決定される、ということだ。
 ・「相対的時空観」では「幻想」ではあっても、私たちの一定の「やり方」の「認識」構造がある限り、「幻想」下での「自由意思」の存在を正当化できる可能性がある。
 さらに、つぎのように展開されもする。これによると、「幻想」を前提としなくても済むことになる。
 すなわち、「相対的時空観」が最終的真理ではなく、「時間の流れ」を記述する「未来の自然法則」が存在する可能性がある。
 やや中途半端な感もあるが、これでこの辺りを終えて、茂木はさらに、①<「自己」と「非自己」の区別>、②<自由意思と「選択肢」の認識>の問題に論及する。
 ①では例えば、飛んできたボールを避けるのと「飛んできたボール」を頭に浮かべて避ける練習?をする際の「自己」の内部・外部が語られる。
 ②では、「自由意思」といってもそれによる選択肢の数や範囲は限られる、として、つきの(私には)重要なことが叙述される。
 ・「どのような選択肢が認識に上るかは、私たちの経験、その時の外部の状況、私たちの知的能力、その他の偶然的要素にかかっている」。
 重要なのは、「どのような選択肢が認識に上るか自体を決めるのは、私たちの自由意思ではないということだ」。p.309。
 さて、適切な<要約>をしている、または<要旨>を叙述しているつもりはないが、以下が、この章での「議論」の茂木による「まとめ」のようなので、省略するわけにはいかない。p.309-p.310。
 前回に述べた大きな論脈の第一と今回の第二のそれぞれに対応して、こうなるだろう。
 第一。自由意思が存在するとしても、「アンサンブル限定」の下にある。但し、宇宙の全歴史の時間的空間的限定を考慮すると、「有限アンサンブル効果」を通して、「事実上の自由意思が実現される可能性がある」。
 第二。「認識論的自由意思論」の箇所では「自由意思」の条件を検討したが、未熟で検討課題が多い。
 以上のうえで、さらにこう書いている。p.310。
 ・「私の現時点での結論」は、現在知られている「自然法則が正しい」とすると、「自由意思」が存在しても「かなり限定的なものになる」、ということだ。
 ・「アンサンブル限定」という制約のつかない「本当の意味で自由な」「自由意思」は「存在しないと考える方」が、「量子力学の非決定性の性質、相対論的な時空観から見て、自然なように思われる」。
 さて、このように「現時点での結論」を記されても、特段の驚きはないだろう。
 「本当」のであれ、「事実上」のであれ、「自由意思」は存在する、と考える、そう観念する、ということができなくはないだろうからだ。
 それに、この書での茂木健一郎の論述は1997年時点での彼が30歳代のときのもので、体系的には(江崎道朗著などと比べてはるかに)しっかりしているが、現時点での彼や脳科学上の学問状況を反映しているとは言えないと思われる。もともとが、仮説・試論の提示なのだと思われる。
 むろん、仮説・試論の提示であっても、こうした分野に疎い「文科」系人間にとっては、脳科学の一端らしきものを知るだけでも意味があった。
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 なお、立ち入るならば、上のp.309の論述には、素人ながら疑問をもつ。
 「私たちの経験、その時の外部の状況、私たちの知的能力、その他の偶然的要素」によって「どのような選択肢が認識に上るか」を決めるのは、「私たちの自由意思ではない」、と茂木健一郎は叙述している。
 的外れかもしれない。しかし、決定する時点で「自由意思」は働いていないとしても、「私たちの経験、その時の外部の状況、私たちの知的能力、その他の偶然的要素」は、簡単には自分たちの「経験」等々自体が、自分たちの「自由意思」の介在が100%なくして発生したのではない、のではないだろうか。
 <自由意思>を働かせる選択肢の数・範囲が(残念ながら宿命的にも)限られているのは、おそらく間違いはない。
 しかし、その限られて発生する選択肢の範囲や内容自体の中に、なおもほんの少しは「自由意思」が介在しているものがあると思われるのだが。
 さらに、第9章<生と死と私>も、この欄で紹介・コメントする予定だ。
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 なお、茂木の原書では「自由意思」は全て「自由意志」と表記されている。はなはだ勝手ながら、「自由意志」では何となく?落ち着かないので、全て「自由意思」に変更させていただいている。

2047/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)②。

 茂木健一郎・脳とクオリア-なぜ脳に心が生まれるのか(日経サイエンス社、1997)。
 9/12に全読了。計313頁。出版担当者は、松尾義之。
 <第10章・私は「自由」なのか?>、p.282~。
 まえがき的部分によると、「万能の神」のもとでも人間に自由意思があることは自明のことだったが、いわゆる「人間機械論」がこの「幻想」を打ち砕き、<人間的価値>の危機感からニーチェやサルトルの哲学も生まれた。
 ここで「人間機械論」とは、茂木によると、人間の肉体は脳を含めて「自然法則に従って動く機械」にすぎないとする論で、彼によるとさらに、「私たち人間が、タンパク質や核酸、それに脂質などでできた精巧な分子機械であるという考えは、現在では常識と言えるだろう」とされる。
 「心」も「自由意思」も、「自然法則の一部であるということを前提として」、茂木は論述する。
 単純な「文科」系人間、あるいは人間(とくに自分の?)の「精神」を物質・外界とは区別される最高位に置きたい「文学的」人間にとって、回答は上でもう十分かもしれず、以降を読んでも意味がないのかもしれない。茂木健一郎とは<考えていることがまるで違う>のだ。
 しかし、同じ人間の(しかも同じ日本人の)思考作業だ。
 読んで悪いことはない。かつまた、その<発想方法>の、「人間の悪、業を忌憚なく検討する事も文学の機能だ」と喚いていた小川榮太郎とはまるで異質な発想と思考の方法の存在を知るだけでも、新鮮なことだ。
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 茂木健一郎の設定する最初の問いはこうだ。p.285。
 「果たして、自然法則は、自由意思を許容するか?」
 この問題は、「自然法則が、決定論的か、非決定論的か」と同じだ。
とすると、「私たちの意思決定のプロセスを制御している神経生理学的な過程、すなわちニューロンの発火の時間発展を支配する自然法則が、決定論的か、非決定論的か」ということになる。
 「ニューロンの時間発展を支配」する自然法則が「決定論的」であれば、「自由意思」はなく、「非決定論的」であれば、「自由意思」はある。p.286。
 なお、「自然法則が決定論的」であるということは、その自然法則にもとづいて私たちが将来を「知る」ことができることを必ずしも意味しない。p.287。
 現在の状態を完全に「知る」のは不可能なので、将来の状態の予測にも誤差が生じる。「カオス」だ。しかし、「カオスの見られる力学系は、時間発展としては、あくまでも決定論的」なのだ。p.288。
 このあと茂木は、「量子力学」への参照に移る。
 量子力学上は、「ある系の現在の状態から、次の瞬間の状態を完全に予測することはできない」。計算可能なのは「確率」だけで、この「不確定性」は「系自体の持つ、本来的な性質」であって、「量子力学は、本質的な非決定性を含んでいる」。
 しかし、「電子、光子」などの「ミクロな世界」について意味がある量子力学の「非決定性」を、ニューロン発火過程に適用できるのか?
 このあとの論述は「文科」系人間には専門的すぎるが、第一に「シナプスの開口放出に含まれる量子力学的な不確定性」が「自由意思」形成に関係するとする学者もいるとしつつ、茂木はそれに賛同はせず、かつ量子力学の参照の必要性は肯定したままにする。
 第二に、量子力学にいう「非決定性」というものの「性質」が問題にされる。p.292-。
 そして、茂木健一郎が導くとりあえずの、大きな論脈の一つでの結論らしきものは、つぎのとおりだ。
 ・量子力学の「非決定性」といっても、それには「アンサンブル〔集合〕のレベルでは決定論的」だ、という制限がつく。
 ・「量子力学が、自由意思の起源にはなり得たとしても、その自由意思は、本当の意味では『自由』ではない。なぜならば、量子力学は、個々の選択機会の結果は確かに予想できないが、アンサンブルのレベルでは、完全に決定論的な法則だからだ。」p.294。
 ・「アンサンブル限定=個々の選択機会において、その結果をあらかじめ予想することはできない。しかし、…全体としての振る舞いは、決定論的な法則で記述される。」
・「個々の選択機会」について「その結果を完全には予測できない」という意味で、「自由意思」が存在するように「見える」が、同じような「選択機会の集合」を考えると、「決定論的な法則が存在し、選択結果は完全に予測できる。」
 ・「現在のあなたの脳の状態をいくら精密に測定したとしても、予想するのは不可能」だ、というのが量子力学の「非決定性」だ。しかし、「あなた」のコピーから成る集合〔アンサンブル)全体としての挙措は、「完全に決定論的な法則で予測することができる。」p.295。
 というわけで、分かったような、そうではないような。
 「個々の選択機会においては、自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集合をとってくると、その振る舞いは決定論的で、自由ではない」(p.296.)と再度まとめられても、「自由」や「決定」ということの意味の問題なのではないか、という気もしてくる。
 もっとも、茂木健一郎は、より厳密に、つぎのようにも語る。
 ・選択機会の集合(アンサンブル)に関していうと、「現実の宇宙においては、可能なアンサンブルがすべては実現しないことが、事実上の自由意思が実現する余地をもたらすという可能性」がある。p.297。
 ・「宇宙の全歴史の中で」、「まったく同じ遺伝子配列と、まったく同じ経験」をもつ人間が「二度現れる確率は、極めて少ない」。このような「個性」ある人間による選択なのだから、ある「選択機会が宇宙の歴史の中で再び繰り返される確率は低い」。こうして、私たちの「選択」は生涯一度のみならず「宇宙の歴史の中でただ一回という性質を持つ」。とすれば、選択機会のアンサンブルの結果は「厳密に決定論的な法則」で決定されるとしても、その「選択機会が宇宙の全歴史の中でたった一回しか実現しない」のでその結果は「偏り」をもつ。しかもこれは「量子力学が許容する偏り」であり、この「偏り」を通じて、「事実上の自由意思が実現される可能性」がある。
 このあと、茂木は、現在の(1997年の)量子力学の不完全さを指摘し、今後さらに解明されていく余地がある、とする。
 さらに、もう一つの大きな論脈、<認識論的自由意思論>が続く。p.302-。
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 ここで区切る。小川榮太郎はもちろんのこと、西尾幹二とも全く異なる、人間の「自由」に関する考察があるだろう。
 1997年の著だから茂木自身の考えも、脳科学も、さらに進展しているかもしれない。
 まだ、紹介途上ではあるものの、しかし、秋月瑛二の想定する方向と矛盾するものではない。
 簡単に言えば、自然科学、生物科学、脳科学等によって、人間の「心」、「感情」、「(自由)意思」についてさらに詳細な解明が進んでいくことだろうが、人間一人一人の脳内の「自由」はなお残る、ということだ。あるいは少なくとも、いかに科学が進展しても、生存する数十億の人間の全員について、その「思考」している内容とその生成過程を完璧に把握しトレースすることは、「誰も」することができない、ということだ。
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2046/L・コワコフスキ著第三巻第11章第3節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。分冊版、p.407-p.410。一部について、独訳書を参照した(文章の文法構造は、独文の方が分かり易い)。
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 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
 第3節・「一次元的人間」。
 (1)しかしながら、マルクーゼはまた、必ずしもフロイトの歴史理論とは関係がなくてマルクーゼのヘーゲル研究の主題に立ち戻る用語法を使って、現代文明を、とくにアメリカのそれを批判する。ヘーゲル研究とはすなわち、人間の解放の問題に作用するものとしての、合理性に関する超越的規範だ。
 「一次元的人間」は、そのような性格の研究書だ。//
 (2)彼はこう論じる。支配的文明は、その全ての側面で一次元的だ。科学、芸術、哲学、日常の思考、政治制度、経済、および技術。
 喪失している「第二次元」は、否定的かつ批判的原理だ。-現にある世界を哲学の規範的諸観念が明らかにする真の世界と対照させるという習慣。これによって、我々は、自由、美、理性、生きる愉しみ等々の真の性質を理解することができる。//
 (3)弁証法的思考と「形式的」思考の哲学上の対立は、プラトンとアリストテレスにまで遡る。プラトンは、経験の諸客体を比較する、規範的観念の重要性を高く評価した。一方でアリストテレスは、「不毛な」形式論理を発展させ、「真実を現実から切り離した」。
 マルクーゼによると、我々にいま必要なのは、たんに諸前提の特徴ではなくて現実そのものとして存在する、真実という存在論的観念に立ち戻ることだ。この現実そのものというのは、経験的で直接に接近可能な現実ではなく、より高次の現実であり、我々が普遍的なもののうちに感知するものだ。
 普遍的なものを直観すると、我々は、非経験的だけれども、独自の態様で存在しており、かつ存在すべき世界へと到達することができる。
 「理性=真実=現実という等式において、<中略> 理性は破壊的な力、理論的かつ実践的理性として人々と事物に関する真実を措定する『否定的なものの力』だ。-つまり、人々と事物が本当にそうであるものになる諸条件だ。」
 (<一次元的人間>, p.123.)
 諸観念の真実は、「直観」(intuition)によって把握される。その直観は、「方法的知的媒介の結果」だ(同上, p.126.)。
 この真実はその性格において規範的なもので、ロゴスやエロスと合致する。
 これは、形式論理の射程を超えるものだ。形式論理は、「事物の本質」に関して何も語らず、「is」という言葉の意味を純粋に経験的な言述に限定する。
 しかし、我々が「美徳は知識だ」または「人間は自由だ」のような言述をするとき、「かりにこれらの命題が真実なのだとすれば、連結詞の『is』は、『あるべき』だという切実な要求を述べている。それは、美徳が知識『ではない』等の条件を判断しているのだ」(p.133)。
 かくして、「is」という言葉は、経験的と規範的の二重の意味をもつ。そして、この二義性は、全ての真正な哲学の主題だ。 
 あるいは、もう一度言えば、「本質的」でかつ「表面的に明らかな」真実を語ることができる。すなわち、弁証法は、本質的なものまたはこうあるべきものとそう見えるもの(つまり、事実)の間の緊張関係を維持することにある。
 従って、弁証法は、現実の条件への批判であり、社会的解放のための梃子なのだ。
 形式論理では、この緊張関係は消失しており、「思考はその客体に対して無関心だ」(p.136.)。そしてこれこそが、真の哲学はそれを超えて進展した理由だ。
 原理的に、弁証法を形式化することはできない。現実それ自体によって決定される、と考えられるものだからだ。
 弁証法は、直接的経験への批判だ。直接の経験は、事物をその偶然的な形象でもって感知し、より深くにある現実を貫きはしない。//
 (4)アリストテレスの思考様式は、直接的経験と推論の形式的規則に知識を限定するものだ。そして、全ての現代科学の基礎となって、意識的に、事物の規範的「本質」を無視し、主観的な選好の領域にとって「どうあるべきか」という問題を見逃している。
 科学とそれにもとづく技術は、人間の自然に対する支配が社会への隷属化と手を携えて進む世界を生み出した。
 この種の科学技術は、実際に生活水準を高めてきた。しかし、その過程において抑圧と破壊を発生させてきた。//
 「科学技術の合理性と操作性は、一緒になって社会統制の新しい形態へと融合した。
 この非科学的な結末は科学の社会的に特有の<適用>の結果だ、という想定に、誰が満足するだろうか?
 私は、適用された一般的方向は、実践的目的を何ら意図していない、純粋な科学に内在しているものだ、と考える。<中略>
 自然の数量化は数学的構造に関する用語によって説明を行うものだが、それは、全ての内在的目的から現実を切り離し、そしてその結果として、善から真実を、倫理から科学を、切り離した。<中略>
 ロゴスとエロスの間の用心深い存在論的連環は破壊され、科学的合理性が本質的に中立的なものとして出現する。<中略>
 この合理性の外側で、人々は価値の世界で生活するが、その価値は、客観的な現実とは切り離されて主観的なものになる。」
 (<一次元的人間>, p.146-7.)//
 (5)マルクーゼは、続ける。かくして、善、美および正義の諸観念は普遍的な有効性を剥奪され、個人的な趣味の領域へと格下げされる。
 科学は、測定可能で技術的目的に利用することができるものにのみ、関係をもとうとする。
 科学はもはや事物は何であるかを問わず、事物がどのように作動するかのみを問題にする。そして、事物が利用される目的には無関心だと宣明する。
 科学的世界像では、事物は一切の存在論的一貫性を喪失する。そして、物質ですら、ある程度は消失する。
 社会的には、科学の機能は根本的に保守的なものだ。科学は、社会的な異議申し立ての根拠を何ら提供しないのだから。
 「科学は、<それ自体の方法と観念に従って>、自然への支配が人間への支配と結びついたままの普遍世界を投射し、促進した」(同上, p.166.)。
 必要なのは、新しい、質的で規範的な科学だ。それは、「自然に関して本質的に異なる考え方に到達し、本質的に異なる事実を確立するだろう」(同上)。//
 (6)醜悪な科学は人間の隷従化をもたらすもので、その哲学的表現は実証主義、そしてとりわけ分析的哲学と操作主義(operationalism)だ。
 これらの教理は「機能的」意義を持たない、または事件を予見して影響を与えることを可能にすることのない、全ての観念を拒否する。
 しかしなお、このような諸観念は最も重要なものだ。それらは現にある世界を超越することを可能にするのだから。
 さらに悪いことには、実証主義は、全ての価値についての寛容さを説き、そうしてその反動的性格を露わにする。社会的実践や価値判断に関しては、いかなる種類の制限も許容しないのだから。//
 (7)思考に関するこのような機能的態度が支配的になるならば、社会は一次元的人間たちで構成されなければならないことになる。
 それは虚偽の意識の犠牲者となる。そして、ほとんどの人々がそのシステムを受容しているという事実は、そのことをより理性的なものにするわけでもない。
 このような社会(マルクーゼは主としてアメリカを意味させる)は、それ自体を害することなくして、全ての反抗の形態を吸収してしまうことができる。
 このような社会はまた、人間の必要(needs)という主人を満足させる包括能力がある。しかし、この必要物は、それ自体がインチキ(bogus)だ。すなわち、利益を受ける搾取者が諸個人に押しつけたものであり、不公正、貧困および攻撃を永続化するのに役立つものだ。
 「宣伝広告物に従って休憩し、愉しみ、振る舞い、身に纏うという、あるいは他人が好んだり嫌悪したりする物を嫌悪したり好んだりするという、支配的な必要物のほとんどは、この虚偽の必要という範疇に入る」(p.5.)。
 誰も、どの必要が「本当」のものでどれが虚偽であるのかを決定することができない。決定することができるのは関係個人だけであり、かつ操作や外部的圧力から免れている場合だけだ。
 しかし、現代の経済システムは、それ自体が支配の道具である自由という条件のもとで、人為的な必要を増大させるように仕組まれている。
 「諸個人に開かれている選択の余地の範囲は、人間の自由の程度を決定する重要な要素ではない。そうではなく、個人が<何を>選択するか、何が選択<されている>かを決定する」(p.7.)。//
 (8)この世界では、人々と事物は例外なく機能的役割へと還元され、「実体」と自律性を剥奪される。
 芸術も同様に、大勢順応主義という普遍的な退廃に巻き込まれる。それは、文化的価値を放棄するがゆえにではなく、現存する秩序をそのうちに取り込むからだ。
 高度のヨーロッパ文化は、かつては基本的に封建主義的で非技術的で、商業や産業から自立した領域で活動していた。
 将来の文明は、思考と感情の第二次元を生み出し、否定の精神を保持することによって、また、普遍的なエロスを元の王座に就けることによって、自立性を回復しなければならない。
 (この点でマルクーゼは、一度だけ「リビドー的文明」で何を意味させているかの実際的な例を示している。自動車の中やマンハッタンの通りででなく牧草地で愛し合う(make love)方がはるかに快適だと明記することによって。)
 新しい文明はまた、我々が知っている自由とは反対のものでなければならない。「自由の拡大は本能的な要求の拡大や発展よりもむしろ収縮を意味しているかぎりで、その自由は、一般的な抑圧という現状<に反対して>作動するというよりも、その<ために>作動するのだから」(p.74.)。//
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 第3節、終わり。第4節の表題は、<自由に反抗する革命>(The revolution against freedom)。

2045/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書, 2018)①。

 「自由」について最近に最も考えるのは、「意思は自由か」または「自由な意思はあるか」だ。この問題はもちろん、「意思」とは何で、その他の精神的行為または精神的態様とどう区別されるものなのか、に関係する。
 ヒト・人間の脳内の諸作業・態様の中に、「こころ」あるいは「感情」はどこにあるのか、どうやって成立しているのか、と類似の問題だ。
 「自由」か否かを論じること自体がヒト・人間として<生きている>ことの証左であり、さらに、たんなる覚醒状態・意識の存在だけではなく、より高次の「思考」を必要とするものだ。
 というわけで、たんなる覚醒状態・意識の存在とは次元が質的に異なるが、「自由」か否かを論じること自体が、<生きている>ことを前提にしていることは変わらない。
 上のことはつまり、<死者>には「意識」はなく、自分は「自由」か否かを考えたり、思い巡らしたりすることはできない、ということだ。
 「自由」か否かを論じるのは、<生者>の贅沢な遊びだ、ということにもなる。
 上に述べていることは、ヒト・人間には、<死から逃れる自由>=<死からの自由>は存在しない、という冷厳たる事実を前提にしている。
 さらに言おう。ヒト・人間は、生まれ落ちるときまでに自己の体内に宿していた<遺伝子>から自由なのか。直接には両親から受け継いだ、個性がある程度はある<生物体>としての存在から、ヒト・人間は「自由」なのか。否。
 さらに言えば、ヒト・人間は、生後の社会・環境から<無意識にでも>与えられる影響から、完全に「自由」でおれるのか? 否。
 「あなたは自由か」とずいぶんと<上から目線>の発問をして、書物の表題にまでしている西尾幹二には、まず上のようなことから論じ始めて欲しかったものだ。
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 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この本の、筑摩書房の出版・編集担当者は湯原法史
 上の書は、空気中の酸素を取り込んで炭水化物等を分解してエネルギーにしなければならない人間、酸素を多分に含む血液を脳を含む全身に送る心臓というポンプを必要とする人間、酸素を含む空気を体内に吸い込むための肺臓の存在を必要とする人間、といったものを全く意識させない、<文学的>、<精神主義的>ないし<教養主義的>自由論のようだ。人文(ないし人文・歴史)関係評論家の、典型的な作品かもしれない。
 もっとも、いちおうは精読したのは、全380頁以上のうちの57頁まで(第一章だけ)。
 しかし、上の範囲に限っても、注文を付けたい、または誤りを指摘しておきたい点がある。
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 その前に、さらに私の「自由」論の序説らしきものを、上記に加えて綴ってみよう。
 組織(・団体)や国家の「自由」(これらを主体とする「自由」)は度外視する。
 第一。①何からの「自由」か。英語ではしばしば、free from ~という二語が併せて用いられる。<from ~>の~は重要なことだ。
 ②何についての自由か。
 ア/内心・政治信条・宗教(信仰)・思想等。
 イ/行動。この行動の「自由」を剥奪または制限するのが、刑法上の<自由刑>だ。
 ウ/経済活動。つまり、商品の生産・販売・取引等々。商品には物品のみならず「サービス」を含む。
 これらは、帰属する共同社会または国家により、法的・制度的な<制約>が異なる。
 第二。冒頭に「自由な意思」の存否の問題に言及したが、<身分から契約へ>を標語としたかもしれない「近代」国家・社会は、「個人の自由」について語るときに「個人の自由な意思」の存在を前提としている(正確には、あくまで原則または理念として)。
 <個人の自由意思>の存在を想定することなくして、法秩序は、そして社会秩序は、成立しない(またはきわめて成立し難い)ことになっている。
 以下は、典型的な法条だ。説明は省略する。あくまで一部だ。
 A/刑法38条「①罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
 ②重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
 ③法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」
 同39条「①心神喪失者の行為は、罰しない。
 ②心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」
 B/民法91条「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う」。
 同93条「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
 同95条「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない」。
 こうした基本的な?法条に、西尾幹二の上掲著は言及していないようだ。きっと関心もないのだろう。
 茂木健一郎・脳とクオリア(日経サイエンス社、1997)、p.282。
 茂木は上の箇所で、「自由意思」の存在が「犯罪者を処罰する」根拠になっている、等と述べて、「自由意志」論(第10章<私は「自由」なのか?>)への導入文章の一つにしている。
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 さて、西尾幹二・上掲書の短い読了部分(第一章)には、大きく二つの論点がある。
 紹介・引用しつつ、感想・コメントを記す。
 全体としてもそうなのだろうが、部分的な論及はあるとしても、そもそも「自由」をどう理解するのか、「自由」をどう定義しておくのか、が叙述されていない。
 たんなる身辺雑記以上の「随筆」でもない、少なくとも人文・歴史関係評論家の作品?としては、これは困ったことだ。基本的概念の意味がほとんど分からないまま、<賢い>西尾幹二が読んだ多数の文献が挿入されながら、あれこれと、あちこちに論点を少しは変えながら記述される長い文章を読んでいくのは、なかなかの苦痛でもある。
 それはともかく、先ずは、<いわゆる保守>評論家には見たことがない指摘または「怖れ」が(第一章)前半に叙述されているのが、気を惹いた。
 その最初は、カー・ナビやサイバー・テロに触れたあとのつぎの文章だ。p.10。
 ・「生活はほとんど便利になりますが、なんだか背筋の寒くなる、不気味な時代が始まりつつあるように思えました」。
 アメリカのエシュロンや「情報戦争」に触れたあとでは、こう書く。p.19。
 ・「私たちは今、これまでに知られていない、新しい不気味な一つの大きな檻の中に閉じ籠められているような異様な生活感覚の中で生き始めているように思えてなりません」。
 こうした部分はどうやら、この著の基本的なテーマらしい。
 つまり、そういうふうに変わってきているのに<あなたはあなたが自由でないことに気がついているか>(オレは気づいているぞ)ということが、書名も含めて、主張したいことらしい。同様のことは、「あとがき」でも述べられている。
 西尾が「不気味」だと感じるのは、「敵の正体が見えない」ことだ。「サイバーテロ」は誰がいつ襲うか、分からない。
 ここで西尾は旧東独の「秘密警察」(STASI)へと話題を広げる。
 「敵」が誰か分からず、スパイは家族や友人たちの中にもいた、という「かつての全体主義社会」の実例は、「いつ襲ってくるのか分からない敵の正体の見えにくさ、自由の不透明さ」において、現代へのヒントになる、と言う。p.20。
 それはそれとして参考になるかもしれないが、つぎの文章に刮目すべきだろう。このように「展開」させていくのだ。p.24。
 ・「旧共産主義体制のことを私はことさらに論(あげつら)っているのではありません。
 西側のコンピュータ社会が旧東側の、"少年少女スパイ育成社会"にある面では似てきているという新しい発見に、私が戦いているということを申し上げておきたい」。
 同じ趣旨は、つぎの文章ではさらに明確になり、強調されている。p.26。
 ・「世界の先端を行くアメリカのコンピュータ社会は、全体主義体制にある面で似てきているということの現れではないでしょうか」。
 ・「…倒錯心理、常識の喪失において、両者はどことなく共通し始めております」。 
 アメリカの<コンピュータ社会>は、「ある面では」、「どことなく」、共産主義諸国と「似てきて」いるのだ。
 この点が、西尾がこの辺りで指摘して強調したい点に他ならないと思われる。
 そして、日本社会もまた同じだと明記されている。
 端的には、こう書かれる。p.28。
 ・「新旧の共産主義体制にも、現代のアメリカ社会にも、そして日本の社会にもどことなく共通している秩序の喪失、異常の出現」がある。
 最後の締めくくりの文章はこうだ。p.28。
 ・「私たちの生きている今の世界は、どこか今までとは異なった異質な歪みを時間とともにますます肥大化させているように思えてなりません」。
 ***
 こうした西尾幹二のこの部分での叙述の特質は、以下の二点の指摘・表明だろう。
 ①<科学技術>の進展に対する不信感や恐怖。
 ②「現代」社会の欠陥・問題は<共産主義諸国>でもアメリカ・日本でも共通している。
 西尾の用いる「ある面では」とか「どことなく」という表現の意味こそが決定的に重要だと思われるが、そこにこの人は立ち入らない。
 あくまで<文学的>、<感覚的>だ。
 翻って西尾のこうした叙述を読むと、つぎの感想が生じる。
 第一に、<いわゆる保守>か「容共・左翼」かという対立には関係がなさそうだ、ということだ。<現代>批判では「左翼」的かもしれないし、アメリカを先頭に立つ「敵」と見立てているようであるのは「ナショナリズム・右翼」的かもしれないが。
 第二に、<科学技術>の進展に対する疑問や恐怖は、外国も含めてすでに多数の哲学者・歴史研究者等が議論してきたことだと思われる。
 ある者たちはそれを「資本主義」の行き着く先と見なし、(疎外労働によって?)「人間」を「非人間」に変えていく、と考えた。フランスの戦後の哲学者には、こんな主張もあっただろう。
 だが、<科学技術>の進展それ自体に<諸悪>の根源を見る、ということはできない。
 <科学技術の進展と人間の「自由」>というのは、より論じられるべき問題だ。
 結局は一つに収斂するかもしれないが、一方にはIT・AI(人工知能)等の言葉で示されるコンピュータ関連技術の発展があり、一方には脳科学・脳神経生理学等の発展が明らかにしつつあるヒト・人間の「本性」の研究がある。
 これらと社会・国家・人間の関係をもっと論じるべきなのだろう。
 しかし、西尾幹二は<怯えて><憂いて>いるだけで、処方箋を提示しない。それは<文学>系の自分の仕事ではない、と考えているのかもしれない。
 L・コワコフスキがフランクフルト学派の一人に放った厳しい一言を思い出す。記憶にだけ頼り、少しは修正する。
 <現代的科学技術の進化に戦き、かつて「知識人」としての特権を味わうことができた古い時代へのノスタルジー(郷愁)を表明しているだけ>だ。
 第三に、アメリカ・日本が「共産主義」・「全体主義」体制と「似て」きた、「共通して」きた、という指摘にも、十分な根拠が提示されていない。そもそもが、西尾幹二は「共産主義」をどう理解しているのだろう。
 このようにして東西陣営の「共通」性・「類似」性を指摘するのは、ソ連解体時に「容共・左翼」論者も行ったことだった(ソ連にもアメリカにも「現代」特有の病弊がある、と)。
 西尾において特段に意識的ではないのかもしれないが、アメリカを中心ないし先頭とする「現代」文明を批判するのは、中国・北朝鮮等の現代「共産主義」諸国を免罪することとなる可能性がある。
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 一回では済まなくなった。もともとは、<茂木著②>の前書きのつもりだったのだが。

2044/L・コワコフスキ著第三巻第11章第2節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。分冊版、p.402-p.407。
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 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
 第2節・現代文明批判。
 (1)経験的な人間の運命の反対物である超越的規範または規範的な「人間性」の観念を抱いているとして、マルクーゼは、我々の文明がなぜそしてどの点でこのモデルと合致できないのかを検討する。
 人類の真正な観念を根本的に決定づけるのは、「幸福(happiness)」だ。これは、自由を含み、マルクーゼがマルクスのうちに見出したと主張する観念だ。-マルクスは、実際にはこの言葉を用いなかったし、彼の著作からこの語の意味をどのようにして抽出するかは明瞭ではないのだけれども。
 我々は、人間存在は「幸福」を追求するという経験的事実に加えて、人間はそれを当然のこととして要求することができるということを承認することから、まずは始めなければならない。
 マルクーゼは、人間存在はそれを要求することができない理由を発見するために、文明に関するフロイトの哲学をその出発地点として採用する。
 彼は、過去の歴史の解釈に関するところまで広範囲にフロイト哲学を受容した。だが、未来に関しては疑問視した。
 実際のところ、フロイトは、人間存在は幸福を追い求める資格がある、または確実にそれを獲得することができる、と語るだけの法則は存在しない、と考察していた。
 本能や精神(psyche)の三段階に関するフロイト理論は-id、ego、超ego-「快楽原理」と「現実原理」の間の対立を説明するもので、文明発展全体を支配してきたものだった。
 マルクーゼは、<エロスと文明>やフロイトの歴史理論を分析して批判する三つの講義録で、この対立は必然的なのか否か、そしてどの程度にそうなのかを考究する。
 彼の議論は、つぎのように要約することができるだろう。//
 (2)フロイトによると、文明化した諸価値と人間の本能の要求との間には永遠の、避け難い衝突がある。
 全ての文明は、諸個人の本能的欲求を抑える社会の努力の結果として、発展してきた。
 エロスまたは生存本能は、生殖の意味での性的性質に限られるのではない。性的性質は人間という有機体全体の普遍的な特性だ。
 しかし、それ自体は愉楽を与えない生産的作業に従事するために、人間という種は性的経験の範囲を生殖の分野に限定し、この狭く制限された性的性質ですら最小限のものにするのが必要だと考えた。
 こうして、解放された活力の蓄積は、愉楽のためにではなく人間の環境と闘うことに向けられた。
 同じように生命上のその他の根本的に決定的な部分、Thanatos(死の本能)または死への本能も、外へと攻撃的な形態で向けられる活力が物理的性質を克服して労働の効率性を増大させることができるように、変形させられた。
 しかしながら、その結果として、文明は必然的に抑圧的な性格をもった。本能は、人間にとっては「自然な」ものではない仕事のために統制されたのだから。
 抑圧と昇華は、文化の発展の条件だった。しかし同時に、フロイトによれば、抑圧は悪意に満ちた円環の原因になった。
 労働はそれ自体が善と見なされ、「快楽原理」は労働の効率性を増大させるために完全に従属したので、人間存在は、そうした価値のために絶えずその本能と闘わなければならなかった。そして、抑圧の総量が、文明の発展とともに増大した。
 抑圧は自己推進のための機構であり、抑圧それ自体に由来する苦痛を減少させるために文明が生み出した装置は、さらに高次の程度の抑圧のための機関になった。
 このようにして、文明が生んだ利点と自由は、自由の喪失を増大させるために利用された。とりわけ疎外された労働の量が大きくなることによって。-疎外労働こそが、我々の文明が許容する唯一の種類の労働なのだ。//
 (3)マルクーゼはこの理論に着目したが、本質的な点でこれを修正した。そして、フロイトの悲観的予言に反駁するようになった。
 マルクーゼは、こう語る。文明は、抑圧された本能が発展させたものではある。しかし、それが永遠に続くことを要求する生物学や歴史学の法則は存在しない。
 抑圧の過程が「合理的」だったのは、基本的な生活必需品が稀少で、人間がその本能的活力を「不自然な」方向へと逸らすことでのみ条件を改善して生きることができる、という意味においてだった。
 しかし、抑圧なくして人間が技術によってその必要を満足させることがいったん可能になると、上のようなことは非合理な時代錯誤(anachronism)になった。
 不愉快な労働は最小限度に減らされ、生活必需品の窮乏という脅威が存在しなくなったので、文明は我々が本能に反対することをもはや要求していない。
 我々は、本能が適切な機能を果たすことを許容することができる。その機能は、人間の幸福のための一条件だ。
 「自由な時間は生活の内容になり、労働は人間の潜在能力を発揮する自由な仕業になることができる。
 このようにして、本能にかかる抑圧構造は急激に変革されるだろう。すなわち、もはや喜ばしくない労働に囚われることのない本能的活力は自由になり、エロスのように、普遍化されたリビドー的(libidinous)関係を駆動させ、リビドー的文明を発展させるだろう。」
 (<五つの講義>〔Five Lectures, Boston, 1970-試訳者〕, p.22.)
 生産は、価値そのものだと見なされるだろう。
 生産増大という悪意ある円環と抑圧の増大は、破壊されるだろう。
 快楽原理と愉楽のもつ固有の価値は実現され、疎外された労働は存在しなくなるだろう。//
 (4)しかしながら、マルクーゼは、「リビドー的文明」と本能的活力の適切な機能への回帰について語る際に、「汎性論」(pansexualism)または昇華(sublimation)の廃棄を意識してはいない。フロイトによれば、これによって、文化的創造活動で人間は、充たされない欲求を幻想的に満足させるのだった。
 自由になった活力は、それ自体が純粋に性的な形態をとるのではなく、全ての人間活動をエロス化(eroticize)するだろう。そうした活動の全ては愉楽であり、愉楽はそれ自体が目標であると承認されるだろう。
 「労働のための刺激は、もう必要がない。
 なぜならば、労働それ自体が人間の能力を示す自由な仕業になるとすれば、人々が『労働する』ように仕向ける苦痛はもはや必要とされないからだ。」
 (上掲, p.41.)
 一般的に言って、制度を通じてであれ内部化されたやり方であれ、諸個人を社会的に統制する必要は、もう存在しないだろう。-そして、制度や内部化された様式は、マルクーゼによれば、いずれも全体主義の特質だ。
 かくして、自我(ego)のいかなる集団化も、もはや存在しないだろう。生活は合理的になり、個人は再び完全に自立的になるだろう。//
 (5)マルクーゼのユートピアが示す、こうした「フロイト主義」の側面は、その全ての重要な点について不明確さを呈示している。
 フロイトの理論は、本能の抑圧は生産のために必要な活力を解放するためだけではなく、人間に特有の意味での全ての社会的生活の存在を可能にするためにも必要だ、というものだった。
 本能は、純粋に個人的な欲求の充足へと向かう。
 そして、フロイトによれば、死への本能は、自己破壊に向かって作動することもあるが、外部への攻撃へと変形されることもある。
 人間は自分が他者に対する敵となる場合に限って、自分自身に対する敵であるのをやめる。
 各人間とその仲間の人間たちとの間の永続的な敵対の根源となる死への本能をなくする唯一の方法は、その活力を別の方向へと強いて向かわせることだ。
 リビドーは、他者たる人間を性的な満足のあり得る対象としてのみ扱うので、同じように社会的なものだ。
 要するに、本能は人間社会を創出する力を、または共同体の基礎を形成する力を持っていないばかりではない。本能の自然の効果は、そのような共同社会を不可能にすることだ。
 その場合にいかにして社会は存在することができるのかという、困難な問題は別に措くとして、フロイトの見解では、既存の社会は多数の禁忌、命令および禁止でもってのみ維持することができる、ということなのだ。これらは、避け得ない苦痛を犠牲にして本能を統制下に置いたままにする。//
 (6)マルクーゼは、この問題について自説を明確にしていない。
 彼は、本能の抑圧は「現在まで」は必要だった、というフロイトに同意しているように見える。しかし、〔必需品の〕希少性の廃棄以降はそれは時代錯誤だ、と考えている。
 しかしながら、本能と文明の間の永続的対立に関するフロイト理論に反論する一方で、彼は、本能は本質的に諸個人の「快楽原理」を充足するために貢献している、という見方を、受容している。
 この見方では、「リビドー的文明」はどのようにして維持することができるのか、いったいどのような力が現在ある社会を保持することができるのか、が明瞭ではない。
 フロイトとは反対に、マルクーゼは、人間は自然的に善であって他者と調和して生活する性向をもつと、そして、攻撃は疎外労働とともに消失する、歴史上の偶然的な逸脱だと、考えているのか?
 マルクーゼはそのようには語らない。だが、フロイト主義による本能の観念や階層化を受容しているのではあるけれども、彼は明白に逆のことを示唆している。
 人類は「原理的に」十分に多数のものを有している、物質的な要求の充足について本質的な問題は何もない、と主張する点で彼は正当だとかりにしてすら、どのような力があれば、全ての本能が解放されて生来の方向へと向きを変えることが許容される、そのような新しい文明を維持することができるのか、に関しては、まだ全く明瞭でない。
 マルクーゼは、この問題については関心がなかったように見える。彼が社会に関心をもつのは、主として、社会は本能を、つまりは個人的な満足を、妨害するものだ、という限りにおいてなのだ。
 彼は、物質的な存在に関する全ての問題が解決されてきたので、道徳的な命令や禁止はもはや重要ではない、と考えているように見える。
 かくして、アメリカのヒッピー・イデオローグ、Jerry Rubin がその著の中で、今日以降は機械が全ての仕事をこなし、人々には好むときにいつでも好む場所でどこでもセックスをする(copulate)自由がある、と語るとき、彼はマルクーゼの夢想郷〔ユートピア〕の真の本質を、未熟で幼稚にではあっても、明確に述べている。
 マルクーゼによるエロチシズム(eroticism)の性質づけは、あまりに漠然としていて、何らかの感知することのできる意味を伝えていない。
 人間全体のエロチシズム化(eroticization)は、官能的快楽への彼の完璧な熱心さを除いて、何かを意味することができるのだろうか?
 ユートピア的標語には、中身が全くない。
 また、我々はつぎの点も、理解することができない。マルクーゼは、昇華を生んだ全ての要因がそれらの働きを止めた後で、フロイト主義のいう昇華行為が力を保ち続けると、どのように想像しているのか?
 フロイトによると、文化的創造活動で表現される昇華行為は、本能的欲望を幻想的にまたは代用的に充足させるものにすぎず、文明は我々が満足するのを許しはしない。
 この理論は批判することができるし、批判されもしてきた。しかし、マルクーゼはそうしようと試みはしない。
 彼は、過去の文化的創造活動はフロイトが述べるように代用物だ、だが、それにもかかわらず、そのような昇華行為を必要としなくなってもなお将来に残り続ける、と考えているように見える。//
 (7)フロイト理論に関するマルクーゼの完全な倒錯(inversion)は、前社会的実存への回帰以外には、いかなる感知し得る目的をも有していないように見える。
 むろん、マルクーゼはそのような結論を明言しはしない。しかし、彼はどのようにして、矛盾なくしてその結論を回避することができるのか、は明瞭でない。
 彼によるこの点でのマルクスへの信頼は、きわめて疑わしい。
 マルクスは、未来の完璧な社会は諸個人が自分の力や才能を直接的な社会的な力だととして扱うように構成されるだろう、と考えた。そうすることで、個人の願望と共同社会の要求の間の矛盾を除去することができるのだ。
 しかし、マルクスは他方で、本能の性質に関するフロイトの見解を支持しなかった。
 人間は本能的にかつ不可避的に相互に敵対する、しかしまた、人間の本能はお互いが平穏かつ調和してともに生きることができるように解放されなければならない、とは、誰も、矛盾することなくしては、主張することができない。//
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 第2節、終わり。次節の表題は<一次元的人間>(<One-dimensional man>)。

2043/松下祥子・阿児和成・近藤富美子②。

 恐るべき「行政」、行政担当者、の実態がある。
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 行政機関情報公開法(平成11年法律42号。略称)は「行政文書」をこう定義している。
 第2条第2項本文「この法律において『行政文書』とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。」
 「行政文書」なるものには地図・写真や「電磁的記録」も含む、というのがこの定義の仕方のミソだ。その際、「電磁的記録」も必ずしも一般的用語でないかもしれないが、それを「…その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録」と定義して、「知覚」・「認識」をいわば法律用語または法的概念として用いている。
 しかして、「知覚」や「認識」という行為が厳密に何を意味するかのさらに厳密な定義はない。
 ここでの「知覚」や「認識」という語法は私の何となくのこれらの語の理解の仕方に近いので、違和感はない。しかし、哲学的には?、あるいは脳神経生理学的には?、当然にこれらの正確な意味が問題になるはずだ。類似語に、「意識」、「感知」、「認知」、「理解」などがある。
 しかし、そのような言葉の厳密化を循環させるとキリがないので、法律用語としては、または「電磁的記録」をさらに定義する際に使う言葉としては、ギリギリ「知覚」と「認識」でとどめた、ということだろう。法律の適用・運用としては、この程度でおそらく十分なのだ。あとは健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>に委ねている、ということだろう。
 ついでに、上の法律が「開示」を義務づけられない情報類型の一つとして定めるいわゆる「個人情報」(にかかる行政文書)の原則的・一般的な定義はつぎのとおりだ。
 第5条本文<略>
 同条第1号本文「個人に関する情報(<中略>を除く。)であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等(文書、図画若しくは電磁的記録に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項をいう。<以下略>)により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの。ただし、次に掲げる情報を除く。」
 ここでは「記述等」が原則的には「…に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項」とされ、「等」が曖昧なまま「一切の事項」に包み込まれているとともに、「記載」・「記録」・「音声、動作その他の方法を用いて表された」もの、というこれら自体がなおも曖昧さを残した規定の仕方をしている。
 「記述」、「記載」、「記録」、「表された…」。これらは一体どう違うのか?
 文学的には(または文学趣味的には)、あるいは人間の「表現」にかかわる行為態様の分類という関心からは、さらに厳密な議論をすることが可能であるのかもしれない。
 しかし、<個人情報>を限定するための条文上の書きぶりとしては、上の程度で十分だろう、という判断を立法者は(そして法律案作成者は)したのだろう。
 あとは、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>に委ねているわけだ。
 同じことは、上の定めの中に出てくる、「照合」と「識別」についても言えるだろう。
 「識別」とは特定の個人の「識別」(英訳すると動詞はきっとidentify)を指しているのだから、きわめて重要な概念ではある。しかし、これをさらに詳細に記述することができない、またはそうしても実際上の意味がない、ということなのだろう。
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 <要旨>という言葉、概念がある。
 これは、法律用語、法的概念(または法学上の専門用語)ではないだろう。その意味では、一般的な、または日常的な用語であり、言葉、概念だ。
 もっとも、種々の判決例(を掲載した雑誌類)を見ていると、判決文自体の上下に<判旨>との注記があって、傍線(下線)と連動させていたり、判決文紹介の最初に、「判旨」とか「要旨」とか「判決要旨」とかと題されて、当該判決の<要旨>が記述されていることがある。
 また、例えば「原審判決の要旨」とか「この最高裁判決の要旨」とかは、裁判実務にかかわる情報の流通に際して、法学系論考の執筆や法学教育の場を含めて、かなりよく用いられるようでもある。
 しかし、ある判決の作成者(裁判官たち)が自らその判決の<要旨>なる文書をまとめることはないものと推測される。少なくとも、最高裁判所の判決については。
 下級審の判決であっても、その内容をメディア等に発表する場合に、その内容・「要旨」の作成は裁判官ではなく、裁判所の書記官が行っているのではなかろうか。
 よく知らないことが多いが、そうした文書を作成したり、注記を施すのは、当該判決の作成の過程にかかわった(最高裁の場合には)最高裁判所調査官であり、判決例を掲載する雑誌の編集者だったりするものと思われる(公的とされる雑誌・裁判例集の場合は、調査官・書記官が関与しているかもしれないが、民間の雑誌・裁判例集での判決例の「要旨」作成にまで携わっていないはずだ)。
 ともあれ、「要旨」は一般的・日常的な用語ではあるが、裁判や法的実務にかかわって、ある程度はよく使われている言葉かもしれない。
 だが、「要旨」とは、いったいどういう意味なのか。
 これは結局は、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>で判断するしかないと思われる。そして、各種「国語」辞典での意味記述・解説が、最も安直かもしれないが最も有力な手がかりになるだろう。
 とくに出典を明記しないが、<要旨>という語は様々に、しかし核心部分は一定して、その意味が説明されている。つぎのとおりだ。
 ①「主要な内容。あらまし。大要、サマリー。
 ②「述べられていることの主要な点。また、内容のあらまし。
 ③「講演・研究発表・論文などに述べられる(述べられた)事の、大事な部分を短くまとめたもの。
 ④「肝要な趣旨。大体の内容。
 ⑤「内容のあらまし、述べられているものの内容の主要な点を短くまとめたもの。
 国語辞典類に見られるこのような<要旨>という日本語の意味の説明のされ方からすると、健全で適切な<社会的感覚>または<社会的常識>と言ってよいものを前提とすれば、物理的・算術的な意味で、原文よりも<長く>なっている文章は、原文の<要旨>では、-あくまで通常はと丁寧に留保を付けておくが-あり得ない。
 だが、行政担当者の中に、しかも「法務」ないし「法規」関係の行政実務を担当している行政公務員の中に、上の意味で「あり得ない」言葉の用い方をする者、または そのような「あり得ない」言葉の用い方を擁護する者、あるいは少なくとも明示的にはそのような言葉遣いを何ら問題視しない者、がいるとなると、そもそも日本語の用い方に根本的な間違いがある点で、恐るべき「行政」、恐るべき行政担当者、の実態が存在する、と言えるだろう。さしあたりは、あくまで通常は、と丁寧に留保を付けておくが。
 憂うべきであるのは、決裁文書の<改竄>にとどまらない。
 (つづく)

2042/講座・哲学(岩波)や哲学学者と政治・社会系学者・評論家。

 岩波講座/哲学〔全10巻〕(2008-2009)の各巻共通の編集委員一同による「はしがき」は、途中で、「以上のような現状認識を踏まえた上で、…」と述べて、編集の基本方針を記している。
 その前に叙述されている「現状認識」は、番号が付されてはいないが、四点を記しているものと解される。
 第一は、「大哲学者の不在」を含む「中心の喪失」だ。興味深いのでもう少し引用的に抜粋すると、つぎのようになる。
 「20世紀の前半、少なくとも1960年代まで」は、「実存主義・マルクス主義・論理実証主義」の「三派対立の図式」が「イデオロギー的対立も含めて成り立っていた」。
 20世紀後半にこの図式が崩壊したのちも、「現象学・解釈学・フランクフルト学派、構造主義・ポスト構造主義など大陸哲学の潮流」と「英米圏を中心とする分析哲学やネオ・プラグマティズムの潮流」との間に、「方法論上の対立を孕んだ緊張関係が存在していた」。
 だが現在、「既成の学派や思想潮流の対立図式はすでにその効力を失っている」。
 <日本の>哲学状況はどうなのだと問いたくなるが、かなり面白い。
 第二は、「先端医療の進歩や地球環境の危機」によって促進されて、諸問題が顕在化した、ということだ。
 第三はのちに紹介するとして、第四は、「政治や経済の領域におけるグローバル化の奔流」が諸問題を発生させている、ということだ。
 上の第二点と一部は重複すると考えられるが、第三に、つぎのように語られている。全文を引用しよう。ここでは、一文ごとに改行する。
 「哲学のアイデンティティをより根底で揺るがしているのは、20世紀後半に飛躍的発展を遂げた生命科学、脳科学、情報科学、認知科学などによってもたらされた科学的知見の深まりである。
 かつて『心』や『精神』の領域は、哲学のみが接近を許された聖域であった。
 ところが、現在ではデカルト以来の内省的方法はすでにその耐用期限を過ぎ、最新の脳科学や認知科学の成果を抜きにしては、もはや心や意識の問題を論ずることはできない
 また、道徳規範や文化現象の解明にまで、進化論や行動生物学の知見が援用されていることは周知の通りであろう。
 そうした趨勢に対応して、…、哲学と科学の境界が不分明になるとともに、『哲学の終焉』さえ声高に語られるにまでになっている。」
 以上。
 このように叙述される「現状」の「認識」は、正当なものではないか、と思われる。
 そして、「文学部哲学学科」の存在意義というちっぽけな問題は別として、つぎの感想が生じる。
 第一に、人文社会系の学者・研究者および評論家類(自称「思想家」を含む)の中には、「実存主義・マルクス主義・論理実証主義」の「三派対立の図式」になお「イデオロギー的」にこだわっている者がいるのではないか。そうでなくとも、「現象学・解釈学・フランクフルト学派、構造主義・ポスト構造主義」、「分析哲学やネオ・プラグマティズム」といった「潮流」にこだわり続ける者も少ないのではないか、ということだ。
 むろん、そうした「哲学」の「潮流」などを知らない、意識していない人文社会系の者の方が、はるかに多いかもしれない。そんなことを知らなくとも、学界・大学や情報産業界の一部で「生きて」いける。
 第二は、まさに上に明記されている、「生命科学、脳科学、情報科学、認知科学」は、人文社会系学問(歴史学を当然に含む)や社会・政治系の評論家類の営為の対象となり得る、ヒト・人間の「性質」・「本性」にかかわっている。この<自然科学>の進展を、この人たちは、どれほどに知っているのか、知ろうとしているのか、ということだ。
 経済学部出身らしい池田信夫の言述を(好意的・積極的に)評価するのは、この人がこの分野にも強い関心を向けていると見られることだ。
 この欄に名を出したことはないが、雑誌・Newton の愛読者だという元々は文科系の大原浩にもたぶん上のことがあてはまる。
 また、福岡伸一(<動的平衡>というテーゼ)や茂木健一郎(少なくとも当初は<クオリア>への関心)は、人文社会系の学者・研究者や読者たちと交流?する意識を排除していない、と推察される。
 圧倒的多数の人文社会系学者・研究者や社会・政治系評論家類(自称「思想家」を含む)は、おそらく、人間の(覚醒・意識の成立を前提とする)「認識」が(究極的に)脳内作業であって、「文章」を書くことも全く同様であること(むろんメカニズム・システムは複雑多様だが)を意識していない、と推察される。「自分」は<物質>などとは無関係の、「独立の」、「個性ある」、たんなる生物ではない<知識人>だと考えている、のではないか。これは<右も左も、斜め右上も斜め左下も、中央手前も奥も>、変わりがない。
 そうであっても、学界・大学や情報産業界の一部で「生きて」いける。
 なお、上の講座(全集)の第5巻の表題は<心/脳の哲学>。
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 上の講座(全集)は21世紀に入ってからのものだ。ソヴィエト連邦等の解体後であるとともに、今日までの10年間で、「脳科学」・「神経生物学」等はさらに進展している可能性がある。
 では、一つ前の同様の企画ものである講座(全集)は、異なる編集委員によってどういう「まえがき」を書いていただろうか。
 新・岩波講座/哲学〔全16巻〕は1985-1986年に刊行されている。上よりも20年ほど前だ。このとき、まだソヴィエト連邦等が存在した。
 各巻に共通する編集委員「まえがき」を一瞥すると、つぎのことが興味深い。
 第一に、「哲学の終焉」の危機感などは全く感じさせないような叙述をしている。つぎのとおりだ。
 「学問分野としての哲学は、明治期以降一世紀あまりの歴史をふまえて、研究者の層が厚い。また、前回…が出版された後、研究動向の多彩な展開がみられると共に若いすぐれた担い手たちも育っている。」
 ほぼ20年後の上述の講座(全集)とは、相当に異なっていることが分かる。
 しかし、第二に、つぎのような叙述が冒頭にあることは注目されてよいだろう。一文ごとに改行する。
 「…今日、私たち人類はこれまで経験したことのない状況に直面している。
 エレクトロニクスや分子生物学に代表される科学・技術の発達が人間の生存条件を一片させつつある。
 と同時に、文化人類学、精神医学、動物行動学の成果からも、人間とはなにかということ自体が改めて問い直されるに至っている。」
 30年前すでに、「文化人類学、精神医学、動物行動学」の成果を参照しなければならないことが(たぶん)意識されてはいたのだ。
 なお、この講座(全集)の第6巻の表題は<物質・生命・人間>、第9巻のそれは<身体・感覚・精神>。
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 この講座(全集)類の発行は日本の「哲学学界」または「哲学学・学界」を挙げての一大行事だっただろう。そしてまた、「まえがき」は時代と「編集委員」の意識を反映している。
 もっとも、学界所属者たちがいかほどに「まえがき」記述と同じ意識・認識だったかは疑わしい。
 また、「哲学」学界は略称<純哲>とも言うらしいのだが、<法哲学>、<社会哲学>、<経済哲学>?等々の学界と共通する意識・認識だったとは言えないだろう(但し、2008年ものの編集委員の一人は「法哲学」の井上達夫)。純粋の「哲学」の方が「こころ」・「精神」そのものに最も関係するかもしれない。
 なお、少し元に戻ると、あえての推測なのだが、1985-86年時点では、公式に?表明するか否かはともかく、日本ではなおも「マルクス主義哲学」の立場に立つ哲学・学者・研究者は多かったのではないか。その影響は、今日の比ではおそらくなかっただろう。
 この点は、1985-86年とソ連解体と日本共産党や「マルクス主義」の動揺のあとの2008-09年の、無視できない、学界を包む雰囲気の違いだろう。

2041/江崎道朗2017年8月著の悲惨・無惨22。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。「助けて」いるのは、自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子
 上の「著」での江崎の<図式>は、以下だと見られる。
 第一。<保守自由主義>を「右」と「左」の「全体主義」と対比される、<良き>ものとして設定する。換言すると、そのような<良き>ものに<保守自由主義>という語・概念を用いる。
 第一の重要な系。この<保守自由主義>に、途中から、<天皇を戴く>、<天皇を中心とする>という意味を含める。または、この概念と密接不可分のものとして<天皇…>という要素を用いる(なお、こうして「保守」かつ「自由」に「天皇」を連結させる語法は、決して一般的でない)。
 第二。<保守自由主義>は聖徳太子以降の日本の長い政治的伝統で、五箇条のご誓文-大日本帝国憲法-昭和天皇、はこれを継承したものとする。
 <保守自由主義>は重要なキー概念だが、上の二つによって説明される以外には、ほとんど何も語られない。ましてや厳密な定義は明確にされていない。
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 さて、江崎道朗による北一輝に関する叙述も、上の枠組み・図式の範囲内で行われている。
 第一に、北一輝と「天皇」との関係だ。江崎からすると、上の第一の図式からして、これは最大の関心事の一つに違いない。
 江崎の結論はこうだ(第三章)。
 「北一輝は皇室を嫌悪していた」。p.190の見出し。
 ではどのような論拠と説明によって、この結論を江崎は導いたのか。
 恐ろしいことに、江崎道朗は北一輝の書物(の大部分でもよい)を読んで、自らそう判断したのではない。つまりは、①他人の書物による(Aの書とする)。
 さらにその書物の部分は、②北一輝がBに語ったことを、Bが(何らかのかたちで)「伝えた」のをAが「紹介」している。その内容をもっぱら根拠にして、江崎道朗は(何と鋭くも!)上の結論を下している。
 Aは渡辺京二で、その書は同・北一輝(朝日1985、ちくま学芸文庫2007)。
 Bは、寺田稲次郎。
 この部分を、もう少し引用まじりで再現しよう。「」は江崎の地の文。『』は引用される渡辺の文。p.192。
 「渡辺京二氏は、こう指摘している。/
 北は…革命が天皇の発意と指揮のもとに行われることを明記した」が、これが「偽装的表現」なのは、「寺田稲次郎の伝える挿話によって決定的にあきらかである」。
 「北が天皇裕仁を」…と呼び、…と口走ったのは「まだ序の口」で、「中野正剛が北をシベリア提督に擬した話」を北に「寺田が伝えると、彼は色を変じて『天皇なんてウルサイ者のおる国じゃ役人はせんよ。…』と答えたという」。
 「またこれは伝聞であるが、寺田が確実な話として伝えているところでは、北は秘書に『何も彼も天皇の権利だ、大御宝だ、彼も是れも皆天皇帰一だってところへ持って行く。そうすると、天皇がデクノボーだということが判然とする。それからさ、ガラガラと崩れるのは』と語ったという」。
 以上は渡辺著の一部を江崎が用いた叙述だが、その内容は、「寺田稲次郎」が語った、または伝えたという<伝聞>話だ。
 これをもって、江崎道朗は、つぎの結論的文章を書く。p.193。
 二・二六事件の青年将校たちは皇室と国を思っていたが、「その理論的支柱の北一輝は、裏ではこんなことを考えていたのだ」。
 上の渡辺著からの引用的紹介を始める前には、すでにこう書いている。p.192。
 北一輝は「皇室尊崇の人ではなかった。むしろ、皇室を嫌悪し、皇室の廃止さえ願っていたふしがあるのだ」。
 そして、再記すれば、この部分の項見出しは、こうなる。
 「北一輝は皇室を嫌悪していた」。p.190。
 ***
 何とまぁ。こういう類の論証、叙述の仕方をすると、どんな結論も、どんな判断も、することができるのではないか??
 江崎道朗(の図式)にとって都合がよければ、どんな間接的「伝聞」話であっても、書物の中に活字となっていればよいのだろう。
 第二は、北一輝は<保守自由主義>者ではなく「全体主義」者だとすると、「右」と「左」のいずれなのか。
 江崎道朗は陸軍統制派は「社会主義」的だった旨の叙述のあと、皇道派青年将校を「指導」したとされる北一輝について、こんな一文を挿んでいる。p.191-2。
 「このような時代環境の中で、あたかもレーニンの世界戦略に呼応するがごとく、社会主義による国家革新と打倒イギリス帝国という対外構想を掲げて日本の青年たちを魅了していったのが北一輝なのである」。
 そのあとで江崎は、北一輝は「コミンテルンのスパイだった」という「事実は確認できない」とする。
 このあたりではまだ、「右」か「左」の「全体主義」への分類?は出てこない。但し、北一輝は「レーニンの世界戦略」に対応していたのだとすると、北一輝は少なくとも客観的には<左>だった、というニュアンスもある(なお、立ち入らないが、レーニンの死は1922年、二・二六事件は1936年)。
 しかし、だいぶ離れた箇所(第五章)で、江崎道朗は、つぎのように述べつつ、つぎのように断定している。p.
 「戦前の日本には、『保守自由主義』ともいうべき思想の持ち主と、『右翼全体主義』ともいうべき思想の持ち主がいた」。
 福沢諭吉、吉野作造、佐々木惣一、美濃部達吉らは、前者に入る。
 一方、「上杉慎吉、高度国防国家をめざした陸軍(とりわけ統制派)の人々、さらに北一輝など」は後者の「『右翼全体主義』に区分されよう」。
 江崎によれば陸軍統制派も皇道派もともに「右翼全体主義」となるのだが、これは第三章の叙述とは少しはニュアンスがちがう。それはともかく、では「左翼全体主義」との関連はどうなっているのか。
 江崎道朗は、つぎのように叙述して、まとめて?いる。p.274。
 ・戦前のいわゆる「右翼」とは「右翼全体主義」者のことだ。しかし、その中には、「コミンテルンにシンパシーを感じる『左翼全体主義者=共産主義者』や、一皮むけば真っ赤な偽装右翼も多数紛れ込んでいたから、なお状況が複雑となる」。
 ・『右翼全体主義者』と『左翼全体主義者』が結びついて(というより、『右翼全体主義者』の動きに『左翼全体主義者』がつけ込んで)、大政翼賛会などをつくり、大日本帝国憲法体制を破壊した」。
 ***
 あれれ? こうなると、「右翼全体主義」と「左翼全体主義」の明瞭な区別はつかない。
 戦後のかつての民社党の言っていた「左右両翼の全体主義」にはまだ実体らしきものがあったように思われる。
 しかし、戦前・戦中の日本では、江崎道朗によると、両者は「紛れ込んで」いたり、「結びついて」(というよりは「つけ込んで」)いたりしており、明瞭には区別できない。要するに、彼においては、たぶん<保守自由主義>対<(左右の)全体主義>という二項対立の図式で、戦前がイメージされているのだろう。
 上のことは、<保守自由主義>を「右」と「左」の両側から脅かす「全体主義」という江崎道朗の(基本的な!)図式が成り立ち難く、限界がある、ということを示している、と考えられる。
 いつたん設定した<図式>にあてはめるために、江崎は主観的には苦労して?いるのだ。
 では、そもそも<保守自由主義>とは何か。ここで(なぜか重要な要素として)聖徳太子が登場してくる。そして、6世紀から19世紀までの「日本の政治的伝統」には、いっさいの言及がない。回を改める。
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 読書メモ/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)本文計313頁までを、9月12日(木)(2019年)に全読了。

2040/L・コワコフスキ著第三巻第11章第1節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。<第11章・マルクーゼ>へと進んでいる。分冊版、p.399-p.402。
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 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
 第1節・ヘーゲルとマルクス対実証主義②。
 (5)実証主義というものは、哲学一般はもとより批判的弁証法哲学をさほど否定するものではないのだが(真の意味での哲学はつねに反実証主義的なのだから)、経験による事実を受容すること、そうして現実に生起する全ての状況の有効性を肯定すること、を基礎にしている。
 実証主義の観点からすると、どんな客体であれ、それを合理的に指し示す(designate)のは不可能だ。すなわち、客体は、恣意的な決定の結果であり、理性に基礎があるのではない。
 しかし、真実を探求するのが任務である哲学は、ユートピアを怖れない。なぜならば、真実は、現存する社会秩序では実現することができないかぎり、ユートピアであるのだから。
 批判的哲学は、未来へと訴えなければならない。ゆえに、事実にもとづくのではなく、理性の要求のみを基礎にしなければならない。批判的哲学は、人間の経験的状態ではなくて、人間がそうなることができるもの、人間の本質的な存在にこそ、関係しているのだ。
 実証主義は、対照的に、現存する秩序とのあらゆる妥協を是認し、社会的諸条件を判断する権利を投げ棄てる。//
 (6)実証主義の精神は、社会学によく例証されている。-特定の学派ではなくて、コントの規準に則る知識の一部門としての社会学それ自体だ。
 この種の社会学は、意識的に対象を何も限定せず、社会現象を描写する。そして、共同的生活の法則を考察するまでに進んだとすれば、現実に作動している法則を超えてさらに進むのを拒否する。
 このことから、社会学は、受動的な適応の道具だ。その一方で、批判的合理主義は、理性自体にその力の淵源をもつのであり、その力でもって、世界が理性に従うことを要求する。//
 (7)さらに、実証主義は順応主義と同じであるばかりか、全体主義的教理や社会運動の全てとの同盟者だ。その主要な原理は秩序の原理であり、権威主義的システムが提供する秩序のために自由を犠牲にする用意が、いつでもある。//
 (8)マルクーゼの主張全体が、我々は経験的データとは無関係に合理性がもつ先験的の要求を認識することができる、という信念に依拠していることは明らかだ。その合理性の要求に従って、世界は判断されなければならない。
 そしてまた、人間性の本質を我々は認識している、あるいは、「真の」人間存在は経験的なそれとは真反対のものだろう、という信念にも。
 マルクーゼの哲学は、理性の超越性にもとづいてのみ、理解することができる。但し、理性は歴史的過程のうちでのみ「明らかになる」。 
 しかしながら、この教理は、歴史的誤謬と論理的誤謬の、いずれにももとづいている。//
 (9)ヘーゲルに関するマルクーゼの解釈は、ほとんど正確に、マルクスが攻撃した青年ヘーゲル主義者たちと同じだ。
 ヘーゲルはたんに、事実をそれ自体の規準で評価する、超歴史的理性の主張者だとして提示されている。
 我々は、この点に関するヘーゲルの思考の曖昧さを、一度ならず叙述してきた。
 しかし、反ユートピア的特質を完全に無視して、ヘーゲルの教理を人間に「至福」(happiness)を達成する方途を語る超越的理性への信念へと還元してしまうのは、ヘーゲル思想のパロディだ。
 付け加えるに、マルクスをヘーゲル主義論理の範疇を政治の領域へと変換する哲学者だと叙述するのは、誤導的(misleading)どころではない。
 マルクーゼの議論は、マルクスのヘーゲル、そしてヘーゲル左派に対する批判の本質的特徴の全てを無視している。
 全ての種の権威主義的体制に対する自由の擁護者だとヘーゲルを描こうとマルクーゼは熱中して、マルクスによる、ヘーゲルの主体と叙述されたものの反転(reversal)に対する批判には全く言及していない。その反転によって、個人の生活の諸価値は、普遍的な理性の要件に依存するようになるのだ。
 だがなお、正しい解釈にどの程度に依拠しているかに関係なく、この批判は、マルクスのユートピアにとっての出発地点だった。そして、ヘーゲルからマルクスへの調和的移行を叙述するためにこの点を無視するのは、歴史を侮辱している。
 マルクーゼによる描写は、青年ヘーゲル主義やヘーゲルについての彼らのフィヒテ解釈に対するマルクスの批判を軽視することで、さらに歪んでいる。
 自分自身の哲学上の位置に関するマルクスの説明は、まず第一には、超歴史的理性の至高性への青年ヘーゲルの信念から解放されていることにもとづいていた。-これはまさに、マルクーゼがマルクスに帰そうとしている信念だ。//
 (10)このような歪曲にもとづいて、マルクーゼは、現代の全体主義的教理はヘーゲル的伝統とは何の関係もない、実証主義を具現化したものだ、と主張することができる。
 しかしながら、実証主義にいったい何があるのか?
 マルクーゼは、「事実崇拝」というラベルに同意し、その主要な構成者として、Comte、Friedrich Stahl、Lorenz von Stein、を、そしてSchelling すらも、挙げる。
 しかしながら、これは、恣意的で非歴史的な陳述を行うための、諸思想の混乱だ。
 Schelling の「実証主義哲学」は、「歴史的実証主義」と一致する名前以外には何もない。
 Stahl とvon Stein は実際に保守主義者で、ある意味ではComte だった。
 しかし、マルクーゼは所与の秩序の支持者の全てを「実証主義者」だと叙述し始める。そして、明白な事実に逆らって、全ての経験論者は、つまり理論を事実で吟味させようと望む全ての者は、自動的に保守論者だと、主張し始める。
 歴史的意味での実証主義は-Schelling とHume をほとんど区別することができないという意味とは反対に-、とりわけ、知識の認識上の価値はその経験的な背景に依存するという原理を具現化するものだ。したがって、科学はプラトンやヘーゲルのやり方で本質的なものと現象的なものの区別をすることができず、事物の所与の経験的状態はそれら事物の真の観念とは一致していないなどと我々は語ることもできない、ということになる。
 実証主義は「真の」人間存在または「真の」社会の規範を決定する方法を我々に提示してくれない、というのは本当のことだ。
 しかし、経験論は決して、現存する「事実」または社会的諸制度はたんにそれらが存在するという理由だけで支持されなければならない、と我々が結論づけることを強いはしない。それとは反対に、叙述的判断から規範的判断を帰結させるのを我々に禁止するのと同じ根拠でもって、そのような結論づけを論理的に馬鹿げたものだと見なして、明瞭に拒否するのだ。//
 (11)マルクーゼは実証主義と全体主義的制度との間の論理的連結関係を主張する点で間違っているのみならず、歴史的連環に関する彼の主張も、事実に全く反している。
 中世後半以降にイギリスで発展して人気を博した実証主義の思想は、それなくしては我々は現代科学、民主主義的法制あるいは人間の権利に関する考えを持ち得なかったもので、最初から、消極的自由や民主主義的諸制度の観念と分かち難く連結していた。
 経験主義の原理にもとづいて人間の平等という教理を設定して伝搬させたのは、また、法のもとでの個人の自由の価値という教理についてもそうしたのは、ヘーゲルではなく、ロック(Locke)やその継承者たちだった。
 20世紀の実証主義と経験論は、とくに分析学派といわゆる論理経験主義者は、ファシストという動向とは何の関係もないばかりか、例外はあるものの、全く明瞭な用語でもってその動向に反対している。
 かくして、実証主義と全体主義的政治の間には、いかなる論理的連結関係も歴史的連結関係もない。-マルクーゼの若干の言及が示唆するように、「全体主義的」という語が「実証主義」という語のもつ通常の意味とは離れた意味で理解されているのでないかぎりは。
 (12)他方で、論理的および歴史的論拠のいずれも、ヘーゲル主義と全体主義思想との間の積極的関係を、有力に示している。
 もちろん、ヘーゲルの教理は現代の全体主義国家を推奨することになる、と言うのは馬鹿げているだろう。しかし、同じことを実証主義について言うのと比べると、馬鹿さ加減は少ないだろう。
 このような推論は、ヘーゲル主義から多数の重要な特質を剥ぎ取ってこそ行うことができる。しかし、実証主義からは、このような推論を全く行うことができない。
 マルクーゼが行うように証拠を何ら示すことなく主張することができるのは、実証主義とは事実崇拝だ、ゆえにそれは保守的だ、ゆえにそれは全体主義的だ、ということなのだ。
 ヘーゲル主義の伝統が非共産主義的全体主義の哲学上の根拠としては何ら重要な役割を果たさなかった、というのは本当だ(マルクーゼは、この論脈では共産主義の多様さについては何も語らない)。
 しかし、マルクーゼがGiovanni Gentile 〔イタリア哲学者〕の事例に至るとき、彼は単直に、Gentile はヘーゲルの名前を用いたけれども、実際にはヘーゲルと一致するところは何もなく、実証主義者にきわめて近かった、と宣告している。
 ここで我々は、「正当性に関する疑問」と「事実に関する疑問」について混乱する。なぜならば、マルクーゼは、ヘーゲル主義は事実の問題としてファシズムを正当化するものとして利用された、というあり得る異論に対して反駁しようとしているのだから。
 ヘーゲル主義は不適切に利用されたと語るのは、この異論に対する回答になっていない。//
 (13)簡潔に言えば、実証主義に対するマルクーゼの批判全体は、そしてヘーゲルとマルクスに関する彼の解釈のほとんどは、論理的にも歴史的にも、恣意的な言明の寄せ集め(farrago)だ。
 さらに加えて、これらの言明は、人類の地球的解放に関するマルクーゼの明確な見解や至福、自由および革命に関する彼の思想と統合して、結び合わされている。
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 第1節は終わり。第2節の表題は、<現代文明批判>。

2039/L・コワコフスキ著第三巻第11章<マルクーゼ>①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。<第11章・マルクーゼ>へと進む。分冊版、p.396-。合冊版、p.1104-。
 第1節の前の見出しがない部分を「(序)」とする。
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 第11章・マルクーゼ-新左翼の全体主義ユートピアとしてのマルクス主義。
  (序)
 (1)マルクーゼは、1960年代遅くまでは学界の外部では著名にはなっていなかつた。その1960年代遅くに彼は、アメリカ合衆国、ドイツおよびフランスでの反乱する学生運動によってイデオロギー上の指導者として喝采を浴びた。
 マルクーゼが「学生革命」の精神的指導者になろうと追求したと想定する、いかなる根拠もない。しかし、その役割が自分に与えられたとき、彼は拒まなかった。
 彼のマルクス主義は、かりにマルクス主義の名に値するとすればだが、イデオロギー上の奇妙な混合物だった。
 合理主義的ユートピアの予言者としてのヘーゲルとマルクスを独自に解釈して、彼のマルクス主義は、「学生革命」の人気あるイデオロギーへと進化した。そのイデオロギーでは、性の自由化が大きな役割を担い、学生たち、過激な少数派およびルンペン・プロレタリアートに譲るために、労働者階級は注意が向かう中心から追い出された。
 マルクーゼの重要さは、1970年代には相当に弱まった。しかし、彼の哲学は、論議するになおも値する。その本来の長所が理由なのではなく、おそらくは一時的なものだけれども、重要な、我々の時代でのイデオロギーの変化の趨勢と合致しているからだ。
 マルクーゼの哲学は、マルクス主義の教理で成り立ち得る、驚くべき多様な用い方があることを例証することにも役立つ。//
 (2)マルクス主義の解釈に関するかぎりでは、マルクーゼは一般に、フランクフルト学派の一員だと見なされている。彼はその否定の弁証法でもってこの学派と連携し、合理性という超越的規範を信じていた。
 マルクーゼは1898年にベルリンで生まれ、1917-18年には社会民主党の党員だった。しかし、のちに彼が書いたように、Liebknecht とRosa Luxemburg の虐殺のあとで、社会民主党を離れた。それ以降、どの政党にも加入しなかった。
 彼はベルリンとフライブルク(im Breisgau〔南西部〕)で勉強して、ヘーゲルに関する論文で博士の学位を取った(ハイデガーが指導した)。
 その<ヘーゲル存在論と歴史性理論の綱要>は、は1931年に出版された。
 彼はまた、ドイツを出国する前に、その思考の将来の行く末を明らかに予兆する多数の論文を執筆した。
 彼は、それらを発表したあとですぐに、マルクスのパリ草稿の重要性に注意を喚起した最初の者たちの一人になった。
 ヒトラーの権力継承のあとで出国し、一年をスイスで過ごし、そのあとはアメリカ合衆国に移って、ずっとそこで生きた。
 ニューヨークのドイツ人<エミグレ>が設立した社会研究所で、1940年まで仕事をした。そして、戦争中は、国家戦略情報局(OSS)に勤務した。-のちに知られたこの事実は、学生運動での彼の人気を落とすのを助けた。
 マルクーゼは多数のアメリカの大学で教育し(Columbia、Harvard、Brandies、そして1965年からSan Diego)、1970年に引退した。
 1941年に<理性と革命>を刊行した。これは、実証主義批判にとくに着目してヘーゲルとマルクスを解釈するものだった。
 <エロスと文明>(1955年)は、フロイトの文明理論にもとづいて新しいユートピアを設定し、「内部から」精神分析学を論駁しようとする試みだった。
 1958年に<ソヴィエト・マルクス主義>を刊行したあと、1964年に、彼の書物のうちおそらく最も広く読まれた、<一次元的(One-Dimensional)人間>と題する技術文明に対する一般的批判書を出版した。
 他の短い諸著作のいくつかも、多くの注目を惹いた。とくに、1965年の「抑圧的寛容」、1950年代から60年代の日付で書かれてのちの1970年に<五つの講義-精神分析・政治・ユートピア>と題して刊行された一連の小考集だ。//
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 第1節・ヘーゲルとマルクス対実証主義。
 (1)マルクーゼが継続的な攻撃対象としたのは、きわめて個人的な態様で定義する「実証主義」、(消費と贅沢への崇拝ではなく)労働と生産への崇拝にもとづく技術文明、アメリカ的中産階級の諸価値、(アメリカ合衆国をその顕著な例とするために定義される)「全体主義」、およびリベラル民主主義と寛容と結びつく全ての価値や制度だ。
 マルクーゼによれば、これら全ての攻撃対象は、統合された全体物を構成する。そして、彼は、この基礎的な統合状態を説明しようと努力する。//
 (2)マルクーゼは、実証主義を「事実を崇拝する」ものだとして攻撃する点で、ルカチに従う。実証主義は歴史の「否定性」を感知するのを妨げるのだ。
 しかし、ルカチのマルクス主義は主体と客体の間の弁証法や「理論と実践の統合」に集中していたが、そうしたルカチとは異なってマルクーゼは、理性の否定的、批判的な機能を最も強調する。理性は、社会的現実を判断することのできる規準を提供するのだ。
 マルクス主義とヘーゲルの伝統との間の連結関係を強調する点では、ルカチに同意する。
 しかし、その連結の性質に関しては、ルカチとは完全に異なっている。すなわち、マルクーゼによれば、ヘーゲルとマルクスの本質的な基礎は、主体と客体の一体化に向かう運動にではなく、理性の実現に向かう運動にある。理性の実現は同時に、自由と至福の実現でもある。//
 (3)マルクーゼは、1930年の論考で、理性(reason)は哲学と人間の宿命の間に連環を与える基礎的な範疇だ、という見方を採用していた。
 理性に関するこの考えは、現実は直接に「合理的」なのではなく合理性へと還元することができるものなのだ、という確信にもとづいて展開していた。
 ドイツ観念論哲学は、経験的現実を非経験的規準で判断することによって、理性を論証のための最高法廷にした。
 この意味での理性が前提とする自由は、人間が生きる世界を人々が完全に自由に判断することができないとすれば、それを宣明したところで無意味だろうような自由だ。
 しかしながら、カントは、現実を内部領域へと転位させ、それを道徳的な要求(imperative)にした。ヘーゲルは一方で、それを必然性という拘束の範囲内へと限定した。
 しかし、ヘーゲルの自由は、人間がその現実的宿命を自覚することのできる理性の働きの助けを借りてのみ可能だ。
 かくしてヘーゲルは、哲学の歴史上は、人間存在に自分たち自身の真実を明らかにする理性、換言すると真正な人間性の命令的要求、というものの正当性を戦闘的に擁護する者として立ち現れる。
 理性の自己変革的作用は、歴史の全ての段階に新しい地平を切り拓く否定の弁証法を生む。そして、経験的に知られるその段階の可能性をさらに超えて前進する。
 このようにして、ヘーゲルの著作は永続的な非妥協性を呼び起こすものであり、革命を擁護するものだ。//
 (4)しかしながら-そしてこれが<理性と革命>の主要な主張の一つだが-、理性は世界を支配しなければならないとする要求は、観念論の特権ではない。
 ドイツ観念論は、イギリス経験論と闘うことで文明に寄与した。その経験論は、「事実」を超えて進んだり<先験的に>合理的な観念に訴えかけることを禁止し、その結果として大勢順応主義や社会的保守主義を支持していた。
 しかし、批判的観念論は、理性は思考する主体のうちにだけ存在するものと考え、物質的で社会的な諸条件の領域へとそれを関係づけることに成功しなかった。そして、それを達成することが、マルクスに残された。
 マルクスのおかげで、理性の実現という命題は、「真の」観念または人間性の真の本質と合致する社会的諸条件の合理化という要求となった。
 理性の実現は、同時に、哲学の優越であり、その批判的機能が十分に発揮されることだ。//
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 ②へとつづく。 

2038/江崎道朗2017年8月著の悲惨と無惨21。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。「助けて」いるのは、自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子。
 聖徳太子関連は次回の22以降とする。
 江崎道朗は、日本の戦前史を扱う中で、北一輝に論及する。
 その場合に、参照・参考文献として少なくとも明示的に示しているのは、以下だけだ。
 渡辺京二・北一輝(朝日新聞社、1985 /ちくま学芸文庫、2007)。
 この渡辺京二はたぶん戦後に日本共産党に入党し、宮本・不破体制発足以前に離党してはいるようだ。戦前からイギリス共産党員だったCh. ヒルがハンガリー「動乱」の後で離党したのと同じ頃に。この、日本共産党員だった、ということはここでは問題にしないことにしよう。あるいは、全く問題がないのかもしれない。
 江崎はまた、明治の日本はエリートと庶民に二分されていた(これはある程度は、又はある意味では、明治以前も、戦後日本でも言えると思われるのだが)、と単純にかつ仰々しく述べる中でなぜかその論拠としている外国人の文献とその内容等についても、この渡辺京二のつぎの書物を重要なかつ唯一の参照・参考文献としている可能性が高い。
 渡辺京二・幻影の明治-名もなき人びとの肖像(平凡社、1998)。
 この点も、深くは立ち入らないことにしよう。
 参考・参照文献の使い方や処理の仕方の幼稚さ・単純さあるいは間違いはレーニン・コミンテルン等に関する叙述でしばしば見られたことで、日本に関する叙述でも、そのまま継承していることは確実だろう。そもそもは、参考にして「勉強」している文献がきわめて少ないというほぼ絶対的な欠点もあるのだが。
 可能なかぎり網羅的にとは決して思わずに、自分で適当にいくつか(または一つだけ)選択した、彼にとって<理解しやすい>文献にもとづいて(直接引用したり要約したりして)、最初から設定されている自分の<図式>に合わせてこれまた適当に散りばめていく、そして、複数の論点を扱うために対応する諸文献の間での矛盾・一貫性の欠如が生じても、何ら気にしない。または、気づかない。
 このような、大学生の一・二年生によく見られるような<レポート>であって、いくら書物の体裁をとっていても、いくら「活字」で埋まっていても、一定の簡単かつ幼稚な<図式>以外には、実質的な、この人自身の詳細な主張・見解の提示などはほとんどない、というのが、江崎道朗が執筆・刊行している書物だ。
 学界・アカデミズム内であれば、すぐに「アウト」だ。すぐさま排除され、もはや存在することができない。そもそもが、加わることができるレベルにない。しかし、なぜか、日本の出版産業界と月刊正論(産経)・文章情報産業界では、存在し、「生きて」いけるようだ。
 「オビ」に名を出して称賛した中西輝政にはすでに触れたが、好意的書評者となっていた「京都大学名誉教授」竹内洋のいいかげんさにも、別途触れる。
 さて、長々と書くのも勿体ない。
 江崎道朗は北一輝について、上の渡辺著のほかには、私でも所持するつぎの諸文献を、いっさい参照していないようであることを、まずは指摘しておく。北一輝に関係する「内容的」な問題には、別の回で触れる。
 ***
 G・M・ウィルソン/岡本幸治訳・北一輝と日本の近代(勁草書房、1971)。
 松本清張・北一輝論(講談社文庫、1979)。
 岡本幸治・北一輝-転換期の思想構造(ミネルヴァ書房、1996)。
 松本健一・北一輝論(講談社学術文庫、1996/原書、1972)。
 松本健一・評伝北一輝/Ⅰ~Ⅵ(中公文庫、2014/原書・岩波書店2004)。
 所持はしていないが、他にもあるだろう。
 松本清張のものを見ても迷路に入って混乱するばかりだが、岡本幸治著・本文計360頁を見ると、北一輝の思想と行動は、江崎道朗が渡辺京二の本に即して描くような単純なものではなかったことが、よく分かる。江崎道朗、<ああ恥ずかしい>。

2037/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)①。

  茂木健一郎・脳とクオリア-なぜ脳に心が生まれるのか(日経サイエンス社、1997)。
 これを10章(+終章)まで、計p.313までのうち、第3章のp.112 まで読み終えている。他にも同人の著はあるようだが、これが最初に公刊した書物らしいので、読み了えるつもりでいる。この人の、30歳代半ばくらいまでの思考・研究を相当に「理論的」・体系的にまとめたもののようだ。出版担当者は、日本経済新聞社・松尾義之。
 なお、未読の第10章の表題は<私は「自由」なのか?>、第9章の表題は<生と死と私>。
 ついでに余計な記述をすると、西尾幹二・あなたは自由か (ちくま新書、2018)、という人文社会系の書物が、上の茂木の本より20年以上あとに出版されている。佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書、2004)という書物もある。仲正昌樹・「不自由」論(ちくま新書、2003)も。
  上の著の、「認識におけるマッハの原理」の論述のあとのつぎを(叙述に沿って)おそらくはほとんど「理解する」ことができた、または、そのような気分になったので、メモしておく。
 この書には「心」の正確で厳密な定義は、施されていない。
 但し、「意識」については、G・トノーニとおそらくは同じ概念使用法によって、この概念を使っていると見られる。これを第一点としよう。詳細は、第6章<「意識」を定義する>で叙述する、とされる。
 第一。p.96(意識)。
 ・「覚醒」時には「十分な数のニューロンが発火している」から「『心』というシステムが成立する」。
 ・「一方、眠っている時(特に長波睡眠と呼ばれる深い眠りの状態)にも、低い頻度での自発的な発火は見られる。/しかし、…意識を支えるのに十分な数の相互作用連結なニューロンの発火は見られない。したがって、〔深い〕睡眠中には、システムとしての『心』が成立しないと考えられるのである」。
 これ以外に、以下の五点を挙げて、第一回のメモとする。
 第二。p.86〔第1章・2章のまとめ〕。
 ・「私たちの一部」である「認識」は、つまり「私たちの心の中で、どのような表象が生じるか」は、「私たちの脳の中のニューロンの発火の間の相互作用によってのみ説明されなければならない」。
 ・「ここにニューロンの間の相互作用」とは、「アクション・ポテンシャルの伝搬、シナプスにおける神経伝達物質の放出、その神経伝達物質とレセプターの結合、…シナプス後側ニューロンにおけるEPSP(興奮性シナプス後側膜電位)あるいはIPSP(抑制性シナプス後側膜電位)の発生である」。
 第三。p.100〔ニューロン相互作用連結・クラスター〕。
 ・「相互作用連結なニューロンの発火を『クラスター』と呼ぶことにしよう」。
 ・A(薔薇)の「像が網膜上に投影された時、網膜神経節細胞から、…を経てITに至る、一連の相互作用連結なニューロンの発火のクラスターが生じる」。
 ・「このITのニューロンの発火に至る、相互作用連結なニューロンの発火のクラスター全体」こそが、A(薔薇)という「認識を支えている」。すなわち、「最も高次の」「ニューロンの発火」が単独でA(薔薇)という「認識を支えている」のではない。
 第四。p.90-〔ニューロンの相互作用連結〕。
 ・二つのニューロンの「相互作用」とはニューロン間の「シナプス」の前後が「連結」することで発生し、これには、つぎの二つの態様がある。
 ・「シナプス後側ニューロンの膜電位が脱分解する場合(興奮性結合)と過分解する場合(抑制的結合)」である。
 ・「シナプスが興奮性の結合ならば、シナプス後側のニューロンは発火しやすくなるし、シナプスが抑制性の結合ならば、シナプス後側のニューロンは、発火しにくくなる」。
 ・簡単には、「興奮性結合=正の相互作用連結性、抑制的結合=負の正の相互作用連結性」。
 第五。p.102-〔「抑制性結合」の存在意味〕。
 ・「少し哲学的に言えば、不存在は存在しないことを通して存在に貢献するけれども、存在の一部にはならない」。
 ・「抑制性の投射をしているニューロンは、あまり発火しないという形で、いわば消極的に単純型細胞の発火に貢献」する。
 第六。p.104-〔クラスター全体による「認識」の意味=「末端」ニューロンと「最高次」ニューロンの発火の「時間」と「空間」、「相互作用同時性の原理」)。
 ・「物理的」な「時間」・「空間」は異なっていても、<認識>上の「時間」は「同時」で、「空間」は「局所」的である。
 ・「認識の準拠枠となる時間を『固有時』と呼ぶ」こととすると、「ある二つのニューロンが相互作用連結な時、相互作用の伝搬の間、固有時は経過しない。すなわち、相互作用連結なニューロンの発火は、…同時である」。
 ・「末端のニューロンから、ITのニューロンまで時間がかかるからといって」、私たちのA(薔薇)という「認識が、『じわじわ』と時間をかけて成立するわけではない」。
 ・「物理的空間の中で、離れた点に存在するニューロンの発火」が生じて「認識の内容が決まってくる」という意味では、「物理的空間の中では非局所的だ」。
 ・「物理的空間の中では…離れたところにあるニューロンの発火が、相互作用連結性によって一つに結びつきあって、…一つの認識の要素を構成する」。
 ・「つまり、相互作用連結によって結びあったニューロンの発火は、認識の時空の中では、局所的に表現されている」。
 ***
 注記ー秋月。
 ①「ニューロン」とは「神経細胞」のことで、細胞体、軸索、樹状突起の三つに分けられる。軸索,axon, の先端から「シナプス」,synapse, という空間を接して、別のニューロンと「連結する」ことがある。(化学的)電気信号が発生すると、軸索の先端に接するシナプス空間に「伝達化学物質」が生じて、別のニューロンと連結する=信号が伝達される(同時には単一方向)。
 ②ニューロンは「神経」のある人間の身体全身にあるが、脳内には約1000億個があり、それぞれの一つずつが約1000個のシナプス部分と接して、一定の場合に別のニューロンと「連結」するとされる。G・トノーニらの2013年著によると、約1000億個のうち「意識」を生み出す<視床-大脳皮質>部位には約200億個だけがあり、生存にとっては重要だが「意識」とは無関係の<小脳・基底核>等に残りの約800億個がある。なお、人間一人の「脳」は、重さ1.3-1.5kgだという。

2036/外界・「認識」・主観についての雑考。

 ヒト・人間はいつ頃から、自分または「自分たち」が他の生物・物・事象・自然等を「認識」することの意味を考え始めたのだろうか。
 それは宗教の始まりとほとんど同じで、ギリシャの哲学者たちはとっくに「哲学」の対象にしていたのだろう。
 事物の「存在」が先ずあって、人間はそれを「認識」するのか。それとも、人間が「認識」するからこそ、当該事物は「存在」すると言えるのか。
 つまり、「客体」という客観物が先にあって、「主体」の主観的行為が後にくるのか。「主体」の主観的行為によってこそ「客体(客観)」を<知る>のか。
 あるいは、「外部」が先で人間の「内部」作業が論理的に後なのか。人間の知覚という(脳の)「内部」過程を前提として、「外部」の事物の存在が判明するのか。
 これは人文(社会)学・哲学上の大問題だったはずで、これまでの長きにわたる議論は、これに関連しているはずだ。きっと、単純な観念論と単純な唯物論の区別もこれに関連する。
 また、「心(知)」と「身体」の区別に関するデカルトの<心身二元論>もこれに関連する。<思考する実在>と<延長された実在>。
 この二元論は、人間の「身体」は「心(知)」・「精神」とは異なる「外部」・「客体」と把握することになるのだろう。「私」は「考える」ことのうちこそ「存在」しているのだ。そうすると、上の二つをめぐる議論は、<物質と精神>の区別や関係に関するそれとほぼ同じことになる。
 デカルトはこの二つをいちおうは?厳格に区別し、両者を連結するのが脳内の「松果体」だと考えたらしい。また、彼は「心」は心臓にあると考えた、という説明を読んだこともある。
 明確な<二元論>に立たないとすれば、上述のような<堂々めぐり>、<循環的説明>は、言葉・概念の使い方・理解の仕方にもよるが、容易に出てくる。
 しかし、つぎのような場合があるので、「外部」・「客体」・事物ないし事象の存在を不可欠の前提にすることはできないだろう(とも考えられる)。
 ①幻覚。「お化け」もこれに入りそうだ。薬剤・ドラッグの影響による場合も。「幻視」に限らず、「幻聴」等もある。
 ②浅い睡眠中に見る「夢」。
 ③全身麻酔からの覚醒後に残り得る「錯乱」。これは、①の薬による「幻覚」の一種だとも捉え得る。
 これらは「外界」の存在を前提とせず、「主体」・「内部」が勝手に<認識>している(と言えるだろう)。
 そうすると、「主体」・「内部」という主観的側面こそが第一次的なもので、「外部」の存在を前提として主観的側面が発生する、というのではない。
 しかし、上の①~③は「異常」な場合、例外的な場合であり、「主体」・「内部」という主観が正常・通常の場合は、やはり「外部」の存在が先立つ前提条件ではないのか。
 これはなるほどと思わせる。しかし、主観の「異常」性と「正常」性はどうやって区別するのか。「主体」が「外界」を「正常」に<認識>しているか否かを、どうやって判断するのか。
 こうなると、さらに論議がつづいていく。
 すでにこの欄で言及したことに触れると、つぎの問題もある。
 「主体」・「内部」の主観的過程において、<感性と理性>というもの、あるいは<情動と合理的決定>というものは、どういう違いがあり、どういう関係に立っているのか。
 以上は幼稚な叙述で、むろんもう少しは、すでに叙述し、論理展開することはできる。
 かつての「大」哲学者たちも、要するに、その<認識論>あるいは<存在論>で、こうしたことを思考し、論議してきたのだと思われる。
 過去の「大」哲学者たちの言述うんぬんは別として、<自分で>考えている。同じヒト・人間なのだから、私でも、少しは彼らに接近することができるのではないか。
 それに、ダーウィンの進化論等以降の「(自然)科学」または進化学・遺伝学・生物学(脳科学・神経生理学等々を含む)等の進展によって、もちろん「神」の存在の助けを借りることなく、彼ら「大」哲学者たちよりも、上の問題を新しく、より正確に議論することができる状態にある、と言えるかもしれない。
 デカルト、カント、フッサール、それにマルクス等々の生きた時代には、現に生存中の人間の脳内の様相(ニューロンの発火状態等)をリアルタイムで視覚的・電位的に把握することのできるfMRIなどという装置は考案されていなかったのだ。
 もっとも、日本の現在の人文社会学研究者または社会・政治系の評論家類はいかほどにヒト・人間の<本性>に関する生物学・神経生理学の進展の成果をふまえて執筆したり、議論しているかは、相当に怪しいのだけれども。

2035/明治維新と日本共産党に関する小考。

 いろいろな「考え」・「思い」がふと生まれることがある。例えば、以下。
  西洋の力の背後に「キリスト教」を見て、明治政権は「天皇・神道」を対応する宗教として中軸に据えようとしたとの説明・論がある。
 しかし、キリスト教という「宗教」の世俗化またはそれと国家の分離のためにフランス革命があり、さらには「無神論」によるロシア革命までの動向があったとすると、西洋または欧米が世俗的にはすでに「キリスト教」という宗教から離れていた時代に、日本・明治政権は実質的に「神道」という宗教に依存しようとした。これは大いなる勘違い、ボタンのかけ間違いだったのではないか。
 しかし、神道または「神武創業・開闢」の原理の内容が実際には<空虚>であったため、実質的には自由に、欧米の近代「科学・技術」を何でも自由に「輸入して」、「文明開化」を推進することができた。
 しかしまた、天皇・神道原理からは具体的な近代的「政治」の原理は出てこなかったのだった。
  日本共産党が「天皇制打倒」を主綱領の一つにしたのは、ロシア革命での(正確には二月革命での)ロシア帝制「打倒」につづいて「社会主義」へと向かったという、ロシアの経験・成功体験にもとづくロシア共産党、そしてコミンテルンの方針にもとづく。
 (日本共産党の戦前の綱領類を誰が(どの日本人が)執筆したかを探ろうとする者がいるようだが、実質的にロシア語の翻訳の文章であるに決まっている。)
 上のことが実質的に、天皇制打倒=反封建(または反絶対主義)民主主義革命と社会主義革命という「連続」・「二段階」革命の基本方針となった。
 ロシアがソヴィエト連邦となった後のスターリンの時代だと、直接的な「一段階」の「社会主義」革命の方針が押しつけられた可能性がある。
 しかし、その時代、日本共産党はすでに実質的には存在せず(何人かのみが獄中にあり)、基本戦略を議論したり、受容する力が全くなかった。
 そのおかげで、戦後に復活した日本共産党は、若干の曲折はあったが、「民主主義」→「社会主義」という「二段階」革命路線を容易に採用することができた。
 かつそのおかげで、「社会主義」で一致しなくても「民主主義」という一点で引きつけて(党員の他に)少なくとも支持者をある程度は獲得することができ、国会内に議席を有する「公党」として生き続けることができている。
 前者一本だったとすると、とっくに消失しているだろう。あとは「社会主義」革命だけだったはずのイタリアの共産党はすでになく、フランスの共産党もなきに等しい。
  歴史というのは、「皮肉」なものだ。以上、思いつきまたは「妄論」の二つ。

2034/池田信夫のブログ014-A・R・ダマシオ②。

 池田信夫は、2011年7月3日付アゴラ「合理的意思決定の限界」でもダマシオに触れている。以下のごとし。
 「ダマシオの二元論を引用して」原発稼働に関する経済学・経済政策論を正当化する論があるが、「合理性」は「アジェンダが与えられたとき計算するアルゴリズム」を示すだけで、アジェンダ設定の「メタレベルの感情」と対立しない。「むしろダマシオもいうように、感情がなければアジェンダを設定できないから、感情は理性の機能する条件なのだ」。
 さてさて。
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 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 「感情」・「情動」・「理性」・「推論」・「合理(性)」等の、もともとの英語は何なのか。
 上の原新版(2005年)のkindle 版を所持している。
 邦訳書の「新版へのまえがき」(原書ではPraface)と「序文」(同、Introduction)だけを原書と照合して、もともとの英語を確認しておきたい。邦訳文庫版は、p.11-p.31.
 関心と知識のある「理科系」の人は知っていて当然かもしれないが、ど素人の「文科系」人間にはそういうわけにはいかない。
 田中三彦の訳は(語・概念の訳が少なくとも一定・一貫しているという意味で)信頼できるものとする。
 内容、ダマシオの見解・主張には立ち入らない。専門用語的ではないものも含む。また、関係学問分野での定訳なのか否かについても、複数の原書(英語)を確認しないと明確には判別できないことなので、立ち入らないことにする。
 その意味で以下は、田中三彦の訳語に対応する、ダマシオが用いている英語だ。
 原題は、Antonio Damasio, Descartes’ Error: Emotion, Reason and the Human Brain。これですでに、「情動」と「理性」の対応語は分かる。
 ***
 「情動」=emotion、「感情」=feeling 。「情動システム」=emotional system。
 「直観」=intuition、「直観的感情」=gut feeling。
 「理性」=reason、「推論」=reasoning。「推論システム」=reasoning system。
 「合理性」=rationality、「合理的行動」=rational behavior、「合理性障害」=impaired rationality。
 「認知」=cognition、「認知的プロセス」=cognitive process、「認知的情報」=cognitive information、「社会的な認知や行動」=social cognition and behavior。「認知的、神経的」=cognitive and neural。
 「知覚」=perception。「思考様式」=thinking mode。
 「心」=mind。「意識的、意図的に」=mindfully and willfully、「心的かつ神経的」=mental and neural、「心的機能」=mental function。
 「身体」=body、「肉体」=flesh。
 「人間的な精神とか魂」=human soul or spirit。
 「適応」=adaptation。「意思決定」=decision making、「意思決定空間」=decision-making space。
 「脳損傷」=brain damage、「脳回路」=brain circuitry、「脳中枢」=brain center、「脳のある部位」=a brain lesion、「辺縁系」=limbic system。
 「前頭葉」=frontal lobe、「前頭葉患者」=frontal patient。
 「前頭葉皮質」=prefrontal cortices、「前頭前皮質」=brain's prefrontal cortices、「視床下部」=hypothalamus、「脳幹」=brain stem。「末梢神経系」=peripheral nervous system。
 「内分泌、免疫、自律神経的要素」=endocrine, immune, and autonomic neural components。
 「神経症患者」=neurological patient、「神経的疾患」=neurological disease。
 「神経科学」=neuroscience、「神経生物学」=neurobiology、「生理学」=physiology、「神経生理学」=neurophysiology。「生物化学」=biochemy。
 「神経組織」=neural edifice、「神経的基盤」=neural substrate。
 「生体調節」=biological regulation、「生物学的習性」=biological disposition。
 「若年発症型」=early-onset、「成人発症型」=adult-onset、「発育期」=formative years。「臨床的、実験的」=clinical and experimental。 
 「人文科学」=humanities。
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 翻訳というのはむつかしい。例えばつぎは、どう訳すのが最適なのだろうか。
 <the neural process that we experience as the mind>→「我々が経験する『心』に対する神経的プロセス」。p.27.
 訳すことができても、「理解」するのが(私には)困難な表現もある。あくまで例として、以下。
 ①「絶対的な外界の実在」=absolute external reality。
 ②「主観の感覚」=sense of subjectivity。
 ③「統合された有機体」=integrated organism。

2033/池田信夫のブログ013-A・R・ダマシオ①。

 日本共産党の機関紙や同党出版物、同党員学者等の書物、その他「容共」であることが明確な学者・評論家類の本ばかりを読んでいると、広い視野、新しい知見をもてず、<バカ>になっていく。少なくとも、<成長がない>。
 西尾幹二が例えば、①日本会議・櫻井よしこを批判するのは結構ではあるものの、日本会議・櫻井よしこをなおも当然に?「保守」と理解しているようでは、②かつての日本文化フォーラム・日本文化会議に集まっていた学者・知識人は「親米反共」の中核であっても「保守」ではないと認識しているようでは(例、同・保守の真贋(徳間書店、2017))p.160)、むろん改めてきちんと指摘するつもりだが、「保守」概念に混濁がある。そして、西尾が「保守」系の雑誌だとする月刊正論、月刊WiLL、月刊Hanada 等やそれらに頻繁に執筆している評論家類の書物ばかりを読んでいると、広い視野、新しい知見をもてず、<バカ>になっていく。少なくとも、<成長がない>。
 池田信夫の博識ぶりはなかなかのもので、デカルト、ニュートン、ダーウィン、カント等々に平気で言及しているのには感心する。むろん、その理解・把握の正確さを検証できる資格・能力は当方にはないのだけれど。
 進化・淘汰に強い関心を示したものを近年にいくつか書いていたが、もっと前に、 アントニオ・R・ダマシオの本を紹介していた。
 2011年6月26日付/アゴラ「感情は理性に先立つ」だ。
 ここでは反原発派の主張に関連して<論理と感情>の差違・関係を問題設定しつつ、つぎに、紹介的に言及している。
 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 「感情はいろいろな感覚や行動を統合し、人間関係を調節する役割を持っているのだ。
 感情を理性の派生物と考えるデカルト的合理主義とは逆に、感情による人格の統一が合理的な判断に先立つ、というのが著者の理論である」。
 「この場合の感情は個々の刺激によって生まれる情動とは違い、いろいろな情動を統合して『原発=恐い』といったイメージを形成する」。
 「…感情は身体と結びついて反射的行動を呼び起こす、というのが…『ソマティック・マーカー仮説』である」。
 「感情が合理的判断の基礎になるという考え方は、カントのカテゴリーを感情で置き換えたものとも解釈できるが、著者は近著ではスピノザがその元祖だとしている。
 身体が超越論的主観性の機能を果たしているというのはメルロ=ポンティが指摘したことで、最近ではレイコフが強調している」。
 原発問題を絡めているのでやや不透明になっているが、それを差し引いても、上をすんなりと理解することのできる読者は多くはないだろう(「近著」というのはダマシオ/田中三彦訳・感じる脳-情動と感情の脳科学・よみがえるスピノザ(ダイヤモンド社、2005))。
 この2010年刊の新訳文庫を計400頁ほどのうち1/4を読み了えた。その限度でだが、上はダマシオ説の正確で厳密な紹介にはなっていない、と見られる。
 但し、池田のいう<感情と理性>、<感情と合理的判断>の差違・関係にかかわるものであることは間違いない。
 そして、人間関係における個人的<好み・嫌悪感>や「対抗」意識が、あるいは<怨念>が「理屈」・「理論」を左右する、あるいは物事は<綺麗事>では決まらない、といった、実際にしばしば発生している(・発生してきた)と感じられる人間の行動や決定の過程にかかわっている。
 (この例のように、「感情」と「理論」・「判断」の関係は一様ではない。つまり、前者の内容・態様によって、後者を「良く」もするし、「悪く」もする。)
 ややむつかしく言うと、<感性と理性>、<情動と合理性>といった問題になる。
 まだよく理解していないし、読了すらしていないが、アントニオ・R・ダマシオの上の著の意図は、池田の文を受けて私なりに文章化すると、このようになる。
 この問題を脳科学的ないし神経生理学的に解明すると-つまりは「自然科学」の立場からは、あるいは「実証」科学的・「実験」科学的には-、いったいどのようなことが言えるのか。
 著者自体は「新版へのまえ書き」で、こう明記する。文庫、p.13.
 「『デカルトの誤り』の主題は情動と理性の関係である。
 …、情動は理性のループの中にあり、また情動は通常想定されているように推論のプロセスを必然的に阻害するのではなく、そのプロセスを助けることができるという仮説(ソマティック・マーカー仮説として知られている)を提唱した」。
 ここで、「通常想定されている」というのは、感情・情動は理性的・合理的判断を妨げる、<気分>で理性的であるべき決定してはいけない、という、通念的かもしれないような見方を意味させていると解される。
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 ところで、上にすでに、「感情」・「情動」・「理性」・「推論」・「合理」という語が出てきている。
 第四章の冒頭の一文、文庫p.104は、「ある条件下では、情動により推論の働きが妨げられる-これまでこのことが疑われたことはない」、だ。
 こうした語・概念の意味がそもそも問題になるのだが、秋月瑛二の印象では、人文社会系の論者(哲学者・思想家)では基礎的な観念・概念の使い方が多様で、たとえ「言葉」としては同じであっても、論者それぞれの意味・ニュアンス・趣旨をきちんと把握することができなければ、本当に「理解」することはできない。
 つい最近では、ルカチとハーバマスでは「実践」の意味が同じではない、というようなことをL・コワコフスキが書いていたのを試訳した。試訳しながらいちおうはつねに感じるのは、「認識」とか「主体」とか「外部」とかを、L・コワコフスキが言及している論者たちは厳密にはどういう意味で使っているのだろうということだ(それらをある程度は解き明かしているのがL・コワコフスキ著だということにはなるが、すでに十数人以上も種々の「哲学者」たちが登場してくると、いちおう「試訳」することはできても、専門家でない者には「理解」はむつかしい)。
 これに対して、あくまで印象だが、自然科学系の著書の方が、一言でいうと<知的に誠実>だ。あるいは<共通の土俵>の程度が高い。
 つまり、それぞれの学問分野(医学(病理学・生理学、解剖学等々)、物理学、化学、数学等々)で、欧米を中心とするにせよ、ほぼ世界的に共通する「専門用語」の存在の程度が、人文系に比べてはるかに多く、(独自の説・概念については「ソマティック・マーカー仮説」だとか「統合情報理論」とか言われるようなものがあっても)、自分だけはアカデミズム内で通用しないような言葉遣いを、少なくとも基礎的概念についてしない、という<ルール>が守られているような感がある。
 したがって、日本で、すなわち日本の(自然科学)アカデミズムが翻訳語として用いる場合も、一定の(例えば)英語概念には特定の日本語概念が対応する訳語として定着しているように見られる。
 「意識」=conciousness、というのもそうだ。Brain は「脳」としか訳せないし、それが表象している対象も基本的には同じはずだろう。
 では、「感情」・「情動」・「理性」・「推論」・「合理(性)」等々の、もともとの英語は何なのか。
 なお、アントニオ・R・ダマシオはポルトガル人のようだが、若いときからアメリカで研究しているので、英語で執筆しているのではないかと推察される(ジュリオ・トノーニら・意識はいつ生まれるのか(亜紀書房、2015)の原著はイタリア語のようだ)。

2032/L・コワコフスキ著第三巻第10章第7節②・第8節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.392-p.395。合冊版、p.1100-p.1103. 第8節・結語、へも進む。
 ごく一部の下線は、試訳者による。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第7節・批判理論(つづき)-ユルゲン・ハーバマス(Jürgen Habermas)②。
 (8)<知識と利益>でのマルクス批判は、おそらくはさらに進んでいる。
 ハーバマスは、マルクスは人間の自己創造を最終的には生産労働に還元し、そうすることで彼自身の批判活動を理解しなかった、とする。
 考察(reflection)それ自体が、彼の理論では自然科学が関係するのと同じ意味での科学的作業の一要素であるように思える。言ってみれば、物質的生産の様式をモデルにしているのだ。
 かくして、実践としての、自己省察にもとづく主体的活動としての批判は、マルクスの著作では社会的活動の分離した形態を十分にはとらなかつた。
 ハーバマスは、同じ書物で、科学主義、Mach、PeirceおよびDilthey を批判し、自然科学または歴史科学の方法論的自己知識の形態も、それらの認識上の立場やそれらの背後にある利益に関する理解を反映している、と論じる。
 しかしながら、彼は、その見解では理性の活動と利益や解放が合致する観点を獲得させる、そのような「解放」への潜在的能力を精神分析はもつことを指摘する。かりにそうでなくとも、認識上の利益と実践上の利益が同一になるようにさせる。
 マルクスの図式は、そのような統合の基礎を提供することができない。マルクスはヒトの種の独特の特徴を(純粋に順応的なそれとは区別される)道具的行動をする能力に還元したのだから。そのことは彼が、イデオロギーと歪んだ意思交流という趣旨での権威の間の関係を解釈することができないことを意味した。そうできないで、人間の労働や自然との闘いに由来する関係へとそれを還元したのだ。
 (ハーバマスの考えはこの点で全く明確なのではなく、精神分析では聴診も治療法だと明らかに思っていた。-患者が自分の状況を理解することは同時に、治療になる。)
 しかしながら、理解する行為が治療全体を指すのだとすると、これは正しくない。
 フロイトによれば、治療過程の本質は移転(transference)にあり、これは実存的行為であって、知的な行為ではないのだから。
 マルクスの理論では、合致は生じない。すなわち、理性の利益と解放が結びついて単一の実践知の能力となることはない。
 かりにこれがハーバマスの論拠だとすれば、彼のマルクス解釈は、(私は適切だと考えている)ルカチの判断、すなわちマルクス主義の最重要の特質は世界を理解する行為とそれを変革する行為はプロレタリアートの特権的状況において一体化を達成するという教理にあるという判断とは、一致していない。//
 (9)ハーバマスは、その鍵となる「解放」(emancipation)という概念を明瞭には定義していない。
 明確なのは、ドイツ観念論の全伝統の精神からして、実践的理性と理論的理性、認識と意思、世界に関する知識と世界を変革する運動、これらの全てが一つ(identical)になる焦点を、彼は探求している、ということだ。
 しかし、そのような点を彼が実際に見出したとは、あるいは、そこに到達する方途を我々に示しているとは、思えない。
 認識論上の評価の規準は、技術的進歩の過程と意思交流の形態とがともに自立した変数として現れる、そのような人間の歴史の一要素でなければならない、と彼が言うのは正しい。
 我々が認識上何が有効であるかを決定する規則のいずれも、(フッサールの意味で)先験的に(transcendentally)基礎づけられてはいない。
 また、知識の有効性に関する実証主義的規準は、人間の技術的能力に関係する評価を基礎にしている。
 しかし、こうしたことから、知識と意思の区別が排除されたと認めることのできる、そのような優位点(vantage-point)がある、またはあり得る、ということが導き出されはしない。
 ある場合には、諸個人や社会による自己理解の行為はそれ自体は、この語が何を意味していようと「解放」へと導く実践的な行動の一部だ、ということが言えるかもしれない。
 しかし、疑問はつねに残ったままだろう。すなわち、どのような規準によれば、その自己理解の正確さを判断することができるのか? また、どのような原理にもとづいて、別のそれではなくてある特定の情況では「解放」が存在する、と決定するのか?
 この第二点について、世界に関して我々がもつ知識を超える決定を下すのを、我々は避けることができない。
 善と悪を区別する、そしてそれと同じ行為で真か偽かを決定する、そのような高次の霊的な何らかの能力を我々がもつようになると信じるとすれば、我々は、いかなる統合にも影響を与えないで、恣意的に設定された善の規準でもって真の規準を単直に置き代えている。換言すれば、我々は、個人的または集団的な実用主義(pragmatism)へと回帰している。
 分析的理性と実践的理性の間を統合するものという意味での「解放」は、上に述べたように、宗教的な解明(illumination)の場合にのみ可能だ。その場合にじつに、知識と「関与」する実存的行為が一つのものになる。
 しかし、理性の活動をそのような行為で基礎づけることができると想定することほど、文明にとって危険なものはない。
 分析的理性、あるいは科学が機能するための諸規準の全体、はそれ自体の根拠を提示することができない、というのは実際に本当のことだ。
 諸規準は、道具として有効であるがゆえに受容されている。そして、合理性についてかりに何らかの先験的規範があるとしても、それは我々にはまだ知られていない。
 科学は、そのような規範の存在とは無関係に機能することができる。科学は、科学的哲学と混同されてはならないらだ。
 善や悪および普遍的なものの意味に関する決定は、いかなる科学的な基礎ももち得ない。
 我々はそのような決定をするのを余儀なくされるが、その諸決定を知的に理解する行為に変えることはできない。
 生活上のこれら二側面を統合する高次の理性という観念は、神話の世界でのみ実現することができる。あるいは、ドイツ形而上学の敬虔な願望にとどまり続けるだろう。
   <一行あけ-秋月>
 (10)フランクフルト学派の若い世代のうちの別の人物は、Alfred Schmidt だ。自然に関するマルクスの観念についての彼の書物(1964年)は、この複雑な問題の研究に興味深くかつ貴重な貢献をなした。
 彼が論じるところでは、マルクスの観念には曖昧さがあり、そのことが原因となって、矛盾する方途で解釈されてきた(人間の継続物としての自然、統合への回帰等々。反対に、自然の創造物としての人間。ここで自然は外部諸力に対処する人間の試みによって明確になる)。
 Schmidt は、マルクスの教理は疑いの余地のない単一の「システム」だと最終的には理解することはできず、エンゲルスの唯物論がマルクスの思想と本質的部分で合致している、と強く主張する。//
 (11)Iring Fetscher は、疑いなく優れたマルクス主義に関する歴史研究者の一人だ。この人物をフランクフルト学派の一員だと見なすことができるのは、この学派の著者たちが関心をもったマルクス主義の諸観点に受容的であることを彼の著作が示している、というきわめて広い意味でだ。
 彼の大きな業績は、マルクスが遺したものの多様な範型やあり得る解釈を明瞭に解説したことだ。しかし、彼自身の哲学上の立場は、否定弁証法や解放的理性のような、フランクフルト学派の典型的な思考にもとづいていたとは思われない。
 歓迎されるべき明晰さを別とすれば、彼の著作は、歴史研究者としての抑制と寛容を特徴としている。
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 第8節・結語(Conclusion)。
 (1)マルクス主義の歴史でのフランクフルト学派の位置について考察すると分かるのは、この学派の長所は哲学上の反教条主義、理論的推論の自立の擁護にあった、ということだ。
 フランクフルト学派は、誤謬なきプロレタリアートという神話から自由で、マルクスの諸範疇は現代社会の状態と諸問題について適切だという信仰からも解放されていた。
 フランクフルト学派はまた、知識と実践の絶対的で始原的な根拠があると想定するマルクス主義の全ての要素または変種を拒絶しようと努めた。
 それは、マルクスが理解したような階級の諸範疇では解釈することのできない現象としての「大衆文化」の分析に寄与した。
 また、(かなり一般的で、方法論のない用語でだったけれども)科学者的プログラムに潜在している規範的な前提命題に注意を引くことによって、科学的哲学を批判することにも貢献した。//
 (2)他方で、フランクフルト学派の哲学者たちには、理想的「解放」についての一貫した見解表明に弱点があった。それは決して適切には説明されなかった。
 このことは、「物象化」、交換価値、商業化した文化および科学主義を非難しつつ、それらに代わる何かを提示している、という幻想を生み出した。
 ところが実際には、彼らが現実に提示しているのはほとんど、エリート(élite)がもつ前資本主義社会の文化へのノスタルジア(郷愁、nostalgia)だった。
 彼らは、今日の文明から一般的に逃亡するという曖昧な展望の音色を奏でることによって、知らず知らずのうちに、無知で破壊的な抗議行動を激励した。//
 (3)要約すれば、フランクフルト学派の強さは純粋な否定にあり、その危険な曖昧さは、それを明確に認めようとしないで、しばしば反対のことを示唆したことにあった。
 それは、いかなる方向であってもマルクス主義の継続物ではなく、マルクス主義の解体とその麻痺化の一例だった。//
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 第7節・第8節、そして、第10章が終わり。

2031/物質と意識・観念と「霊」-例えば刑法190条。

 M・マシミーニ=G・トノーニ/花本知子訳・意識はいつ生まれるのか-脳の謎に挑む統合情報理論(亜紀書房、2015/原著・イタリア2013)、数日前に、全読了。計292頁。
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 上は読書記録で、以下と直接の関係はない。
 マルクスが「科学」と対比させて「宗教は(民衆の)アヘンだ」と書いたらしいことがどの程度の影響を与えているのか知らないが、「科学」または「学問研究」は「宗教」とは異質だ、「宗教」それ自体の内容は<迷妄>だとの印象が、ないではないだろう。
 西欧ではキリスト教・神学と近代以降の「科学」は全くまたは基本的に異質なものだつたのかもしれない。
 しかし、日本とその歴史を念頭におくと、例えば、奈良時代あたり(正確ではきっとない)以降の「仏教」は一定の学問体系そのものだったと思われる(もちろん宗派・教典はすでに多様だったとしても)。陰陽道は日本的仏教の一派に「神道」がすでに一部は混淆していたものだろうが、陰陽師・安倍晴明は「学者」で、朝廷の「官僚」だったらしい(「物語」の真否は別として、該当の人物は存在したのだろう)。
 従って、とつなげるのは些か早すぎるが、現在の日本の人文社会分野の研究者・評論家・もの書き人類にもまた、日本の多様な「宗教」の内容そのものを無視または蔑視しないでいちおうは<理解>しておこうという姿勢が必要かと思われる。
 「神」・「仏」等が自己の<外界>のどこかに存在するとは全く信じていない私でも、また戦後教育・戦後社会の悪しき<宗教軽視>風潮に染まってきたとはいえ、そのハンディを取り戻そうと少しは努力している。
 だが、ここですでに、「科学」・「学問」や「宗教」という諸概念・諸観念自体の問題がある。
 「宗教」概念の核・不可欠の要素はいったい何なのだろうか。
 日本国憲法上の「信教」、宗教法人法上の「宗教」概念に立ち入らない(どちらも何らかの定義をしているわけではない)。
 だが、現実には(現世、俗(ぞく)世間には)または通常は(原則的には)存在しそうにない(存在していないと感じられる)何か、「霊」的なもの、を想定すること、はおそらく、中心要素だろう。日本の古代の「カミ」が<神道>でいう「神」なのか否かは別として。
 科学・文化が発達したとされる21世紀の日本でも、マルクスの上記の教訓に反して?、そのような「宗教」にかかわる行為を多くの人が行っている。
 神社または寺院に出向いての「初詣で」もそうだが、各地・各種の「お祭り」行事も(かりに実施主体は特定の社寺ではなく「~実行委員会」であっても)「宗教」の要素を完全に欠けているわけではない。「入山料」・「拝観料」そしてご朱印代金の支払い・受領も「宗教活動」上のものとされ、宗教法人・神社仏閣による「所得税」支払いの対象にはなっていない(はずだ)。
 戦没者慰霊をもっぱら靖国神社による祭礼にだけ極限しているかのごとき政治運動団体がある(<日本会議>/事務総長・椛島有三)。月刊正論(産経)も同様だが、この団体は戦没者追悼の重要性を強調しつつ、不思議なことに、沖縄・摩文仁の丘の戦没者慰霊施設に言及しない。その直近にある、沖縄戦での戦没者の出身県関係者がそれぞれに設置している各県ごとの慰霊・顕彰施設にも言及しない(「仏教」的要素があるものもあったように記憶する)。また、静岡県・熱海(伊豆山)の興亜観音の慰霊?施設にも言及しない(松井石根大将、<七人の戦犯>関連。私は二度訪れている)。
 今年も8月15日に戦没者慰霊式典が行われた。
 天皇陛下、首相等々が向かって言葉を発した前には「戦没者の霊」と明記した、白木造りのような、四角形の柱が立っていた。
 ということは、天皇陛下、首相等々の直接に言葉を発した人々だけにかぎらず、(立憲民主党・枝野幸男も国民民主党・玉木雄一郎も出席していたはずだが)その式典に出席した人たちはみな、「霊」の存在を前提にしている、それを当然視している、ということになるだろう。
 「霊」と記した物体・角柱に向かって、頭を下げていたのだ。
 ではどのような、あるいはどの宗教・宗派の「宗教」行事だったのか?
 もちろん、<無宗教>行為だとされる(はずだ)。日本国憲法のもとで、国家が「宗教」行為を行ったり(主催したり)、関与してはいけないと原理的に考えられてきている。
 しかし、「霊」の存在を前提視・当然視する儀礼というのは、「宗教」行為そのものなのではないか?
 むろん、そのような式典の実施に反対しているわけではないし、特定の神社でこそ施行せよ、と主張しているわけでもない。
 「霊」あるいは「宗教」に関する日本人の感覚の不思議さを、あるいは日本での「宗教」という言葉の不思議さを、興味深く感じている、というだけだ。
 ***
 前天皇・皇后両陛下の「退位」関連行事の中に、神武天皇陵または橿原神宮での「ご退位のご報告」というのがあったと記憶する(確認しない。また、京都・泉涌寺直近の孝明天皇陵での「ご報告」もあった)。
 これはおそらく(これまた正確さを確認しないで書くが)、皇室の「私的」行為として行われたのではなく、「国事行為」でもない「公的行為」として行われたのだろう。
 「神武天皇」関係は特定の神社のまたは「神道」を含む特定の「宗教」に関係していそうでもあるが(従って、反天皇・「左翼」は危険視・問題視する可能性があるが)、憲法上正規に位置づけられている天皇の交替(・譲位)にかかわる、という点に「公的」性格が認められたのだろうと解される(この点で、伊勢神宮の遷宮関係行事への天皇陛下等の関与が「私的」行為とされるのと大きな違いがあるのだと思われる。なお、この区別は、財政処理の区分にかかわる)。
 ***
 「霊」というのは死者の「霊魂」のことだろう。「霊魂」と表現しなくとも、<死者の~>と表現することには異論はないだろう。
 古く生命の誕生以来、かねてから、生者は死者となってきた。無-生-死(無)という変化が個体ごとに、全ての人間に、生じてきた。
 その際に、初期の日本人は、あるいは日本列島にいた人間たちも、不思議さ・奇妙さを感じ、「遺体」に対しても、たんなる「物」とは感じることができなかったに違いない。
 といっても、時代や人々の集団によって、その様相・態様は違っていたのかもしれない。
 全ての死者に対してかどうかは分からないが、いつの頃からか、一定の様式の「墓」、「墳墓」、「墓陵」が作られるようになる。火葬にするだけの燃料がなかったか、あるいは「火」を作ることができなかったのが理由かもしれないが、甕や柩に入れる場合も含めて、当初は全て「土葬」だったのだろう。
 全ての死者に対してかどうかは分からない。また、いつの時代からほぼ全ての死者について、遺体・遺骨の「埋蔵」ということが行われることになったのかはよく知らない(私は「葬礼」の仕方の歴史にも関心をもつ)。
 だが、ある程度またはかなりの程度、「死」をふつうの現象とは感じず、死者やその遺体・遺骨を特別扱いする慣習が、いつの頃からか発生したに違いない。
 そうした慣習が形成される過程に、当然ながら、これまた全ての死者についてか否かはよく知らないが、「死者」は、あるいはその「霊」は死後にどうなるのか、どこへ行くのか、という疑問、「宗教」的思考もまた発生していたに違いない。<神道>はこの問題をどう処理してきたかはよく分からない。
 かくして現在、死者の「遺体」または「墳墓」に対する<宗教的感情>は法的に保護されるべき利益(法益)だと、いちおうは決定されている。
 現行の日本の刑法は、つぎのように定める。
  刑法(明治40年法律45号/最新改正公布平成30年)第二編(罪)。
 第24章・礼拝所及び墳墓に関する罪。
 第188条(礼拝所不敬及び説教等妨害)第1項「神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、…に処する」。
 第2項「説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、…に処する」。
 第189条(墳墓発掘)「墳墓を発掘した者は、二年以下の懲役に処する」。
 第190条(死体損壊等)「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する」。
 第191条(墳墓発掘死体損壊等)「第189条の罪を犯して、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三月以上五年以下の懲役に処する」。
 死体・遺体や「墳墓」は、ふつうの「物」または「場所」・「施設」ではない、という旨を前提として、これらが定められているわけだ。
 ***
 日本の古代から全ての死者に対してかどうかは分からないと書いたのは、天皇・皇族またはいわゆる貴族・豪族あるいは武家一族の者と<庶民>との間には違いがあっただろう、と想像しているからだ。
 なお、天皇等の皇族についての葬礼の仕方、および「墳墓」=「陵墓」の様式が、果たして<神道式>だったかどうかは、相当に疑わしい。
 「神道」概念の理解の仕方にもよるが、古代の神武天皇以降少なくとも武家政権になるまでは全ての天皇・皇族について「神道」式だった(そして孝明天皇について以降に「復活した」のだ)とは、さすがに櫻井よしこら日本会議諸氏も主張しないだろうし、そう主張できないだろう。
 この点はともかく、全ての死者が平穏かつ平等に?埋葬され、葬礼が行われたのではないことは、日本史上の幾多の戦乱のとくに「敗者」側の死者について言えるだろう。
 坂本龍馬が中岡慎太郎とともにほとんど「暗殺」されたあと、龍馬の遺体は、現在もある墓地辺り(京都・霊山神社東)に運ばれて、埋葬されたようだ。
 では、新撰組の隊士たちで、同組内の制裁として切腹・斬首の形を受けた者たちの「死体」はどう処理されたのか。
 隊長・近藤勇の墓地は東京・三鷹市の龍源寺にあるが、「首」は官軍による処刑?後に京都で晒されたので、そこにあるのは首を含まない彼の遺骨なのではないか、とも言われている。
 新撰組といえば壬生浪人(みぶろ)と言われ、浅田次郎「壬生義士伝」という小説もあり、京都市(中京区)の壬生寺は新撰組ゆかりであるとされている。しかし、同寺には「供養塔」はあっても途中で制裁された者も含めて隊士たちの「墓」はなく、一部だけが同市(下京区)の光縁寺にある、という(同寺山門付近ににその旨の表示もある)。
 この寺の住職らしき人の「雑談」を信頼して書くと、幕末時、その寺付近に新撰組隊士たちの遺体が棄てておかれるようになった、現在の嵐山電鉄の電車路が大宮駅を西へと出発してすぐの所あたり、現在の同寺の北にすぐに接するあたりに死体が積み重ねられているのを知った先代か先々代かが、遺体・遺骨類を拾い集めてきちんと埋葬して同寺内に墓碑もいくつか作った、という。
 なお、沖田総司は京都で死んだのではないように思うが、そうした墓碑の一つの側面には、たしか「沖田家縁女」と書かれていた(記憶によるので厳格に正確ではたぶんない)。
 幕末期の「いちおう武士」とされた隊士たちですらそうした扱いだったとすると、兵士・武士たちですら、その全ての死者が今日でも明らかな墓地・埋葬地をもっているわけでは全くないだろう(京都・金戒光明寺には、幕末の京都で死んだと見られる会津藩士たちの墓地(「会津墓地」と言われる)はある)。
 ということから、ましてや「庶民」一般が、ということを書いたわけだ。
 京都・化野念仏寺(嵯峨野)には、多数の小さい地蔵仏が身を寄せて集められている。その形の大きさからすると、亡くなった幼児・小児の形見・守り仏のような気もするが、おそらくはふつうの成人の墓碑代わりなのではないか、と全くの素人は想像している。
 奈良・平城京、春日山の東の谷間もそうだったらしいのだが、京都・嵯峨野北方や紫野辺りは昔は<死体投棄場>だったと読んだか、聞いたことがある。
 すでに京都・鴨川の東側の六波羅蜜寺あたりが、平清盛の時代よりももっと昔は、そういう<死体投棄場>だったと読んだか、聞いたこともある。
 多くの人は、死ねば、きちんとした墓も埋葬場所もなく、遺体のままで(運び得る)遠方で投げ棄てられていたのではないか。そして、腐食して、骨になっていたのではないか。芥川龍之介「羅生門」も参照。
 そういう時代に比べると、ほとんどの人の遺体や遺骨がきちんと?処理されることとなり、「墳墓」や「死体、遺骨、遺髪」等がふつうの「物」とは(少なくとも現在日本の刑法典上は)観念されていないのは、進んだものだと、よくなったものだと、思われる。
 だがしかし、一方では、<宗教的感情の保護>という言い分は、ふつうの「物」ではない「霊」・「霊魂」なるものの存在を前提としていることに論理的にはおそらくなるだろう。ふつうの「物」ではないものに対してこそ、<宗教的感情>は発生する。

2030/L・コワコフスキ著第三巻第10章第7節①。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.387-p.392。合冊版、p.1096-1100.
 一部について、ドイツ語訳書の該当部分を参照した。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第7節・批判理論(つづき)-ユルゲン・ハーバマス(Jürgen Habermas)。
 (1)ハーバマス(Habermas)(1929年生れ)は現役ドイツ哲学者の代表者の一人に位置づけられる。
 彼の主要な書物の表題-<理論と実践>(1963年)、<認識と利益>(1968年)、<「イデオロギー」としての技術と科学>(1970年)-は、その主要な哲学的関心を示している。
 彼の著作は、理論的推論-歴史学および社会科学の意味のみならず自然史の意味での-と人間の実践的必要、利益および行動の間のあらゆる種類の連結関係を、反実証主義的に分析することで成っている。
 しかしながら、それは知識に関する社会学ではなくむしろ認識論的批判であり、この批判が示そうと意図しているのは、いずれの理論も実証主義および分析主義学派で案出された規準では適切な根拠を見出すことができず、また実証主義はつねに非理論的な関心に従った想定をしているけれども、実践的な関心と理論的な研究とを合致させる観点を見出すのは可能だ、ということだ。
 こうした見解には、フランクフルト学派の関心領域にたしかに入る主題がある。
 しかし、ハーバマスは、彼の前世代の指導者たちに比べて、より分析的に厳密化したものを提示する。
 (2)ハーバマスは、「啓蒙の弁証法」というホルクハイマーとアドルノの主題を採り上げる。-人類を偏見から解放するのに寄与する理性がその内在的な論理に従ってそれ自体に反発し、偏見と権威を維持するのに奉仕する、という過程のことだ。
 Hollbach によって代表される啓蒙主義の古典的時代には、理性は既存の秩序に対する社会的かつ知的な闘いの武器だった。そして、闘う際の大胆さという重要な美徳を維持するものでもあった。
 啓蒙主義からすると邪悪と偽善は同一のもので、解放と真実もまたそうだった。
 それは価値評価をなくしてしまおうとは考えなかったけれども、導かれるべき諸価値を公然と宣言した。
 フィヒテ(Fichte)の理性は、カント的批判にもとづくもので、ゆえに経験論のご託宣を呼び込むことはなかった。それにもかかわらず、それ自体がもつ実践的性格を意識していた。
 理解するという行為と世界を構成するという行為は、同時に行われる。理性と意思がそうであるのと同じく。
 自己を解放する自我の実践的利益は、理性の理論的活動ともはや分離することができない。
 マルクスにとっても、理性は批判的な力だ。しかし、フィヒテの見方とは対照的に、その理性の強さの根源は道徳的意識にあるのではなく、その解放する活動が社会的な解放の過程と同時進行することにある。
 虚偽の意識を批判することは、同時に虚偽の意識が由来している社会的諸条件を廃棄するという実践的行為だ。
 かくして、マルクスの範型での啓蒙主義は、理性と利益の連結関係を明瞭に維持している。
 しかしながら、科学、技術および組織の進展でもって、この連環は破壊された。
 理性は、次第にその解放機能を喪失した。一方では、合理性はますます技術的効率性に限定され、たんなる組織上の手段以外の目標を提示していない。
 理性は道具的な性格をおび、物質的または社会的技術の廃止に役立つ意味発生機能を放棄している。
 啓蒙主義は、それ自体に反抗している。
 理性は人間の利益から自立しているという妄想は、実証主義の認識論のように、また価値判断から自由な科学的プログラムのように是認されており、そうして、解放機能を遂行することができなくなった。//
 (3)しかしながら、ハーバマスは、フランクフルト学派の他の者たちと同様に、ルカチの意味での、または実用主義の意味での「実践の優位」に関心はない。
 彼が関心をもつのは、技術とは異なるものとしての実践という観念への回帰だ。言い換えれば、実践的機能を意識した、かつ「外部から」課されたいかなる目的にも従属しないで何とかしてそれ自体の合理性によって社会的な目的を構成する、そのような理性の観念の回復だ。
 ハーバマスは、そのゆえに、実践的でかつ理論的な理性を統合することのできる知的な能力(faculty)を得ようとする。それは、目標の意味を見極めることができ、従って目的に関して中立であることができず、また中立ではないだろうからだ。//
 (4)しかしながら、ハーバマスの批判の最重要点は、そのような中立性は存在しなかったし、あり得なかったし、実際にも達成されないものだ、そして、実証主義者の基本的考え方や価値から自由だとする理論の考え方は自己破壊の段階での啓蒙主義の幻想だ、と主張することにある。
 フッサール(Fusserl)は、正当に、こう論じた。自然科学が既製の現実、未構成の事物それ自体だとして提示するいわゆる事実または客体は、実際には、始原的な、自発的に創造された<生界(Lebenswelt)>だ。また、全ての科学は、前思考的な(pre-reflective)理性から、多様な実践的な人間の利益に従う一連の形態を継受している、と。
 しかしながら、フッサールは、理論に関する、実践の後滓がないとする自分自身の考えがのちには実践的目的のために使われることはない、と想定している点で、間違っていた。
 なぜならば、理論が実践的目的をもつのだとかりにすれば、現象学はいかなる宇宙論(cosmology)も、いかなる普遍的秩序に関する観念も、前提とすることができないのだから。
 ハーバマスは、つづける。自然科学は、技術という利益を基礎にして形成されている。
 自然科学は、その内容は実践的考慮に影響されないという意味で中立的なのではない。
 自然科学がその貯蔵物として用意している素材は、世界に存在するがままの事実の反射物ではなく、実践的な技術活動の有効性を表現したものだ。
 歴史的解釈(historico-hermeneutic)学もまた、別の形態によってではあるが、実践的利益によって部分的には決定されている。つまり、この場合は、「利益」とは、意思疎通を改善するために、人間界での理解可能領域を維持し拡大することにある。
 理論的活動は、実践的な利益から逃れることはできない。すなわち、主体・客体関係は、それ自体が何がしかの程度の利益を包含していなければならない。そして、人間の知識のどれ一つとして、人類の歴史との関係を除外してしまえば知的(intelligible)なものではない。人類の歴史には、そうした実践的利益が結晶化しているのだ。
 全ての認識上の規準の有効性は、その認識を支配している利益に依存している。
 利益は、-労働、言語、権威という-三つの分野または「媒介物」で作動する。そして、利益のこれら三類型に、それぞれ、自然科学、歴史的解釈学、社会科学が対応する。
 しかしながら、自己省察または「省察に関する省察」を行えば、利益と認識は合致する。そして、「解放する理性」が形を成すのは、この分野でこそなのだ。
 かりに、理性と意思、あるいは目的決定と手段分析、が一致する地点を発見することができないとすれば、我々は、つぎのように咎められることになるだろう。すなわち、先ずは表向きは中立的な科学がある、と。次には目標に関して根本的に非合理的な決定をしている、と。この後者の場合に合理的でないとは決して批判することはできず、どの目標も同等程度のものであるにもかかわらず。//
 (5)ハーバマスは、マルクーゼ(Marcuse)のようには、科学を批判することまでは進まなかった。すなわち、現代科学のまさにその内容が、技術的応用とは反対に、反人間的な目的に奉仕しているとは、あるいは、現代の技術は本来的に破壊的なもので人間性の善のために用いることができず、異なる性格の技術に変えられなければならないとは、主張しない。
 このように語ることは、現存する科学と技術に代わる選択肢を提示することができてのみ、意味があるだろう。マルクーゼは、そうすることができない。
 全く同じように、科学と技術は、それらの応用という点でも完全に潔白であるのではない。これらが大衆の破壊と僭政体制の組織化のための武器になる場合のあることを考えるならば。
 重要なのは、現代の生産諸力と科学が現代の産業社会を政治的に正当化する要素になった、ということだ。
 「伝統的社会」は、世界に関する神話的、宗教的および形而上学的解釈にもとづく諸装置によって、正統化されていた。
 資本主義は、生産諸力の発展のための自己推進機構を作動させて、変化と革新の現象を制度化し、権威の正統化のための伝統的諸原理を投げ棄てた。そして、等価の商業的交換に対応する諸規範-社会的組織化の根拠としての相関性(mutuality)という規則-へと置き代えた。
 このようにして、所有関係は直接的に政治的な意味を失い、市場の法則が支配する生産関係になった。
 自然科学は、技術的応用の観点からその射程範囲を定義し始めた。
 同時に、資本主義の進展につれて、生産と交換の分野への国家介入がますます重要になり、その結果として、政治はたんなる「上部構造」の一部ではなくなった。
 国家の政治活動-公的生活の組織化を改善する純粋に技術的な手段だと見られたもの-は、同じ目的のために役立つと想定された科学や技術と融合する傾向をおびた。
 生産諸力と権力の正統化を区別する線は曖昧になった。このことは、生産機能と政治機能が明瞭に分離していたマルクスの時代の資本主義とは異なっている。
 かくして、土台と上部構造に関するマルクスの理論は、時代遅れになり始めた。同じことが、(科学の巨大な重要性を生産力の一つと考えた)マルクスの価値に関する理論についても言えた。
 科学と技術は、技術モデルにもとづく社会像や人々から政治的意識、つまり社会的目標に関する自覚、を剥奪する技術政的(technocratic)イデオロギーを生み出したという意味で、「イデオロギー的」機能をもった。それは、人間の全諸問題は技術的、組織的な性格のもので、科学の手段によって解決することができる、という意味を含むものだった。
 技術政的心性(mentality)は、暴力を行使しないで人々を操作することを容易にする。また、「物象化」へと進むさらなる一歩なのであって、それ自体は目標について何も語らない技術的活動と人間に特有の関係性の間の区別を曖昧にする。
 経済に対する強い影響力を国家諸制度がもつ状況では、社会的対立もまたその性格を変え、マルクスが理解したような階級対立とはますます遠ざかる。
 新しいイデオロギーはもはやたんなるイデオロギーではなく、技術的進歩のまさにその過程と溶け合ってしまう。
 それを見分けるのは困難になり、その結果として、イデオロギーと現実の社会的諸条件はもはや、マルクスがそうしたようには、区別することができない。//
 (6)生産諸力の増大は、それ自体が解放の効果をもつのではない。
 そうではなく反対に、その諸力の「イデオロギー化された」形態をとって、人々が自分たちを事物(things)だと理解するようにさせ、技術と実践の区別を抹消する傾向にある。-この実践という用語が意味するのは、行為主体がその目標を決定する自発的活動だ。//
 (7)マルクスの批判の目的は、人々は真に主体にならなければならないということ、換言すると、自分たち自身の生活を合理的かつ意識的に統御しなければならない、ということだった。
 しかし、社会生活による自主規制は実際的または技術的な問題のいずれかだと理解することができるかぎりで、この批判の意味するところは不明確だった。そして、技術的な問題の場合は、無生物の客体を技術的に扱うのに似た操作の過程だと考えることができた。
 こうして、物象化は無くなりはせず、さらに悪化した。
 他方で、真の解放は、全ての者が社会的諸現象の統御に能動的に関与することを意味する範疇である「実践」へと回帰することとなった。言い換えれば、人々は客体であってはならず、主体でなければならない。
 この目的を達成するためには、ハーバマスは考察するのだが、人間の意思交流(communication)や現存する権力システムに関する自由な討議の改善、および生活の脱政治化(de-politicization)に反対する闘いが存在しなければならない。//
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 ②へとつづく。
ギャラリー
  • 2066/J・グレイ・わらの犬(2003)「序」②。
  • 2047/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)②。
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
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  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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